ここまで醜態をさらけ出してもなお,だれ一人として「責任」をとる者が現れない。この,お役所というところの,世にも不思議な「無責任」体質,そして,それに支配されている政治の堕落,それがいまの日本のすべてだ。その典型のひとつがフクシマだ。こんな大問題が起きているのに,いまもなお,だれ一人として「責任」を負わない。まるで「空洞」のようなわけのわからない世界・・・・。
新国立競技場建造計画もまた同じ。最初から「空洞」のようなわけのわからない「密室」の世界で,ことは進められた。まずは,デザイン・コンペ。その「公募条件」がでたらめだった。建築場所の神宮外苑が100年も前から風致地区として特別の扱いをされてきた一種の「聖地」であることも,建物の高さ制限があることも,利用可能な敷地面積の提示も,なにもなしで「公募」された。だから,外国からの応募者はまったく自由な発想で,近未来志向型の思い切ったデザインで応じてきた。
その代表格がザハ・ハディド案である。しかも,この奇想天外なデザインに,審査委員長である安藤忠雄が飛びついた。しかも,その審査方法もまことに杜撰だった。重要な審査委員が複数欠席のまま決定をみるという異常なものだった。のちにわかってきたことから類推すると,ほとんど安藤忠雄の一声で決まったらしい。このときの議事録は,墨で真っ黒に埋めつくされたものが請求者に送られてきた。
かくして,すべては「ザハ案」ありき,でことは進められた。風致地区条例による縛りは強権を発動して無視され(新宿区と渋谷区の区議会が屈伏),高さ制限は条例に特例を設けてごまかし,面積は周囲の建物を除去し,それでも足りず,中央線をまたいで新宿御苑・慶応病院あたりまで伸びている。さすがに,これはまずいと事業主体であるJSCが判断したのか(表向きには経費軽減のためという理由),設計に大幅な修正が加えられた。
このザハ案の修正は,当然のことながら,JSCがザハ氏側と交渉し,合意の上で進んでいるものとばかりおもっていたら,じつはそうではない,ということが今日(14日)の東京新聞一面トップの記事でわかった。これはとんでもないことだ。もっとも重要な,肝心要の設計変更すら,ザハ氏側の了解もとりつけてはいない,というのだ。しかも,ザハ氏側は,いまから設計を変更するなどとは「クレージーな考えだ」として一蹴している。
さあ,こうなったら,経費節減も工期短縮の問題もすっとんでしまう。残された方法は二つに一つ。もはや,日本の建築技術と資金の総力をあげてザハ案どおりに工事を進めるか,さもなければ「賠償金」を支払ってザハ案を取り下げてゼロから出直すしかない。しかし,このどちらも不可能に近い。これで新国立競技場建造の計画は,完全に宙に浮いてしまった。手も足も出せない「八方塞がり」となり,その出口すらみえない。
こんな異常な事態に至ってもなお,おそらく,だれも「責任」はとらないのだろう。かくして,新国立競技場建設問題は,ますますわけのわからない伏魔殿の闇のなかに封じ込まれ,埋没していくことになりそうだ。
新国立競技場建造の責任は,事業主体であるJSCにある。しかも,その監督官庁は文部科学省だ。その財源については財務省が握っている。しかも,この問題の基本的なことは閣議決定を経ている。ということは,アベ君,君の「責任」なんだよ,ということになる。かくなる上は「鬼の手」を編み出してでも,官邸は問題解決に乗り出さなくてはなるまい。しかし,いまは,それどころではないだろう。
なぜなら,憲法違反問題で揉めに揉めている戦争法案を,どのタイミングで強行突破して通過させるか,あるいは,一呼吸入れて先のばしにするか,その空気を読み切ることだけで,官邸は頭が一杯のはずだ。下手をすれば政権の命取りともなりかねない重要な局面を迎えている。
国会の外では,多くの団体が「憲法を守れ」と声を上げている。若い学生さんまで結束して声をあげはじめている。しかも,その声は日毎に大きくなり,その輪も広がり,とうとう,全国展開の様相をみせはじめている。
