2015年8月19日水曜日

沖縄の翁長知事が重要会談を行う部屋の壁面を飾っている「書」が素晴らしい。

 このところずーっと気になっていたことがある。それは,久しぶりにみる「書」の素晴らしさ,である。それも新聞の写真をとおしてのものであって,実物はお目にかかってはいない。たぶん,実物をみることはよほどのことでもないかぎり,不可能に近い。

 それでもなんとかして,一度でいいから,実物を拝ませて欲しいとおもっている。同時に,そこに書かれている詩がどのような内容のもので,だれの作なのか,そして,なによりもこれを書いた人はだれなのか,を知りたい。もっとも,手をつくして調べれば,あるいは,どなたかに尋ねれば,わかることだろう。しかし,実物の「書」は,直接,見ないことにははじまらない。

 「書」に関心をもつ人であれば,みなさん同じ感想をお持ちではないかとおもう。しかも,このところ頻繁にお目にかかるから,なおのことだ。

 前置きが長くなってしまったが,その「書」とは,沖縄の翁長知事が重要会談を行う部屋の壁面を飾っている「書」のことである。もちろん,県知事の特別室に飾られている書なのだから,そんじょそこいらの書家の作品ではないことは百も承知だ。そんなことより,なにより,書そのものが素晴らしいのだ。

 
第一に,気品がある。それも別格だ。みる者のこころをくいと惹きつけて離さない,そういう力がある。一字,一字が生き生きしている。立派な楷書なのに,こちこちに固まってはいない。楷書にしては珍しいほど伸びやかで,随所に個性が表出している。

 この文字は,このように書こうとおもって書かれたものではない。書家の気持があるところで定まったとき,そのときの気持のままに筆が走った,そういう書だ。だから,じつに自由で伸びやかなのだ。そこには計算も打算もない。言ってみれば,そこにあるのは「無心」。その無心から紡ぎだされる書だ。だから,書家のもつありとあらゆる個性がそのまま表出している。つまり,書家の到達している「境地」がそのまま文字となって表出している,ということだ。

 しかも,もう一点,わたしのこころを捉えて離さないのは,最初から最後まで書体が変わらない,書家の精神性の高さと安定感だ。だから,どうしてもこの書の全体を視野に入れて,真っ正面から向き合ってみたいのだ。その場に立ちたいのだ。おそらくは,新聞の写真とはまったく違った迫力で,みる者のこころに迫ってくるものがあるに違いない。新聞に写る部分写真ですら,これだけの迫力があるのだから,実物のもつ力は計り知れないものがあるに違いない。

 アベ君も,スガ君も,ナカタニ君も,まずは,無言で迫ってくるこの書の迫力に圧倒されてしまったのではないか,とわたしは想像する。それに引き換え,翁長知事はこの書のもつ磐石の支えをバックにして,政府要人と対面したに違いない。この詩文の全体がわからないが,新聞に写っている部分を拾い読みするだけでも,この詩文は琉球国がいかに素晴らしい国であるかを謳った,沖縄県民であればだれでも知っている著名なものなのであろう。そして,翁長知事もそのことをよく承知した上で,また,自分自身もこころから気に入っていて,この重要な部屋に飾っているに違いない。

 書に反応する人間なら,そして,詩文に反応する人間なら,この部屋に一歩踏み入れた瞬間に,その足が止まってしまうだろう。そして,じっと向き合わずにはおかないだろう。そのくらいのことをした上で,翁長知事との対面をはたすべきだろう。それが,マナーというものだろう。そのあたりのことを新聞はなにも語ってはくれない。

 たぶん,現政権の要人たちは,この書にちらりと目をやるだけで,それ以上のことはしないだろう。そんな感性は持ち合わせてはいない,ということだ。もし,そのような感性を持ち合わせていたら,沖縄に基地を押しつけて平然とはしていられないはずだ。そういう「写し鏡」的な役割も,この書ははたしているに違いない。

 琉球王国のふところの深さが,この書にも表出しているように,わたしはおもう。だから,なおのこと,この書の前に立ってみたいのだ。そのとき,わたしはなにをおもうのだろうか。想像するだけで,胸がときめいてくる。

