さみだれ式に野党が修正協議に加わり,その協議中も国会で審議が行われている。だから,森担当相は「協議中のことですので,コメントは差し控えたい」を連発(21日の「東京新聞」朝刊)。これは審議ではない。なのに,そこにのこのこと出かけていって質疑に加わる野党議員がいる。与党の時間稼ぎ以外のなにものでもない,ということを承知の上で政府与党に積極的に加担しているというこの醜悪さ。もう黙ってはいられない。
ここは審議を一旦中止して,修正案がまとまるまで待って,その上で審議をゼロからやり直すのが筋ではないのか。しかも,その修正案がどのように合意されたのか,全文を国民に提示することが先決である。それもしないで,宙づりのまま,なにを,なんのために議論しているというのか。こんなことが国会でまかり通っている。
しかも,今週末には採決されるらしい。となると,実質的な審議はほとんどなされないまま,強行突破をめざすことになる。これは政府自民党としては折り込み済みで,修正協議に応じつつ審議をつづけるという,とんでもない演出まで用意して・・・。
いま,国会の外では,法律の専門家をはじめ,ジャーナリストや学者・研究者たちはもとより,多くの市民団体も声をあげて「反対」を叫んでいる。わたしもそのひとりだ。現に署名活動にも参加している。そして,なによりも,なんでもありの,どのようにも解釈可能な,法案としての整合性を著しく欠いているこの「特定秘密保全法」を成立させてはならない。
わたしは再度,新聞に掲載されたこの法案の全文を熟読玩味してみた。読めば読むほどに腹が立つ。条文の末尾のいたるところに,「その他」とある。ということは,条文に明記されていないことも,権力の解釈によっていかようにも運用が可能であることを意味している。つまり,国家の側のやりたい放題になっていて,国民の側にはなんの保障もない。「主権在民」という憲法の精神もどこかに消し飛んでしまっている。これは,どうみても戦時中の「治安維持法」そのものである。
疑わしきは闇から闇へと消されていった,あの暗い過去の記憶がよみがえってくる。憲兵隊がやってきて,有無を言わさず拉致していく・・・・そして,二度と帰らぬ人に・・・・。あの光景がふたたび現代によみがえるのかと思うと,ぞっとする。これは明らかに歴史の逆行である。
敗戦後,ひたすら再軍備に反対し,平和を希求してきた日本人の努力は,いまやはかなくも費え去ろうとしている。このままいけば,数の暴力による採決がなされ,この「でたらめな」法案が成立することになるのだろう。そう思うと夜もおちおち眠れない。これはどうあっても「廃案」に持ち込まなくてはならない。あらゆる手段を駆使して・・・・。
それでも駄目だった場合には,この悪法成立のために,どの政党が主導し,どの政党がそれに加担したのかを銘記しておこう。そして,少なくとも,自分の選挙区のどの議員が,どのように動いたかを監視しておこう。そして,最後の手段は,選挙だ。そのときに,迷わず選挙ができるよう,いまから覚悟を決めておこう。これだけが国民に付与された最後の切り札なのだから・・・・・。斎藤美奈子さん流にいえば(20日の「東京新聞」の「本音のコラム」),「生殺与奪」の権利はわれらにあるのだから・・・・。
いま,このように書いている,たった一人による「呼掛け」のブログにすぎないものも,解釈によっては「煽動」となり,そのように「判定」されれば有無を言わさず闇から闇へ消されないとも限らない・・・・それが,いま国会で「空回り」の審議をしている「特定秘密保全法」である,ということもここで釘を差しておきたい。
この悪法を支持する国会議員は,たった一度でもいい,この法案の全文を,自分の眼で通読し,自分の頭で考えたことがあるのだろうか,とわたしには不思議である。少しでも「自律」して考えることのできる議員であれば,みずからの意見を堂々と提示できるはずだ。それもしない/できない多くの議員は,ただ,政局に身を委ねているだけの存在,すなわち,単なる政治ロボットにみえて仕方がないのだが・・・・。
だからこそ,われわれ国民が目覚めていなくてはならない・・・・と強く思う。世の中にはどうでもいいこともある。しかし,この悪法は,われわれ国民の生活の基本をひっくり返すほどの,大きな影響力をもつものだ。だから,黙っていてはいけない・・・・と。
