天皇制を擁護するつもりはさらさらないが,このところの天皇の言動は,アベ政権の動向を明らかに意識したもので,この限りにおいて立派なものである,とエールを送りたい。
とりわけ,昨日(15日)の「終戦70年式典」(政府主催・全国戦没者追悼式)での天皇の「お言葉」(新聞がこう書くのでこれに倣う)は,前例をみない「踏み込んだ」ものだ,と今日の東京新聞一面トップで絶賛している。わたし自身は,これまで天皇の「お言葉」にとくべつの注意を払ってきたことはなかったので,いつもの「定型」版を繰り返しているものとおもっていた。
しかし,昨夜のネット上を流れた情報でも,戦後70年の節目の年の「安倍談話」の不評と,それにつづく「全国戦没者追悼式」の式辞のお粗末さが糾弾されているのが,目についた。いずれも「八方美人」的な,借りものの美辞麗句を羅列しただけのものであって,支離滅裂,アベ・シンゾウの本音の心情がつたわってこない,といった類の批判が多かったようにおもう。
「安倍談話」については,わたしなりに感じとったことをそのまま,直ちに,このブログで書いておいた。結論は,「安倍談話」と「安保法案」とのギャップをどう埋め合わせるのか。その根源的な矛盾をどう説明するのか。「安倍談話」が本気なら,ただちに「安保法案」を取り下げよ,と書いた。
それにつづいての昨日の「式辞」である。これまた味も素っ気もない,国会答弁を彷彿とさせる,防戦一方の,揚げ足をとられないように,とことん配慮された式辞に終始している。だから,字面だけを追っていくと,なんとなく立派な式辞にみえてくる。しかし,少し踏み込んで読んでみると,これまたボロだらけ。またまた批判の嵐にさらされている。
しかも,天皇の「お言葉」とアベの「式辞」とを,とくと読み比べてみると,もっと面白いことがわかってくる。これは,どうみても,アベ政権にたいする天皇からの「三行半」ではないか,とわたしの脳は反応する。やんわりと,さりげなく,されど熟慮の末の不動の決意にもとづく「三行半」だ,と。東京新聞も指摘しているように,「国民の声に寄り添え」と,アベ・シンゾウに向かって言外に含ませている。それが,つたわってくる。短い「お言葉」に籠められた天皇の思いは深く,重い。
これこそが,「70年」という節目での,もっとも重要な「ことば」なのだ。国民の圧倒的多数は「二度と戦争はしない」という「非戦」の意思を共有している。この声に耳を傾けよ,と天皇は言っている。アベ・シンゾウからは,その姿勢が感じられない。式辞と現実の政治行動との乖離がはなはだしい。根をもたない美辞麗句はいくら唱えても意味はない。
とうとう天皇からも見放されてしまったか,というのがわたしの印象である。
当分の間,この議論は尾を引くことになるだろう。そして,ますます支持率は低下の一途をたどっていくだろう。どう考えてみても,上昇気流にはなりえないからだ。
アベ政権としては,ポイントを一気に取り返す絶好のチャンスがつづいたはずだ。にもかかわらずそのチャンスをものにすることはできなかった。いずれも,マイナス・ポイントに貢献するだけだった。なぜか。政権維持のための首尾一貫性に欠けているからだ。もっと言ってしまえば,本音の政治姿勢を前面に押し立てることができなくなっている,ということだ。
なぜか。SEALDsによる国会前のデモを筆頭に,全国に拡散した「安保法案,NO」の抗議行動が,官邸に少なからぬダメージを与えている,とわたしはみる。だから,一方では「不戦」を唱えつつも,他方では「加害と反省」には言及しない。支離滅裂。当然の帰結。カウンター・ブローが効いてきた,とみる。
いよいよ断末魔の悪あがきが,この際,一気に噴出してきた,というのがわたしの見立て。
総裁選も一枚岩ではいかなくなってきたようだ。今回の,「安倍談話」と「式辞」をとおして,いよいよ自民党内の反アベ勢力も黙ってはいないようだ。なにかと騒がしくなっている,という情報が飛び交っている。
