迷いのない鋭い立ち合いから左差し,右おっつけ,そして得意のがぶり寄り。かつて大関に昇進したころのいい相撲がもどってきた。この自分の相撲を取りきることに集中した,今場所の琴奨菊の強い気持ちが,これまたみごと。膝の状態もいいようで,立ち合いの馬力といい,がぶり寄りの両足のバネといい,申し分がない。この相撲で横綱3連戦をみごとに突破。残り3日の相撲を自分の型で取りきれば,悲願達成となる。
この悲願達成にはふたつの意味がある。ひとつは,琴奨菊個人の,長年にわたる怪我を克服しての優勝。もうひとつは,10年ぶりの日本生まれの力士による優勝。さて,この悲願の達成はなるか。日本中の相撲ファンが,明日からの琴奨菊の相撲に注目することになる。
わたしの予想は,いまの気持ちが乱れないかぎり琴奨菊の全勝優勝は固い,とみる。しかし,優勝が目の前に迫ってくると,人間は穏やかではなくなってくる。あとは,自分との闘いだ。いまの琴奨菊ならやってくれそうだ。これまでの集中力を維持すること,そして,いまの立ち合いで,からだを密着させ,前に出る圧力があれば,得意の自分の型に持ち込むことは可能だ。
そうすれば,全勝優勝も夢ではない。
ところで,今日の横綱・日馬富士との一番。
今場所の日馬富士の調子は悪くない。先場所よりもずっといい。からだの切れ味がいい。立ち合い,真っ正面から当たって一気に押し出してしまう相撲も何番かあった。日馬富士自身も相当に自信をもって土俵に上がっている,と見受けられた。だから,今日の相撲も,堂々と真っ向勝負にでる,とみていた。
この予想は当たった。しかし,意外だったのは,立ち合い。いつもの低く,下から矢が突き刺さるような鋭い立ち合いではなかった。やや焦ったか,腰が十分に降りる前に立っていった。その分,相手への圧力不足。むしろ,琴奨菊の立ち合いの方がよかった。そして,そのあとの馬力も琴奨菊の方が勝っていた。だから,からだが密着したままの差し手争いとなった。その結果,胸を合わせたままの左四つ,琴奨菊の組み手になった。となれば,迷わず寄ってでた琴奨菊の相撲となった。右のおっつけが効いていたので,最後は右からの突き落とし。
わたしは,もう一つの予想もしていた。
今場所の琴奨菊の勢いは尋常ではない。まとも行ったら,立ち合い負けする可能性がある。だから,右からのど輪で攻めて相手の上体をのけ反らせておいてから,左に飛んで上手をとり,得意の出し投げで転がす。いつもの常勝のパターンである。日馬富士の頭のなかには,当然のことながら,この作戦はあったはずだ。しかし,この選択を避けた。なぜなら,横綱が変化して勝ちにこだわった,とあとで批判されるのを快しとしなかったのだろう。ならば,今場所の立ち合いの鋭さに自信があるかぎり,真っ向勝負を挑むべきだ,と。
しかし,立ち合いに失敗した。ほんのわずかな腰の高さが,相手の胸に突き刺さるだけの威力にはならなかった。これが敗因のすべてだ。となれば,琴奨菊の思うつぼだ。その瞬間から,流れは琴奨菊の相撲となった。
この一番は,平常心を貫いた琴奨菊を褒めるべきだろう。相手を睨みつけるわけでもなく,また,厳しい表情をするわけでもなく,いつもどおりのふつうの顔のまま。どこか悟り切っているかのような雰囲気すら漂わせている。この自然体の発するオーラのようなものに,3横綱全員がのまれてしまっていたのだろうか,といまとなっておもう。
琴奨菊は,土俵を降りてからも,眼を閉じて瞑目したまま。じっと,余韻を楽しむかのように,自分の気持ちと向き合っている。まるで悟りを開いた禅僧のようだ。自分ひとりの世界を遊んでいる。遊戯三昧の境地。先場所までの琴奨菊とは生まれ変わったかのような姿に感動すら覚える。立派なものである。
横綱3連戦を無敗で突破した,この実績は琴奨菊にとっては大きな,大きな自信になったに違いない。この相撲を取りきれば負けることはない,と。だから,この道を行けばいいのだ,と。こころの自信もさることながら,からだに叩き込まれた自信はなにものにも代えがたい,大きな財産となる。
今日の一番を終えて,琴奨菊は,一皮も二皮も剥けて,すっかり生まれ変わったに違いない。明日からも迷わず,この相撲を取りきれば,全勝優勝は固い。
でも,これからの三日間の方がプレッシャーは大きいかもしれない。なぜなら,横綱戦は負けてもともと。しかし,下位との闘いは負けるわけにはいかない。その差は大きい。さて,ここのところをどのようにクリアするか,明日からの琴奨菊に注目したい。
まずは,琴奨菊にこころからのエールを送りたい。頑張れ,琴奨菊!
