10月4日(月)の午後,霧のなか鳥見山(とみやま)登山を決行しました。Tさんファミリーと一緒です。標高的には高い山ではありませんので,楽しい散策というところ。
地理を確認しておきますと,三輪山の南,初瀬川を挟んだ対岸に鳥見山があります。ちょうど,山間を流れてきた初瀬川がヤマト平野に流れ出る出口になっています。しかも,伊勢街道の出口でもあります。言ってしまえば,三輪山と鳥見山とが,この初瀬川と伊勢街道に睨みを効かせる上での,むかしからの交通の要所である,と言っていいでしょう。
しかも,この鳥見山から西南にかけてジンムがヤマトに進出したときに陣営を構え,激戦が展開されたといわれる磐余(いわれ)という地名がいまも残っています。イワレとはよく知られていますようにジンムの別称でもあります。この戦でも,ジンムはニギハヤヒとトミノナガスネヒコの軍に敗退しています。
その鳥見山の麓に等弥(とみ)神社が祀られています。しかも,この神社はジンムが建立したことになっています。そして,こんにちもなお,皇族たちの篤い支援がつづいていることは神社の境内に立っている碑をみればわかります。つまり,ここには等弥神社の「とみ」と,その背後にある鳥見山の「とみ」だけが,口に出したときの音として「オヤッ?」という「なにか」を感じ取ることができる,そういう関係がみえてきます。
もっと言ってしまえば,新しい権力が,それ以前の権力の残滓をことごとく消し去り,みずからの権力のシンボルを建造して,その「力」を庶民にみせつける,そういう典型的な事例をここにみることができる,とわたしは考えています。
そんな意図もあって,まずは,等弥神社の境内を通り,本殿まで進み(このアプローチがなかなかいい雰囲気です),本殿の左手にある稲荷社の赤い鳥居をくぐって,その途中から山道に入っていきます。なんの表示もありませんので,このあたりは直感力に頼るのみです。最初の祭祀場のある所までは幅の広い立派な道が整備されています。一瞬,あっ間違えたかな,と不安がよぎります。が,あとは,そのむかし山歩きをしていたときの,感覚に頼るしかありません。周囲の地形から判断して,ここがもっとも具合のいい登山道に違いないと判断して進みました。
そんな想定を楽しみながら,直進。その突き当たりにかなり立派な祭祀場があり,そこから奥は,ごくふつうの山道になりました。これで一安心。あとは,なだらかな傾斜地を楽しみながら登っていくことができます。急な坂道は最後のところにあるだけで,あとはほとんどありません。
わたしが,まず,どこよりもそこに立ってみたかった所は「白庭」と呼ばれている聖地でした。ここでは毎年,いまも等弥神社の重要な祭祀が営まれている,と神社のパンフレットに書いてあります。しかし,その「白庭」とは,ニギハヤヒがヤマトの拠点としたといわれている「白庭山」(しろにわさん)のことではないか,というのがわたしの仮設です。そうなると,わたしの考えている話がとてもすっきりしてくるわけです。
しかし,『出雲と大和』(岩波新書)の著者・村井康彦さんは大和郡山市にある矢田坐久志玉比古神社の伝承をもとに,ここがニギハヤヒが天降った白庭山と書いています(もっと,詳細に書いています)。が,はたして,そうなのだろうか,というのがわたしの疑問でした。村井さんも書いていますように『先代旧事本紀』によれば,「大和国の鳥見の白庭山に降り立った」と書いてある,というわけです。「鳥見の白庭山」という以上は「山」でなくてはならないはずです。そして,ヤマトを見下ろすロケーションであることは不可欠な条件だとわたしは想定しています。なのに,なぜ,村井さんは神社の伝承をそのまま信じてしまったのでしょうか。このことについては,また,別の稿を起こして,考えてみたいと思っています。
この鳥見山の尾根つながりの「白庭山」を確認できたことで,わたしは大満足。そして,鳥見山の三角点のある「霊〇(田偏に寺)」に向かいました。そこは,すぐ近くにあって,「白庭山」からほんの少し下ったあと最後の登りをつめたところにありました。いまは,木が生い茂っていますが,たぶん,櫓でも組んで,ヤマトの平野が一望できるようになっていたに違いないと思いました。木立の隙間から三輪山がすぐそこ,手にとることができそうな距離にありました。そこから,右に視線を移していけば,巻向山があり,「ダンノダイラ」はあのあたりだなぁ,と眺望を楽しみました。
霧だった天気は,途中で雲が切れて青空がみえてきたと思っていたら,また霧につつまれ,ときおり小雨も降るようなあまりいい天気ではありませんでした。でも,下に降りてきたら,雨は止んでいました。天気も回復するきざしがみえていました。
今日の午後は晴れるという,わたしの「観天望気」はもののみごとにはずれてしまいました。
Tさんファミリーに八木駅まで車で送ってもらって,そこでお別れしました。が,電車に乗るまでの待ち時間に,偶然というにはあまりにできすぎたハプニングがありました。そのことは,つぎのブログで書いてみたいと思います。