それほどに,今回の天皇の「一撃」は大きいとみる。
さて,公明党君はどうする? いまが,縁切りの最後のチャンスなのだが・・・・。
お盆休み明けの攻防が楽しみだ。アベ君は20日まで夏休みだそうだが・・・・。さて,別荘で,つぎの一手をどのようにひねり出すか? ゴルフなどやっている場合ではなかろうに・・・。
とりわけ,昨日(15日)の「終戦70年式典」(政府主催・全国戦没者追悼式)での天皇の「お言葉」(新聞がこう書くのでこれに倣う)は,前例をみない「踏み込んだ」ものだ,と今日の東京新聞一面トップで絶賛している。わたし自身は,これまで天皇の「お言葉」にとくべつの注意を払ってきたことはなかったので,いつもの「定型」版を繰り返しているものとおもっていた。
「安倍談話」については,わたしなりに感じとったことをそのまま,直ちに,このブログで書いておいた。結論は,「安倍談話」と「安保法案」とのギャップをどう埋め合わせるのか。その根源的な矛盾をどう説明するのか。「安倍談話」が本気なら,ただちに「安保法案」を取り下げよ,と書いた。
それにつづいての昨日の「式辞」である。これまた味も素っ気もない,国会答弁を彷彿とさせる,防戦一方の,揚げ足をとられないように,とことん配慮された式辞に終始している。だから,字面だけを追っていくと,なんとなく立派な式辞にみえてくる。しかし,少し踏み込んで読んでみると,これまたボロだらけ。またまた批判の嵐にさらされている。
しかも,天皇の「お言葉」とアベの「式辞」とを,とくと読み比べてみると,もっと面白いことがわかってくる。これは,どうみても,アベ政権にたいする天皇からの「三行半」ではないか,とわたしの脳は反応する。やんわりと,さりげなく,されど熟慮の末の不動の決意にもとづく「三行半」だ,と。東京新聞も指摘しているように,「国民の声に寄り添え」と,アベ・シンゾウに向かって言外に含ませている。それが,つたわってくる。短い「お言葉」に籠められた天皇の思いは深く,重い。
とうとう天皇からも見放されてしまったか,というのがわたしの印象である。
当分の間,この議論は尾を引くことになるだろう。そして,ますます支持率は低下の一途をたどっていくだろう。どう考えてみても,上昇気流にはなりえないからだ。
アベ政権としては,ポイントを一気に取り返す絶好のチャンスがつづいたはずだ。にもかかわらずそのチャンスをものにすることはできなかった。いずれも,マイナス・ポイントに貢献するだけだった。なぜか。政権維持のための首尾一貫性に欠けているからだ。もっと言ってしまえば,本音の政治姿勢を前面に押し立てることができなくなっている,ということだ。
なぜか。SEALDsによる国会前のデモを筆頭に,全国に拡散した「安保法案,NO」の抗議行動が,官邸に少なからぬダメージを与えている,とわたしはみる。だから,一方では「不戦」を唱えつつも,他方では「加害と反省」には言及しない。支離滅裂。当然の帰結。カウンター・ブローが効いてきた,とみる。
いよいよ断末魔の悪あがきが,この際,一気に噴出してきた,というのがわたしの見立て。
総裁選も一枚岩ではいかなくなってきたようだ。今回の,「安倍談話」と「式辞」をとおして,いよいよ自民党内の反アベ勢力も黙ってはいないようだ。なにかと騒がしくなっている,という情報が飛び交っている。
それほどに,今回の天皇の「一撃」は大きいとみる。
さて,公明党君はどうする? いまが,縁切りの最後のチャンスなのだが・・・・。
お盆休み明けの攻防が楽しみだ。アベ君は20日まで夏休みだそうだが・・・・。さて,別荘で,つぎの一手をどのようにひねり出すか? ゴルフなどやっている場合ではなかろうに・・・。
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