西谷さんから電話が入り,「まだ,関西ですか。東京にもどってますか」という。なんだろうとおもって聞いてみると,「アンドレアスが日本にきています。一緒に夕食でもと考えていますが」とのこと。もちろん,すぐにOK。
何年ぶりだろうか,といろいろと思いを巡らす。
アンドレアス・ニーハウス。ベルギー・ゲント大学教授。もともとはドイツ・ケルン大学(日本学研究所)で教鞭をとっていた。そのときに,わたしと出会った。わたしがドイツ・スポーツ大学ケルン客員教授として招聘されたとき(いまから12年前),お隣のドイツ・ケルン大学から日本語・日本文化専攻の学生さんを引き連れて,わたしのゼミに参加してくれた人。そのときにひとかたならぬお世話になった。
この人,ひとくちで言ってしまえば「いい男」。じつに「いい男」なのだ。とにかくハートがいい。明るいし,まじめで,聰明。ジョーク好き。学位論文は嘉納治五郎研究(慶応大学)。内容が手にとるように理解できたので,すぐに意気投合して,すっかり仲良しになった。ケルン大学の図書館(日本学専門の)をフリー・パスで利用できるようにしてくれたり(これはゼミの準備をする上でとても役に立った),家にまで招待されてご馳走になったり,ゼミのあと遅くまでビールを飲みながら語り合ったり・・・と思い出はつきない。
わたしのゼミのテーマは「身体論」。帰国後すぐに,このときのゼミの内容を整理して『身体論──スポーツ学的アプローチ』(叢文社,2003年)というタイトルで単行本にした。毎週,次週の授業内容をドイツ語に翻訳したもの(スクリプト)を学生に渡しておいて,それを議論するという形式でゼミを進めた。その予告用のスクリプトを作成するために,ケルン大学の日本学の図書館に通い,下書きをし,それをドイツ語に翻訳する,という作業で一週間はあっという間に過ぎて行った。こんなに密度の濃い時間を過ごしたのも初めてだった。そのとき65歳。これがとてもいい勉強になった。以後,このときの財産をさらに拡充することで,つぎからつぎへとテーマが生まれた。
さて,こんな話をはじめてしまうとこれまたエンドレス。
そうではなくて,主役はアンドレアス。
わたしは,このときのゼミで,しばしば西谷修さんの文献を取り上げ,それを下敷きにして身体論の仮説を提示した。このことがアンドレアスさんの脳裏に深く刻まれていたようで,その後に,西谷さんの著書をドイツ語に翻訳したいという連絡があった。そこで,アンドレアスさんの来日の折に,西谷さんを紹介し,直接,翻訳の交渉がはじまった。その結果,西谷さんが提示した著書が『不死のワンダーランド』(青土社,1990年)。
このテクストはハイデガーをいかに超克するかを説いた,かなり難解な哲学書ではあるが,ドイツ人の読者を想定したときには,これが一番。と,わたしは即座にそうおもった。たぶん,西谷さんもそのようにお考えだったとおもう。
しかし,ここからアンドレアスさんの日本語との格闘がはじまった。というよりは西谷さんの思想・哲学との格闘がはじまった。日本の読者ですら,このテクストを読める人は,相当にレベルの高い人に限定される,深い思考で練り上げられた,難度の高い専門書である。したがって,このテクストの翻訳は,日本語読解能力ではなくて,ハイデガーをめぐる1990年当時のあらゆる議論を網羅する思想・哲学を読解する能力が問われることになる。
翻訳の話がまとまってから約10年。アンドレアスさんは格闘をつづけたわけだ。それもじつに緻密に,西谷さんが提示した参考文献を一つひとつ精査し,自分で納得のいくところまで追い込んだ。その苦労話を引き出そうとすると,アンドレアスさんは「苦しくなるとビールを飲みながら考えた」とジョークを飛ばして,さらりと流す。そこを,西谷さんが,アンドレアスさんとのやりとりを紹介しながら,その質の高さを絶賛。
