やわらかなからだに筋金が一本通りました。肩・首回りの筋肉のつき方は尋常ではありません。上半身の力がついたことによって,相撲がひとまわり大きくなりました。天性の足腰のバネのよさを生かした大きな相撲があなたの魅力です。これを機に,相手力士をぶんまわし,ぶんなげるような大きな相撲を目指してください。そして,堂々たる横綱をめざしてください。
千秋楽の解説をつとめていた北の富士と舞の海は,ともに,とりこぼしのない,すきのない相撲がとれる力士を目指せば横綱は近い,と述べていました。が,わたしはそんなちょろい解説をせせら笑いながら聞いていました。この人たちは名力士ではありましたが,相撲ファンがなにを期待しているのか,どういう相撲を喜ぶのか,という点での思慮に欠けています。
大相撲の魅力は,なんといっても猛々しい闘魂が全身からあふれでる,力強い取り口にあります。勝ち負けの星勘定にとらわれた,勝つための小細工に走る相撲などは二の次の話です。勝ち負けは結果論であって,勝ち星をもぎとるプロセスや,そこにいたる荒魂を感じさせる相撲を,もっともっと擁護したいとわたしは考えています。
いまも思い出すだけで胸が熱くなる,あの朝青龍の相撲が忘れられない人は少なくないとおもいます。あの朝青龍の相撲をひとまわりもふたまわりも大きくした相撲を,照ノ富士はめざすべきでしょう。その点では勝ち負けを度外視してもいい。とてつもない,みたこともない,大きな相撲をとってほしい,と切に望みます。
右でも左でも上手まわしを引けば,もう怖いものはありません。そのための立ち合いは研究しなければならないでしょう。ひとつ,先制攻撃を加えておいて自分充分の組み手になること。これをめざしてください。ちゃちな「張手」はやめましょう。あんなものは,ほんとうに強い力士のやる手ではありません。「張手」が大好きな横綱が大記録をつくっていますが,わたしはどうしてもかれの相撲は好きにはなれません。
千秋楽の功労者は,右手,右足首がほとんど使えない状態で苦しんでいた日馬富士です。弟弟子の優勝のためになんとかここ一番,と奮起してくれました。立ち合い,珍しく左前まわしをとりにでました。左しか使えないのですから当然です。それを切られてしまうと,あとは防戦一方でした。俵に足がかかり,かんたんに突き出されてしまうとおもわれたその瞬間に,いかにも日馬富士らしい反射神経が反応しました。まるでカエルのようにからだをまるめて腰を落とし,下から飛びつくようにして白鵬の腰にくらいつきました。
一瞬,朝青龍の相撲を思い出しました。ここまでで,勝負あった,とわたしは安堵しました。一日も早く,日馬富士が無傷のからだで土俵に上がる日がくることを待っています。そうなれば,白鵬は,もはや二人の大敵をもつことになります。そこに逸ノ城が参入する日も遠くはないでしょう。
今場所は,その意味では大きな転換期であったようにおもいます。終盤に混戦状態になったことが,そのなによりの証拠です。つまり,みんな,それぞれに力をつけてきた結果です。そういう混戦状態が生まれたからには,そこから抜け出す必要があります。
その答えはかんたんです。勝っても,負けても,面白い相撲をとること。朝青龍のように。闘志を剥き出しにして,荒魂が弾けるような相撲を。そして,相撲ファンの胸を熱く焦がし,眼を釘付けにするような相撲を,勝負を度外視してとりつづけること。そうなれば,本場所に通うファンも増えることは間違いなしです。
照ノ富士は,あらゆる点で,そういう条件を満たしています。とにかく相撲は荒くても結構。最後にはがっぷりに組み付けて,ぶんまわす,寄り切る,なんでも結構。これまでにない予想不能の相撲を展開してほしい。
思い出すのは初代の若乃花。異能力士と異名をとり,細身で小さなからだに似合わない,とんでもない力まかせの相撲を展開しました。ですから,絶大なる人気がありました。現役中に,映画にもなったほどの人気でした。その映画のタイトルは『土俵の鬼』でした。その初代若乃花もまた,猛稽古で強くなった横綱です。
その点,いまの照ノ富士は恵まれています。横綱日馬富士を筆頭に,宝富士,安美錦,といったタイプのまったく異なる力士が顔を揃えています。稽古が自分を強くしてくれたということをだれよりもよく知っている照ノ富士ならできます。
こじんまりとした負けない相撲ではなく,負けてもいい,勝負を度外視した大きな相撲をめざしてください。その暁には,これまでに例をみない超大型の大横綱の誕生です。そうなれば,歴史に残る名勝負をいくつも残すことができます。優勝回数や連勝記録などは,紙の上での計算にすぎません。人間の眼に焼きつくような,そして,生涯忘れることのない強烈な印象を残すような相撲を,照ノ富士には期待したいとおもいます。
さて,いよいよ新大関の誕生です。これまでの歴代大関がみんな,最初の場所には勝ち越せるかどうかに苦しみました。勝とうとする気持があまりに前に出すぎるからです。そんなことはどこ吹く風とばかりに無視して,面白い相撲をとることに邁進してください。のびのびと自分の相撲をとりきることです。そうすれば,文句なく結果はついてきます。あのふてぶてしい土俵上での表情と,勝って花道を引き上げるときの童顔剥き出しの笑顔が,なによりの魅力のひとつです。照ノ富士ならできる。そう確信しています。
