ことしの「3.11」を通過するとき,これまでなにをしてきたのだろうか,と自責の念にかられた。ひとりの人間として,なにをしてきたのだろうか,と。ただ,呆然として,傍観してきたのではなかったか。たった一度だけ,被災地巡りをして,その惨状をまのあたりにし,呆然自失のままではなかったか。このままでいいのだろうか,と。
あえて自己弁護をするとすれば,このブログをとおして,ささやかながらも自分の考えを述べ,少しでも多くの人と思いを共有する努力をしたことぐらい,だろうか。あるいは,被災者の方からのメールのやりとりが若干あって,いくらかの聞き役をはたすことができたかな,という程度。最近になって,FBをはじめたので,そこで思いを共有できる人たちとリンクを張り,情報を拡散することにつとめている,という程度。もちろん,月例研究会で集まってくる仲間たちとは,折に触れ,「3.11」を話題にとりあげ,意見交換はしている。
ひとりの人間のできることは,ほんのささやかなことでしかない。でも,できる範囲で,できることをやる,これ以外にはない・・・と自分を慰める。でも,どこか忸怩たるものが残る。虚しいのだ。この虚しさとは裏腹に,「3.11」をめぐる諸問題に関する思考だけは,徐々に深くなっていく。そして,いまの日本という国家の尋常一様ではない「狂い方」が次第に明白となってくる。すると,こんどは焦りにも似た不安が頭をもたげてくる。
3月に入ってこのかた,折をみつけては『3.11を心に刻んで 2015』(岩波書店編集部編,岩波ブックレットNo.920. 2015年3月5日第一刷発行)を開いて,あちこち拾い読みをしてすごしている。このブログの見出しに用いた「今は震災後ではありません。次の震災の前です」(女川中学校生徒のことば)は,この本の61ページからの引用である。
このことばがわたしの眼に飛び込んできたとき,虚を突かれた。そうか。「次の震災の前」か,と。中学生の感性に脱帽である。
大地震や巨大津波のような震災はかならずやってくる。大昔から繰り返されてきた地球の,ごく自然な活動なのだ。だから,これまでも,これからも,かならずやってくる。わたしたちはこの大震災と大震災の間を生きているにすぎないのだ。こんな当たり前のことを,すっかり忘れて,大震災を力で抑え込もうと必死になってあがいている。
大震災に遭遇したことはもはやいたしかたのないことだ。この震災からなにを学び,つぎの震災にどのように備えるべきか,そのことを考えよう,とこの女川中学校の生徒は,じつに素直なことばで表現している。そのあまりの素直さに,わたしは虚を突かれた。つまり,これ以上でも,これ以下でもない,これだけが真実だから。
これからの一年はこのことばを胸に刻んで,「3.11」を考え,行動をしていこうとおもう。言ってしまえば,思考や行動の原点なのだから。
このブックレットの成り立ちや執筆者や構成などについてはここでは省略する。ただ,つぎのことだけは必要な情報だとおもうので書いておく。
このブックレットのHPのアドレスは以下のとおり。
http://www.iwanami.co.jp/311/
ここを開けば,この本の内容も読める。毎月,3名の人が執筆を担当し,その一年分をまとめてブックレットとして刊行。これを繰り返して,この本が第3号。だから,来年もでる。いまも進行形。含蓄のあることばが満載。熟読玩味するに値する。お薦めである。
あえて自己弁護をするとすれば,このブログをとおして,ささやかながらも自分の考えを述べ,少しでも多くの人と思いを共有する努力をしたことぐらい,だろうか。あるいは,被災者の方からのメールのやりとりが若干あって,いくらかの聞き役をはたすことができたかな,という程度。最近になって,FBをはじめたので,そこで思いを共有できる人たちとリンクを張り,情報を拡散することにつとめている,という程度。もちろん,月例研究会で集まってくる仲間たちとは,折に触れ,「3.11」を話題にとりあげ,意見交換はしている。
ひとりの人間のできることは,ほんのささやかなことでしかない。でも,できる範囲で,できることをやる,これ以外にはない・・・と自分を慰める。でも,どこか忸怩たるものが残る。虚しいのだ。この虚しさとは裏腹に,「3.11」をめぐる諸問題に関する思考だけは,徐々に深くなっていく。そして,いまの日本という国家の尋常一様ではない「狂い方」が次第に明白となってくる。すると,こんどは焦りにも似た不安が頭をもたげてくる。
3月に入ってこのかた,折をみつけては『3.11を心に刻んで 2015』(岩波書店編集部編,岩波ブックレットNo.920. 2015年3月5日第一刷発行)を開いて,あちこち拾い読みをしてすごしている。このブログの見出しに用いた「今は震災後ではありません。次の震災の前です」(女川中学校生徒のことば)は,この本の61ページからの引用である。
このことばがわたしの眼に飛び込んできたとき,虚を突かれた。そうか。「次の震災の前」か,と。中学生の感性に脱帽である。
大地震や巨大津波のような震災はかならずやってくる。大昔から繰り返されてきた地球の,ごく自然な活動なのだ。だから,これまでも,これからも,かならずやってくる。わたしたちはこの大震災と大震災の間を生きているにすぎないのだ。こんな当たり前のことを,すっかり忘れて,大震災を力で抑え込もうと必死になってあがいている。
大震災に遭遇したことはもはやいたしかたのないことだ。この震災からなにを学び,つぎの震災にどのように備えるべきか,そのことを考えよう,とこの女川中学校の生徒は,じつに素直なことばで表現している。そのあまりの素直さに,わたしは虚を突かれた。つまり,これ以上でも,これ以下でもない,これだけが真実だから。
これからの一年はこのことばを胸に刻んで,「3.11」を考え,行動をしていこうとおもう。言ってしまえば,思考や行動の原点なのだから。
このブックレットの成り立ちや執筆者や構成などについてはここでは省略する。ただ,つぎのことだけは必要な情報だとおもうので書いておく。
このブックレットのHPのアドレスは以下のとおり。
http://www.iwanami.co.jp/311/
ここを開けば,この本の内容も読める。毎月,3名の人が執筆を担当し,その一年分をまとめてブックレットとして刊行。これを繰り返して,この本が第3号。だから,来年もでる。いまも進行形。含蓄のあることばが満載。熟読玩味するに値する。お薦めである。
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