自民党沖縄支部を二つに割る,沖縄県知事選挙が終わった。選挙直前まで,日本のメディアは翁長氏がリード,仲井真氏が猛追,と報道していた。なにをとぼけた報道をしているのか,とわたしはこころのなかで苛立っていた。
終わってみれば,10万票もの大差をつけた「オール沖縄」の翁長氏の圧勝である。ヤマト(「本土」と「沖縄」という言い方は好きではないので,その代わりに「ヤマト」と「ウチナン」を用いる)のメディアが,沖縄県知事選挙に関していかにいい加減な取材しかしてこなかったか,という実態が期せずして露呈してしまった。つまり,ヤマトのメディアはウチナンに対してこの程度のまなざしでしかない,ということだ。
少なくとも,琉球新報や沖縄タイムスが報じていた県知事選挙の現地報道をすらヤマトのメディアは無視していたという事実がもののみごとに明るみにでた,と言ってよい。このヤマトの「冷たさ」が,逆にウチナンの「熱さ」を生みだしている,というべきか。いずれにしても,いまにはじまったことではない,このウチナンとヤマトの温度差に,いまさらながら愕然としてしまう。
ことしの夏(8月下旬),どうしても辺野古の海とキャンプ・シュワブの正門の前に立ちたい,その上でさらに思考を深めたい,と考え5日間,ウチナンに滞在した。その間,可能なかぎり関連の抗議集会やシンポジウムにも参加した。そして,いろいろの人の意見も聞いた。その上で,いろいろと考えもした。それは,それまでのわたしが思い描いていたウチナンの姿とはまったく別のものだった。つまり,ウチナン自身が大きく変化しつつある,という強烈なものだった。
もはや,これまでの党派が争っている場合ではない。イデオロジカルな党利党略はさっさとかなぐり捨てて,超党派の「オール沖縄」(『建白書』を軸に結束)という大同団結に向かって,猛然と走り出している,とてつもない情熱のかたまりを,わたしは肌で感じた。8月23日(土)に開かれたキャンプ・シュワブ前の県民集会での熱気(わたしは滞在中に8月25日の2度,参加)は,直接,わたしのこころに突き刺さってくるほどの強烈なものだった。
また,8月25日(月)の夜,開催されたシンポジウム「どうする米軍基地・集団的自衛権」では,11月の県知事選挙に向けての熱い思いを語る論者のことばが印象的だった。「ただ,勝つだけでは意味がない。圧勝してこそ,はじめて意味をもつ」。このとき,すでに「圧勝」ということばが発せられ,大きな拍手が巻き起こった。この人たちの気合の入れ方は尋常ではない。こんどこそ,大どんでん返しが必要であり,そこからすべてが新しくはじまる,という決意がひしひしと伝わってきた。そのための「オール沖縄」の結束なのだ,と。
多くの論者の話に耳を傾けながら,まぎれもなくウチナンは,いま,大きく様変わりをしようとしている,と実感した。そのひとつは,このシンポジウムを仕掛けた「新外交イニシアティブ」という団体の存在である。この団体は立ち上げてまだ2年だという。しかし,その目的や活動内容を知って,わたしは二度,びっくりだった。なぜなら,ウチナンはもはや日本政府からアメリカ政府へと,その交渉の相手をシフトする,というのである。しかも,この新外交イニシアティブの事務局長で弁護士の猿田佐世氏は,アメリカ政府へのロビー活動を支援する太いパイプをもっていて,ワシントン・ニューヨークを活動の拠点にしていて,すでに,大きな実績を残している,という。
たとえば,稲嶺名護市長をアメリカ政府のロビー活動に導き,アメリカでは大きな反響を呼んでいるという。この事実も,ヤマトのメディアはいっさい無視していたので,わたしたちは知らないでいただけの話。この話の流れのなかで(シンポジウムの),明らかにされたのは,アメリカ政府のロビーでは「アメリカの海兵隊を沖縄に置く必要はない」と考える政府高官とも接触している,という事実。さらには,沖縄の米軍基地「抑止力」説はなんの根拠もない「虚像」にすぎない,という主張もあって,すでに著書を刊行してもいる(『虚像の抑止力』──沖縄・東京・ワシントン発安全保障政策の新機軸,新外交イニシアティブ・編,旬報社,2014年8月刊)。