 良寛さんの書のなかに,般若心経の写経がある。この写経に初めて接したとき,わたしのからだは凍りついてしまった。もちろん,本物ではない。印刷された著書のなかでのものだ。にもかかわらず,わたしは固まってしまった。ことばも出ないまま,ただ,ただ,ひたすら一字,一字を目で追うのが精一杯だった。

 良寛さんは,一枚の紙の上に,般若心経を二回,繰り返して写経している。こちらも楷書である。しかも,力みのない,じつに伸びやかに書かれている。一字,一字が踊っているようにすらみえる。自由闊達な楷書なのである。いかにも良寛さんの「無心」の境地が表出している,心地よい文字が並んでいるのだ。しかし,よくみると,一回目の写経の文字と,二回目のそれが,まるでコピーしたかのように,ピタリと同じなのだ。文字の傾き具合も,踊り具合も,まったく同じなのだ。

 わたしはハンマーで頭を打ちのめされたかのように,なにも考えられなくなってしまった。それでいて,一字,一字が,まるで笑いながら語りかけてくるような,そんな誘惑の世界に浸っていた。それが,また,格別に心地よいのだ。

 それと同じようなものを,沖縄県知事室の書から感じてしまうのだ。しかし,そこに表出している世界はまるで違うものなのだが・・・・。

 それこそが書芸なるものの,恐るべき力ではないか,とわたしはぼんやりと考えてみる。

〔追記〕もう一つ,有名な空海さんの書にまつわる話があるが,長くなるので割愛する。いつか,機会をみつけて書いてみることにしよう。

2015年8月18日火曜日

お盆・雑感。65年前の記憶。

 ことしもお盆が過ぎ去って行った。最近では,お盆だからといって特別のことがあるわけではない。むしろ,なにごともなく平凡な日常のなかに埋没してしまっている。

 本来ならば,両親のお墓参りに行かなくては・・・とおもう。しかし,気がついてみたら,もう,すでに自分のからだを移動させることすらままならない年齢になっている。おまけに,去年,ことしと二度にわたって大きな手術を受けてもいて,ますます,からだがままならなくなってきている。だから,お盆どころの話ではない,というのが正直なところ。

 それでも,やはり,お盆となると,気持は落ち着かない。何回も,お墓参りを考えた。しかし,ことしの猛暑に圧倒されて二の足を踏むことになった。そして,とうとうなにもしないままお盆が過ぎて行った。その間,さまざまなことを思い浮かべていた。

 とりわけ,遠い子どものころの記憶をたどりながら・・・。

 わたしは田舎の小さな禅寺で育った。いわゆる寺の小僧だった。村の人たちからもそのように扱われたし,子どもたちの間でも「寺の子」として特別な目でみられていた。いいことをすれば寺の子だから当たり前。悪いことをすれば寺の子なのに,と非難された。いずれにしても割に合わないとおもいながら子ども時代をすごした。

 それだけではない。寺の小僧にとってお盆は特別な行事だった。夏休みに入るとすぐに寺の境内の掃除にとりかかる。父も僧侶専業ではなく教員をしていたので,夏休みを待って,お盆の準備にとりかかる。

 なにをするのか。
 
 お墓の掃除・・・雑草を抜いて,落ち葉を拾う。
 広庭の掃除・・・こちらの掃き掃除は日常的に行っているが,雑草を抜き,花畑などの柵の取り替え,など。
 寺の境内を囲んでいる細葉垣根の刈り込み・・・たこ糸を張って,綺麗に仕上げるには相当の熟練を要する。
 本堂の縁の下の掃除・・・こちらは,もっぱら小さい子ども,すなわち,三男のわたしの仕事。
 仏具磨き・・・真鍮製の仏具を磨き砂でていねいに擦って磨きあげる。時間をかけて,綺麗に仕上げるには相当の根気が必要。
 本堂の蜘蛛の巣払い,仏壇の掃除・・・ふだんはやらないので,ことのほか丁寧にやる。
 法事用に備えてある食器類洗い・・・こちらも年に一回の仕事。
 台所の竈まわりの掃除・・・三つの釜を同時に炊きあげることのできる大きなものが広い台所の三和土にでんと鎮座している。道元さんの『赴粥飯法』(ふしゅくはんぽう)にもあるように,食事の支度は禅寺では重要な修行のひとつ。これを担当する僧の地位も高い。燃料はもっぱら枯れ枝を掻き集めてきて,山のように積んである。ときには,薪割りした立派なものも置かれる。つまり,寺の心臓部に相当するところ。だから,ことのほか綺麗にすることが求められる。
 便所の掃除・・・お客さん用と自分たち用の二カ所。外にも一カ所。これをだれが担当するかで,毎年,揉めた。最後はジャンケン。
 坪庭の掃除・・・ここは寺の美学が集約された場なので,何回もチェックを受けて,ようやくOKがもらえるやっかいな場。
 施餓鬼台の設置・・・本堂の正面入口の階段のところに施餓鬼台を設置して,檀家から届けられるお供えを飾る。
 その他・・・鶏小屋,うさぎ箱,台所の流し場の排水溝,などなど。