千秋楽の解説をつとめていた北の富士と舞の海は,ともに,とりこぼしのない,すきのない相撲がとれる力士を目指せば横綱は近い,と述べていました。が,わたしはそんなちょろい解説をせせら笑いながら聞いていました。この人たちは名力士ではありましたが,相撲ファンがなにを期待しているのか,どういう相撲を喜ぶのか,という点での思慮に欠けています。
大相撲の魅力は,なんといっても猛々しい闘魂が全身からあふれでる,力強い取り口にあります。勝ち負けの星勘定にとらわれた,勝つための小細工に走る相撲などは二の次の話です。勝ち負けは結果論であって,勝ち星をもぎとるプロセスや,そこにいたる荒魂を感じさせる相撲を,もっともっと擁護したいとわたしは考えています。
いまも思い出すだけで胸が熱くなる,あの朝青龍の相撲が忘れられない人は少なくないとおもいます。あの朝青龍の相撲をひとまわりもふたまわりも大きくした相撲を,照ノ富士はめざすべきでしょう。その点では勝ち負けを度外視してもいい。とてつもない,みたこともない,大きな相撲をとってほしい,と切に望みます。
右でも左でも上手まわしを引けば,もう怖いものはありません。そのための立ち合いは研究しなければならないでしょう。ひとつ,先制攻撃を加えておいて自分充分の組み手になること。これをめざしてください。ちゃちな「張手」はやめましょう。あんなものは,ほんとうに強い力士のやる手ではありません。「張手」が大好きな横綱が大記録をつくっていますが,わたしはどうしてもかれの相撲は好きにはなれません。
千秋楽の功労者は,右手,右足首がほとんど使えない状態で苦しんでいた日馬富士です。弟弟子の優勝のためになんとかここ一番,と奮起してくれました。立ち合い,珍しく左前まわしをとりにでました。左しか使えないのですから当然です。それを切られてしまうと,あとは防戦一方でした。俵に足がかかり,かんたんに突き出されてしまうとおもわれたその瞬間に,いかにも日馬富士らしい反射神経が反応しました。まるでカエルのようにからだをまるめて腰を落とし,下から飛びつくようにして白鵬の腰にくらいつきました。
一瞬,朝青龍の相撲を思い出しました。ここまでで,勝負あった,とわたしは安堵しました。一日も早く,日馬富士が無傷のからだで土俵に上がる日がくることを待っています。そうなれば,白鵬は,もはや二人の大敵をもつことになります。そこに逸ノ城が参入する日も遠くはないでしょう。
今場所は,その意味では大きな転換期であったようにおもいます。終盤に混戦状態になったことが,そのなによりの証拠です。つまり,みんな,それぞれに力をつけてきた結果です。そういう混戦状態が生まれたからには,そこから抜け出す必要があります。
その答えはかんたんです。勝っても,負けても,面白い相撲をとること。朝青龍のように。闘志を剥き出しにして,荒魂が弾けるような相撲を。そして,相撲ファンの胸を熱く焦がし,眼を釘付けにするような相撲を,勝負を度外視してとりつづけること。そうなれば,本場所に通うファンも増えることは間違いなしです。
照ノ富士は,あらゆる点で,そういう条件を満たしています。とにかく相撲は荒くても結構。最後にはがっぷりに組み付けて,ぶんまわす,寄り切る,なんでも結構。これまでにない予想不能の相撲を展開してほしい。
思い出すのは初代の若乃花。異能力士と異名をとり,細身で小さなからだに似合わない,とんでもない力まかせの相撲を展開しました。ですから,絶大なる人気がありました。現役中に,映画にもなったほどの人気でした。その映画のタイトルは『土俵の鬼』でした。その初代若乃花もまた,猛稽古で強くなった横綱です。
その点,いまの照ノ富士は恵まれています。横綱日馬富士を筆頭に,宝富士,安美錦,といったタイプのまったく異なる力士が顔を揃えています。稽古が自分を強くしてくれたということをだれよりもよく知っている照ノ富士ならできます。
こじんまりとした負けない相撲ではなく,負けてもいい,勝負を度外視した大きな相撲をめざしてください。その暁には,これまでに例をみない超大型の大横綱の誕生です。そうなれば,歴史に残る名勝負をいくつも残すことができます。優勝回数や連勝記録などは,紙の上での計算にすぎません。人間の眼に焼きつくような,そして,生涯忘れることのない強烈な印象を残すような相撲を,照ノ富士には期待したいとおもいます。
さて,いよいよ新大関の誕生です。これまでの歴代大関がみんな,最初の場所には勝ち越せるかどうかに苦しみました。勝とうとする気持があまりに前に出すぎるからです。そんなことはどこ吹く風とばかりに無視して,面白い相撲をとることに邁進してください。のびのびと自分の相撲をとりきることです。そうすれば,文句なく結果はついてきます。あのふてぶてしい土俵上での表情と,勝って花道を引き上げるときの童顔剥き出しの笑顔が,なによりの魅力のひとつです。照ノ富士ならできる。そう確信しています。
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