2015年8月28日金曜日

デモに行こう。戦争法案を廃案にするために。8月30日。天王山。

 8月23日に行われたSEALDsのデモが,翌日の東京新聞の朝刊一面トップ記事でとりあげられていました。デモ参加者6500人(主催者発表)。その6500分の1に,ようやくこのわたしも加わることができ,ほっとしています。この日のために体調を整え,準備をした甲斐があったというものです。

 
その日のブログにも書きましたが,SEALDsのデモはまったく新しいスタイルのものでした。以前のような,頭でっかちの,イデオロギーでがちがちのデモとは違って,人間の素直な感情をそのまま表明する,とてもアットホームなものでした。いやなものはいやという。怖いものは怖いという。恐ろしくてふるえるものはふるえるという。なんとなくいやーなものを感じたら「いやーな感じ」という。とにかく感じたことをそのまま表現する。知性よりももっと深いところの深層意識を大事にする。あるいは,無意識を大事にする。

 たぶん,こういうソフトな雰囲気が,SEALDsが支援される原動力になっているのだろう,とデモ行進をしながら,しみじみおもいました。一緒に歩いてくださったNさんは,多くの人のこころをとらえる「力」,行動にまでかりたてる「力」の在り処を,これからはもっともっと大事にしなくてはならない,というような趣旨のことを話してくださいました。それを,知性ではなく,ものごとの「理」(ことわり)ということばで表現し,この「理」こそがこれからの時代にあっては重要なのではないか,と語ってくださいました。

 要するに,ヨーロッパ近代がめざした知性や理性中心主義の限界を打破して,さらに,もう一歩前に踏み出すための思考をそこにみるおもいがしました。そのゆきついたキー・ワードの一つがものごとの「理」ではないか,と。

 いま,国会で議論されている戦争法案は,知性もなければ,ものごとの「理」をも無視して,強引に戦争のできる国家をめざしています。そのためには憲法をも無視し,立憲デモクラシーをも否定して省みないアベ政権の「暴走」です。これは,もはや「暴走」どころの話ではなく「クーデター」です。この無謀な,憲法を大きく逸脱する,根拠なき「クーデター」は,なにがなんでも「ストップ」させなくてはなりません。

 そのための天王山の闘いが,こんどの8月30日(日)の国会包囲10万人デモであり,全国100万人デモだ,とわたしは位置づけています。このデモにも老体に笞打って,でかけてみようとおもっています。そのためには,今週も,いまからしっかりと歩行運動をして,体調を整えておこうとおもっています。

 全国の各地で,いろいろの団体がデモを組んでいます。調べればすぐにわかります。どうか,自分の参加しやすいデモに参加して,みずからの意思を表明しましょう。そして,とにもかくにも「戦争」だけは回避しなくてはなりません。そのためにあらゆる智恵をひねりましょう。そして,「戦争 NO」の行動をとりましょう。

 SEALDsの若者たちは真剣です。「本気で止める」とその気になっています。遅ればせながら,わたしもその一助になれば・・・と願っています。

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