 いま,すんなりと思い出せるものだけでこれだけある。もっと,丁寧に拾っていけば,まだまだ仕事はでてくる。が,まずはこれだけのことは,毎年,繰り返し行われてきたことだ。

 これらの仕事を,夏休みに入ってから8月12日までにやり終えなくてはならない。13日には「迎え火」をするために檀家の人たちがお墓にやってくる。それまでに,すべての準備が完了していなくてはならない。期限が切られているので,最後は必死の追い込みとなる。

 8月15日の法会を終えて,16日の精霊流しをして,お盆の行事は終わる。

 暑い盛りの,藪蚊に刺されながらの仕事だった。主として,午前中に外の仕事を終え,昼寝をして,夕刻からは,建物の中での仕事になることが多かった。この昼寝の間に,親の目を盗んで,友だちと川に泳ぎに行くのが唯一の楽しみだった。ほとんどバレていたが,でも,時間までに帰っていれば,とりたててとがめられることもなかった。友だちたちは川で遊んでいるのに,ひとりだけ早めに引き上げるには決断力が必要だった。時計もなにもない。経過した時間を勘で推定する以外には方法はない。ときおり,時間を忘れて遊んでしまったときには,雷が落ちた。このときは,覚悟して,いつもより多くの仕事をするよう努力したものだ。

 いまから65年前の話である。ちょうど,小学校6年生。

 お盆が終わってから,ほんとうの「夏休み」がやってきた。残りは10日余り。それまでに,宿題を片づけなくてはならない。とりわけ,工作と図画には時間がかかった。どちらも嫌いではなかったので,楽しいのだが,その間に友だちとも遊ばなくてはならない。こちらもまた大事な付き合いだった。しかも,その遊びの中心は「野球」だった。だから,自分のポジション(キャッチャー)を守るためにも,休むわけにはいかない。

 時間がいくらあっても足りないほどだったのに,いま,思い返すと「時間」は止まっていた,そんな印象が強い。たくさんのことをこなす充実した時間をすごしていた,とおもう。

 そんなことを思い浮かべながら,ことしもお盆をやりすごしてしまった。

 さて,来年こそはお墓参りに行こう。いまから決めておかないと動けない,と自分に言い聞かせながら・・・・。

2015年8月17日月曜日

新国立競技場問題は難問山積。これからが正念場。空中分解の可能性も。

 8月14日に政府は,新国立競技場整備計画の見直しのための関係閣僚会議を開催し,基本方針を決め,発表した。添付の写真のように,東京新聞も大きな記事として報道した。その骨子を知って,これまた驚くことばかり。現段階での感想を以下に記しておきたい。

 
またもや「見切り発車」で逃げ切ろうという姿勢を臆面もなくさらけ出して平然としているアベ政権。まったく「反省」のかけらもない。新国立競技場整備計画が,どうして,このようなことになってしまったのか,という第三者の検証委員会が8月7日にスタートを切ったばかりなのに。

 理由はかんたん。「大会に間に合うが最優先」。ということは,どんな競技場になろうが,五輪に間に合えば,それでよしとする,結論ありきの発想がまかりとおっているということだ。つまり,競技場をつくるコンセプトもなにもなしに,期日に間に合わせる,だけが独り歩きしている。

 しかし,純粋な陸上競技場専用のスタジアムを建造するのであれば,2年あればできる,という建築の専門家は少なくない。にもかかわらず,関係閣僚会議は,2016年1月に工事を発注し,2020年春の完成を目指す,という。単純に計算しても丸4年がかかると踏んでいる。その根拠もなにもないまま。それこそ「白紙」のままで。

