今野哲男さんの気魄が伝わってくる渾身の評伝,これがわたしの第一印象でした。竹内敏晴という大きな存在を,しかも,二転三転と,虫が蛹となり,やがて蝶になるように,生き方そのものを変化させざるをえなかった,ぎりぎりいっぱいの実存の「生」を生きた竹内敏晴という存在を,どのように描くかは尋常一様の作家の手には余るものだ,とわたしは考えていました。ですから,今野哲男さんが,さて,どのように描くのか,わたしには興味津々でした。
しかし,今野哲男さんは,ご自分の全存在を賭けて竹内敏晴という存在に体当たりをするようにして,場合によってはご自分が木っ端みじんに砕け散っても構わないというほどの覚悟をもって,この評伝に全エネルギーを注ぎ込まれました。そういう気魄が全編にみなぎっています。少なくとも,わたしはそのように受け止めました。
ですから,最初から最後まで,ピンと張りつめた緊張感が持続され,竹内敏晴という人物について多少とも興味・関心をもち,とりわけ「竹内レッスン」についてある程度の理解をしている人間にとっては,息継ぐ間もないほどの迫力で,今野さんの選び抜かれた的確なことばで構築された文章が迫ってきます。そして,読み終わってみると,この本は,最終的には「竹内レッスン」を理解するための貴重なバイブルになっている,としみじみおもいました。
その理由は以下のとおりです。
評伝の書き方にはいろいろの方法やスタイルがあるとおもいます。今野さんは,竹内敏晴の生き方を,時代や社会の思想情況と,みずからを取り巻く「生」の現場とをクロスさせながら,それらと真っ正面から向き合い,いかなる妥協をも許さず,つねに全力で闘い,前へ前へとみずからを駆り立てていく,そういう「生」の探求者として描いているようにおもいます。そして,そこに縦糸のように,「身障者性」という補助線を一本とおして,竹内敏晴の「生」の独自性を際立たせようとしています。「身障者性」とは,竹内敏晴を生涯の前半生の長きにわたって悩ませた「耳疾」「聴覚障害」「吃音」,そこから出来するコミュニケーション障害,そして,「ことば」に対する徹底したこだわりと透徹した思考を導き出すことになった,今野さんの行き着いた,この評伝に流れる通奏低音のようなキー・コンセプトのことです。
今野さんによれば,竹内敏晴は,この「身障者性」と時代精神の二つとの絶えざる闘いであった,ということになるようです。とりわけ,敗戦後の時代の混沌とした思想情況,とりわけ,左翼的なイデオロギー論争との格闘が,竹内敏晴の演出家としてのスタンスをつくりあげていくことになります。その際,既製の組織に身を寄せることなく,つねに,一匹狼として,自己に忠実に生きることをみずからに課していきます。そのときの導きの糸(Leitfaden)が「身障者性」であり,みずからの「からだ」をとおして確認・把握できるものだけに「信」をおくことでした。つまり,既製のイデオロギー論争に寄り掛かることなく,「ことば」を発する「からだ」の声に耳を傾け,それをみずから信ずる思想・哲学で裏づける,そういう生き方を第一としたということです。
竹内敏晴の生きた時代を,かれのライフ・ヒストリーと重ね合わせて,簡単に要約しておけば,以下のとおりです。第二次世界大戦が終わるまでの戦中時代,つまり,幼少期から第一高等学校卒業直前まで(第一期),敗戦から東大文学部卒業,そして,「ぶどうの会」での演出家として活動をはじめ,岡倉士郎からの影響を強く受ける時代(第二期),さらに,「ぶどうの会」でのごたごたからみずから身を引き,「竹内演劇研究所」を立ち上げ,そこでの実験に満ちた演出家としての活躍の時代(第三期),そして,さらに,ここでの実験を普遍に広げるべく,まるでとんぼを切るような一大決心ののちに役者ではなく素人を主たる対象とする「竹内レッスン」に全力投球する時代(第四期),という具合です。
今野さんは,このうちの第二期,第三期,第四期の三つの時代を,竹内敏晴がホップ,ステップ,ジャンプした三つの時期として,敗戦後の時代精神と格闘しながら大きく変容していく姿を丹念に,しかも,今野さんでなければ手のとどかない演劇の世界の舞台裏までを緻密に描き切っています。ここの部分は,わたしにとってはまことにありがたい分析になっていて,わたしが関心をもつ「竹内レッスン」を理解する上でとても役に立ちました。
その意味で,この本は,「竹内レッスン」を理解するための貴重なバイブルになった,とわたしは受け止めました。
いずれ,わたしたちの研究会(「ISC・21」月例会)でも,この本をテクストにした合評会をもちたいとおもいます。もちろん,今野哲男さんにもお出でいただいて。そして,それぞれに思い描いている竹内敏晴像について思いの丈を語り合いたいとおもいます。
