初日の日馬富士の相撲をみて,よし,今場所はいけると確信しました。全体重をかけてわたしはそう思いました。ですから,毎日,最後の取り組みの二番だけはこの眼でみておきたいと心がけています。今日は少し早めに帰宅して(小雨が降っていたので),すぐに大相撲をみました。午後5時20分ころからのいい取り組みに間に合いました。
テレビを点けてみたら,実況中継のアナウンサーの声もわたしの知らない人だったし,解説の人の声も聞き覚えがありません。あれっ?今日はどういう人が大相撲中継をやっているのかな,と思いながら画面を見入っていました。が,聞こえてくるのは,いつもの元横綱の解説とはまるで違う内容になっていました。しかも,内容がいつもとはまったく違います。
期待していた豪栄道の取り組みについて,今日の解説者は,みごとに勝負の分かれ目を分析した上で,「今日は負けたけれども,まだまだ,これからです。豪栄道は力があるのだから,自分の相撲を建て直して,内容のある相撲をとることです。そうすれば,大関への道は見えてきます」と言っている。おやっ?と思いました。この物言いは,どこかに記憶がある,と。
そう,こういう思いやりのある解説は,その昔,尾車親方の語りでした。ですから,わたしは尾車親方の語り以外には記憶がありません。こんな話は尾車親方以外にできるはずはない,と思いつつ,半信半疑でした。やはり,尾車親方かな?と思いめぐらせていました。ところが,声が違う。しゃべる調子も違う。だれだろう?と思いながら耳を傾けていました。
稀勢の里と豊ノ島が土俵に上がったとき,この相撲は面白いとわたしは密かに期待していました。場合によっては,一波瀾あるぞ,と想定しながら。そして,稀勢の里がしっかりと豊ノ島を自分の正面に組止めて,落ち着いて裁けば,このあとの稀勢の里の相撲が決まる,とふんでいました。そうしたら,まったく同じ内容のことを尾車親方が丁寧に説明していました。わたしは大いに自信を得て,テレビに見入りました。
その直後にアナウンサーと解説者の顔が画面に登場。おお,この顔はこの間,別の番組でみた病み上がりのままの,尾車親方の顔ではないか。アナウンサーの顔はわたしが初めてみる人。それにしても驚きました。これまで聞いていた解説は尾車親方だったのだ,と。ならば,すべて納得。それにしても,あの語り口はかつての尾車親方のそれとは違います。
尾車親方のしゃべりは,まだまだ半開くらいか。それにしても,大病後の語りとしてはできすぎ。こんな解説ができるまでに復活しているとは夢にも思っていませんでした。ですから,思わず尾車親方が戻ってきた,と大きな声でテレビに向かって吼えていました。
しかし,以前のような元気のいい,そしてテンポのいい,それでいて舌がややもつれるような愛嬌のあるおしゃべりではない。全開ではない。しかし,もう,ほとんどそれに近い。それだけでわたしは嬉しくて,琴風,いいぞ!j吼えていました。
でも,尾車親方は,ことばを選び,慎重に,落ち着いた語りになっていました。以前のような舌がもつれるような,ちょっとばかり愛嬌のある語りをほんのわずかだけのこして,あとは,ごくふつうの人の歯切れのいいしゃべりになっています。全体的には痩せて,顔の肉も落ちています。ふたまわりほど痩せたのだろうと思います。たぶん,口の中の形(口腔)も変わったのだろう,とおもいます。もう,ごくふつうの人と同じ,すっきりしたものの言い方になっています。
ですから,とても,同一人物がしゃべっているとは思えませんでした。しかし,相撲をみる鋭さとその分析力,それを語るときの理路整然とした語り口,そして,いつも忘れない,負けた力士へのエール(おもいやりのことば),は健在そのものでした。ああ,いいなぁ,としみじみ尾車親方(わたにとっては大関琴風のあの雄姿の方が強い)へのリスペクトが大きく膨らみました。この人とは一度,直に,会って話をしてみたいといまさらながら思います。それは,わたしにとっては「人間的魅力」そのものです。わたしと会ったとき,このひとはいったいなにを語るだろうか,とそれだけがわたしの興味の中核です。
今日の,最後の取り組みとなった日馬富士と隠岐の海との対決を,尾車親方はどのようにみているのだろうか,とわたしの胸は高鳴りました。しかし,ここでも尾車親方とわたしの見方はほとんど同じ。低い姿勢からの相手の胸元に突き刺さるような鋭い立ち合いが戻ってきたこと,これが戻ってくれば,あとは持ち前の相撲勘とスピードに任せて,自由自在に相手を翻弄することができます。そして,このまま白星を重ねていって,優勝争いはもとより,千秋楽の全勝対決がみてみたいですね,と尾車親方。
この両者の相撲内容は,日馬富士が真っ正面からいくと見せかけて,体を右にやや開き,すばやく左上手をとって,そのまま出し投げを打って,残るところを寄り切り。これも日馬富士が得意とする相撲の一つ。これを決めるには,鋭い立ち合いあるのみ。このことの重大さを尾車親方も,縷々説明がありました。わたしは嬉しくて,尾車親方と,ほぼ同じようにつぎの取り組みを予想できることに,もう,万歳しかありません。
さて,これからしばしば尾車親方がテレビ解説に登場して,徐々に,かつての名調子をとりもどしてくれることを,いまから祈っています。この人の相撲解説は,天下一品,アートにも等しいとわたしはこころからのエールを送りたいと思っています。
大相撲の醍醐味を,わかりやすく,教えてください。尾車親方こそ,その最適任者。
