まずは,第5節の文言を引いておきましょう。
善悪(ぜんあく)の報(ほう)に三時(さんじ)あり。一者(ひとつには)順現報受(じゅんげんほうじゅ),二者(ふたつには)順次生受(じゅんじしょうじゅ),三者(みっつには)順後次受(じゅんごじじゅ)これを三時(さんじ)という,仏祖(ぶっそ)の道(どう)を修習(しゅじゅう)するには,其(その)最初(さいしょ)より斯(この)三時(さんじ)の業報(ごっぽう)の理(り)を効(なら)い験(あき)らむるなり,〇(しか)あらざれば多(おお)く錯(あやま)りて邪見(じゃけん)に堕(お)つるなり,但(ただ)邪見に堕(お)つるのみに非(あら)ず悪道(あくどう)に堕(お)ちて長時(ちょうじ)の苦(く)を受(う)く。
仏教の教えには深い意味があって,その読解にはいろいろのレベルがある,と世間ではよく言われています。しかし,道元さんはそんなことは言ってはいません。それを証明する典型的なことばが「修証一等」です。修行することと悟り(証)とは一つのことであり,この二つはまったく等しいのだ,と説きます。つまり,頑張って苦行をすれば高いレベルの悟りに到達することなどはありません,と。そして,いま,あるがままの姿がそのまま悟りなのだ,と説いています。この教えを,いろいろな場面に当てはめて,順々に説いているのがこの『修証義』です。
すなわち,修行するとはどういうことなのか,そして,悟りとはどういうことなのか,そのことの教えを説いたもの,それが『修証義』です。
この第5節では,「善悪」の問題をとりあげています。因果応報といいますが,善悪も同じです。つまり,「善因善果」,「悪因悪果」というわけです。善い行いをすれば善いことがある,悪い行いをすれば悪いことがある,というきわめて単純な教えです。
ただし,この因果応報の現れ方には三つの時間(三時)・時差がある,といいます。それは現世(順現),来世(順次),来々世(順後)だ,と。つまり,因果応報は,いますぐ現世で現れ受けるもの(報受)と,死後の来世で受けるもの(生受)と,二度死んだあとの来々世で受けるもの(次受)の,三世にわたって現れるのだ,というわけです。
ですから,因果応報を短絡的に考えてはいけません。この世とあの世と,さらにそのつぎの世との三世にわたって,その報いが現れる,というわけです。これは恐ろしいことです。ですから,仏道に分け入ろうとする者は,まず最初に,この三時の業報(因果応報)があるということを,しっかりと頭に叩き込んでおくことが肝要である,と道元さんは説きます。
このことをしっかりと弁えていないと,ほとんどの人は「邪見」に囚われてしまうことになり,目先の欲得に惑わされてしまうことになりますよ,と。しかも,それだけではなくやがては悪道に走ることになりますよ,と。その結果は,地獄に堕ちてしまい,幾世にもわたって苦しむことになるのですよ,と。のみならず,子や孫や,その末代までも因果は及ぶのですよ,と。
「親の因果が子に報い」とはこのことを意味しています。
言ってみれば,仏教の基本的な考え方である「輪廻転生」(りんねてんしょう)を,別のヴァージョンで説いた教え,それが「善悪の報に三時あり」というわけです。
善悪(ぜんあく)の報(ほう)に三時(さんじ)あり。一者(ひとつには)順現報受(じゅんげんほうじゅ),二者(ふたつには)順次生受(じゅんじしょうじゅ),三者(みっつには)順後次受(じゅんごじじゅ)これを三時(さんじ)という,仏祖(ぶっそ)の道(どう)を修習(しゅじゅう)するには,其(その)最初(さいしょ)より斯(この)三時(さんじ)の業報(ごっぽう)の理(り)を効(なら)い験(あき)らむるなり,〇(しか)あらざれば多(おお)く錯(あやま)りて邪見(じゃけん)に堕(お)つるなり,但(ただ)邪見に堕(お)つるのみに非(あら)ず悪道(あくどう)に堕(お)ちて長時(ちょうじ)の苦(く)を受(う)く。
すなわち,修行するとはどういうことなのか,そして,悟りとはどういうことなのか,そのことの教えを説いたもの,それが『修証義』です。
この第5節では,「善悪」の問題をとりあげています。因果応報といいますが,善悪も同じです。つまり,「善因善果」,「悪因悪果」というわけです。善い行いをすれば善いことがある,悪い行いをすれば悪いことがある,というきわめて単純な教えです。
ただし,この因果応報の現れ方には三つの時間(三時)・時差がある,といいます。それは現世(順現),来世(順次),来々世(順後)だ,と。つまり,因果応報は,いますぐ現世で現れ受けるもの(報受)と,死後の来世で受けるもの(生受)と,二度死んだあとの来々世で受けるもの(次受)の,三世にわたって現れるのだ,というわけです。
ですから,因果応報を短絡的に考えてはいけません。この世とあの世と,さらにそのつぎの世との三世にわたって,その報いが現れる,というわけです。これは恐ろしいことです。ですから,仏道に分け入ろうとする者は,まず最初に,この三時の業報(因果応報)があるということを,しっかりと頭に叩き込んでおくことが肝要である,と道元さんは説きます。
このことをしっかりと弁えていないと,ほとんどの人は「邪見」に囚われてしまうことになり,目先の欲得に惑わされてしまうことになりますよ,と。しかも,それだけではなくやがては悪道に走ることになりますよ,と。その結果は,地獄に堕ちてしまい,幾世にもわたって苦しむことになるのですよ,と。のみならず,子や孫や,その末代までも因果は及ぶのですよ,と。
「親の因果が子に報い」とはこのことを意味しています。
言ってみれば,仏教の基本的な考え方である「輪廻転生」(りんねてんしょう)を,別のヴァージョンで説いた教え,それが「善悪の報に三時あり」というわけです。
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