 「白紙」のままで,とは言い過ぎだという向きには,以下の「新国立競技場整備方針の要旨」をとくとご覧いただきたい。これを何回,読んでみても,具体的な競技場のイメージは湧いてはこない。つまり,これからさき,なにを,どのように展開していくのかはまったくの未知数だ,ということだ。要するに,いかにも手際よく「見切り発車」をして,政府が挙げて真剣に取り組んでいるかのように見せかけているだけの話。中味はなにもない。空洞だけだ。だから,どうにでもなる,ということ。


じつは,新国立競技場整備計画がすんなりとは決められないということには理由がいくつもある。つまり,簡単には解消できない難題がいくつも待ち構えているという特殊な事情が,その背景にはあるということだ。それが当初の計画が迷走した最大の理由だ。たとえば,有識者会議が提起した条件をすべて受け入れようとしたのも大きな理由の一つだ。しかし,もともと,この場所(神宮外苑)に立派な競技場を建造するには,あまりに土地のスペースが足りない,という根本的な問題がある。

 こんどの政府案では,「競技場専用」にする,とだけ表記された。これとて,じつにあいまいな表現でしかない。たとえば,「陸上競技場専用」にするにも,サブ・トラックを常設するだけの場所がない。だから,五輪では,臨時のサブ・トラックを設置して(野球場を一時転用),切り抜けようということだ。ということは,五輪後には,「公認」の陸上競技会は開催できない,ということだ。だとしたら,この競技場を維持・管理していく目的はなにか。

 のみならず,サッカー,ラグビーなどの球技場としても「専用」には役に立たない。なぜなら,陸上競技場としての「8レーン」が不可欠だとすれば,この分だけ観客席はピッチから遠くなる。ならば,移動式観客席を,ということになる。となると,コストが桁違いに高くなってしまう。だから,固定席になるだろう。とすれば,球技場としても中途半端な競技場になる,ということだ。

 要するに,東京五輪以後,なんのために,だれのために,この競技場が存続することになるのか,という見通しがなにもないのである。それでいて,整備方針の要旨の(1)には,「アスリート第一」の考え方の下,世界の人々に感動を与える場とする,と威勢よくうたっている。この文字面をみるかぎり立派なものである。だれも文句のいいようがない。しかし,中味は「空洞」。

 言ってみれば,たった一回だけの五輪開催のための競技場でしかない,あとのことはなにも考えてはいない。その証拠に,五輪開催後の維持・管理は民間に委託する,という。となれば,独立採算性の「経済原則」が最優先されることになる。国立の公共施設が,民間に委託されて,経済原則で管理されるようになったら,もはや,新国立競技場としての「機能」は果たせなくなってしまうことは,火をみるより明らかだ。おそらくは,競技場に加えて,大きなイベント会場としての転用が,その先には待っているのだろう。となると,いったい,なんのための競技場か,という根源的な問いが新たに生まれてくることになる。

 今回はこの程度にとどめておくが,新国立競技場には難問が山積している。第一に,責任問題に蓋をしたまま,「時間」を理由に,強引に押し切ろうとすればするほど,「亡霊」があちこちから顔を出すことになるだろう。場合によっては,空中分解するほどのエネルギーがそこには充満している。すでに,きな臭い匂いが漂いはじめているのだから。とてつもない「泥試合」が,このさきには待ち構えている。大揺れに揺れるだろう。

 これで,またまた,アベ政権の支持率は低下の一途をたどることになるだろう。
 ただし,メディアの対応次第だが・・・・。
 やることなすこと「でたらめ」。「場当たり主義」。「壁紙の張り替え」。
 要するに,民意を聞き入れる姿勢がまったく欠如しているかぎり,同じことの繰り返し。

 早々に,お引き取りを。

2015年8月16日日曜日

アベ政権,天皇からも三行半。国民の声に寄り添え,と。

 天皇制を擁護するつもりはさらさらないが,このところの天皇の言動は,アベ政権の動向を明らかに意識したもので,この限りにおいて立派なものである,とエールを送りたい。

 とりわけ,昨日(15日)の「終戦70年式典」(政府主催・全国戦没者追悼式)での天皇の「お言葉」(新聞がこう書くのでこれに倣う)は,前例をみない「踏み込んだ」ものだ,と今日の東京新聞一面トップで絶賛している。わたし自身は,これまで天皇の「お言葉」にとくべつの注意を払ってきたことはなかったので,いつもの「定型」版を繰り返しているものとおもっていた。

