この人の声と,あのコロコロところがる節回し,そして,歌に籠められるこの人の深い情感がわたしのからだに,わたしの人生とともにしみこんでいる。突然の訃報を聞いて涙した。なんだか知らないが,涙した。わたしにとってはそういう歌手だった。
「東京だよ お母っさん」をラジオで聞いたのが最初だった。まだ,高校生だった。なんという歌手なんだろう,とびっくりした。こんな歌い方をする歌手は初めてだった。それまで聞いてきた演歌歌手とはまったく異質のなにかを直感した。すごいっ!と思った。上手・下手を超越したなにかがつたわってきた。それ以後,この人の歌はじっと耳を傾けて聞いた。いい。とても,いい。ことばにならない「なにか」が間違いなくとどいてくる。からだの芯まで,ビリビリと「なにか」が響いてくる。いつも,いつも,いいなぁ,と思いながら聞いていた。ラジオで。
その翌年に大学受験のために上京した。父の知人の家にお世話になった。その初日に,試験会場を確認しに都心にでた。その帰り道に,東京駅から歩いて皇居前に行き,「東京だよ お母っさん」を口ずさみながら,初めて二重橋の前に立った。その記憶がいまも鮮明に浮かんでくる。いまでも,お千代さんの声が頭のなかで鳴り響く。いいなぁ,といまも思う。
わたしとお千代さんとは同じ寅年生まれ。一つ年上の丑年生まれに美空ひばりがいて,江利チエミがいて,雪村いずみがいた。こちらは「三人娘」というキャッチ・フレーズで歌に映画で大活躍をしていた。しかし,島倉千代子だけは,ひとり,別個の道を歩んだ。だれとも気軽に馴れ合ったり,馴染むことを拒否するような,孤高の道を歩んだ。つまり,個性がまるで違うのだ。歌の質も違う。どこか孤独感を漂わせる,深い響きがあった。そこが好きだった。
大学一年生の秋に,島倉千代子ワンマンショウのチケットがあるが,一緒に行かないかと同級生の女の子に誘われた。えっ,おれでいいの?とかいいつつ,いそいそとついて行った。その彼女は,わたしが島倉千代子の熱烈なファンであることを知らないまま,誘ったらしい。わたしは着席するなり,入り口でもらったパンフレットに読みふけり,一緒に行った彼女とはほとんど口もきかなかったらしい。そして,歌がはじまったら,もう,全身全霊を傾けて島倉千代子に聞き入っている。わたしにとっては,初めてのライブである。島倉千代子の歌に生で触れる,初体験。
終わったあと,彼女は食事に誘ってくれたように思う。が,わたしは田舎からでてきたばかりの木偶の坊。ただ,島倉千代子の歌の余韻に浸りたくて,食事を断り,ひとりで夜の町をさまよっていた。それっきり,彼女との縁は切れた。当たり前である。あまりに,わたしは「ウブ」だった。
それからしばらくして,テレビが電気屋さんの店頭に並ぶようになり,デモ用のテレビで島倉千代子をみかけると立ち止まって聞き入った。同じ歳の女の子が,それも天才歌手が,輝いていてまぶしかった。すごいなぁ,とひとりで感心していた。なによりも,島倉千代子の純粋なあどけなさというか,おちゃめな可愛らしさというか,いちずな思いというか,彼女の素のこころのようなものが歌をとおして伝わってくるのが,そこはかとなく嬉しかった。
同郷の出身者ばかりが生活する学生寮で暮らしていたが,わたしが島倉千代子が好きだということは,だれにも言わないで内緒にしていた。その方が日々,充実した生活がてきるように,その当時はまじめに思っていた。たったひとつの秘密を抱え込みながら生きるのは,なんとも楽しかった。というか,ときめきがあった。まだ,初恋も知らないウブな大学生だった。
島倉千代子はつぎつぎにヒット曲をとばした。そのつど,わがことのように嬉しかった。順番も,もう定かではないが,「この世の花」「からたち日記」「人生いろいろ」など,それぞれに忘れられない思い出がある。それを語りだしたらエンドレスになる。
それにしても,阪神タイガースの中軸バッターだった藤本選手と結婚したときはショックだった。それは違うだろう,と。やはり,この結婚は長くはつづかなかった。ここからお千代さんの苦難の人生がはじまる。そういう苦難を一つひとつ乗り越えながら,そのたびに,あたらしい歌の境地が開かれていったように思う。
島倉千代子の個人的な苦難のつづく人生には同情もしたが,それ以上に歌のできばえに意識を集中していた。たとえば,「人生いろいろ」がでてきたときには驚いた。それまでの歌とはまったく雰囲気の違う歌の出現に,大丈夫か,と思ったほどだ。が,そんなことは杞憂だった。歌い込まれるほどに,こちらの耳も馴染んできたのか,しだいに味がでてくる。今夜も久しぶりに聞いたが,いいなぁ,とほんとうに思う。うまい,というより味がある。
ことしは,気のせいか,なじみの有名人がばたばたと逝ってしまう。まだ,わたしより年上の人なら順番だから仕方がない,とあきらめもつく。しかし,島倉千代子はわたしと同じ歳だ。これは辛いものがある。
でも,お千代さんは自分の部屋にシタジオを作ってもらい,亡くなる3日前まで歌の吹き込みをやっていた,という。もちろん,死期が近いことを承知の上で。おみごと。立派。お千代さんに万歳を捧げたい。そして,たくさんの思い出をありがとう,とひとこと。
明日は,DVDを買いに行こう。そして,もう一度,お別れにじっくりと聞いてみよう。あの,だれにも真似のできない「お千代さん節」を。
