マラソンを走るノーベル賞学者。ジャマナカさん,おめでとう。高校で柔道をやり,大学ではラグビーに打ち込み,そして,いまは研究費募金のためにマラソンを走る。その意味で,とても親近感をおぼえます。しかも,不器用で臨床医(外科医)をあきらめ,基礎医学をめざすことにした,という挫折を通過している点も,とても親しみを感じます。世の中,順風満帆に生きることをめざす人が多すぎます。やはり,長い人生,一回や二回,挫折があるものなのだ,そこを克服したさきに大きなゴールが待っている,それを実証してくれた山中伸弥教授にこころからの祝福のことばを贈りたいと思います。素晴らしい,のひとこと。
昨日の夜から今日にかけて,そして,これからしばらくは山中さんのノーベル賞受賞の話題でもちきりになるだろう。それほどの大きなできごとであるし,祝福すべきことでもあるとわたしも思います。しかし,iPS細胞の開発は手放しで喜べるものではない,ということをこの際に言っておきたいと思います。山中教授も充分に承知していて,すでに,何回も発言されてこられたように,倫理という大きなハードルが残されている,ということです。できるだけ速やかに,京都大学iPS細胞研究所の中に「倫理部門」を立ち上げるべきだ,と山中教授が強調していることに,わたしたちはもっと真剣に耳を傾けるべきでしょう。
いまさら,わたしのような素人が言うまでもないことですが,iPS細胞は自然界には存在しない細胞を,人間の手で創り出してしまったものだ,ということです。つまり,「神の領域」に手を突っ込んだ,ということです。これは,まさに原罪に等しい行為です。最初の原罪が,内在性(動物性)の世界から離脱してしまったこと(リンゴをかじったこと)にあるとすれば,第二の原罪は,ウランの核分裂を発見したこと(1938年)であり,第三の原罪が,山中教授のiPS細胞の開発である,とわたしは考えています。
核は,言うまでもなく,核分裂の最終処理技術を確立する前に実用化に踏み切ってしまったために,いま,わたしたちは日々,そのツケの支払いに悩まされることになってしまいました。このさき,10万年もの長きにわたって,この問題と向き合っていかなくてはなりません。「神の領域」に人間が土足のまま踏み込んでしまった結果の,当然といえばあまりにも当然の,とんでもないしっぺ返しを神から受けることになってしまいました。
それと同じ轍を踏まないようにすること。iPS細胞のもつ,計り知れない可能性について,世の中のほとんどの人が大きな期待を寄せているのが実情でしょう。いわゆる「移植医療」から「再生医療」への道を開くものとしての期待です。あるいは,具体的な治療法のない難病の治療にも道を開くものだ・・・・という具合に。それはそのとおりなのでしょう。それは,難病に苦しむ人やその関係者からすれば夢のような恩恵に浴することになる話に違いありません。
しかし,人間の手で遺伝子の「組み替え」をし,まったく新しく創造した人工細胞に,核のような大きな落とし穴がないとは限りません。また,iPS細胞の応用の仕方によっては,なにが起こるか,まったく予断を許さない,まさに想像を絶するものがあるとも言われています。そういうことをもっともよく知っているのも山中教授その人でしょう。ですから,山中教授は,一刻も早く医療に応用できるところまで「技術」を高めていきたいと情熱を語る一方で,克服すべき「倫理」の問題がある,と付け加えることを忘れてはいません。
すでに,iPS細胞の実用化に向けて「特許」競争が激烈化しているという情報も耳にします。この技術は,核と同じで,自由競争の市場原理に委ねておいていい問題ではありません。では,どのように管理すればいいのか,これが大問題です。核のように,早いもの勝ちの既得権のようにして特定国にのみ独占させるようなことがあってはなりません。このことによる世界の力関係の「歪み」が,いま,いたるところで噴出していることはよく知られているとおりです。では,iPS細胞の技術はどのように管理すればいいのか。その方法はまったく手つかずのままです。ですから,山中教授は,早急に「倫理」部門の立ち上げを・・・と声を大にして言っているわけです。
山中教授に,こころからの祝意を表すると同時に,山中教授の恐れていることに対応できる国際的な管理機構の確立を,わたしもこころから願っています。そうでないと,いよいよ人類の歴史に終止符を打つときが,すぐそこにきている,ということになりかねません。いや,もはや,そうなるべきところにきてしまっている,とさえ考えざるをえません。もし,そうだとしたら,山中教授のやったことはいったいなにを意味していることになるのでしょうか。火を点けたものの,消火の方法はよろしく,といっているようにもみえてきます。となると,核の二の舞,そのままです。
今日のところは,ここまでにしておきますが,わたしのかかわってきたスポーツの世界においても,iPS細胞が切り開くであろう可能性(いい意味でも,悪い意味でも)は無限大です。そして,それは,もはや「ドーピング」などというレベルをはるかに超えでていく,「まったき他者」が支配する,まさに恐るべき世界の到来を予感させるに充分なものがあります。これらの問題については,いずれまた,考えてみたいと思います。
