月刊雑誌で,定期購読するだけの価値のある雑誌は「いわばまさに」『世界』しかないと思い定めて,もう久しい。「いわばまさに」毎月の楽しみとなっている。
雑誌がとどくと,真っ先に読み始めるのは「編集後記」。清宮美稚子編集長が,どんな話題をとりあげているか,わたしの羅針盤のような役割をはたしてくれている。今回は,この一カ月の国内で展開された安保法案をめぐる抗議運動をはじめとするさまざまな問題の局面が取り上げられている。国会答弁で繰り返し聞かされる「いわばまさに」という,ほとんど意味をなさないことばを逆用して,清宮編集長は効果的に活用している。
その調子のよさに,ついつい,わたしまで濫用してしまう。困った宰相の意味不明言語の多用が,「丁寧な説明」だとしたら,「いわばまさに」おしまいである。国会討論のあの,情けないほどの時間の無駄遣い。なにひとつとして議論にはならない。それもそうだろう。憲法違反の法案を正当化する理論的根拠はどこにもないのだから,ありもしない想定をあえてでっちあげ,危機感をあおり,それらしくみせかけて,だから「戦争法案」は必要なのだ,と繰り返す。その虚ろなことばの繰り返しに,中学生ですら「馬鹿みたい」と笑う。
これが国会の実態である。国会中継は,その意味で,きわめて重要だ。それでいて,80時間も議論をした,あるいは,90時間も議論したのだから,という理由だけで強行採決に持ち込もうとするアベ政権のでたらめさが,さらに剥き出しとなる。この事実を多くの国民が見定めている。
だからこそ,「ア・ベ・ハ・ヤ・メ・ロ」コールが日ごとに広がっていく。当然のことだ。ついには,高校生までが立ち上がり「T-ns Sowl」を組織し,声を挙げている。選挙権を付与されるのだから,当然の意思表明だ。体調がもどってきたら,まっさきに応援に馳せ参じたい。
「ほんとうに止める」という連帯の意思は「いわばまさに」燎原の火のごとく拡がっている。
『世界』9月号の特集は「安保法案──深まる欺瞞と矛盾」と,もう一本「戦後70年──「戦」の「後」でありつづけるために」の2本。いずれを拾い読みしてみても,すぐにその論調のなかに吸い込まれていく。魅力的な内容が軒を並べている。特集の一本目は,「いわばまさに」アベ君の答弁がいかに「欺瞞と矛盾」に満ちているかを浮き彫りにするもの。こちらの論考はいずれもみごとにその根拠を明らかにし,説得力十分。
特集の2本目の冒頭には,対談・いま「非戦」を掲げる──戦後70年 反転された「平和と安全」,と題した田中優子(法政大学総長)×西谷修(立教大学)が掲載されている。一見したところ,異色の対談のはずが,なんともののみごとに「噛み合って」いて,面白い。「平和」などという実態のないことばではなく,いまこそ「非戦」ということばを掲げるべきだ,と両者の主張はみごとに一致している。
この他にも,「慰安婦」問題を取りあつかった永井和(京都大学)の,破綻した「日本軍無実論」が読ませる。また,柄谷行人の「反復強迫としての平和」が力作。そして,親しくさせていただいている今福龍太さんの大地の平和,映像の平和──サルガド,ヴェンダース,自然契約,がわたしのような者では思いもよらない,意表をつく視線からの論考が新鮮だ。
こうして挙げていくと際限がなくなり,全部,とりあげなくてはならないほどの内容の充実ぶりだ。いやはや,雑誌『世界』は安い。おつりがくる。
最後にひとつ。新連載「刻銘なき犠牲──沖縄にみる軍隊と性暴力・第一回──鳥になって故郷へ帰りなさい,川田文子(ノンフィクション作家)が,わたしにはとても印象に残った。沖縄のことは,ほとんどなにも知らないに等しい情けない本土の人間として,気持を引き締めて,これからの連載も期待したい。
