父方の祖母の葬式のとき,父と従兄弟の会話をそれとなく耳にしたことが,急に昨日のように思い出される。
「わしゃあのん,息子に財布をわたして,これからぁ息子のいうとおりにせえかとおもっとるだのん」と父の従兄弟さん。
「そりゃあ偉いのん。そうはおもってもなかなかそうはいかんでのん」と父。
「老いては子にしたがえって言うでのん。それをそのままやってみいかとおもうだのん」
「そうだのん。それにしても,それを決心して,実行しとるあんたは偉い」
「まあ,どうなるかわからんけどのん。しばらくはやってみるだぁのん」
この会話を聞いたのはわたしが大学2年生(19歳)のときのことだ。いまから58年も前のことだ。ずいぶんむかしの話ではある。
このたびのわたしの癌転移の報にあわてた娘夫婦が,急遽,沖縄からかけつけてくれた。この金・土・日の3日間,久しぶりの再会をはたし,たっぷりと時間をかけて,お互いのご無沙汰の溝を埋めあった。
遠く離れていると,よほどのことでもないかぎり,お互いにそれぞれの生活に追われていて,ついつい無沙汰をつづけてしまう。「便りなきは無事の知らせ」とむかしの人は言った。その伝にならって,わたしも,あまりうるさく干渉するよりはそっとしておこうと考え,無沙汰に身をゆだねていた。娘夫婦も同じように考えていたらしく,時折はわたしのブログを読んだりして,元気な様子だからと受け止め,安心しきっていたらしい。
そこに,こんどのわたしの突然の病変である。これはかれらには相当にショックだったようで,どうしようか,と大いに悩んだらしい。そして,とにもかくにも直接会って話をする以外にはない,と決心して,急遽,飛行機のチケットを手配してやってくることになった。
2泊3日。これまでの無沙汰による情報不足をお互いに埋め合わせつつ,お互いの考え方や思いのたけを吐露し合った。こんなに真っ正面から向き合って,必死で語り合うのは初めてのことだ。これまであまりみえていなかった,また,みせる必要もなかった人間としての本音の部分が,今回は恥も外聞もなく最初から剥き出しになって,相互理解にはとてもいい機会だった。不幸中の幸いというべきか。
お蔭で,雲間に見え隠れしていた月が,はっきりと顔をみせ,なんの陰りもない月となってお互いを照らし合うようになって,こころの底からすっきりした。これでもう,余分な誤解や不安や推測もなくなり,お互いにやるべきことをしっかりとやっていこう,と誓い合うことができた。もう,これでお互いに思い悩むことはなくなった,と言っていいだろう。
結果的には,わたしが考えていたことと娘夫婦が考えていたこととは,そんなに大きな齟齬はなかった。ただひとつ言えるとすれば,これまでは一方的にわたしの意向をそのまま娘夫婦に押しつけてきた(そんなつもりはわたしにはないが)らしい,だから,娘夫婦の側からあれこれわたしに言うことは憚られたらしい,その壁が今回の話し合いで,きれいに取り払われたのではないか,ということだ。もっとも,これもわたしの主観的な見方にすぎないのだが・・・。
もう一つ,踏み込んでおけば,やはり,娘夫婦が共有していた日頃の思いのたけを,わたしがしっかりと受け止めることができた,ということだ。そして,そのことになんら異論はない,とわたしなりに得心したことだ。言ってみれば,「老いては子にしたがえ」のわたし編。そうして,またひとつ,大きな流れの局面が動きはじめた,ということだろう。
まあ,こんな風にして娘夫婦と相互理解を深めることのできた3日間だった。わたしの人生にとっても大きな転機のひとつとなった。この3日間で共有した気持をお互いに分かち持ちながら,これからの人生を展望できることは,とても幸せなことだ。やはり,遠路はるばるながら,来てもらってよかった,としみじみおもう。
最寄りの駅まで見送り,別れぎわに交わした会話。
「おれも頑張るからお前も頑張れ」とわたしから娘へ。
「熱いハートはしっかりと受け止めたよ。ありがとう」と婿どのに。
「8月の後半には沖縄に行くよ」とわたし。
「そんな無茶な!」とかれら。
「いやいや,そういう楽しみをセットしておいて頑張るということだよ」とわたし。
「ああ,それなら大賛成!」とふたり。
でも,わたしは8月には沖縄に行く,とこころに決めている。そして,それは実現できる,と確信している。なぜだかわからないが,いつのまにか,なんの疑念もなくその気になっている。
「老いては子にしたがえ」とみずから口ずさみつつ・・・・。
