2015年5月25日月曜日

ジャン・ユンカーマン監督『映画 うりずんの雨』(6月20日岩波ホール封切り)の予告編について。

 大きな話題になりつつあるジャン・ユンカーマン監督作品『映画 うりずんの雨』の予告編がネットでみられます。とても素晴らしい内容になっていますので,紹介したいとおもいます。
http://okinawa-urizun.com/

 この予告編は映画の映像と,ジャン・ユンカーマン監督へのインタヴューの2本立ての構成になっています。映像もさることながら,監督の語ることばがとても重く,説得力があって,わたしは感動しました。

 ことしは,日本がポツダム宣言を受諾してから「70年」,ペリーが浦賀に現れてから「150年」という節目の年になります。この話がジャン・ユンカーマンの口から飛び出したときに,わたしは思わず「アッ」と声をあげてしまいました。というのは,ペリー来航から「150年」は江戸末期から明治・大正・昭和をへて平成へと考えると,ずいぶん長い年月が経っているということが素直に納得できます。この「150年」という年月を知った上で,ポツダム宣言受諾から「70年」と聞いたとき,「ウーン,もうすでに,そんなに長い年月を経ているのだ」といまさらながらびっくりすると同時に,感動もしてしまいました。なぜなら,この「70年」はまさにわたしの人生そのものでもあったからです。もう少し精確にいえば,1945年の敗戦の年に,わたしは満7歳でした。以後,ものごころがつき,いろいろと敗戦後の日本か舐めた辛酸とともに成長しました。ですから,この「70年」はわたしにとっては,まさに,わたしのライフ・ヒストリーそのものでもあるからです。その「70年」からわずかに「80年」前がペリー来航の年だった,というのですから,これは驚かずにはいられません。つまり,わたし自身が歴史そのものになってしまっている,ということです。

 そして,ジャン・ユンカーマン監督はつぎのように語ります。日本が,戦争を放棄してから「70年」。この年月は,日本にとっては「宝」のような時間です。なぜなら,日本が「70年」もの長きにわたって戦争をしないでここまでやってきた実績は,国際社会も非常に高く評価せざるをえないからです。世界のどの国もこの真似はできませんでした。日本は,いかなることがあろうとも,「憲法9条」を旗印にして,あらゆる戦争に直接,手を染めることなく,じっと「平和」を見据えてきました。この姿勢は,まことに立派なものです。わたしは「憲法9条」をもつ日本国にずっと尊敬の念と強い憧れをいだいてきました・・・・,と。

こう言われてみてはじめて気づく自分のノー天気さにも驚いています。まるで空気のように「憲法9条」を呼吸してきましたので,そのありがたさに気づかないできてしまった,という次第です。しかし,いまや,この「憲法9条」を棚上げにして「戦争法案」を押し通そうとしている政府自民党と向き合うことになり,いまさらながら危機感に襲われています。ここはなんとしても踏ん張らなくては・・・・と。

 さて,映画「うりずんの雨」。英語名では「The Afterburn 」。
 うりずんとは,3月から5月にかけての沖縄の「春」の季節のこと。この大地がめざめ雨が降って大地がうるおいはじめ,植物が一斉に芽吹く,沖縄にとってもっとも大事なシーズンです。この「うりずん」のシーズンに,米軍による沖縄上陸戦が始まりました。3月26日,渡嘉敷島が米国艦隊によって包囲されました。この日はわたしの誕生日ですので,忘れもしません。沖縄の人びとにとっては,この「うりずんの雨」とともに,悲惨な沖縄戦の記憶がよみがえってくる,とそんな思いをこめてこのタイトルをつけたとジャン・ユンカーマン監督は語ります。また,英語名の「The Afterburn 」も,ふつうの英語ではなく,監督の造語。すべてのものが焼き尽くされたあと,という意味と同時に,そのことによって負った「やけど」の傷跡は,時とともに深いトラウマとなって,さらに沖縄の人びとのこころに食い込んでくるという心理学上の症例とを重ね合わせてイメージしている,と監督。こういう話を聞きますと,なるほど,監督のいろいろの思いが籠められたみごとな題名となっているということがよくわかります。

 1995年,12歳の少女を3人の米兵が連れ去りレイプした事件をきっかけに,沖縄の人びとの我慢が限界を越えました。その「怒り」の感情が一気に噴出することになります。そして,このときの抗議行動がアメリカを動かし,基地返還の動きが具体化します。しかし,このときのアメリカの基地返還の提案をうやむやにしてしまったのが日本政府だった,という事実も描き出されています。

 ユンカーマン監督は,このときの3人の米兵に取材を申し入れます。この3人は,いずれも7年の刑を受けてのち帰国。ひとりは取材を拒否,もうひとりは帰国後もレイプ事件を起こして自殺,さいごのひとりが取材に応じてくれ,その映像がこの映画のなかに収められています。その本人の語るには,あんなことをする必要性はなにもなかった,まるで血迷ったかのように,なにもわからないままにあんなことをしてしまった,と。アメリカ兵にとっては沖縄の基地は,そういう心理状態にさせられてしまう構造的な問題をはらんでいるのだ,とユンカーマン監督は述べています。それが「基地」というもののもつ根源的な矛盾なのだ,と。

 つまり,レイプを犯すような人間はモンスターのようなものなのだ。モンスターがレイプを犯すのであれば,それなりの対応の仕方がある。しかし,米軍基地に勤務するアメリカ兵は,ごくふつうの人間です。そのごくふつうの人間がレイプを犯してしまう,「血迷ってしまう」「わけがわからなくなってしまう」,そういう装置が「基地」というものなのだ,と。だから,「基地」は恐ろしいのだ,と。

 この映画は以下のように4部作で構成されています。
 1.沖縄戦
 2.占領
 3.凌辱
 4.明日へ

 沖縄の米軍基地問題を考える上で,つぎの2点を重視している,とユンカーマン監督は語ります。
ひとつは,日本政府がアメリカ政府に対して,基地返還を要求していないこと,もうひとつは,アメリカ政府は沖縄を戦利品だとおもっていること。その証拠に,キャンプ名である「ハンセン」も「シュワブ」も沖縄戦での英雄の名前を当てていることに明らかだ,と。だから,沖縄をどのように使おうと自分たちの勝手だ,と。

 しかし,日米地位協定には「不要になった土地は返還する」と書いてあるけれども,日本政府が返還を要求しないので,アメリカは「戦利品」だとおもってそのままほったらかしにしてある,と。つまり,実際に基地として使っていない不要な土地がたくさんある,という。

 そして,なにより大事なことは,沖縄の人びとの「命」を大事にすること,沖縄の人びとを「人間」として正当に認めること,つまりは「人権」と「民主主義」が沖縄では機能していないことが,最大の問題だ,とジャン・ユンカーマン監督は熱く語ります。

 6月20日(土)の封切り初日の第一回目の上映を見にいこうとおもっています。

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