 
しかし,昨夜のネット上を流れた情報でも,戦後70年の節目の年の「安倍談話」の不評と,それにつづく「全国戦没者追悼式」の式辞のお粗末さが糾弾されているのが,目についた。いずれも「八方美人」的な,借りものの美辞麗句を羅列しただけのものであって,支離滅裂,アベ・シンゾウの本音の心情がつたわってこない,といった類の批判が多かったようにおもう。

 「安倍談話」については,わたしなりに感じとったことをそのまま,直ちに,このブログで書いておいた。結論は,「安倍談話」と「安保法案」とのギャップをどう埋め合わせるのか。その根源的な矛盾をどう説明するのか。「安倍談話」が本気なら,ただちに「安保法案」を取り下げよ,と書いた。

 それにつづいての昨日の「式辞」である。これまた味も素っ気もない,国会答弁を彷彿とさせる,防戦一方の,揚げ足をとられないように,とことん配慮された式辞に終始している。だから,字面だけを追っていくと,なんとなく立派な式辞にみえてくる。しかし,少し踏み込んで読んでみると,これまたボロだらけ。またまた批判の嵐にさらされている。

 しかも,天皇の「お言葉」とアベの「式辞」とを,とくと読み比べてみると,もっと面白いことがわかってくる。これは,どうみても,アベ政権にたいする天皇からの「三行半」ではないか,とわたしの脳は反応する。やんわりと,さりげなく,されど熟慮の末の不動の決意にもとづく「三行半」だ,と。東京新聞も指摘しているように,「国民の声に寄り添え」と,アベ・シンゾウに向かって言外に含ませている。それが,つたわってくる。短い「お言葉」に籠められた天皇の思いは深く,重い。

 
これこそが,「70年」という節目での,もっとも重要な「ことば」なのだ。国民の圧倒的多数は「二度と戦争はしない」という「非戦」の意思を共有している。この声に耳を傾けよ,と天皇は言っている。アベ・シンゾウからは,その姿勢が感じられない。式辞と現実の政治行動との乖離がはなはだしい。根をもたない美辞麗句はいくら唱えても意味はない。

 とうとう天皇からも見放されてしまったか,というのがわたしの印象である。

 当分の間,この議論は尾を引くことになるだろう。そして,ますます支持率は低下の一途をたどっていくだろう。どう考えてみても,上昇気流にはなりえないからだ。

 アベ政権としては,ポイントを一気に取り返す絶好のチャンスがつづいたはずだ。にもかかわらずそのチャンスをものにすることはできなかった。いずれも,マイナス・ポイントに貢献するだけだった。なぜか。政権維持のための首尾一貫性に欠けているからだ。もっと言ってしまえば,本音の政治姿勢を前面に押し立てることができなくなっている,ということだ。

 なぜか。SEALDsによる国会前のデモを筆頭に,全国に拡散した「安保法案,NO」の抗議行動が,官邸に少なからぬダメージを与えている,とわたしはみる。だから,一方では「不戦」を唱えつつも,他方では「加害と反省」には言及しない。支離滅裂。当然の帰結。カウンター・ブローが効いてきた,とみる。

 いよいよ断末魔の悪あがきが,この際,一気に噴出してきた,というのがわたしの見立て。

 総裁選も一枚岩ではいかなくなってきたようだ。今回の,「安倍談話」と「式辞」をとおして,いよいよ自民党内の反アベ勢力も黙ってはいないようだ。なにかと騒がしくなっている,という情報が飛び交っている。

 それほどに,今回の天皇の「一撃」は大きいとみる。

 さて,公明党君はどうする? いまが,縁切りの最後のチャンスなのだが・・・・。

 お盆休み明けの攻防が楽しみだ。アベ君は20日まで夏休みだそうだが・・・・。さて,別荘で,つぎの一手をどのようにひねり出すか? ゴルフなどやっている場合ではなかろうに・・・。

