「まさひろ君,ぼくの書く小説はフィクションだから,誤解しないように」,とかつてみずおさんから言われたことを思い出す。稲垣瑞雄。わたしより7歳上の従兄弟。敗戦直後に,田舎の小寺で二家族が一緒に暮らしたことがある。わたしたちが市内の空襲で焼け出され,住むところがなく,転々と転居していたころのことである。
一緒に暮らした期間は長くはなかったが,みずおさんからはとても多くのことを教えてもらった。年齢差もあったので,大きな包容力のなかで可愛がってもらったようにおもう。たとえば,魚釣り。あるいは,メジロ捕り。あけび採り。もっぱら野外活動。敗戦直後なので,これといった遊具はなにもなかった。だから,野外の自然を相手にするしかなかったのだ。
いまにしておもえば,時間が止まっていたかとおもわれるほどゆったりとした時間の流れのなかで,釣りを楽しみ,メジロ捕りに夢中になり,あけびを探してまわった。話術も巧みな人だったので,面白い話もいっぱいしてくれた。なかには,即興の物語もあったりして,おもわず本気にしてしまったこともある。すると,かならず,いまのは作り話,と言って笑った。
昨年の暮れに,奥さんののぶこさんから『曇る時』が送られてきた。わたしは,東京新聞の一面下の広告欄にこの本が載っていたので,購入しなくては・・・とおもっていた矢先だった。奥さんと二人で刊行していた同人誌『双鷲』に掲載された作品が中心だったので,朧げながら記憶があった。しかし,こうして一冊にまとまり,通読すると,その迫力はまったく違うものになる。
なんともはや重苦しい作品であることか。これが第一印象。主人公の曳三が脳血栓で倒れてから,かれの不可解な言動が病気によるものなのか,あるいは,生来の性格によるものなのか,その判断がつかず周囲の者が振り回される。なにか問題が起きるたびに曳三の長兄が間に入って,ことを収めようと腐心する。その人間模様が精緻に描かれている。
しかし,この物語に登場する人物のモデルとなっている人たちの多くを,わたしはよく知っているために,しばしば実物と創作上の人物とが混同してしまう。主人公の曳三は,わたしと一歳違いの従兄弟である。同じ高校に通っていたので,校内で会えば手を挙げて笑顔を返してくれた。その笑顔はとても印象に残る,いい笑顔だった。そして,仲裁役の長兄は作者自身。
作者の描きたかったことは,たぶん,脳血栓という病気の後遺症による身体の障害とこころの障害の間(あわい)に漂う不可思議な言動であり,それに振り回される人物たちをとおして,人が「生きる」ということの意味を問うことにあったのではないか,とこれはわたしの感想である。仲裁に入る長兄も必死なら,なんとか病気から立ち直ろうとする曳三も必死だ。その必死さが,必死であればあるほど,微妙にスレ違っていく。善意とも悪意ともいわくいいがたい世界を必死で生きる曳三。なんとも頼りない時空間がそこには広がっている。
兄弟とはいえ,病気の後遺症というバイアスがかかってしまうと,一挙に遠い存在となってしまう。意思疎通がままならなくなる。これはある意味では仕方のないことだ。しかし,病気になる前も,曳三と長兄は,お互いに認め合いつつもどこかすきま風が吹いていた様子も描かれている。じつは,ここにもうひとつの大きなモチーフが隠されてもいる。言ってしまえば,かつての母親の「家出」をめぐる,二人の受け止め方や対応の違いがその根にあるようだ。だから,長兄の苦悩はますます深くなっていく。
このあたりのことも,わたしはフィクションと実話の間をさまようことになる。いっそのこと実話を知らない方がこの作品を素直に読めたのではないかという思いと,いやいや,実話と重ね合わせになることによってもっと深い意味を読み取ることができたのだ,という思いとが交叉する。
作者には,母親の「家出」をモチーフとする小説もあるので,そこに描かれたイメージとも共鳴しながら,わたしは,じつに複雑な気持ちでこの作品を熟読玩味した。当然のことながら,父親にもいろいろと問題があって,それも作品になっている。だから,この作品は曳三と長兄の関係が主たるモチーフになっているが,同時に,これまで書かれてきた家族をテーマにした私小説のすべてが共振・共鳴して,まるでオーケストラが鳴り響いているような気持ちになってくる。
考えてみれば,みずおさんの家族は,それぞれに波瀾万丈の生活を送っていたんだなぁ,といまさらのように思い返されてくる。そして,それが作家・稲垣瑞雄を誕生させる源泉でもあったのではないか,と。しかし,かれを作家たらしめる引き金となったのは,ほかに理由がある。それは,かれが旧制中学の生徒だったときの忘れがたい経験がトラウマとなっている。ひとことで言ってしまえば,戦争というものの非情な現実と避けがたく向き合わざるを得なかったことだ。
このことも,かれの作品のなかに描かれているので(何回にもわたって),そちらをご覧いただきたい。「稲垣瑞雄」で検索してみればすぐにわかります。
