ほんとうに税金の無駄としかいいようのない国会での茶番が,あまりにも馬鹿馬鹿しくて,みてられない。しかし,それでも黙って見過ごすわけにもいかず,あちこちにアンテナを張って,きちんとした判断ができる程度の情報だけは集める努力をしている。
このところの日課になっているのは,まずは,この人の情報なら大丈夫という信頼できる人の情報をインターネットをとおして蒐集し,それから,やおら東京新聞を読み,あとは遅い夕食のつづきでNHKの「ニュースウオッチ9」をみて,その流れでテレビ朝日の「報道ステーション」をみること。これだけで一日の大半を費やすことになってしまう。
とりわけ,テレビのニュースはからだに悪い。肝腎要の戦争法案に関するニュースはおざなりにさらりと流し,どうでもいいニュースを根掘り葉掘り洗い出す。そのつど,テレビの画面に向かって吼えている。お隣から苦情がくるのではないか,と心配しながら・・・。
それでも「報道ステーション」は,時折,しゃれた情報を工夫して流すことがある。今夜(6月12日)はそんな幸運な日に当たっていたようだ。
内容は見出しに書いたとおりの「米兵の父と日本人の母への憎しみとゆるし,盲目のテノール歌手荒垣勉×古舘伊知郎」である。
荒垣勉さんについては,沖縄生まれの盲目のテノール歌手として,これまでにもしばしばテレビにも出演しているので,すでに多くの人が知るところであろう。しかし,どれだけ詳しく荒垣さんのライフ・ヒストリーを知っているかといわれると,わたしも自信がなかった。だから,今日のこの番組をみて,そうだったのか,と納得できることが多かった。そして,考えるところも多かった。
印象に残ったシーンのいくつかを拾っておくと以下のとおりである。
荒垣さんが生まれてまもなく両親は離婚し,米兵だった父はアメリカに帰国,母は再婚,祖母に預けられて母と呼び,ときおり訪れる母を姉と呼びならわして育った。産婆さんの不手際で,荒垣さんは光を失う。盲目の子どもとして数えられないほどの苦難に遭遇しながら祖母の愛情のもとで育てられる。
しかし,自分を棄ててアメリカに帰ってしまった父を探し出して殺してやりたい,と涙ながらに教会の神父さんに訴えたとき,神父さんは黙って抱きしめてくれ,一緒に涙を流してくれた。このとき,はじめて自分の気持を真っ正面から受け止めてくれる人がいると知った,という。以後,教会で聖歌を歌っている間に,その声の音色と精確な音感の才能を見出され,歌手の道をめざすことになる。
こういう話を古舘伊知郎が上手に引き出す。荒垣さんは,最初は自分を棄てた父を恨んだが,この声と音感は父の遺伝子を受け継いだからだと知り,恨む気持のなかに,徐々に,感謝の気持も芽生えてきた,と語る。そして,悪いことのなかにも学ぶべきことはある,と知った,と。
また,沖縄で戦争があったこと,そして,米軍基地があったからこそ自分が存在することになったこと,最初は戦争を恨み,米軍基地を恨んでいたが,こうしたことは,いいとか悪いとかというレベルを越えたところの,大きな力によるものであって,わたしの命は神様からのプレゼントだったのだ,と理解するようになった,とも荒垣さんは語る。
だから,わたしは神への感謝の気持を籠めて,戦争をしない社会をめざし,平和を希求するこころを広めるために歌を唄いつづけるつもりだ,と。
そうして,やはり辺野古の海を守りたいと語り,古舘と一緒にボートで海をまわる。そして,切々と基地を排除して,平和を守らなくてはならない,と訴える。
こうした話を聞きながら,荒垣さんには立派な思想があり,哲学がある,としみじみおもった。苦難の人生経験から導き出された立派な哲学がある,と。
いま,急速にクローズアップされている沖縄問題を考えるにあたって,こういう荒垣勉さんのような人物をとおして,その背景にあるものを浮き彫りにしていくという手法もまた,きわめて重要なことだとしみじみおもった。沖縄問題を考えることは,そんなにたやすいことではない。その意味で,この取組は,久しぶりのクリーンヒットだったとおもった。
