2013年9月18日水曜日

オリンピックとマネー・ゲーム。その4.「より速く,より高く,より強く」はIOCのマネー・ゲームのモットーだった,のか?

 「より速く,より高く,より強く」は,オリンピックのモットーである,などということはいまでは小学生でも知っているかもしれません。そして,だれもが発育・成長段階のどこかで「より速く,より高く,より強く」なりたいとおもったことでしょう。人間であれば,だれだって,できることなら「より速く,より高く,より強く」なりたいとおもうのはごく自然なことです。これは,ほとんど本能にも近い人間の願望ですので,だれも止めることはできません。ましてや,アスリートであれば,なおさらのことです。ですから,オリンピックのモットーとして,この標語が採用され,多くの人に支持されてきたのも,当然といえば当然のことです。

 人間が「より速く,より高く,より強く」と希求するのは,言ってしまえば,自分の限界を乗り越えて,さらに高いレベルに到達することに限りない快感を覚えるからです。いままでできなかったことができるようになる,自己記録が更新できた,いままで勝てなかった相手に勝てるようになる,こういう経験はなにものにも代えがたい特別の快感です。ましてや,世界の頂点に立つ,世界新記録を出す,神がかりにも等しい美しい演技ができた,という経験はまさに選ばれた人にしか与えられないものです。それは,地球上のたったひとりの,その瞬間での経験でしかありません。こういう経験をした人たちは,みんな,「神」の降臨をみています。ですから,アスリートは感動のあまり,感涙にむせぶことになります。アスリートになる醍醐味はここにあります。

 同時に,そういうパフォーマンスに立ち会うこと,自分のこの眼で見届けること,アスリートとともに同じ時空間を共有すること,などが観衆をも感動の渦に巻き込んでいきます。必死になって夢中で応援をしている観衆にとっては,まるで,自分が体験したかのような錯覚にとらわれます。身もこころもアスリートと一体化してしまいます。ですから,まるでわがことのように感動に打ち震えます。スポーツを観戦し,応援する醍醐味はここに尽きます。

 いまでは,この感動を茶の間のテレビで味わうことができます。場合によっては,いろいろに脚色もされて報道されますので,また,違った感動を味わうことにもなります。言ってしまえば,神話的世界に感動してしまいます。いまでは,テレビが普及していますので,圧倒的多数のスポーツ観戦者はテレビ観戦者です。そして,テレビ報道という,ある一定の脚色されたスポーツを,真実のスポーツだと信じて疑いません。いな,これこそが,こんにちのスポーツのイメージであり,広く理解されているスポーツの実態だというべきでしょう。じつは,ここにひとつ重大な問題が隠されていますが,今回は割愛。

 さて,「より速く,より高く,より強く」というオリンピック・モットーはまことに言いえて妙だと,これまた感動してしまいます。ですから,このモットーに多くの人たちが強く惹かれ,なんの疑念もなくスポーツの感動を味わってきました。

 しかし,このオリンピック・モットーが,いつのまにかIOCのマネー・ゲームのモットーにも活かされていたとしたらどうでしょうか。その萌芽はかなり早い時期から確認することができますが,その画期となったのは,1984年のロサンゼルス大会でした。開催都市の税金をいっさい使わないで,多大な収益を残したP.ユベロスが,その開拓者でした。よく知られているように,テレビの放映権を入札制度を導入して落札させるという,まったく新たな方法を編み出したのも,ユベロスでした。あるいは,聖火リレーを金融化して売りに出すというアイディアもまた,ユベロスのものでした。そうして,やはり多くの収益を生み出しています。これらはそれ以前にはなかった,この大会からはじまったオリンピックの新しい収入源でした。こうして,オリンピックはさまざまに切り刻まれて商品化できるものは商品化され,競売に出されるということが,この大会をとおして一気に加速されることになります。

 なかでも,もっとも大きな収益を生むことがはっきりしたテレビ放映権の売買にIOCの会長が注目します。そして,これを大会組織委員会に委ねておく手はないと考えました。当時のIOC会長サラマンチはIOCのなかに放映権交渉委員会を設け,ここで一括して放映権を取り扱うことになります。1988年のソウル大会以後のテレビ放映権に関する交渉はすべてIOCのなかのこの委員会が引き受けることになりました。かくして,巨額のマネーがIOCのふところに転がりこむことになります。このときから,IOCの狂気は加速されていきます。

 そうして,とうとう,いつのまにか,入札制度も廃止してしまい,放映権交渉委員会が窓口になって,より高額な契約をとりつける方向に突き進んでいきます。こうして,IOCは「収入の最大化」をめざす組織へと変身していきます。しかも,IOCは収支の決算報告を明らかにすることが義務づけられていません。ですから,契約を結んだ企業側が金額を明かさないかぎり,その額すらわかりません。IOCは非営利団体であることを逆手にとって,どれだけの収益があって,それがどのように支出されているのかを明らかにはしていません。ですから,闇から闇へと巨額なマネーが流れていることになります。言ってしまえば,IOC委員はその甘い汁を吸っているという次第です。

 やがては,複数大会の放映権を同時に契約するようになります。しかも,入札制度ではありませんので,IOCが「OK」を出すまでは,個別に条件交渉が行われます。こうなりますと,企業側は他のどの企業よりも,「より速く,より高く,より強く」,IOCの放映権交渉委員会との契約をとりつけるべく,法外な金額を提示しなければならなくなっていきます。ついには,開催都市もまだ決まっていないのに,前倒しをして,他の企業に取られないように,複数年前倒し契約,などというとんでもないことまで行われるようになります。

 このほかにも,IOCがかかわっているマネー・ゲームがありますが,割愛します。まあ,驚くべきマネー・ゲームのシステムがIOCのなかに仕掛けられていることは間違いありません。そして,その傾向を改めるという話はありません。いったい,IOCという組織はどこに向かって進んでいくのでしょうか。おそらくは,オリンピック憲章も忘れてしまい,行き先不明の,まるで「失見当識」患者のようです。

 そういうIOC委員たちに選ばれた東京は,はたして喜ぶべきでしょうか。ここにも大きな問題が横たわっているようです。

 取り急ぎ,今日はここまで。

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