とりあえず,今日のところはここまで。
昨日の夜から今日にかけて,そして,これからしばらくは山中さんのノーベル賞受賞の話題でもちきりになるだろう。それほどの大きなできごとであるし,祝福すべきことでもあるとわたしも思います。しかし,iPS細胞の開発は手放しで喜べるものではない,ということをこの際に言っておきたいと思います。山中教授も充分に承知していて,すでに,何回も発言されてこられたように,倫理という大きなハードルが残されている,ということです。できるだけ速やかに,京都大学iPS細胞研究所の中に「倫理部門」を立ち上げるべきだ,と山中教授が強調していることに,わたしたちはもっと真剣に耳を傾けるべきでしょう。
いまさら,わたしのような素人が言うまでもないことですが,iPS細胞は自然界には存在しない細胞を,人間の手で創り出してしまったものだ,ということです。つまり,「神の領域」に手を突っ込んだ,ということです。これは,まさに原罪に等しい行為です。最初の原罪が,内在性(動物性)の世界から離脱してしまったこと(リンゴをかじったこと)にあるとすれば,第二の原罪は,ウランの核分裂を発見したこと(1938年)であり,第三の原罪が,山中教授のiPS細胞の開発である,とわたしは考えています。
核は,言うまでもなく,核分裂の最終処理技術を確立する前に実用化に踏み切ってしまったために,いま,わたしたちは日々,そのツケの支払いに悩まされることになってしまいました。このさき,10万年もの長きにわたって,この問題と向き合っていかなくてはなりません。「神の領域」に人間が土足のまま踏み込んでしまった結果の,当然といえばあまりにも当然の,とんでもないしっぺ返しを神から受けることになってしまいました。
それと同じ轍を踏まないようにすること。iPS細胞のもつ,計り知れない可能性について,世の中のほとんどの人が大きな期待を寄せているのが実情でしょう。いわゆる「移植医療」から「再生医療」への道を開くものとしての期待です。あるいは,具体的な治療法のない難病の治療にも道を開くものだ・・・・という具合に。それはそのとおりなのでしょう。それは,難病に苦しむ人やその関係者からすれば夢のような恩恵に浴することになる話に違いありません。
しかし,人間の手で遺伝子の「組み替え」をし,まったく新しく創造した人工細胞に,核のような大きな落とし穴がないとは限りません。また,iPS細胞の応用の仕方によっては,なにが起こるか,まったく予断を許さない,まさに想像を絶するものがあるとも言われています。そういうことをもっともよく知っているのも山中教授その人でしょう。ですから,山中教授は,一刻も早く医療に応用できるところまで「技術」を高めていきたいと情熱を語る一方で,克服すべき「倫理」の問題がある,と付け加えることを忘れてはいません。
すでに,iPS細胞の実用化に向けて「特許」競争が激烈化しているという情報も耳にします。この技術は,核と同じで,自由競争の市場原理に委ねておいていい問題ではありません。では,どのように管理すればいいのか,これが大問題です。核のように,早いもの勝ちの既得権のようにして特定国にのみ独占させるようなことがあってはなりません。このことによる世界の力関係の「歪み」が,いま,いたるところで噴出していることはよく知られているとおりです。では,iPS細胞の技術はどのように管理すればいいのか。その方法はまったく手つかずのままです。ですから,山中教授は,早急に「倫理」部門の立ち上げを・・・と声を大にして言っているわけです。
山中教授に,こころからの祝意を表すると同時に,山中教授の恐れていることに対応できる国際的な管理機構の確立を,わたしもこころから願っています。そうでないと,いよいよ人類の歴史に終止符を打つときが,すぐそこにきている,ということになりかねません。いや,もはや,そうなるべきところにきてしまっている,とさえ考えざるをえません。もし,そうだとしたら,山中教授のやったことはいったいなにを意味していることになるのでしょうか。火を点けたものの,消火の方法はよろしく,といっているようにもみえてきます。となると,核の二の舞,そのままです。
今日のところは,ここまでにしておきますが,わたしのかかわってきたスポーツの世界においても,iPS細胞が切り開くであろう可能性(いい意味でも,悪い意味でも)は無限大です。そして,それは,もはや「ドーピング」などというレベルをはるかに超えでていく,「まったき他者」が支配する,まさに恐るべき世界の到来を予感させるに充分なものがあります。これらの問題については,いずれまた,考えてみたいと思います。
とりあえず,今日のところはここまで。
1 件のコメント:
うちの次男坊(中3)が言ってました。「ついに人間が死ねない時代が来ちゃった」と。
難しい問題をはらむ受賞ですね。
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