2015年8月15日土曜日

「安倍談話」,聞いてあきれる。本気なら,安保法案を直ちに撤回せよ。

 よくもまあ,しゃあしゃあと,恥ずかしげもなく,こんな「談話」を閣議決定して公表したものだ,とあきれかえってしまった。借りもののことばを多用し,さも,自分のことばであるかのごとく振る舞い,当面の批判をうまくかわすことに専念していて,アベ・シンゾウの生のことばがどこにも見当たらない。だから,言っていることが矛盾だらけで,どこか白々しい。力のない,ふわふわの,いかにもこの人らしい表現がつづく。かとおもうと,あっと驚くような名文のフレーズがとってつけたように突然,現れる。つまり,その場をしのげばそれでいい,という本音が丸見えなのだ。

 したがって,訴えるものがなにもない。またまた,嘘つきシンちゃんの面目躍如というところ。

 もし,この「談話」がアベ・シンゾウの本気の表明であるのなら,直ちに「安保法案」を撤回せよ。それがスジというものだ。この「談話」はそういう趣旨のものだ。

 もう一度,繰り返すが,熟慮の末の「安倍談話」であるのなら,「安保法案」が間違っていた,とまずは謝罪し,しかるのちにこの法案を撤回すべきだ。それなら,この「談話」を信じよう。そして,アベ・シンゾウを支持してやろうではないか。

 でないならば,嘘の上塗りを,また,やらかした,ただ,それだけのもの。単なる猿芝居。その場しのぎのためなら,どんな嘘でも平気でつく。この人の特技である。いや,持病である。正常な神経の持ち主にはできない芸当だから。

 さて,この「安倍談話」を国際社会はどう受け止めるだろうか。英語,中国語,朝鮮語,などにも翻訳して公表すると聞いている。これまでの歴代の「談話」に比べると,かなり饒舌になっている。その分,これまでのアベ政治との矛盾も多く露呈することになった。したがって,当然のことながら,その「矛盾」をつく論評が噴出することになろう。それに対して官邸はどのように対応していくことになるのか。その応答の仕方いかんによっては,もはや,どうにもならない「信頼」の失墜を招きかねない。もはや,失うべき「信頼」などないに等しいのだが・・・。そういう批判の糸口が満載の「談話」になっている,というのがわたしの読解だ。

 その意味では,まことに稚拙な作文だ。あれもこれも,とりあえず役に立ちそうなフレーズはすべて放り込んで,なんとか批判をかわそうとするあまりに,結果的には「自爆」してしまっている。そのことを,官邸の知恵者は気づいていないのか。もっとも,その知恵者たちが狂ってしまっているのだから,もはや,手の打ちようがない,というのが実情なのだろうが・・・。あの「首相補佐官」をみれば,そのことは歴然としている。

 無難にまとめたつもりの「安倍談話」が,またまた,大きな「火種」をかかえこむこととなった。これから,国の内外を問わず,ますます大きな議論となっていくことだろう。アベ政権にとっては致命的な大問題を,みずから提起することになってしまったからだ。

 すなわち,この「安倍談話」と「安保法制」との間に横たわる根源的な矛盾を,どうやって超克していこうというのか。難問中の難問だ。

 まずは,官邸のお手並み拝見といこうか。

 わたしは「空中分解」する・・・と予見している。これで「幕引き」になる・・・・と。

 もちろん,そうあって欲しいという願望も籠めて。

2015年8月14日金曜日

東京五輪エンブレムに赤信号。どうみても「パクリ」。他にも余罪?

 東京五輪2020にかかわる疑惑があちこちから噴出しはじめている。

 もっとも公明正大に行われているものと信じて疑わなかったいわゆる「コンペ」なるものも,なんだか怪しい雲行きになってきた。

 その発端となったのは,いうまでもなく新国立競技場のための「デザイン・コンペ」だ。このコンペの応募要領には,コンセプトも高さ制限も環境条件も,なにも明示されてはいない。だから,応募者は思いの丈を最大に拡大して夢を描いた。そして,ザハ・ハディド案の奇想天外な発想を安藤忠雄委員長が後押しをして,最優秀賞とした。ここが,新国立競技場問題の最大のつまづきの始まりであった。

 明治神宮外苑は特別風致地区に指定されていて,建物の高さ制限が,長年にわたって守られてきたところである。そのことを承知している日本人建築家は,みんな,そのことを念頭に置いてデザイン・コンペに応募している。しかし,ザハ・ハディドはそんなことは知らないまま,応募要領をみて,そのアイディアを思いっきり大きくふくらませてデザインをした。これに安藤忠雄委員長が飛びついてしまった(この人のいい加減さも,その後の言動をとおして明らかになっている)。すべては,ここからはじまった。