この夏の経験が,いまになって生きてきている。ヤマトの新聞やテレビが,翁長氏の過去の言動をあげつらって,右から左へ転向した信用ならぬ人物として,冷たくあしらっている報道が多々みられる。しかし,この人たちがいかに不勉強であるか,そして,場合によっては知っていて,なおかつ意図的にアジテーションを繰り広げている,として冷めて眺めているわたしがいる。それは,この夏の経験以後のアンテナの張り方による成果である。FBでの,かなりの信頼できる書き手のなかにも,沖縄の最近の大きな変化を感知しないまま,これまでどおりの机上の抽象論を展開し,翁長氏を批判している論者もいる。
この落差に,わたしはいまさらながら愕然としてしまう。ヤマトンチュの平和惚け,経済惚けしてしまった頭ではとうてい理解不能,あるいは受け止めがたいウチナンチュの意識変化。すでに,沖縄独立論が大まじめで議論されていることも,ヤマトンチュのほとんどの人は知らないまま。なぜなら,ヤマトのメディアは「つごうの悪いことには眼をつむる」悪い習性をもっているからだ。しかも,「上から目線」。いまや,多くのウチナンチュの意識は,時代の,世界の最先端を切り拓く「戦場」と真っ正面から向き合っている。そういう自覚をもって生きている。
わたしたちヤマトンチュはこころしてウチナンチュに芽生えつつある問題意識と向き合わなくてはならない。そうしないと,またぞろ,ヤマトの「無関心」「無視」という恐るべき「暴力」装置によって沖縄県民の総意をふみにじってしまうことになりかねないからだ。
もうすでに,菅官房長官は,「仲井真氏の承認にもとづき,粛々とことを進めるだけ」と,今回の県知事選挙の結果を「無視」する姿勢を鮮明にしている。これはまぎれもない民主主義の「否定」であり,「死」を意味する。なんのための「選挙」だったのか,あらためて問い直したい。
もし,「選挙」がその程度のものであるのなら,この年末のどさくさに紛れて行われようとしている解散・選挙は,なんの意味もないことになる。自分が言っていることの意味がなにもわかっていない,という点ではアベ君と瓜二つ。それが,いまの日本の最高指導者なのだ。情けない。
その意味では,ウチナンチュのように,投票権をもった人間が目覚めるしかないのだ。いまや,この最後の切り札を生かす以外に方法はない。短期決戦で,それがどこまで実現できるか,わたしも力をつくしてみたい。このブログもその一助になればと願いつつ・・・。
終わってみれば,10万票もの大差をつけた「オール沖縄」の翁長氏の圧勝である。ヤマト(「本土」と「沖縄」という言い方は好きではないので,その代わりに「ヤマト」と「ウチナン」を用いる)のメディアが,沖縄県知事選挙に関していかにいい加減な取材しかしてこなかったか,という実態が期せずして露呈してしまった。つまり,ヤマトのメディアはウチナンに対してこの程度のまなざしでしかない,ということだ。
少なくとも,琉球新報や沖縄タイムスが報じていた県知事選挙の現地報道をすらヤマトのメディアは無視していたという事実がもののみごとに明るみにでた,と言ってよい。このヤマトの「冷たさ」が,逆にウチナンの「熱さ」を生みだしている,というべきか。いずれにしても,いまにはじまったことではない,このウチナンとヤマトの温度差に,いまさらながら愕然としてしまう。
ことしの夏(8月下旬),どうしても辺野古の海とキャンプ・シュワブの正門の前に立ちたい,その上でさらに思考を深めたい,と考え5日間,ウチナンに滞在した。その間,可能なかぎり関連の抗議集会やシンポジウムにも参加した。そして,いろいろの人の意見も聞いた。その上で,いろいろと考えもした。それは,それまでのわたしが思い描いていたウチナンの姿とはまったく別のものだった。つまり,ウチナン自身が大きく変化しつつある,という強烈なものだった。
もはや,これまでの党派が争っている場合ではない。イデオロジカルな党利党略はさっさとかなぐり捨てて,超党派の「オール沖縄」(『建白書』を軸に結束)という大同団結に向かって,猛然と走り出している,とてつもない情熱のかたまりを,わたしは肌で感じた。8月23日(土)に開かれたキャンプ・シュワブ前の県民集会での熱気(わたしは滞在中に8月25日の2度,参加)は,直接,わたしのこころに突き刺さってくるほどの強烈なものだった。