翻訳本をいただいて,帰りの電車のなかから読み始めた。まずは,訳者あとがき,から。そこには,じつに多くの人の力を借りて,この翻訳という仕事をなし遂げたか,がはっきりとわかる解説と謝辞が述べられている。この人は,明るく,ジョークを飛ばして,人を笑わせることが大好きな割には,仕事はじつに緻密で慎重だ,ということが伝わってくる。
その中には,わたしの名前まで挙げてあって,この翻訳のきっかけを与えてくれたのはInagaki Masahiroだと書いてある。びっくりすると同時に感動。ありがたいことである。わたしにとっても,とてもいい記念になるドイツ語訳の誕生である。
それよりも,なによりも,西谷修さんの『不死のワンダーランド』がドイツ人に読まれることになる,このことの重大さ,事件・事態を言祝ぎたい。なぜなら,わたしが滞在した2003年のドイツ・ケルンの大きな書店ですら,ハイデガーの本は一冊も置いてなかった。書店で聞いてみると,注文すれば「取り寄せる」という。ドイツ・スポーツ大学ケルンの何人かのスタッフに問いかけてみると,ハイデガーはヒトラーの協力者なので,われわれは全否定している。だから,だれもハイデガーの本を読む人はいない,という。たぶん,その情況はいまも大きく変わっているとはおもえない。
そういうドイツ人が圧倒的多数を占めるドイツの思想・哲学情況のなかに,この訳本がデヴューしたのである。これは,わたしの眼からすれば「事件」にも等しい。この本をまじめに読んだ人(哲学の専門家)は一様に驚くに違いない。本家本元のドイツが排除しようとしているハイデガーの哲学が,遠い日本の国で研究対象として取り上げられ,しかも,ハイデガーに関する最先端の議論(主としてフランス現代思想家たちの議論)を提示している,というこの事実に驚かないドイツの哲学者はいないはずだ。
さて,この翻訳本が,ドイツでどのような反響を呼ぶことになるのか,わたしは密かに期待している。
まずは,アンドレアスさんの忍耐強いお仕事にこころからの敬意と拍手を。そして,西谷さんに,その労作がドイツで紹介されることになった「事件」を,こころから喜び,ともに分かち合いたいとおもいます。
そして,お二人にこころからの祝意を表したいとおもいます。「おめでとうございます」。
何年ぶりだろうか,といろいろと思いを巡らす。
アンドレアス・ニーハウス。ベルギー・ゲント大学教授。もともとはドイツ・ケルン大学(日本学研究所)で教鞭をとっていた。そのときに,わたしと出会った。わたしがドイツ・スポーツ大学ケルン客員教授として招聘されたとき(いまから12年前),お隣のドイツ・ケルン大学から日本語・日本文化専攻の学生さんを引き連れて,わたしのゼミに参加してくれた人。そのときにひとかたならぬお世話になった。
この人,ひとくちで言ってしまえば「いい男」。じつに「いい男」なのだ。とにかくハートがいい。明るいし,まじめで,聰明。ジョーク好き。学位論文は嘉納治五郎研究(慶応大学)。内容が手にとるように理解できたので,すぐに意気投合して,すっかり仲良しになった。ケルン大学の図書館(日本学専門の)をフリー・パスで利用できるようにしてくれたり(これはゼミの準備をする上でとても役に立った),家にまで招待されてご馳走になったり,ゼミのあと遅くまでビールを飲みながら語り合ったり・・・と思い出はつきない。
わたしのゼミのテーマは「身体論」。帰国後すぐに,このときのゼミの内容を整理して『身体論──スポーツ学的アプローチ』(叢文社,2003年)というタイトルで単行本にした。毎週,次週の授業内容をドイツ語に翻訳したもの(スクリプト)を学生に渡しておいて,それを議論するという形式でゼミを進めた。その予告用のスクリプトを作成するために,ケルン大学の日本学の図書館に通い,下書きをし,それをドイツ語に翻訳する,という作業で一週間はあっという間に過ぎて行った。こんなに密度の濃い時間を過ごしたのも初めてだった。そのとき65歳。これがとてもいい勉強になった。以後,このときの財産をさらに拡充することで,つぎからつぎへとテーマが生まれた。
さて,こんな話をはじめてしまうとこれまたエンドレス。
そうではなくて,主役はアンドレアス。