こんな緊迫した国会運営の真っ只中に,とんでもない大問題が天から降ってきた。この問題の処理をひとつ間違えてしまうと,それこそ国際社会での日本の信用は地に堕ち,東京五輪2020は「返上」するしか方法はなくなってしまう。それほどの大ピンチなのである。
さて,どうする? シンゾウ・アベラーどの。
政権全体が風雲急を告げる事態が,ますます緊迫の度を高めてきている。
新国立競技場建造計画もまた同じ。最初から「空洞」のようなわけのわからない「密室」の世界で,ことは進められた。まずは,デザイン・コンペ。その「公募条件」がでたらめだった。建築場所の神宮外苑が100年も前から風致地区として特別の扱いをされてきた一種の「聖地」であることも,建物の高さ制限があることも,利用可能な敷地面積の提示も,なにもなしで「公募」された。だから,外国からの応募者はまったく自由な発想で,近未来志向型の思い切ったデザインで応じてきた。
その代表格がザハ・ハディド案である。しかも,この奇想天外なデザインに,審査委員長である安藤忠雄が飛びついた。しかも,その審査方法もまことに杜撰だった。重要な審査委員が複数欠席のまま決定をみるという異常なものだった。のちにわかってきたことから類推すると,ほとんど安藤忠雄の一声で決まったらしい。このときの議事録は,墨で真っ黒に埋めつくされたものが請求者に送られてきた。
かくして,すべては「ザハ案」ありき,でことは進められた。風致地区条例による縛りは強権を発動して無視され(新宿区と渋谷区の区議会が屈伏),高さ制限は条例に特例を設けてごまかし,面積は周囲の建物を除去し,それでも足りず,中央線をまたいで新宿御苑・慶応病院あたりまで伸びている。さすがに,これはまずいと事業主体であるJSCが判断したのか(表向きには経費軽減のためという理由),設計に大幅な修正が加えられた。
このザハ案の修正は,当然のことながら,JSCがザハ氏側と交渉し,合意の上で進んでいるものとばかりおもっていたら,じつはそうではない,ということが今日(14日)の東京新聞一面トップの記事でわかった。これはとんでもないことだ。もっとも重要な,肝心要の設計変更すら,ザハ氏側の了解もとりつけてはいない,というのだ。しかも,ザハ氏側は,いまから設計を変更するなどとは「クレージーな考えだ」として一蹴している。
こんな異常な事態に至ってもなお,おそらく,だれも「責任」はとらないのだろう。かくして,新国立競技場建設問題は,ますますわけのわからない伏魔殿の闇のなかに封じ込まれ,埋没していくことになりそうだ。
新国立競技場建造の責任は,事業主体であるJSCにある。しかも,その監督官庁は文部科学省だ。その財源については財務省が握っている。しかも,この問題の基本的なことは閣議決定を経ている。ということは,アベ君,君の「責任」なんだよ,ということになる。かくなる上は「鬼の手」を編み出してでも,官邸は問題解決に乗り出さなくてはなるまい。しかし,いまは,それどころではないだろう。
なぜなら,憲法違反問題で揉めに揉めている戦争法案を,どのタイミングで強行突破して通過させるか,あるいは,一呼吸入れて先のばしにするか,その空気を読み切ることだけで,官邸は頭が一杯のはずだ。下手をすれば政権の命取りともなりかねない重要な局面を迎えている。
国会の外では,多くの団体が「憲法を守れ」と声を上げている。若い学生さんまで結束して声をあげはじめている。しかも,その声は日毎に大きくなり,その輪も広がり,とうとう,全国展開の様相をみせはじめている。
こんな緊迫した国会運営の真っ只中に,とんでもない大問題が天から降ってきた。この問題の処理をひとつ間違えてしまうと,それこそ国際社会での日本の信用は地に堕ち,東京五輪2020は「返上」するしか方法はなくなってしまう。それほどの大ピンチなのである。
さて,どうする? シンゾウ・アベラーどの。
政権全体が風雲急を告げる事態が,ますます緊迫の度を高めてきている。
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