この悲願達成にはふたつの意味がある。ひとつは,琴奨菊個人の,長年にわたる怪我を克服しての優勝。もうひとつは,10年ぶりの日本生まれの力士による優勝。さて,この悲願の達成はなるか。日本中の相撲ファンが,明日からの琴奨菊の相撲に注目することになる。
わたしの予想は,いまの気持ちが乱れないかぎり琴奨菊の全勝優勝は固い,とみる。しかし,優勝が目の前に迫ってくると,人間は穏やかではなくなってくる。あとは,自分との闘いだ。いまの琴奨菊ならやってくれそうだ。これまでの集中力を維持すること,そして,いまの立ち合いで,からだを密着させ,前に出る圧力があれば,得意の自分の型に持ち込むことは可能だ。
そうすれば,全勝優勝も夢ではない。
ところで,今日の横綱・日馬富士との一番。
今場所の日馬富士の調子は悪くない。先場所よりもずっといい。からだの切れ味がいい。立ち合い,真っ正面から当たって一気に押し出してしまう相撲も何番かあった。日馬富士自身も相当に自信をもって土俵に上がっている,と見受けられた。だから,今日の相撲も,堂々と真っ向勝負にでる,とみていた。
この予想は当たった。しかし,意外だったのは,立ち合い。いつもの低く,下から矢が突き刺さるような鋭い立ち合いではなかった。やや焦ったか,腰が十分に降りる前に立っていった。その分,相手への圧力不足。むしろ,琴奨菊の立ち合いの方がよかった。そして,そのあとの馬力も琴奨菊の方が勝っていた。だから,からだが密着したままの差し手争いとなった。その結果,胸を合わせたままの左四つ,琴奨菊の組み手になった。となれば,迷わず寄ってでた琴奨菊の相撲となった。右のおっつけが効いていたので,最後は右からの突き落とし。
わたしは,もう一つの予想もしていた。
今場所の琴奨菊の勢いは尋常ではない。まとも行ったら,立ち合い負けする可能性がある。だから,右からのど輪で攻めて相手の上体をのけ反らせておいてから,左に飛んで上手をとり,得意の出し投げで転がす。いつもの常勝のパターンである。日馬富士の頭のなかには,当然のことながら,この作戦はあったはずだ。しかし,この選択を避けた。なぜなら,横綱が変化して勝ちにこだわった,とあとで批判されるのを快しとしなかったのだろう。ならば,今場所の立ち合いの鋭さに自信があるかぎり,真っ向勝負を挑むべきだ,と。
しかし,立ち合いに失敗した。ほんのわずかな腰の高さが,相手の胸に突き刺さるだけの威力にはならなかった。これが敗因のすべてだ。となれば,琴奨菊の思うつぼだ。その瞬間から,流れは琴奨菊の相撲となった。
この一番は,平常心を貫いた琴奨菊を褒めるべきだろう。相手を睨みつけるわけでもなく,また,厳しい表情をするわけでもなく,いつもどおりのふつうの顔のまま。どこか悟り切っているかのような雰囲気すら漂わせている。この自然体の発するオーラのようなものに,3横綱全員がのまれてしまっていたのだろうか,といまとなっておもう。
琴奨菊は,土俵を降りてからも,眼を閉じて瞑目したまま。じっと,余韻を楽しむかのように,自分の気持ちと向き合っている。まるで悟りを開いた禅僧のようだ。自分ひとりの世界を遊んでいる。遊戯三昧の境地。先場所までの琴奨菊とは生まれ変わったかのような姿に感動すら覚える。立派なものである。
横綱3連戦を無敗で突破した,この実績は琴奨菊にとっては大きな,大きな自信になったに違いない。この相撲を取りきれば負けることはない,と。だから,この道を行けばいいのだ,と。こころの自信もさることながら,からだに叩き込まれた自信はなにものにも代えがたい,大きな財産となる。
今日の一番を終えて,琴奨菊は,一皮も二皮も剥けて,すっかり生まれ変わったに違いない。明日からも迷わず,この相撲を取りきれば,全勝優勝は固い。
でも,これからの三日間の方がプレッシャーは大きいかもしれない。なぜなら,横綱戦は負けてもともと。しかし,下位との闘いは負けるわけにはいかない。その差は大きい。さて,ここのところをどのようにクリアするか,明日からの琴奨菊に注目したい。
まずは,琴奨菊にこころからのエールを送りたい。頑張れ,琴奨菊!
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