いま,スポーツ界に起きている不祥事も,そのステージが違うだけで,その本質は同根であると考えるからこそ,わたしは黙ってはいられない。そういう悪の連鎖を断ち切るのは,われわれ国民の責任でもあるから・・・・。
ここは審議を一旦中止して,修正案がまとまるまで待って,その上で審議をゼロからやり直すのが筋ではないのか。しかも,その修正案がどのように合意されたのか,全文を国民に提示することが先決である。それもしないで,宙づりのまま,なにを,なんのために議論しているというのか。こんなことが国会でまかり通っている。
しかも,今週末には採決されるらしい。となると,実質的な審議はほとんどなされないまま,強行突破をめざすことになる。これは政府自民党としては折り込み済みで,修正協議に応じつつ審議をつづけるという,とんでもない演出まで用意して・・・。
いま,国会の外では,法律の専門家をはじめ,ジャーナリストや学者・研究者たちはもとより,多くの市民団体も声をあげて「反対」を叫んでいる。わたしもそのひとりだ。現に署名活動にも参加している。そして,なによりも,なんでもありの,どのようにも解釈可能な,法案としての整合性を著しく欠いているこの「特定秘密保全法」を成立させてはならない。
わたしは再度,新聞に掲載されたこの法案の全文を熟読玩味してみた。読めば読むほどに腹が立つ。条文の末尾のいたるところに,「その他」とある。ということは,条文に明記されていないことも,権力の解釈によっていかようにも運用が可能であることを意味している。つまり,国家の側のやりたい放題になっていて,国民の側にはなんの保障もない。「主権在民」という憲法の精神もどこかに消し飛んでしまっている。これは,どうみても戦時中の「治安維持法」そのものである。
疑わしきは闇から闇へと消されていった,あの暗い過去の記憶がよみがえってくる。憲兵隊がやってきて,有無を言わさず拉致していく・・・・そして,二度と帰らぬ人に・・・・。あの光景がふたたび現代によみがえるのかと思うと,ぞっとする。これは明らかに歴史の逆行である。
敗戦後,ひたすら再軍備に反対し,平和を希求してきた日本人の努力は,いまやはかなくも費え去ろうとしている。このままいけば,数の暴力による採決がなされ,この「でたらめな」法案が成立することになるのだろう。そう思うと夜もおちおち眠れない。これはどうあっても「廃案」に持ち込まなくてはならない。あらゆる手段を駆使して・・・・。
それでも駄目だった場合には,この悪法成立のために,どの政党が主導し,どの政党がそれに加担したのかを銘記しておこう。そして,少なくとも,自分の選挙区のどの議員が,どのように動いたかを監視しておこう。そして,最後の手段は,選挙だ。そのときに,迷わず選挙ができるよう,いまから覚悟を決めておこう。これだけが国民に付与された最後の切り札なのだから・・・・・。斎藤美奈子さん流にいえば(20日の「東京新聞」の「本音のコラム」),「生殺与奪」の権利はわれらにあるのだから・・・・。
いま,このように書いている,たった一人による「呼掛け」のブログにすぎないものも,解釈によっては「煽動」となり,そのように「判定」されれば有無を言わさず闇から闇へ消されないとも限らない・・・・それが,いま国会で「空回り」の審議をしている「特定秘密保全法」である,ということもここで釘を差しておきたい。
この悪法を支持する国会議員は,たった一度でもいい,この法案の全文を,自分の眼で通読し,自分の頭で考えたことがあるのだろうか,とわたしには不思議である。少しでも「自律」して考えることのできる議員であれば,みずからの意見を堂々と提示できるはずだ。それもしない/できない多くの議員は,ただ,政局に身を委ねているだけの存在,すなわち,単なる政治ロボットにみえて仕方がないのだが・・・・。
だからこそ,われわれ国民が目覚めていなくてはならない・・・・と強く思う。世の中にはどうでもいいこともある。しかし,この悪法は,われわれ国民の生活の基本をひっくり返すほどの,大きな影響力をもつものだ。だから,黙っていてはいけない・・・・と。
いま,スポーツ界に起きている不祥事も,そのステージが違うだけで,その本質は同根であると考えるからこそ,わたしは黙ってはいられない。そういう悪の連鎖を断ち切るのは,われわれ国民の責任でもあるから・・・・。
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