 問題が大きくなってきて,みるに見かねてアベ君が「白紙撤回」して「仕切り直し」に入ったかにみえるが,そうは問屋が卸さない。これから,ますます泥沼化し,やがて暗礁に乗り上げるのは必定だ,とわたしは類推している。この点については,いずれ,詳しく論じてみたいとおもっている。

 今回の主眼は,東京五輪2020のエンブレム。とてもシンプルで美しいデザイン・・・・と感動した。しかし,ベルギーのデザイナーから「盗作」ではないかとクレームがついた。詳細ははぶくが,これをうけて,デザイナーの佐野研二郎氏が緊急の記者会見を開いた。

 約1時間余にわたる記者会見に,じっと耳を傾けてみた。さすがに世界的に知られたデザイナーだけあって,理路整然とした説明に,なるほどと納得できるものが多かった。しかし,佐野氏が最大のオリジナリティとして主張した「コンセプト」の違いと,そこから展開されるデザインのヴァリエーションの多様性のところで,わたしは「おやっ?」と疑問をいだいた。

 なぜなら,デザインが似ていても,「コンセプト」が違えば,オリジナリティを主張することができるのかという点と,さらに,このデザインを基にして,さまざまな映像としてヴァリエーションを展開できるところまで考えれば,そのデザインは佐野氏のオリジナリティによるものだ,と主張することができるのか,という2点に疑問を感じたからである。

 この点については,当日の記者たちからも,何回も繰り返し質問がなされたが,佐野氏の応答は,同じことばの繰り返しでしかなかった。つまり,オリジナリティとはなにか,という問いに対して一般論としての応答はしたものの,今回のデザインのオリジナリティはなにか,という問いに対する佐野氏の応答はいちじるしく説得力を欠くものであった。

 つまり,「コンセプト」が違えば,似たようなデザインになにがしかのアイディアを追加すれば,それでその作品のオリジナリティは成立するのか,という問いに対して佐野氏は用意してきた同じ応答を繰り返すことに終始したのだ。自信満々だった表情にも,ぐらりと揺れるこころの動揺が,わたしの目にも見て取ることができた。その瞬間である。わたしが「おやっ?」とおもったのは・・・。

 この会見があったのち,ネットでは,「コピペ」の常習犯だ,という批判が相次いでいる。しかも,その実例を画像で提示しながらの批判である。単なる誹謗中傷ではない。それらを一つひとつチェックしていくと,ああ,これはもう駄目だ,とわたしのような素人でも納得せざるをえない。

 大手メディアは,箝口令を敷かれているのか,まだ,表沙汰にはしていないが,やがて,この問題は取り上げざるをえなくなることは必定だ。

 森喜朗組織委員会会長は,自信をもってこのエンブレムを使っていく,と宣言したが,はたしてどうか。やがては,このエンブレム選出の舞台裏も明らかになってくるだろう。そこには,どうやら,新国立競技場のデザイン・コンペと同じような実態が隠されているようにおもえてならないのだが・・・・。それは単なる杞憂にすぎないのだろうか。

 日本という国家の箍がはずれてしまって,なにもかもがガタガタになってしまった,その一端がここに表出しているにすぎないのでは・・・・とわたしは悲観的になる。戦争法案,辺野古新基地,フクシマの放置,原発難民の放置,加えて川内原発再稼働と,国際社会の笑い物になる話題ばかりが日本から発信されている。そこに,東京五輪2020にかかわる醜聞の露呈である。こちらは,まだまだ,これから際限なくでてくる。

 それに呼応するかのように,火山,地震,集中豪雨,雷雨,竜巻,と自然界までもが加担してくる。こちらも,どう考えても偶然の一致ではなさそうだ。そのうち,お化けや亡霊があちこちで出現することになるのではないか,とわたしは大まじめに考えている。

 国家の基ともいうべき「立憲デモクラシー」をときの政権が無視して平気でいられる,というこの異常さこそが,すべての根源だ。ここから「建て直す」こと,これがいま国民に課せられた喫緊の課題だ。ふんどしを締め直して,本気でとりかからねばならない。