わたしはわたしなりのやり方で,大相撲の奥義に迫ってみたいと思います。
テレビを点けてみたら,実況中継のアナウンサーの声もわたしの知らない人だったし,解説の人の声も聞き覚えがありません。あれっ?今日はどういう人が大相撲中継をやっているのかな,と思いながら画面を見入っていました。が,聞こえてくるのは,いつもの元横綱の解説とはまるで違う内容になっていました。しかも,内容がいつもとはまったく違います。
期待していた豪栄道の取り組みについて,今日の解説者は,みごとに勝負の分かれ目を分析した上で,「今日は負けたけれども,まだまだ,これからです。豪栄道は力があるのだから,自分の相撲を建て直して,内容のある相撲をとることです。そうすれば,大関への道は見えてきます」と言っている。おやっ?と思いました。この物言いは,どこかに記憶がある,と。
そう,こういう思いやりのある解説は,その昔,尾車親方の語りでした。ですから,わたしは尾車親方の語り以外には記憶がありません。こんな話は尾車親方以外にできるはずはない,と思いつつ,半信半疑でした。やはり,尾車親方かな?と思いめぐらせていました。ところが,声が違う。しゃべる調子も違う。だれだろう?と思いながら耳を傾けていました。
稀勢の里と豊ノ島が土俵に上がったとき,この相撲は面白いとわたしは密かに期待していました。場合によっては,一波瀾あるぞ,と想定しながら。そして,稀勢の里がしっかりと豊ノ島を自分の正面に組止めて,落ち着いて裁けば,このあとの稀勢の里の相撲が決まる,とふんでいました。そうしたら,まったく同じ内容のことを尾車親方が丁寧に説明していました。わたしは大いに自信を得て,テレビに見入りました。
その直後にアナウンサーと解説者の顔が画面に登場。おお,この顔はこの間,別の番組でみた病み上がりのままの,尾車親方の顔ではないか。アナウンサーの顔はわたしが初めてみる人。それにしても驚きました。これまで聞いていた解説は尾車親方だったのだ,と。ならば,すべて納得。それにしても,あの語り口はかつての尾車親方のそれとは違います。
尾車親方のしゃべりは,まだまだ半開くらいか。それにしても,大病後の語りとしてはできすぎ。こんな解説ができるまでに復活しているとは夢にも思っていませんでした。ですから,思わず尾車親方が戻ってきた,と大きな声でテレビに向かって吼えていました。
しかし,以前のような元気のいい,そしてテンポのいい,それでいて舌がややもつれるような愛嬌のあるおしゃべりではない。全開ではない。しかし,もう,ほとんどそれに近い。それだけでわたしは嬉しくて,琴風,いいぞ!j吼えていました。
でも,尾車親方は,ことばを選び,慎重に,落ち着いた語りになっていました。以前のような舌がもつれるような,ちょっとばかり愛嬌のある語りをほんのわずかだけのこして,あとは,ごくふつうの人の歯切れのいいしゃべりになっています。全体的には痩せて,顔の肉も落ちています。ふたまわりほど痩せたのだろうと思います。たぶん,口の中の形(口腔)も変わったのだろう,とおもいます。もう,ごくふつうの人と同じ,すっきりしたものの言い方になっています。
ですから,とても,同一人物がしゃべっているとは思えませんでした。しかし,相撲をみる鋭さとその分析力,それを語るときの理路整然とした語り口,そして,いつも忘れない,負けた力士へのエール(おもいやりのことば),は健在そのものでした。ああ,いいなぁ,としみじみ尾車親方(わたにとっては大関琴風のあの雄姿の方が強い)へのリスペクトが大きく膨らみました。この人とは一度,直に,会って話をしてみたいといまさらながら思います。それは,わたしにとっては「人間的魅力」そのものです。わたしと会ったとき,このひとはいったいなにを語るだろうか,とそれだけがわたしの興味の中核です。
今日の,最後の取り組みとなった日馬富士と隠岐の海との対決を,尾車親方はどのようにみているのだろうか,とわたしの胸は高鳴りました。しかし,ここでも尾車親方とわたしの見方はほとんど同じ。低い姿勢からの相手の胸元に突き刺さるような鋭い立ち合いが戻ってきたこと,これが戻ってくれば,あとは持ち前の相撲勘とスピードに任せて,自由自在に相手を翻弄することができます。そして,このまま白星を重ねていって,優勝争いはもとより,千秋楽の全勝対決がみてみたいですね,と尾車親方。
この両者の相撲内容は,日馬富士が真っ正面からいくと見せかけて,体を右にやや開き,すばやく左上手をとって,そのまま出し投げを打って,残るところを寄り切り。これも日馬富士が得意とする相撲の一つ。これを決めるには,鋭い立ち合いあるのみ。このことの重大さを尾車親方も,縷々説明がありました。わたしは嬉しくて,尾車親方と,ほぼ同じようにつぎの取り組みを予想できることに,もう,万歳しかありません。
さて,これからしばしば尾車親方がテレビ解説に登場して,徐々に,かつての名調子をとりもどしてくれることを,いまから祈っています。この人の相撲解説は,天下一品,アートにも等しいとわたしはこころからのエールを送りたいと思っています。
大相撲の醍醐味を,わかりやすく,教えてください。尾車親方こそ,その最適任者。
わたしはわたしなりのやり方で,大相撲の奥義に迫ってみたいと思います。
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