消費税増税,どうしても必要なものなら上げればいいではないか。駄目だったら下げればいい。情況次第でいかようにも対応はできる。なのに,これをむりやり「先送り」して,選挙の争点に仕立て上げ,民意を問うという。大相撲でいうところの,立ち合いの「猫だまし」のような手をアベ君は打ってきた。しかし,「猫だまし」という手は,一瞬の効果はあっても,すぐに化けの皮がはがれてしまうものだ。こんな邪道にも近い手を使わなくてはならない,止むに止まれぬ事情がアベ君にはある。そここそが問題だ。
信頼に足るしっかりした野党が存在していれば,自民党政権はここで幕引きというところだ。つまり,劇的だった自民党から民主党への政権交代,そして,雪崩現象のようにしてふたたび民主党から自民党へと政権交代した,あの幕引きと同じ現象がいま起きている。しかし,残念ながら,いまの野党に政権交代できる力はない。その野党が低迷している間に,自分たちの失政を最小限の傷で抑え,なんとか「過半数」を確保して「勝利」宣言をすること,そうなれば,あとは自分たちのやりたい放題の政治が待っている。すなわち,アベ政権のつぎなる野望(暴挙)へ向かって一気に加速しようというのが,こんどの解散・選挙の大きな狙いだ。
その眼目は,憲法改正の手続なしに閣議決定で「集団的自衛権」の容認を正当化しようという企みにある。解散・選挙をやるのなら,これを争点として掲げ,真っ向勝負にでるべきではないのか。国家の根幹にかかわる「憲法」の解釈を「閣議決定」などというまやかしの手で勝手に変えてもらっては困る。しかも,この手法を正当化して,具体的な法制化への道を切り拓こうとしている。この問題こそ国民の意思を問うべき最大の課題ではないのか。
しかし,政府自民党はそれを徹底して忌避しようとしている。なぜなら,国民的議論のレベルに持ち込まれてしまうと,勝ち目がないことをよく承知しているからだ。しかし,それは民主主義の「否定」であり,民主主義の「死」を意味する。にもかかわらず,それを強行突破しようというのである。こんな恐るべき政府自民党の野望(暴挙)をむりやり合理化しようというのが,こんな年末の大変なときに,なりふり構わず解散・選挙に打ってでようという最大の魂胆だ。この暴挙に比べたら,消費税増税なんて屁のようなものだ。
しかも,もうひとつの民主主義「否定」のための伏線もある。それは沖縄県知事選挙の結果,すなわち沖縄県民の意思をうやむやにしてしまおう,という政府自民党の戦略にある。沖縄県民の圧倒的多数の意思が辺野古移設反対であることは,選挙前にすでにわかっていた。だから,政府自民党は,この敗北の傷を可能なかぎり浅いものにしようと,さまざまな戦略を立てていた。そのひとつは,仲井真候補の立候補を辞退させて「不戦敗」でやり過ごそうという戦略。もうひとつは,沖縄県知事選挙が終わったところで,ただちに解散・選挙に打ってでる,というものだ。そうして,沖縄県民の意思をもみ消そう,と。
今回は,前者の戦略が失敗したために,残る後者の戦略にでた,ということだ。そうして,沖縄県知事選挙の結果を見届けたところで,ただちに,菅官房長官は「沖縄県民の意思に関係なく,これまでどおり辺野古移設は日米間の協定どおり,粛々と進めていく」と談話を発表した。つまり,選挙による沖縄県民の意思を「無視」する,と高らかに宣言したのだ。しかも,アメリカ政府にも同様の発言をさせている。これを民主主義の「否定」といわずしてなんと呼ぶべきか。アメリカ政府もまた,日本政府の民主主義の「否定」に加担しているのである。
こんなことが,いま,白昼堂々と,日本という国家のもとで行われているのである。この恥ずべき事態の「目隠し」をすること,それが解散・選挙という暴挙である。こんなことは,少し冷静に考えれば,だれの目にも明らかである。ましてや,国際社会で容認されようはずもない。むしろ,笑い物にされる格好の材料だ。それが,いま,この日本で起きている現実である。
これと同じ構造が,原子力発電の再開に向けての「合意」にもみられる。住民の意思を無視した県知事の一存で政府間協定を結んでしまう(沖縄の仲井真君が県民の意思を裏切ってまで率先垂範してしまったように)。そうして,その「協定」を錦の御旗に見立てて,強行突破をはかろうというのである。地域住民の意思は,いまや,まったくの「無視」である。
このたびの解散・選挙には,もうひとつの伏線もある。いま,日毎に悪化をつづけているフクイチの現状を風化させてしまおうという意図である。少なくとも,選挙が終わるまでは,まず,よほどのことがないかぎり,フクイチの情報はメディアには登場しないだろう。しかも,選挙が終わってみれば,もはや,師走に向かって一直線。暮れ・正月の対応に人びとの頭は切り替わってしまっている。こうして,フクイチはその存在さえ忘却のかなたに一時,後退である。これぞ,政府自民党の思うつぼである。
そこにもってきて,錦織圭,高倉健・・・・。テレビはここにも飛びつく。そして,長時間にわたる垂れ流し。これもまた政府自民党にとっては棚からぼた餅だ。
わたしたちは騙されてはならない。
犯罪にも等しい,このタイミングでの解散・選挙という「暴挙」。そして,消費税増税「先送り」という卑劣きわまりない「猫だまし」の手。今回の問題の本質がそんなところにあるのではないことを。