また,8月25日(月)の夜,開催されたシンポジウム「どうする米軍基地・集団的自衛権」では,11月の県知事選挙に向けての熱い思いを語る論者のことばが印象的だった。「ただ,勝つだけでは意味がない。圧勝してこそ,はじめて意味をもつ」。このとき,すでに「圧勝」ということばが発せられ,大きな拍手が巻き起こった。この人たちの気合の入れ方は尋常ではない。こんどこそ,大どんでん返しが必要であり,そこからすべてが新しくはじまる,という決意がひしひしと伝わってきた。そのための「オール沖縄」の結束なのだ,と。
多くの論者の話に耳を傾けながら,まぎれもなくウチナンは,いま,大きく様変わりをしようとしている,と実感した。そのひとつは,このシンポジウムを仕掛けた「新外交イニシアティブ」という団体の存在である。この団体は立ち上げてまだ2年だという。しかし,その目的や活動内容を知って,わたしは二度,びっくりだった。なぜなら,ウチナンはもはや日本政府からアメリカ政府へと,その交渉の相手をシフトする,というのである。しかも,この新外交イニシアティブの事務局長で弁護士の猿田佐世氏は,アメリカ政府へのロビー活動を支援する太いパイプをもっていて,ワシントン・ニューヨークを活動の拠点にしていて,すでに,大きな実績を残している,という。
たとえば,稲嶺名護市長をアメリカ政府のロビー活動に導き,アメリカでは大きな反響を呼んでいるという。この事実も,ヤマトのメディアはいっさい無視していたので,わたしたちは知らないでいただけの話。この話の流れのなかで(シンポジウムの),明らかにされたのは,アメリカ政府のロビーでは「アメリカの海兵隊を沖縄に置く必要はない」と考える政府高官とも接触している,という事実。さらには,沖縄の米軍基地「抑止力」説はなんの根拠もない「虚像」にすぎない,という主張もあって,すでに著書を刊行してもいる(『虚像の抑止力』──沖縄・東京・ワシントン発安全保障政策の新機軸,新外交イニシアティブ・編,旬報社,2014年8月刊)。
この夏の経験が,いまになって生きてきている。ヤマトの新聞やテレビが,翁長氏の過去の言動をあげつらって,右から左へ転向した信用ならぬ人物として,冷たくあしらっている報道が多々みられる。しかし,この人たちがいかに不勉強であるか,そして,場合によっては知っていて,なおかつ意図的にアジテーションを繰り広げている,として冷めて眺めているわたしがいる。それは,この夏の経験以後のアンテナの張り方による成果である。FBでの,かなりの信頼できる書き手のなかにも,沖縄の最近の大きな変化を感知しないまま,これまでどおりの机上の抽象論を展開し,翁長氏を批判している論者もいる。
この落差に,わたしはいまさらながら愕然としてしまう。ヤマトンチュの平和惚け,経済惚けしてしまった頭ではとうてい理解不能,あるいは受け止めがたいウチナンチュの意識変化。すでに,沖縄独立論が大まじめで議論されていることも,ヤマトンチュのほとんどの人は知らないまま。なぜなら,ヤマトのメディアは「つごうの悪いことには眼をつむる」悪い習性をもっているからだ。しかも,「上から目線」。いまや,多くのウチナンチュの意識は,時代の,世界の最先端を切り拓く「戦場」と真っ正面から向き合っている。そういう自覚をもって生きている。
わたしたちヤマトンチュはこころしてウチナンチュに芽生えつつある問題意識と向き合わなくてはならない。そうしないと,またぞろ,ヤマトの「無関心」「無視」という恐るべき「暴力」装置によって沖縄県民の総意をふみにじってしまうことになりかねないからだ。
もうすでに,菅官房長官は,「仲井真氏の承認にもとづき,粛々とことを進めるだけ」と,今回の県知事選挙の結果を「無視」する姿勢を鮮明にしている。これはまぎれもない民主主義の「否定」であり,「死」を意味する。なんのための「選挙」だったのか,あらためて問い直したい。
もし,「選挙」がその程度のものであるのなら,この年末のどさくさに紛れて行われようとしている解散・選挙は,なんの意味もないことになる。自分が言っていることの意味がなにもわかっていない,という点ではアベ君と瓜二つ。それが,いまの日本の最高指導者なのだ。情けない。
その意味では,ウチナンチュのように,投票権をもった人間が目覚めるしかないのだ。いまや,この最後の切り札を生かす以外に方法はない。短期決戦で,それがどこまで実現できるか,わたしも力をつくしてみたい。このブログもその一助になればと願いつつ・・・。
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