「東京だよ お母っさん」をラジオで聞いたのが最初だった。まだ,高校生だった。なんという歌手なんだろう,とびっくりした。こんな歌い方をする歌手は初めてだった。それまで聞いてきた演歌歌手とはまったく異質のなにかを直感した。すごいっ!と思った。上手・下手を超越したなにかがつたわってきた。それ以後,この人の歌はじっと耳を傾けて聞いた。いい。とても,いい。ことばにならない「なにか」が間違いなくとどいてくる。からだの芯まで,ビリビリと「なにか」が響いてくる。いつも,いつも,いいなぁ,と思いながら聞いていた。ラジオで。
その翌年に大学受験のために上京した。父の知人の家にお世話になった。その初日に,試験会場を確認しに都心にでた。その帰り道に,東京駅から歩いて皇居前に行き,「東京だよ お母っさん」を口ずさみながら,初めて二重橋の前に立った。その記憶がいまも鮮明に浮かんでくる。いまでも,お千代さんの声が頭のなかで鳴り響く。いいなぁ,といまも思う。
わたしとお千代さんとは同じ寅年生まれ。一つ年上の丑年生まれに美空ひばりがいて,江利チエミがいて,雪村いずみがいた。こちらは「三人娘」というキャッチ・フレーズで歌に映画で大活躍をしていた。しかし,島倉千代子だけは,ひとり,別個の道を歩んだ。だれとも気軽に馴れ合ったり,馴染むことを拒否するような,孤高の道を歩んだ。つまり,個性がまるで違うのだ。歌の質も違う。どこか孤独感を漂わせる,深い響きがあった。そこが好きだった。
大学一年生の秋に,島倉千代子ワンマンショウのチケットがあるが,一緒に行かないかと同級生の女の子に誘われた。えっ,おれでいいの?とかいいつつ,いそいそとついて行った。その彼女は,わたしが島倉千代子の熱烈なファンであることを知らないまま,誘ったらしい。わたしは着席するなり,入り口でもらったパンフレットに読みふけり,一緒に行った彼女とはほとんど口もきかなかったらしい。そして,歌がはじまったら,もう,全身全霊を傾けて島倉千代子に聞き入っている。わたしにとっては,初めてのライブである。島倉千代子の歌に生で触れる,初体験。
終わったあと,彼女は食事に誘ってくれたように思う。が,わたしは田舎からでてきたばかりの木偶の坊。ただ,島倉千代子の歌の余韻に浸りたくて,食事を断り,ひとりで夜の町をさまよっていた。それっきり,彼女との縁は切れた。当たり前である。あまりに,わたしは「ウブ」だった。
それからしばらくして,テレビが電気屋さんの店頭に並ぶようになり,デモ用のテレビで島倉千代子をみかけると立ち止まって聞き入った。同じ歳の女の子が,それも天才歌手が,輝いていてまぶしかった。すごいなぁ,とひとりで感心していた。なによりも,島倉千代子の純粋なあどけなさというか,おちゃめな可愛らしさというか,いちずな思いというか,彼女の素のこころのようなものが歌をとおして伝わってくるのが,そこはかとなく嬉しかった。
同郷の出身者ばかりが生活する学生寮で暮らしていたが,わたしが島倉千代子が好きだということは,だれにも言わないで内緒にしていた。その方が日々,充実した生活がてきるように,その当時はまじめに思っていた。たったひとつの秘密を抱え込みながら生きるのは,なんとも楽しかった。というか,ときめきがあった。まだ,初恋も知らないウブな大学生だった。
島倉千代子はつぎつぎにヒット曲をとばした。そのつど,わがことのように嬉しかった。順番も,もう定かではないが,「この世の花」「からたち日記」「人生いろいろ」など,それぞれに忘れられない思い出がある。それを語りだしたらエンドレスになる。
それにしても,阪神タイガースの中軸バッターだった藤本選手と結婚したときはショックだった。それは違うだろう,と。やはり,この結婚は長くはつづかなかった。ここからお千代さんの苦難の人生がはじまる。そういう苦難を一つひとつ乗り越えながら,そのたびに,あたらしい歌の境地が開かれていったように思う。
島倉千代子の個人的な苦難のつづく人生には同情もしたが,それ以上に歌のできばえに意識を集中していた。たとえば,「人生いろいろ」がでてきたときには驚いた。それまでの歌とはまったく雰囲気の違う歌の出現に,大丈夫か,と思ったほどだ。が,そんなことは杞憂だった。歌い込まれるほどに,こちらの耳も馴染んできたのか,しだいに味がでてくる。今夜も久しぶりに聞いたが,いいなぁ,とほんとうに思う。うまい,というより味がある。
ことしは,気のせいか,なじみの有名人がばたばたと逝ってしまう。まだ,わたしより年上の人なら順番だから仕方がない,とあきらめもつく。しかし,島倉千代子はわたしと同じ歳だ。これは辛いものがある。
でも,お千代さんは自分の部屋にシタジオを作ってもらい,亡くなる3日前まで歌の吹き込みをやっていた,という。もちろん,死期が近いことを承知の上で。おみごと。立派。お千代さんに万歳を捧げたい。そして,たくさんの思い出をありがとう,とひとこと。
明日は,DVDを買いに行こう。そして,もう一度,お別れにじっくりと聞いてみよう。あの,だれにも真似のできない「お千代さん節」を。
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