今野哲男さん,とてもいいお仕事・・・,いやいや畢生の傑作評伝をまとめられ,こころからお慶びを申しあげます。そして,こんなに素晴らしい評伝『竹内敏晴』をわたしたちに提示してくださり,ありがとうございました。ここから多くのものを学んでいこうとおもっています。どうぞ,こんごとも,よろしくお願いいたします。
しかし,今野哲男さんは,ご自分の全存在を賭けて竹内敏晴という存在に体当たりをするようにして,場合によってはご自分が木っ端みじんに砕け散っても構わないというほどの覚悟をもって,この評伝に全エネルギーを注ぎ込まれました。そういう気魄が全編にみなぎっています。少なくとも,わたしはそのように受け止めました。
ですから,最初から最後まで,ピンと張りつめた緊張感が持続され,竹内敏晴という人物について多少とも興味・関心をもち,とりわけ「竹内レッスン」についてある程度の理解をしている人間にとっては,息継ぐ間もないほどの迫力で,今野さんの選び抜かれた的確なことばで構築された文章が迫ってきます。そして,読み終わってみると,この本は,最終的には「竹内レッスン」を理解するための貴重なバイブルになっている,としみじみおもいました。
評伝の書き方にはいろいろの方法やスタイルがあるとおもいます。今野さんは,竹内敏晴の生き方を,時代や社会の思想情況と,みずからを取り巻く「生」の現場とをクロスさせながら,それらと真っ正面から向き合い,いかなる妥協をも許さず,つねに全力で闘い,前へ前へとみずからを駆り立てていく,そういう「生」の探求者として描いているようにおもいます。そして,そこに縦糸のように,「身障者性」という補助線を一本とおして,竹内敏晴の「生」の独自性を際立たせようとしています。「身障者性」とは,竹内敏晴を生涯の前半生の長きにわたって悩ませた「耳疾」「聴覚障害」「吃音」,そこから出来するコミュニケーション障害,そして,「ことば」に対する徹底したこだわりと透徹した思考を導き出すことになった,今野さんの行き着いた,この評伝に流れる通奏低音のようなキー・コンセプトのことです。
今野さんによれば,竹内敏晴は,この「身障者性」と時代精神の二つとの絶えざる闘いであった,ということになるようです。とりわけ,敗戦後の時代の混沌とした思想情況,とりわけ,左翼的なイデオロギー論争との格闘が,竹内敏晴の演出家としてのスタンスをつくりあげていくことになります。その際,既製の組織に身を寄せることなく,つねに,一匹狼として,自己に忠実に生きることをみずからに課していきます。そのときの導きの糸(Leitfaden)が「身障者性」であり,みずからの「からだ」をとおして確認・把握できるものだけに「信」をおくことでした。つまり,既製のイデオロギー論争に寄り掛かることなく,「ことば」を発する「からだ」の声に耳を傾け,それをみずから信ずる思想・哲学で裏づける,そういう生き方を第一としたということです。
竹内敏晴の生きた時代を,かれのライフ・ヒストリーと重ね合わせて,簡単に要約しておけば,以下のとおりです。第二次世界大戦が終わるまでの戦中時代,つまり,幼少期から第一高等学校卒業直前まで(第一期),敗戦から東大文学部卒業,そして,「ぶどうの会」での演出家として活動をはじめ,岡倉士郎からの影響を強く受ける時代(第二期),さらに,「ぶどうの会」でのごたごたからみずから身を引き,「竹内演劇研究所」を立ち上げ,そこでの実験に満ちた演出家としての活躍の時代(第三期),そして,さらに,ここでの実験を普遍に広げるべく,まるでとんぼを切るような一大決心ののちに役者ではなく素人を主たる対象とする「竹内レッスン」に全力投球する時代(第四期),という具合です。
今野さんは,このうちの第二期,第三期,第四期の三つの時代を,竹内敏晴がホップ,ステップ,ジャンプした三つの時期として,敗戦後の時代精神と格闘しながら大きく変容していく姿を丹念に,しかも,今野さんでなければ手のとどかない演劇の世界の舞台裏までを緻密に描き切っています。ここの部分は,わたしにとってはまことにありがたい分析になっていて,わたしが関心をもつ「竹内レッスン」を理解する上でとても役に立ちました。
その意味で,この本は,「竹内レッスン」を理解するための貴重なバイブルになった,とわたしは受け止めました。
いずれ,わたしたちの研究会(「ISC・21」月例会)でも,この本をテクストにした合評会をもちたいとおもいます。もちろん,今野哲男さんにもお出でいただいて。そして,それぞれに思い描いている竹内敏晴像について思いの丈を語り合いたいとおもいます。
今野哲男さん,とてもいいお仕事・・・,いやいや畢生の傑作評伝をまとめられ,こころからお慶びを申しあげます。そして,こんなに素晴らしい評伝『竹内敏晴』をわたしたちに提示してくださり,ありがとうございました。ここから多くのものを学んでいこうとおもっています。どうぞ,こんごとも,よろしくお願いいたします。
0 件のコメント:
コメントを投稿