今日(6月1日),2カ月ぶりの胃ガンの定期検診に行ってきました。エコーとCTの検査を受けました。その結果,胃ガンの方は順調な回復ぶりで,とくに問題なしとのこと。やれやれ。ところが,新たに重大な問題が見つかりました。ガンが肝臓に転移している,というのです。この段階で,ステージ4,ということになります,と。すなわち,末期ガン。主治医も,これまで順調にきていたので,こんなことになるとは予想もつかなかった,と弁明。いえいえ,わたしの強い希望で抗ガン剤治療を放棄したのですから,覚悟の上です,とわたし。
パソコンのディスプレイを丸見えにしてくれ,これがその部分です,と指し示しながら丁寧に時間をかけて説明してくれました。大きさは2~3㎝。昨年12月のCTの映像と比較しながら,この半年の間にできたものです,と。最近では,肝臓ガンの治療技術も上がってきていますので,この段階だったら切除手術をするのが担当医としての判断です,と。医学的にもこの段階で放置するのはもったいない,と。つまり,治療可能な範囲内である,と。ですから,医者としては手術をお薦めします,と。あとは,総合的に判断して結論を出すのは稲垣さんの問題です,と。そして,Yドクター(担当医・院長の友人で,わたしの教え子)とも相談してみてください。わたしからも話はしておきます,と。
わかりました。Yドクターともよく相談をして,結論を出すことにします,とわたし。
とはいえ,さあ,困った,というのが正直な話。
わたしの選択肢は大きくは二つ。
一つは,このまま手術をしないで,この肝臓ガンと付き合っていくか,もう一つは,担当医の薦めるように切除手術を受けるか,です。
前者を選べば,いまは元気そのものですので,この元気がつづくかぎり,残された仕事に専念して,書けるものは書き残しておくことに全力を注ぐ,その気力・体力に限界がきたところで,ホスピスに身をゆだねていく,ということになります。この期間がどのくらいになるのかは,だれにもわからない。病状の進行と肝機能が低下していく速度は予測できない,というわけです。ひょっとしたら,ゆっくりで,長い時間があるかもしれない,あるいは,思ったよりも短いかもしれない。それは神さまのみが知ること。つまり,まるごと神さまに身をゆだねるかどうか,という選択。
後者を選べば,確率の問題。切除手術を受ければ,この患部に対する処置は済むわけで,一旦はかなりの確率で元気にはなれる。しかし,そのあとの対応をどのようにしていくかによって,また,選択肢がいかようにも増えていくことになります。たとえば,また,どこかに転移していくかもしれません。あるいはまた,奇跡的に完治してしまうかもしれません。そんなことはありえないにしても,そういうありとあらゆる想定のもとに,さて,わたしの仕事はどの程度,実現可能なのか,ということになります。こちらもまた,神さまの領域です。
したがって,あとは「エイッ,ヤッ」と気合一つで決めるしかありません。一種の「宙づり」状態に置かれてしまったわけですので,デリダのいう「力の一撃」を加えるのみです。正義はそれしかない,のですから・・・・。
とまあ,いま,突如として立たされているきびしい情況をみずからに知らしめ,気持を落ち着かせるために,このブログを書いています。そして,公表することによって,気持の整理をし,みずからに引導をわたそうという算段です。
こんなときにわたしの脳裏をよぎるのは,道元さんだったらなんと言うだろうかとか,ジョルジュ・バタイユだったらどんな判断をするだろうかとか,ジャン=リュック・ナンシー(心臓の移植手術を受けたフランスの哲学者,いまも存命)だったらどのように考えただろうかとか,その他,もろもろのにわか勉強をして知り得たガンに関する知識や事例です。そして,日進月歩のように進歩しつづけているガン治療の現場ですが,それにもかかわらず,駄目なものは駄目(このところ立て続けに著名人が胃ガンであっという間にこの世を去っている)の世界でもあります。
わたしが胃ガンの手術を受けてから1年と4カ月。そして,肝臓への転移の発覚。ゆっくり進むガンであることは間違いありません。早いガンであったら,去年のうちにこの世を去っています。ですから,問題は,このゆっくり進むガンのスピードと,老化現象が進むスピードと,切除手術をしてガンと闘いながら衰弱していくスピードの,どこに「賭ける」か,ということになります。
金銭を伴う「賭け」も含めて,「賭け」は,みんな立派な神さまの領域の問題ですので,それらはすべて,まぎれもなき「正義」の世界の話です。
これから2週間後に向けて,いろいろの人のご意見に耳を傾けながら,最後はサイコロでも振って,神さまのご意思を伺うことになるのでしょう。でも,それにしても,ここはひとつ「賢い」選択ができるように,これもまた神さまに祈るのみです。
