石原慎太郎。希代の遊び人。火遊びの大好きな人。人が驚くようなことをやっては喜んでいる,まことの遊び人。いやになればすぐに投げ出す。つねに注目を集めていなくては気が済まない人。そのためには手段を選ばず。とうとう知事辞職,新党結成,国政参入,ときた。これで巨額の費用を注ぎ込んできた東京オリンピック招致運動も,間違いなく,致命的な打撃を受けること必定。そんなことは知ったことではない,とばかりに知事辞職,国政参入を合理化する。すべては東京都民のためだ,と。
障子にペニスを突き刺す小説『太陽の季節』で芥川賞を受賞して,学生作家としてデビュー。そのとき,母親は「物書きのような下卑た人間になりさがってしまって・・・。そんなことのために教育を受けさせた覚えはない」と息子の慎太郎を叱りつけた話は有名。そんな賢母の次男坊は映画俳優になってしまった。このとき,賢母はなんと言ったのだろう。
この小説家という職業もまっとうすることなく,自民党に入党して,政治家に転身。作家時代には左翼がかった発言が多かったために,世間を「あっ」と驚かせた。なにゆえに「自民党なのか」と。
そのときの言いぐさは,「体制内変革」。自民党の体質を変えないことには日本の政治はよくならない。外野席からいくら騒いでみたところで自民党は変わらない。自民党を変えるには,自民党のなかに入って,内側から変えるしか方法はない,と豪語。それが,すなわちイシハラ流「体制内変革」。
自民党に入党して,参議院議員としてスタートしたとたんに「体制内変革」などどこ吹く風とばかりに,党の大御所に日参し,滅私奉公。これまたまことに熱心に励むことしきり。そして,覚えめでたくとうとう大臣のポストまで頂戴するようになった。この大臣ポストをいくつも楽しんでみたものの,すぐに退屈してしまう。しかも,自分の思うようにはならない。すると,とうとう自民党の体質は腐り切っていて変革は不可能だ,と捨て台詞を残して離党。
一匹狼になって都知事選へ。さすがに美濃部亮吉現職知事には勝てず,敗退。挑むこと2度にしてようやくそのポストを手に入れる。ここでは歯止めをかける人間はだれもいない一国一城の主となって,やりたい放題。一族にばらまかれたという噂で持ちきりだった使途不明金がたくさんあったにもかかわらず,議会を恫喝して,強引に押し切ってしまう。それは,いまでは,常套手段。東京オリンピック招致運動も,すでに一度,手痛い失敗に終わったにもかかわらず,懲りずに二度目の挑戦。しかし,都民の盛り上がりがいまひとつ。それがネックになって,今回もIOC理事たちの評価は低いと言われている。それを見届けたかのように,東京オリンピック招致運動も投げ出し,さっさと鞍替え。
なにか面白いものはないかと探していたら,あった,あった。センカクというまことにきわどい火遊びが。わざわざアメリカまででかけて行って,噂によれば,アメリカの右翼と手を結んで裏をとった上で,センカクを東京都が購入すると宣言。なにを血迷ったか,政府民主党は,慌てふためいてセンカクを国有化すると宣言。このために,わざわざ「棚上げ」になっていた領土問題に火をつけることになる。イシハラ君の思う壺となる。
しかし,国有化となれば,イシハラ君の出番はもはやない。となれば,つぎの火遊びに触手が伸びる。あった,あった,新党結成。もういい加減,嫌気がさしていた知事職を投げ出すには千載一遇のチャンス。かねての打ち合わせのとおり「たちがれニッポン」と手をとりあって万々歳。つぎの総選挙には立候補して,最後のご奉公をする,という。
いやいや80歳のご老体に国政は無理。もはや,時代の趨勢すら読みきれずに,むかしながらの,とんちんかなことばかりを仕出かすのがやま。その証拠に,芥川賞選考委員としてのご活躍がある。毎年,選考委員による「選評」なるものが『文藝春秋』に掲載されるが,このページだけは毎年,じつに楽しみにして読んできた。なぜ?イシハラ君,ただひとり,とんちんかんな選評を書いてくれるからだ。他の選考委員が押した受賞作を,なにを言っているのかわけがわからない,こんな作品に賞を与えること自体がナンセンスだ,と書きなぐる。そんなことが数年つづいたと思っていたら,ととうとう選考委員を投げ出した。
自分が主役でなくなったり,理解不能になると,すぐに投げ出す。火遊び名人の通弊。だって,火遊びは「ドキドキ」しなくなったら,もうなんの面白みもなくなるのだから。
さて,こんどの新党結成はどんな仕掛けをして遊ぶつもり?おざなりの新党結成では面白くもなんともないので,ここはひとつ,斬新な工夫をこらしてもらいたいものだ。少なくとも,政治が活性化するために。そう,政治を面白いものだと国民に思わせるための仕掛けとしての新党結成なら,大いにおやりなさい。そして,票が欲しかったら,脱原発路線を・・・・。多少,とんちんかんであっても許す,高らかに打ち上げなさい。吉本興業からスカウトがくるかも・・・・ね。
とまあ,こんなことでも書いて憂さを吐きださないことには,わたしの人生やってられない。
以上,虚実ないまぜにした,わたしのひとりごと。ジョーク半分,本気半分。虚実皮膜の間(あわい)に宿る真実を,どうか読み取っていただきたい。