こういう魅力的な報道を期待したい。
このところの日課になっているのは,まずは,この人の情報なら大丈夫という信頼できる人の情報をインターネットをとおして蒐集し,それから,やおら東京新聞を読み,あとは遅い夕食のつづきでNHKの「ニュースウオッチ9」をみて,その流れでテレビ朝日の「報道ステーション」をみること。これだけで一日の大半を費やすことになってしまう。
とりわけ,テレビのニュースはからだに悪い。肝腎要の戦争法案に関するニュースはおざなりにさらりと流し,どうでもいいニュースを根掘り葉掘り洗い出す。そのつど,テレビの画面に向かって吼えている。お隣から苦情がくるのではないか,と心配しながら・・・。
それでも「報道ステーション」は,時折,しゃれた情報を工夫して流すことがある。今夜(6月12日)はそんな幸運な日に当たっていたようだ。
内容は見出しに書いたとおりの「米兵の父と日本人の母への憎しみとゆるし,盲目のテノール歌手荒垣勉×古舘伊知郎」である。
荒垣勉さんについては,沖縄生まれの盲目のテノール歌手として,これまでにもしばしばテレビにも出演しているので,すでに多くの人が知るところであろう。しかし,どれだけ詳しく荒垣さんのライフ・ヒストリーを知っているかといわれると,わたしも自信がなかった。だから,今日のこの番組をみて,そうだったのか,と納得できることが多かった。そして,考えるところも多かった。
印象に残ったシーンのいくつかを拾っておくと以下のとおりである。
荒垣さんが生まれてまもなく両親は離婚し,米兵だった父はアメリカに帰国,母は再婚,祖母に預けられて母と呼び,ときおり訪れる母を姉と呼びならわして育った。産婆さんの不手際で,荒垣さんは光を失う。盲目の子どもとして数えられないほどの苦難に遭遇しながら祖母の愛情のもとで育てられる。
しかし,自分を棄ててアメリカに帰ってしまった父を探し出して殺してやりたい,と涙ながらに教会の神父さんに訴えたとき,神父さんは黙って抱きしめてくれ,一緒に涙を流してくれた。このとき,はじめて自分の気持を真っ正面から受け止めてくれる人がいると知った,という。以後,教会で聖歌を歌っている間に,その声の音色と精確な音感の才能を見出され,歌手の道をめざすことになる。
こういう話を古舘伊知郎が上手に引き出す。荒垣さんは,最初は自分を棄てた父を恨んだが,この声と音感は父の遺伝子を受け継いだからだと知り,恨む気持のなかに,徐々に,感謝の気持も芽生えてきた,と語る。そして,悪いことのなかにも学ぶべきことはある,と知った,と。
また,沖縄で戦争があったこと,そして,米軍基地があったからこそ自分が存在することになったこと,最初は戦争を恨み,米軍基地を恨んでいたが,こうしたことは,いいとか悪いとかというレベルを越えたところの,大きな力によるものであって,わたしの命は神様からのプレゼントだったのだ,と理解するようになった,とも荒垣さんは語る。
だから,わたしは神への感謝の気持を籠めて,戦争をしない社会をめざし,平和を希求するこころを広めるために歌を唄いつづけるつもりだ,と。
そうして,やはり辺野古の海を守りたいと語り,古舘と一緒にボートで海をまわる。そして,切々と基地を排除して,平和を守らなくてはならない,と訴える。
こうした話を聞きながら,荒垣さんには立派な思想があり,哲学がある,としみじみおもった。苦難の人生経験から導き出された立派な哲学がある,と。
いま,急速にクローズアップされている沖縄問題を考えるにあたって,こういう荒垣勉さんのような人物をとおして,その背景にあるものを浮き彫りにしていくという手法もまた,きわめて重要なことだとしみじみおもった。沖縄問題を考えることは,そんなにたやすいことではない。その意味で,この取組は,久しぶりのクリーンヒットだったとおもった。
こういう魅力的な報道を期待したい。
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