「わしゃあのん,息子に財布をわたして,これからぁ息子のいうとおりにせえかとおもっとるだのん」と父の従兄弟さん。
「そりゃあ偉いのん。そうはおもってもなかなかそうはいかんでのん」と父。
「老いては子にしたがえって言うでのん。それをそのままやってみいかとおもうだのん」
「そうだのん。それにしても,それを決心して,実行しとるあんたは偉い」
「まあ,どうなるかわからんけどのん。しばらくはやってみるだぁのん」
この会話を聞いたのはわたしが大学2年生(19歳)のときのことだ。いまから58年も前のことだ。ずいぶんむかしの話ではある。
このたびのわたしの癌転移の報にあわてた娘夫婦が,急遽,沖縄からかけつけてくれた。この金・土・日の3日間,久しぶりの再会をはたし,たっぷりと時間をかけて,お互いのご無沙汰の溝を埋めあった。
遠く離れていると,よほどのことでもないかぎり,お互いにそれぞれの生活に追われていて,ついつい無沙汰をつづけてしまう。「便りなきは無事の知らせ」とむかしの人は言った。その伝にならって,わたしも,あまりうるさく干渉するよりはそっとしておこうと考え,無沙汰に身をゆだねていた。娘夫婦も同じように考えていたらしく,時折はわたしのブログを読んだりして,元気な様子だからと受け止め,安心しきっていたらしい。
そこに,こんどのわたしの突然の病変である。これはかれらには相当にショックだったようで,どうしようか,と大いに悩んだらしい。そして,とにもかくにも直接会って話をする以外にはない,と決心して,急遽,飛行機のチケットを手配してやってくることになった。
2泊3日。これまでの無沙汰による情報不足をお互いに埋め合わせつつ,お互いの考え方や思いのたけを吐露し合った。こんなに真っ正面から向き合って,必死で語り合うのは初めてのことだ。これまであまりみえていなかった,また,みせる必要もなかった人間としての本音の部分が,今回は恥も外聞もなく最初から剥き出しになって,相互理解にはとてもいい機会だった。不幸中の幸いというべきか。
お蔭で,雲間に見え隠れしていた月が,はっきりと顔をみせ,なんの陰りもない月となってお互いを照らし合うようになって,こころの底からすっきりした。これでもう,余分な誤解や不安や推測もなくなり,お互いにやるべきことをしっかりとやっていこう,と誓い合うことができた。もう,これでお互いに思い悩むことはなくなった,と言っていいだろう。
結果的には,わたしが考えていたことと娘夫婦が考えていたこととは,そんなに大きな齟齬はなかった。ただひとつ言えるとすれば,これまでは一方的にわたしの意向をそのまま娘夫婦に押しつけてきた(そんなつもりはわたしにはないが)らしい,だから,娘夫婦の側からあれこれわたしに言うことは憚られたらしい,その壁が今回の話し合いで,きれいに取り払われたのではないか,ということだ。もっとも,これもわたしの主観的な見方にすぎないのだが・・・。
もう一つ,踏み込んでおけば,やはり,娘夫婦が共有していた日頃の思いのたけを,わたしがしっかりと受け止めることができた,ということだ。そして,そのことになんら異論はない,とわたしなりに得心したことだ。言ってみれば,「老いては子にしたがえ」のわたし編。そうして,またひとつ,大きな流れの局面が動きはじめた,ということだろう。
まあ,こんな風にして娘夫婦と相互理解を深めることのできた3日間だった。わたしの人生にとっても大きな転機のひとつとなった。この3日間で共有した気持をお互いに分かち持ちながら,これからの人生を展望できることは,とても幸せなことだ。やはり,遠路はるばるながら,来てもらってよかった,としみじみおもう。
最寄りの駅まで見送り,別れぎわに交わした会話。
「おれも頑張るからお前も頑張れ」とわたしから娘へ。
「熱いハートはしっかりと受け止めたよ。ありがとう」と婿どのに。
「8月の後半には沖縄に行くよ」とわたし。
「そんな無茶な!」とかれら。
「いやいや,そういう楽しみをセットしておいて頑張るということだよ」とわたし。
「ああ,それなら大賛成!」とふたり。
でも,わたしは8月には沖縄に行く,とこころに決めている。そして,それは実現できる,と確信している。なぜだかわからないが,いつのまにか,なんの疑念もなくその気になっている。
「老いては子にしたがえ」とみずから口ずさみつつ・・・・。
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