ということで,今日のところはここまで。
一緒に暮らした期間は長くはなかったが,みずおさんからはとても多くのことを教えてもらった。年齢差もあったので,大きな包容力のなかで可愛がってもらったようにおもう。たとえば,魚釣り。あるいは,メジロ捕り。あけび採り。もっぱら野外活動。敗戦直後なので,これといった遊具はなにもなかった。だから,野外の自然を相手にするしかなかったのだ。
いまにしておもえば,時間が止まっていたかとおもわれるほどゆったりとした時間の流れのなかで,釣りを楽しみ,メジロ捕りに夢中になり,あけびを探してまわった。話術も巧みな人だったので,面白い話もいっぱいしてくれた。なかには,即興の物語もあったりして,おもわず本気にしてしまったこともある。すると,かならず,いまのは作り話,と言って笑った。
昨年の暮れに,奥さんののぶこさんから『曇る時』が送られてきた。わたしは,東京新聞の一面下の広告欄にこの本が載っていたので,購入しなくては・・・とおもっていた矢先だった。奥さんと二人で刊行していた同人誌『双鷲』に掲載された作品が中心だったので,朧げながら記憶があった。しかし,こうして一冊にまとまり,通読すると,その迫力はまったく違うものになる。
なんともはや重苦しい作品であることか。これが第一印象。主人公の曳三が脳血栓で倒れてから,かれの不可解な言動が病気によるものなのか,あるいは,生来の性格によるものなのか,その判断がつかず周囲の者が振り回される。なにか問題が起きるたびに曳三の長兄が間に入って,ことを収めようと腐心する。その人間模様が精緻に描かれている。
しかし,この物語に登場する人物のモデルとなっている人たちの多くを,わたしはよく知っているために,しばしば実物と創作上の人物とが混同してしまう。主人公の曳三は,わたしと一歳違いの従兄弟である。同じ高校に通っていたので,校内で会えば手を挙げて笑顔を返してくれた。その笑顔はとても印象に残る,いい笑顔だった。そして,仲裁役の長兄は作者自身。
作者の描きたかったことは,たぶん,脳血栓という病気の後遺症による身体の障害とこころの障害の間(あわい)に漂う不可思議な言動であり,それに振り回される人物たちをとおして,人が「生きる」ということの意味を問うことにあったのではないか,とこれはわたしの感想である。仲裁に入る長兄も必死なら,なんとか病気から立ち直ろうとする曳三も必死だ。その必死さが,必死であればあるほど,微妙にスレ違っていく。善意とも悪意ともいわくいいがたい世界を必死で生きる曳三。なんとも頼りない時空間がそこには広がっている。
兄弟とはいえ,病気の後遺症というバイアスがかかってしまうと,一挙に遠い存在となってしまう。意思疎通がままならなくなる。これはある意味では仕方のないことだ。しかし,病気になる前も,曳三と長兄は,お互いに認め合いつつもどこかすきま風が吹いていた様子も描かれている。じつは,ここにもうひとつの大きなモチーフが隠されてもいる。言ってしまえば,かつての母親の「家出」をめぐる,二人の受け止め方や対応の違いがその根にあるようだ。だから,長兄の苦悩はますます深くなっていく。
このあたりのことも,わたしはフィクションと実話の間をさまようことになる。いっそのこと実話を知らない方がこの作品を素直に読めたのではないかという思いと,いやいや,実話と重ね合わせになることによってもっと深い意味を読み取ることができたのだ,という思いとが交叉する。
作者には,母親の「家出」をモチーフとする小説もあるので,そこに描かれたイメージとも共鳴しながら,わたしは,じつに複雑な気持ちでこの作品を熟読玩味した。当然のことながら,父親にもいろいろと問題があって,それも作品になっている。だから,この作品は曳三と長兄の関係が主たるモチーフになっているが,同時に,これまで書かれてきた家族をテーマにした私小説のすべてが共振・共鳴して,まるでオーケストラが鳴り響いているような気持ちになってくる。
考えてみれば,みずおさんの家族は,それぞれに波瀾万丈の生活を送っていたんだなぁ,といまさらのように思い返されてくる。そして,それが作家・稲垣瑞雄を誕生させる源泉でもあったのではないか,と。しかし,かれを作家たらしめる引き金となったのは,ほかに理由がある。それは,かれが旧制中学の生徒だったときの忘れがたい経験がトラウマとなっている。ひとことで言ってしまえば,戦争というものの非情な現実と避けがたく向き合わざるを得なかったことだ。
このことも,かれの作品のなかに描かれているので(何回にもわたって),そちらをご覧いただきたい。「稲垣瑞雄」で検索してみればすぐにわかります。
ということで,今日のところはここまで。
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