取り急ぎ,9月号の感想まで。
雑誌がとどくと,真っ先に読み始めるのは「編集後記」。清宮美稚子編集長が,どんな話題をとりあげているか,わたしの羅針盤のような役割をはたしてくれている。今回は,この一カ月の国内で展開された安保法案をめぐる抗議運動をはじめとするさまざまな問題の局面が取り上げられている。国会答弁で繰り返し聞かされる「いわばまさに」という,ほとんど意味をなさないことばを逆用して,清宮編集長は効果的に活用している。
その調子のよさに,ついつい,わたしまで濫用してしまう。困った宰相の意味不明言語の多用が,「丁寧な説明」だとしたら,「いわばまさに」おしまいである。国会討論のあの,情けないほどの時間の無駄遣い。なにひとつとして議論にはならない。それもそうだろう。憲法違反の法案を正当化する理論的根拠はどこにもないのだから,ありもしない想定をあえてでっちあげ,危機感をあおり,それらしくみせかけて,だから「戦争法案」は必要なのだ,と繰り返す。その虚ろなことばの繰り返しに,中学生ですら「馬鹿みたい」と笑う。
これが国会の実態である。国会中継は,その意味で,きわめて重要だ。それでいて,80時間も議論をした,あるいは,90時間も議論したのだから,という理由だけで強行採決に持ち込もうとするアベ政権のでたらめさが,さらに剥き出しとなる。この事実を多くの国民が見定めている。
だからこそ,「ア・ベ・ハ・ヤ・メ・ロ」コールが日ごとに広がっていく。当然のことだ。ついには,高校生までが立ち上がり「T-ns Sowl」を組織し,声を挙げている。選挙権を付与されるのだから,当然の意思表明だ。体調がもどってきたら,まっさきに応援に馳せ参じたい。
「ほんとうに止める」という連帯の意思は「いわばまさに」燎原の火のごとく拡がっている。
『世界』9月号の特集は「安保法案──深まる欺瞞と矛盾」と,もう一本「戦後70年──「戦」の「後」でありつづけるために」の2本。いずれを拾い読みしてみても,すぐにその論調のなかに吸い込まれていく。魅力的な内容が軒を並べている。特集の一本目は,「いわばまさに」アベ君の答弁がいかに「欺瞞と矛盾」に満ちているかを浮き彫りにするもの。こちらの論考はいずれもみごとにその根拠を明らかにし,説得力十分。
特集の2本目の冒頭には,対談・いま「非戦」を掲げる──戦後70年 反転された「平和と安全」,と題した田中優子(法政大学総長)×西谷修(立教大学)が掲載されている。一見したところ,異色の対談のはずが,なんともののみごとに「噛み合って」いて,面白い。「平和」などという実態のないことばではなく,いまこそ「非戦」ということばを掲げるべきだ,と両者の主張はみごとに一致している。
この他にも,「慰安婦」問題を取りあつかった永井和(京都大学)の,破綻した「日本軍無実論」が読ませる。また,柄谷行人の「反復強迫としての平和」が力作。そして,親しくさせていただいている今福龍太さんの大地の平和,映像の平和──サルガド,ヴェンダース,自然契約,がわたしのような者では思いもよらない,意表をつく視線からの論考が新鮮だ。
こうして挙げていくと際限がなくなり,全部,とりあげなくてはならないほどの内容の充実ぶりだ。いやはや,雑誌『世界』は安い。おつりがくる。
最後にひとつ。新連載「刻銘なき犠牲──沖縄にみる軍隊と性暴力・第一回──鳥になって故郷へ帰りなさい,川田文子(ノンフィクション作家)が,わたしにはとても印象に残った。沖縄のことは,ほとんどなにも知らないに等しい情けない本土の人間として,気持を引き締めて,これからの連載も期待したい。
取り急ぎ,9月号の感想まで。
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