それにしても,今夜は悪い夢をみそう・・・・。困ったものだ。なにかいい方法はありませんか。
障子にペニスを突き刺す小説『太陽の季節』で芥川賞を受賞して,学生作家としてデビュー。そのとき,母親は「物書きのような下卑た人間になりさがってしまって・・・。そんなことのために教育を受けさせた覚えはない」と息子の慎太郎を叱りつけた話は有名。そんな賢母の次男坊は映画俳優になってしまった。このとき,賢母はなんと言ったのだろう。
この小説家という職業もまっとうすることなく,自民党に入党して,政治家に転身。作家時代には左翼がかった発言が多かったために,世間を「あっ」と驚かせた。なにゆえに「自民党なのか」と。
そのときの言いぐさは,「体制内変革」。自民党の体質を変えないことには日本の政治はよくならない。外野席からいくら騒いでみたところで自民党は変わらない。自民党を変えるには,自民党のなかに入って,内側から変えるしか方法はない,と豪語。それが,すなわちイシハラ流「体制内変革」。
自民党に入党して,参議院議員としてスタートしたとたんに「体制内変革」などどこ吹く風とばかりに,党の大御所に日参し,滅私奉公。これまたまことに熱心に励むことしきり。そして,覚えめでたくとうとう大臣のポストまで頂戴するようになった。この大臣ポストをいくつも楽しんでみたものの,すぐに退屈してしまう。しかも,自分の思うようにはならない。すると,とうとう自民党の体質は腐り切っていて変革は不可能だ,と捨て台詞を残して離党。
一匹狼になって都知事選へ。さすがに美濃部亮吉現職知事には勝てず,敗退。挑むこと2度にしてようやくそのポストを手に入れる。ここでは歯止めをかける人間はだれもいない一国一城の主となって,やりたい放題。一族にばらまかれたという噂で持ちきりだった使途不明金がたくさんあったにもかかわらず,議会を恫喝して,強引に押し切ってしまう。それは,いまでは,常套手段。東京オリンピック招致運動も,すでに一度,手痛い失敗に終わったにもかかわらず,懲りずに二度目の挑戦。しかし,都民の盛り上がりがいまひとつ。それがネックになって,今回もIOC理事たちの評価は低いと言われている。それを見届けたかのように,東京オリンピック招致運動も投げ出し,さっさと鞍替え。
なにか面白いものはないかと探していたら,あった,あった。センカクというまことにきわどい火遊びが。わざわざアメリカまででかけて行って,噂によれば,アメリカの右翼と手を結んで裏をとった上で,センカクを東京都が購入すると宣言。なにを血迷ったか,政府民主党は,慌てふためいてセンカクを国有化すると宣言。このために,わざわざ「棚上げ」になっていた領土問題に火をつけることになる。イシハラ君の思う壺となる。
しかし,国有化となれば,イシハラ君の出番はもはやない。となれば,つぎの火遊びに触手が伸びる。あった,あった,新党結成。もういい加減,嫌気がさしていた知事職を投げ出すには千載一遇のチャンス。かねての打ち合わせのとおり「たちがれニッポン」と手をとりあって万々歳。つぎの総選挙には立候補して,最後のご奉公をする,という。
いやいや80歳のご老体に国政は無理。もはや,時代の趨勢すら読みきれずに,むかしながらの,とんちんかなことばかりを仕出かすのがやま。その証拠に,芥川賞選考委員としてのご活躍がある。毎年,選考委員による「選評」なるものが『文藝春秋』に掲載されるが,このページだけは毎年,じつに楽しみにして読んできた。なぜ?イシハラ君,ただひとり,とんちんかんな選評を書いてくれるからだ。他の選考委員が押した受賞作を,なにを言っているのかわけがわからない,こんな作品に賞を与えること自体がナンセンスだ,と書きなぐる。そんなことが数年つづいたと思っていたら,ととうとう選考委員を投げ出した。
自分が主役でなくなったり,理解不能になると,すぐに投げ出す。火遊び名人の通弊。だって,火遊びは「ドキドキ」しなくなったら,もうなんの面白みもなくなるのだから。
さて,こんどの新党結成はどんな仕掛けをして遊ぶつもり?おざなりの新党結成では面白くもなんともないので,ここはひとつ,斬新な工夫をこらしてもらいたいものだ。少なくとも,政治が活性化するために。そう,政治を面白いものだと国民に思わせるための仕掛けとしての新党結成なら,大いにおやりなさい。そして,票が欲しかったら,脱原発路線を・・・・。多少,とんちんかんであっても許す,高らかに打ち上げなさい。吉本興業からスカウトがくるかも・・・・ね。
とまあ,こんなことでも書いて憂さを吐きださないことには,わたしの人生やってられない。
以上,虚実ないまぜにした,わたしのひとりごと。ジョーク半分,本気半分。虚実皮膜の間(あわい)に宿る真実を,どうか読み取っていただきたい。
それにしても,今夜は悪い夢をみそう・・・・。困ったものだ。なにかいい方法はありませんか。
1 件のコメント:
石原の議員辞職、ネット上ではサリン事件と関係という説が広く流布していますね。
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