沖縄から<地鳴り>が聞こえてくる。この沖縄から響いてくる<地鳴り>の震源地をさぐり,そこでいったいなにが起きているのか,その声に素直に耳を傾けてみようではないか。そして,その声(地鳴り)をこの東京にも広げていこうではないか。そんな主旨の連続講座の第一回目が開催されました。そのショート・レポートです。
連続講座:沖縄の地鳴りを聞く
第一回:県知事選で何が起きたか?
講師:松元 剛(琉球新報)
日時:11月29日(土)午後1時半開場,2時開会
場所:法政大学(市ヶ谷キャンパス)58号館855教室
主催:普天間・辺野古問題を考える会(代表・宮本憲一)
共催:法政大学沖縄文化研究所
プログラム的なことに少し触れておきましょう。午後1時30分開場,午後2時開会,午後5時閉会の予定でしたが,終わったのは午後5時30分をまわっていました。それだけ熱気の籠もった,実り多き会だったということです。最初に講師の松元剛さんのお話があり(約1時間半),つづいて松元さんと西谷修さんとの対話があり(約1時間),さらにフロアからの質疑,そして,最後に,主催者である「普天間・辺野古問題を考える会」のメンバーの方たち(和田春樹,前田哲男,宮本憲一,さんほか)からひとことずつのご挨拶がありました。司会進行は岡本厚さん(岩波書店)。雑誌『世界』の編集者・中本直子さんもお手伝い。
わたしとしては,顔なじみの方が何人かいらっしゃると,とても落ち着いた気分で参加でき,快適な時空間でした。
さて,問題の「県知事選で何が起きたか?」です。松元剛さんのお話は,理路整然,まことに説得力があって,配布されたレジュメの行間にいっぱいの書き込みをするのに夢中になるほどに,ひきこまれてしまいました。それを書きたいところですが,内容が多すぎて手にあまります。中本さんのお話では,雑誌『世界』の1月号(12月8日ころ発行)に松元剛さんの論文が掲載されるとのことですので,そちらでご確認ください。
そこで,ここでは,わたしの疑問であった「沖縄県民の自覚と決断」を促した最大の力はなんだったのか,の答えを簡単にレポートしてみたいと思います。
結論から入りますと,沖縄県民が目覚めた(翁長)のは,沖縄のジャーナリズムの発信力にあった,ということです。その主役を担ったのが,琉球新報と沖縄タイムスの2紙であった,と。
沖縄では,この2紙が,競い合うようにして,沖縄県民に「真実」を伝える取り組みをしてきました。それも徹底した取材にもとづくもので,確たる根拠をもった情報の提供でした。つまり,説得力のある,確たる情報を提供しなければ,競合紙に負けてしまいます。ですから,お互いが必死です。幸いなことに中央政府の圧力を受けることほとんどありません。ですから,ことばの正しい意味での「真実」に迫る情報の競合が長い間,つづいているということです。沖縄県民の8割の人たちがこの2紙のいずれかを読んでいる,とのこと。そして,残りの2割が全国紙,その他。
この2紙の競合の結果,このたびの県知事選に際して,沖縄県民を目覚めさせ,確たる認識を浸透させていくことになったポイントをいくつか挙げておきますと,以下のとおりです。
ひとつには,米軍基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因であることを周知徹底させたこど。その結果,沖縄の経済界が,ようやく米軍基地反対の動きに転じたこと。このことが沖縄に岩盤のようにして存在する自民支持の基盤に亀裂を生じさせた,ということ。翁長氏の「目覚め」「転身」はここからはじまったといいます。かくして,中央政府からの補助金頼みの姿勢から脱出し,経済的自立への道を多くの県民が選択した,という次第です。
ふたつには,米軍基地の存在は,抑止力としてはなんの効果もない,ということの根拠を明らかにしたこと。その結果,米軍基地不要論が多数を占めるにいたった,ということです。本土では,いまでも,沖縄の米軍基地は抑止力として欠かすことはできない,という認識の人がほとんどです。なぜなら,本土のジャーナリズムは政府自民党のいいなりになっていて,ほとんど機能していないからです。その結果,無知のまま,抑止力を信ずるしかない,という次第です。
みっつには,沖縄のアイデンティティと自己決定権の主張です。と同時に,沖縄差別の撤廃を求める声が次第に大きくなってきたということです。
・・・・・以上,未完。いずれまた。
連続講座:沖縄の地鳴りを聞く
第一回:県知事選で何が起きたか?