なによりもまずは,憲法を無視した閣議決定というまやかしで,集団的自衛権を容認しようという,詐欺にも等しい,まことに卑しい政府自民党の「政治」そのものが,問われていることを忘れてはならない。しかも,それは民主主義の「否定」であり,国民の意思を「無視」する,前代未聞の「暴挙」であることを。
信頼に足るしっかりした野党が存在していれば,自民党政権はここで幕引きというところだ。つまり,劇的だった自民党から民主党への政権交代,そして,雪崩現象のようにしてふたたび民主党から自民党へと政権交代した,あの幕引きと同じ現象がいま起きている。しかし,残念ながら,いまの野党に政権交代できる力はない。その野党が低迷している間に,自分たちの失政を最小限の傷で抑え,なんとか「過半数」を確保して「勝利」宣言をすること,そうなれば,あとは自分たちのやりたい放題の政治が待っている。すなわち,アベ政権のつぎなる野望(暴挙)へ向かって一気に加速しようというのが,こんどの解散・選挙の大きな狙いだ。
その眼目は,憲法改正の手続なしに閣議決定で「集団的自衛権」の容認を正当化しようという企みにある。解散・選挙をやるのなら,これを争点として掲げ,真っ向勝負にでるべきではないのか。国家の根幹にかかわる「憲法」の解釈を「閣議決定」などというまやかしの手で勝手に変えてもらっては困る。しかも,この手法を正当化して,具体的な法制化への道を切り拓こうとしている。この問題こそ国民の意思を問うべき最大の課題ではないのか。
しかし,政府自民党はそれを徹底して忌避しようとしている。なぜなら,国民的議論のレベルに持ち込まれてしまうと,勝ち目がないことをよく承知しているからだ。しかし,それは民主主義の「否定」であり,民主主義の「死」を意味する。にもかかわらず,それを強行突破しようというのである。こんな恐るべき政府自民党の野望(暴挙)をむりやり合理化しようというのが,こんな年末の大変なときに,なりふり構わず解散・選挙に打ってでようという最大の魂胆だ。この暴挙に比べたら,消費税増税なんて屁のようなものだ。
しかも,もうひとつの民主主義「否定」のための伏線もある。それは沖縄県知事選挙の結果,すなわち沖縄県民の意思をうやむやにしてしまおう,という政府自民党の戦略にある。沖縄県民の圧倒的多数の意思が辺野古移設反対であることは,選挙前にすでにわかっていた。だから,政府自民党は,この敗北の傷を可能なかぎり浅いものにしようと,さまざまな戦略を立てていた。そのひとつは,仲井真候補の立候補を辞退させて「不戦敗」でやり過ごそうという戦略。もうひとつは,沖縄県知事選挙が終わったところで,ただちに解散・選挙に打ってでる,というものだ。そうして,沖縄県民の意思をもみ消そう,と。
今回は,前者の戦略が失敗したために,残る後者の戦略にでた,ということだ。そうして,沖縄県知事選挙の結果を見届けたところで,ただちに,菅官房長官は「沖縄県民の意思に関係なく,これまでどおり辺野古移設は日米間の協定どおり,粛々と進めていく」と談話を発表した。つまり,選挙による沖縄県民の意思を「無視」する,と高らかに宣言したのだ。しかも,アメリカ政府にも同様の発言をさせている。これを民主主義の「否定」といわずしてなんと呼ぶべきか。アメリカ政府もまた,日本政府の民主主義の「否定」に加担しているのである。
こんなことが,いま,白昼堂々と,日本という国家のもとで行われているのである。この恥ずべき事態の「目隠し」をすること,それが解散・選挙という暴挙である。こんなことは,少し冷静に考えれば,だれの目にも明らかである。ましてや,国際社会で容認されようはずもない。むしろ,笑い物にされる格好の材料だ。それが,いま,この日本で起きている現実である。
これと同じ構造が,原子力発電の再開に向けての「合意」にもみられる。住民の意思を無視した県知事の一存で政府間協定を結んでしまう(沖縄の仲井真君が県民の意思を裏切ってまで率先垂範してしまったように)。そうして,その「協定」を錦の御旗に見立てて,強行突破をはかろうというのである。地域住民の意思は,いまや,まったくの「無視」である。
このたびの解散・選挙には,もうひとつの伏線もある。いま,日毎に悪化をつづけているフクイチの現状を風化させてしまおうという意図である。少なくとも,選挙が終わるまでは,まず,よほどのことがないかぎり,フクイチの情報はメディアには登場しないだろう。しかも,選挙が終わってみれば,もはや,師走に向かって一直線。暮れ・正月の対応に人びとの頭は切り替わってしまっている。こうして,フクイチはその存在さえ忘却のかなたに一時,後退である。これぞ,政府自民党の思うつぼである。
そこにもってきて,錦織圭,高倉健・・・・。テレビはここにも飛びつく。そして,長時間にわたる垂れ流し。これもまた政府自民党にとっては棚からぼた餅だ。
わたしたちは騙されてはならない。
犯罪にも等しい,このタイミングでの解散・選挙という「暴挙」。そして,消費税増税「先送り」という卑劣きわまりない「猫だまし」の手。今回の問題の本質がそんなところにあるのではないことを。
なによりもまずは,憲法を無視した閣議決定というまやかしで,集団的自衛権を容認しようという,詐欺にも等しい,まことに卑しい政府自民党の「政治」そのものが,問われていることを忘れてはならない。しかも,それは民主主義の「否定」であり,国民の意思を「無視」する,前代未聞の「暴挙」であることを。
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