わたしは,このときのゼミで,しばしば西谷修さんの文献を取り上げ,それを下敷きにして身体論の仮説を提示した。このことがアンドレアスさんの脳裏に深く刻まれていたようで,その後に,西谷さんの著書をドイツ語に翻訳したいという連絡があった。そこで,アンドレアスさんの来日の折に,西谷さんを紹介し,直接,翻訳の交渉がはじまった。その結果,西谷さんが提示した著書が『不死のワンダーランド』(青土社,1990年)。
このテクストはハイデガーをいかに超克するかを説いた,かなり難解な哲学書ではあるが,ドイツ人の読者を想定したときには,これが一番。と,わたしは即座にそうおもった。たぶん,西谷さんもそのようにお考えだったとおもう。
しかし,ここからアンドレアスさんの日本語との格闘がはじまった。というよりは西谷さんの思想・哲学との格闘がはじまった。日本の読者ですら,このテクストを読める人は,相当にレベルの高い人に限定される,深い思考で練り上げられた,難度の高い専門書である。したがって,このテクストの翻訳は,日本語読解能力ではなくて,ハイデガーをめぐる1990年当時のあらゆる議論を網羅する思想・哲学を読解する能力が問われることになる。
翻訳の話がまとまってから約10年。アンドレアスさんは格闘をつづけたわけだ。それもじつに緻密に,西谷さんが提示した参考文献を一つひとつ精査し,自分で納得のいくところまで追い込んだ。その苦労話を引き出そうとすると,アンドレアスさんは「苦しくなるとビールを飲みながら考えた」とジョークを飛ばして,さらりと流す。そこを,西谷さんが,アンドレアスさんとのやりとりを紹介しながら,その質の高さを絶賛。
翻訳本をいただいて,帰りの電車のなかから読み始めた。まずは,訳者あとがき,から。そこには,じつに多くの人の力を借りて,この翻訳という仕事をなし遂げたか,がはっきりとわかる解説と謝辞が述べられている。この人は,明るく,ジョークを飛ばして,人を笑わせることが大好きな割には,仕事はじつに緻密で慎重だ,ということが伝わってくる。
その中には,わたしの名前まで挙げてあって,この翻訳のきっかけを与えてくれたのはInagaki Masahiroだと書いてある。びっくりすると同時に感動。ありがたいことである。わたしにとっても,とてもいい記念になるドイツ語訳の誕生である。
それよりも,なによりも,西谷修さんの『不死のワンダーランド』がドイツ人に読まれることになる,このことの重大さ,事件・事態を言祝ぎたい。なぜなら,わたしが滞在した2003年のドイツ・ケルンの大きな書店ですら,ハイデガーの本は一冊も置いてなかった。書店で聞いてみると,注文すれば「取り寄せる」という。ドイツ・スポーツ大学ケルンの何人かのスタッフに問いかけてみると,ハイデガーはヒトラーの協力者なので,われわれは全否定している。だから,だれもハイデガーの本を読む人はいない,という。たぶん,その情況はいまも大きく変わっているとはおもえない。
そういうドイツ人が圧倒的多数を占めるドイツの思想・哲学情況のなかに,この訳本がデヴューしたのである。これは,わたしの眼からすれば「事件」にも等しい。この本をまじめに読んだ人(哲学の専門家)は一様に驚くに違いない。本家本元のドイツが排除しようとしているハイデガーの哲学が,遠い日本の国で研究対象として取り上げられ,しかも,ハイデガーに関する最先端の議論(主としてフランス現代思想家たちの議論)を提示している,というこの事実に驚かないドイツの哲学者はいないはずだ。
さて,この翻訳本が,ドイツでどのような反響を呼ぶことになるのか,わたしは密かに期待している。
まずは,アンドレアスさんの忍耐強いお仕事にこころからの敬意と拍手を。そして,西谷さんに,その労作がドイツで紹介されることになった「事件」を,こころから喜び,ともに分かち合いたいとおもいます。
そして,お二人にこころからの祝意を表したいとおもいます。「おめでとうございます」。
0 件のコメント:
コメントを投稿