人間はサイエンス(=パン)のみで生きるにあらず,ということです。
さてはて,神さまの判定やいかに。
パソコンのディスプレイを丸見えにしてくれ,これがその部分です,と指し示しながら丁寧に時間をかけて説明してくれました。大きさは2~3㎝。昨年12月のCTの映像と比較しながら,この半年の間にできたものです,と。最近では,肝臓ガンの治療技術も上がってきていますので,この段階だったら切除手術をするのが担当医としての判断です,と。医学的にもこの段階で放置するのはもったいない,と。つまり,治療可能な範囲内である,と。ですから,医者としては手術をお薦めします,と。あとは,総合的に判断して結論を出すのは稲垣さんの問題です,と。そして,Yドクター(担当医・院長の友人で,わたしの教え子)とも相談してみてください。わたしからも話はしておきます,と。
わかりました。Yドクターともよく相談をして,結論を出すことにします,とわたし。
とはいえ,さあ,困った,というのが正直な話。
わたしの選択肢は大きくは二つ。
一つは,このまま手術をしないで,この肝臓ガンと付き合っていくか,もう一つは,担当医の薦めるように切除手術を受けるか,です。
前者を選べば,いまは元気そのものですので,この元気がつづくかぎり,残された仕事に専念して,書けるものは書き残しておくことに全力を注ぐ,その気力・体力に限界がきたところで,ホスピスに身をゆだねていく,ということになります。この期間がどのくらいになるのかは,だれにもわからない。病状の進行と肝機能が低下していく速度は予測できない,というわけです。ひょっとしたら,ゆっくりで,長い時間があるかもしれない,あるいは,思ったよりも短いかもしれない。それは神さまのみが知ること。つまり,まるごと神さまに身をゆだねるかどうか,という選択。
後者を選べば,確率の問題。切除手術を受ければ,この患部に対する処置は済むわけで,一旦はかなりの確率で元気にはなれる。しかし,そのあとの対応をどのようにしていくかによって,また,選択肢がいかようにも増えていくことになります。たとえば,また,どこかに転移していくかもしれません。あるいはまた,奇跡的に完治してしまうかもしれません。そんなことはありえないにしても,そういうありとあらゆる想定のもとに,さて,わたしの仕事はどの程度,実現可能なのか,ということになります。こちらもまた,神さまの領域です。
したがって,あとは「エイッ,ヤッ」と気合一つで決めるしかありません。一種の「宙づり」状態に置かれてしまったわけですので,デリダのいう「力の一撃」を加えるのみです。正義はそれしかない,のですから・・・・。
とまあ,いま,突如として立たされているきびしい情況をみずからに知らしめ,気持を落ち着かせるために,このブログを書いています。そして,公表することによって,気持の整理をし,みずからに引導をわたそうという算段です。
こんなときにわたしの脳裏をよぎるのは,道元さんだったらなんと言うだろうかとか,ジョルジュ・バタイユだったらどんな判断をするだろうかとか,ジャン=リュック・ナンシー(心臓の移植手術を受けたフランスの哲学者,いまも存命)だったらどのように考えただろうかとか,その他,もろもろのにわか勉強をして知り得たガンに関する知識や事例です。そして,日進月歩のように進歩しつづけているガン治療の現場ですが,それにもかかわらず,駄目なものは駄目(このところ立て続けに著名人が胃ガンであっという間にこの世を去っている)の世界でもあります。
わたしが胃ガンの手術を受けてから1年と4カ月。そして,肝臓への転移の発覚。ゆっくり進むガンであることは間違いありません。早いガンであったら,去年のうちにこの世を去っています。ですから,問題は,このゆっくり進むガンのスピードと,老化現象が進むスピードと,切除手術をしてガンと闘いながら衰弱していくスピードの,どこに「賭ける」か,ということになります。
金銭を伴う「賭け」も含めて,「賭け」は,みんな立派な神さまの領域の問題ですので,それらはすべて,まぎれもなき「正義」の世界の話です。
これから2週間後に向けて,いろいろの人のご意見に耳を傾けながら,最後はサイコロでも振って,神さまのご意思を伺うことになるのでしょう。でも,それにしても,ここはひとつ「賢い」選択ができるように,これもまた神さまに祈るのみです。
人間はサイエンス(=パン)のみで生きるにあらず,ということです。
さてはて,神さまの判定やいかに。
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