2015年8月10日月曜日

ヒロシマ,ナガサキの原爆慰霊祭を終えて。アベ・ソーリー,ご退陣を。

 戦後「70年」という節目の年,ことしも例年どおりヒロシマ(8月6日),ナガサキ(8月9日)では厳かにしめやかに原爆慰霊祭が開催されました。にもかかわらず,このニュースを取りあつかう方法は,メディアによってさまざまでした。きわめておざなりなものから,きめ細かに「原爆」を軸に戦争と平和を考えさせる素晴らしい報道まで,ピンキリでした。

 つい,数年まえまでは,こんな扱いではなかったと記憶します。どのメディアも,真っ正面から向き合い,真剣に報道がなされていたようにおもいます。なのに,この数年の間の,この様変わりはどうしたことなのでしょう。

 三重県では,原爆の写真展が「政治的すぎる」という横やりが入って,主催者である地方自治体は中止する,というとんでもないことが起きています。最近では,「政治的」であることがまるで「悪」であるかのごとき勘違いの風潮がひろまっています。とりわけ,秘密保護法が制定されたあとから,この傾向がつよくなっているようにおもわれます。

 「政治的」とはどういうことか。人間は社会の一員として存在するだけで,立派に「政治的」です。政治にかかわることを語り,行動するだけが「政治的」ではありません。「政治的」なことを無視して,だんまりを決め込むのも立派な「政治的」行為です。

 「政治的」な言動は政治家だけに許された特権ではありません。一人の生きる人間に付与された基本的人権です。だからこそ,だれもが「政治的」な発言や行動をする権利をもっています。そうして,お互いに意見交換をしながら,ときには激しい議論や抗議行動までも伴いながら,民意のありどころを探っていくのが民主主義の基本です。

 立憲デモクラシーを否定し,憲法違反の法案を議会に提出し,なんの根拠もないことを「想定」し,ありもしない国民の不安を募り,数の横暴で押し切ろうとする,アベ・ソーリーが登場してから,ますます,国民の「政治的」言動がやり玉に挙げられるようになってきました。強権をもつものが,一方的に弱者に圧力をかけ,自分たちの利権だけを守ろうとする,そういう社会の支配階級と手を結び,ますます強権政治をまっとうしようとしているアベ・ソーリーの手法が,一般の市民社会にも浸透しつつあり,いまや目を覆うばかりです。

 ヒロシマ,ナガサキの各市長のスピーチに対しても,圧力をかけ,あからさまにイチャモンをつけるアベ・ソーリー。その品格のなさ・・・。まるで,ヤクザの親分と同じです。気に入らない奴は消してしまえ,とばかりにありとあらゆる手段を用いて圧力をかけてきます。もはや,独裁政治そのものとなりはててしまっています。

 それを,また,黙って見過ごす多くの大手メディア。このジャーナリズムの「死」ともいうべき「黙認」こそ,「いまやまさに」「政治的」であり,「犯罪的」でもあります。つまり,独裁政治に与する,最悪の「政治的」行為そのものです。

 その反面,インターネットでは,アベ・ソーリーの,とってつけたような虚ろなスピーチをまるごと映像としてみることができます。その一方で,ヒロシマ,ナガサキの各市長の,思いのこもった素晴らしい「平和宣言」をこれまた映像ごとすべてを見聞することができます。被爆者代表による,身を切るような,からだ全体から絞り出されるような「反戦」「平和」への希求のことばも,映像ごと,何回も繰り返し耳を傾けることができます。この被爆者代表のスピーチに対しても,アベ・ソーリーはいちゃもんをつける始末です。

 もはや,人間とはおもえません。血(知)も涙(情緒)もない冷徹な独裁者の顔にしかみえてきません。それでも,どこかに,かすかに良心のかけらは残存しているようです。被爆者や市長のスピーチのクライマックスに達したときの「ことば」,たとえば,「非戦」こそが「平和」実現への道である,と訴え,参列者から大きな拍手が湧いたときには,さすがの冷徹・独裁者の「目が泳いでいる」姿も映像のなかにしっかりと捉えられています。

 民意を把握できなくなった政治のリーダーは,いさぎよくその場から撤退すべきです。民意を無視した政治は,もはや,国のためになりません。国を滅ぼしてしまいます。不特定少数のための利害・打算の政治は不要です。

 この二つの重要な慰霊祭をとおして,アベ・ソーリーの退陣の道筋もまた一段と明確になってきたようにおもいます。最後にだれが,アベ・ソーリーに引導をわたすのか。それは,わたしたち自身です。圧倒的多数の民意を構築して,それを目にみえる形で提示することです。

 いま,SEALDsを名乗る若者たちを中心にした抗議行動が,燎原の火のごとく全国津々浦々にまで広まっています。8月23日(日)には,全国を舞台にして,大々的な抗議行動を展開することが予告されています。わたしも,この日に向けてリハビリにつとめ,なんとしても末端のひとりになりたいと,こころに決めています。

 「本気で倒す」。ただ,その一念で立ち上がること。

 お盆休み明けの,「夏の陣」です。歴史の1ページを飾ることになる大事な正念場です。一人がもう一人の友人を誘えば,デモは倍に膨れ上がります。いまは,行動あるのみです。

 アベ・ソーリー退陣に向けて,最後の一撃をふるうときです。

 ヒロシマ・ナガサキの原爆慰霊祭の映像をみて,その思いがますます募ってきました。

 もはや,これ以上,アベ・ソーリーにこの国の舵取りを任せておくわけにはいきません。いまこそ,声をひとつにして立ち上がろうではありませんか。

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