とりあえず,今日のところはここまで。
※写真提供:竹村匡弥氏。
地理を確認しておきますと,三輪山の南,初瀬川を挟んだ対岸に鳥見山があります。ちょうど,山間を流れてきた初瀬川がヤマト平野に流れ出る出口になっています。しかも,伊勢街道の出口でもあります。言ってしまえば,三輪山と鳥見山とが,この初瀬川と伊勢街道に睨みを効かせる上での,むかしからの交通の要所である,と言っていいでしょう。
しかも,この鳥見山から西南にかけてジンムがヤマトに進出したときに陣営を構え,激戦が展開されたといわれる磐余(いわれ)という地名がいまも残っています。イワレとはよく知られていますようにジンムの別称でもあります。この戦でも,ジンムはニギハヤヒとトミノナガスネヒコの軍に敗退しています。
その鳥見山の麓に等弥(とみ)神社が祀られています。しかも,この神社はジンムが建立したことになっています。そして,こんにちもなお,皇族たちの篤い支援がつづいていることは神社の境内に立っている碑をみればわかります。つまり,ここには等弥神社の「とみ」と,その背後にある鳥見山の「とみ」だけが,口に出したときの音として「オヤッ?」という「なにか」を感じ取ることができる,そういう関係がみえてきます。
もっと言ってしまえば,新しい権力が,それ以前の権力の残滓をことごとく消し去り,みずからの権力のシンボルを建造して,その「力」を庶民にみせつける,そういう典型的な事例をここにみることができる,とわたしは考えています。
そんな意図もあって,まずは,等弥神社の境内を通り,本殿まで進み(このアプローチがなかなかいい雰囲気です),本殿の左手にある稲荷社の赤い鳥居をくぐって,その途中から山道に入っていきます。なんの表示もありませんので,このあたりは直感力に頼るのみです。最初の祭祀場のある所までは幅の広い立派な道が整備されています。一瞬,あっ間違えたかな,と不安がよぎります。が,あとは,そのむかし山歩きをしていたときの,感覚に頼るしかありません。周囲の地形から判断して,ここがもっとも具合のいい登山道に違いないと判断して進みました。
そんな想定を楽しみながら,直進。その突き当たりにかなり立派な祭祀場があり,そこから奥は,ごくふつうの山道になりました。これで一安心。あとは,なだらかな傾斜地を楽しみながら登っていくことができます。急な坂道は最後のところにあるだけで,あとはほとんどありません。
わたしが,まず,どこよりもそこに立ってみたかった所は「白庭」と呼ばれている聖地でした。ここでは毎年,いまも等弥神社の重要な祭祀が営まれている,と神社のパンフレットに書いてあります。しかし,その「白庭」とは,ニギハヤヒがヤマトの拠点としたといわれている「白庭山」(しろにわさん)のことではないか,というのがわたしの仮設です。そうなると,わたしの考えている話がとてもすっきりしてくるわけです。
しかし,『出雲と大和』(岩波新書)の著者・村井康彦さんは大和郡山市にある矢田坐久志玉比古神社の伝承をもとに,ここがニギハヤヒが天降った白庭山と書いています(もっと,詳細に書いています)。が,はたして,そうなのだろうか,というのがわたしの疑問でした。村井さんも書いていますように『先代旧事本紀』によれば,「大和国の鳥見の白庭山に降り立った」と書いてある,というわけです。「鳥見の白庭山」という以上は「山」でなくてはならないはずです。そして,ヤマトを見下ろすロケーションであることは不可欠な条件だとわたしは想定しています。なのに,なぜ,村井さんは神社の伝承をそのまま信じてしまったのでしょうか。このことについては,また,別の稿を起こして,考えてみたいと思っています。
この鳥見山の尾根つながりの「白庭山」を確認できたことで,わたしは大満足。そして,鳥見山の三角点のある「霊〇(田偏に寺)」に向かいました。そこは,すぐ近くにあって,「白庭山」からほんの少し下ったあと最後の登りをつめたところにありました。いまは,木が生い茂っていますが,たぶん,櫓でも組んで,ヤマトの平野が一望できるようになっていたに違いないと思いました。木立の隙間から三輪山がすぐそこ,手にとることができそうな距離にありました。そこから,右に視線を移していけば,巻向山があり,「ダンノダイラ」はあのあたりだなぁ,と眺望を楽しみました。
今日の午後は晴れるという,わたしの「観天望気」はもののみごとにはずれてしまいました。
Tさんファミリーに八木駅まで車で送ってもらって,そこでお別れしました。が,電車に乗るまでの待ち時間に,偶然というにはあまりにできすぎたハプニングがありました。そのことは,つぎのブログで書いてみたいと思います。
とりあえず,今日のところはここまで。
※写真提供:竹村匡弥氏。
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