講師:松元 剛(琉球新報)
日時:11月29日(土)午後1時半開場,2時開会
場所:法政大学(市ヶ谷キャンパス)58号館855教室
主催:普天間・辺野古問題を考える会(代表・宮本憲一)
共催:法政大学沖縄文化研究所
プログラム的なことに少し触れておきましょう。午後1時30分開場,午後2時開会,午後5時閉会の予定でしたが,終わったのは午後5時30分をまわっていました。それだけ熱気の籠もった,実り多き会だったということです。最初に講師の松元剛さんのお話があり(約1時間半),つづいて松元さんと西谷修さんとの対話があり(約1時間),さらにフロアからの質疑,そして,最後に,主催者である「普天間・辺野古問題を考える会」のメンバーの方たち(和田春樹,前田哲男,宮本憲一,さんほか)からひとことずつのご挨拶がありました。司会進行は岡本厚さん(岩波書店)。雑誌『世界』の編集者・中本直子さんもお手伝い。
わたしとしては,顔なじみの方が何人かいらっしゃると,とても落ち着いた気分で参加でき,快適な時空間でした。
さて,問題の「県知事選で何が起きたか?」です。松元剛さんのお話は,理路整然,まことに説得力があって,配布されたレジュメの行間にいっぱいの書き込みをするのに夢中になるほどに,ひきこまれてしまいました。それを書きたいところですが,内容が多すぎて手にあまります。中本さんのお話では,雑誌『世界』の1月号(12月8日ころ発行)に松元剛さんの論文が掲載されるとのことですので,そちらでご確認ください。
そこで,ここでは,わたしの疑問であった「沖縄県民の自覚と決断」を促した最大の力はなんだったのか,の答えを簡単にレポートしてみたいと思います。
結論から入りますと,沖縄県民が目覚めた(翁長)のは,沖縄のジャーナリズムの発信力にあった,ということです。その主役を担ったのが,琉球新報と沖縄タイムスの2紙であった,と。
沖縄では,この2紙が,競い合うようにして,沖縄県民に「真実」を伝える取り組みをしてきました。それも徹底した取材にもとづくもので,確たる根拠をもった情報の提供でした。つまり,説得力のある,確たる情報を提供しなければ,競合紙に負けてしまいます。ですから,お互いが必死です。幸いなことに中央政府の圧力を受けることほとんどありません。ですから,ことばの正しい意味での「真実」に迫る情報の競合が長い間,つづいているということです。沖縄県民の8割の人たちがこの2紙のいずれかを読んでいる,とのこと。そして,残りの2割が全国紙,その他。
この2紙の競合の結果,このたびの県知事選に際して,沖縄県民を目覚めさせ,確たる認識を浸透させていくことになったポイントをいくつか挙げておきますと,以下のとおりです。
ひとつには,米軍基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因であることを周知徹底させたこど。その結果,沖縄の経済界が,ようやく米軍基地反対の動きに転じたこと。このことが沖縄に岩盤のようにして存在する自民支持の基盤に亀裂を生じさせた,ということ。翁長氏の「目覚め」「転身」はここからはじまったといいます。かくして,中央政府からの補助金頼みの姿勢から脱出し,経済的自立への道を多くの県民が選択した,という次第です。
ふたつには,米軍基地の存在は,抑止力としてはなんの効果もない,ということの根拠を明らかにしたこと。その結果,米軍基地不要論が多数を占めるにいたった,ということです。本土では,いまでも,沖縄の米軍基地は抑止力として欠かすことはできない,という認識の人がほとんどです。なぜなら,本土のジャーナリズムは政府自民党のいいなりになっていて,ほとんど機能していないからです。その結果,無知のまま,抑止力を信ずるしかない,という次第です。
みっつには,沖縄のアイデンティティと自己決定権の主張です。と同時に,沖縄差別の撤廃を求める声が次第に大きくなってきたということです。
・・・・・以上,未完。いずれまた。
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