 今夕には「70年談話」が閣議決定を経て,公開されるという。
 はたして,その内容やいかに。世界中が注目している。

遠い日の思い出。8月15日の玉音放送とその前後の記憶。

 1945年8月15日。わたしは国民学校2年生。夏休みで,毎日のように,疎開先の寺の広庭にむしろを敷いて,従姉妹たちとままごと遊びのようなことをして過ごしていた。時折,艦載機が低空飛行をして,バリバリバリと銃を乱射して通過していく。そのたびに,震え上がって庫裡のなかに逃げ込む。それさえなければ,なんとものどかな渥美半島(愛知県)の田舎の寺での,こころの温かい人たちに囲まれた楽しい生活だった。

 疎開するまでは,豊橋市の郊外に住み,東田国民学校に通っていた。1年生の夏には,干し草をつくって学校に提出する宿題に追われていた。毎日のように,午前中は近くの朝倉川の土手にでかけ,草を刈り,大きな束にして担いで帰るのが日課だった。そして,家の猫の額ほどの庭に草を干して,夕方になるとそれを束ねて,翌日,また干すを繰り返す。その草の量は,毎日,少しずつ増えていく。しかし,完全に乾いた干し草になると,ほんのわずかなものになってしまう。日々の労働の割には成果があがっていないような,むなしさも伴っていた。

 夏休み中の登校日ごとに,これを学校に提出。これらは,軍馬のえさになる,と教えられた。軍国少年は,ただひたすらお国のためにと祈りながら,必死で頑張った。しかし,戦況は日に日に悪化していたようで(子どもにはなにもわからなかった),1943年の秋口からは,戦勝祈願と称して,近くの神社に早朝の参拝が日課に加わった。寒い冬の朝などは,霜焼けで赤く腫れ上がった手が痛かったことを記憶している。

 1944年の6月には,豊橋市は空襲があって,火の海のなかを逃げまどいながら,いつも参拝している神社までたどりついた。そして,その脇を流れる小川の中に身を沈め,一夜を明かした。そのまわりには大勢の人たちが,同じようにして一夜を明かしていたことを朝になって知る。みんな,声も出さずに押し黙っていたのだ。

 夜が明けて,みんなが歩きはじめたので,それにつられるようにして家路についた。市街に入ると,すぐに目にしたのが,辺り一面の焼け野原。当時としては珍しい鉄筋コンクリートの細長い建物(ヌカビルと呼んでいた)が立っているだけで,あとは,全部,焼け野原。しばらく,呆然として眺めていたようにおもう。そして,歩きはじめると,あちこちに逃げおくれた人の死体が転がっている。なかには,焼夷弾の直撃に会ったのか,後頭部が半分なくなっている女の人の死体も目に飛び込んでくる。思わず足がすくんでしまって動けなくなる。

 これ以上のことは,ここに書くに忍びない。思い出したくない,とからだが拒否する。必死になって記憶から消去しようとするが,逆に消えるものでもない。より,鮮明な印象となって蘇ってくる。場合によっては,現実以上に印象だけが増幅して,妄想となって肥大していくようだ。しかし,それがわたしにとっての「真実」となる。記憶とは恐ろしいものだ。

 こんな経験のあと,母の実家である渥美半島の寺に疎開する。祖父はすでに隠居していたので,大伯父・大伯母の心温まる好意に支えられて,わたしたちは束の間の安寧を得る。空襲警報と艦砲射撃と艦載機の襲撃さえなければ,まことにのどかな田舎の暮らしが日常を支配していた。

 そうして迎えたのが,1945年8月15日の玉音放送だ。いまでいえばお盆のお中日だが,当時は,旧暦でお盆が行われていたので,なにごともない平日だった。突然,広庭のむしろの上で遊んでいた子どもたちに,庫裡から声がかかって呼び集められた。これから大事な放送があるので,しっかり聞きなさいと言われ,小さなラジオの前に正座させられた。

 それが玉音放送だった。国民学校2年生の子どもにはなんのことか,さっぱりわからなかった。それでも,「耐えがたきを耐え,忍びがたきを忍び・・・」というフレーズだけは記憶に残っている。いや,これも,あとで記憶したことを,このときに記憶した,と勘違いしているのかもしれない。なにか,重大な放送であったらしい,ということだけはわかったような気がする。

 放送のあと,「戦争が終わった」と教えられ,なんとなくホッとしたことを覚えている。もっとも恐ろしくて怯えていた,空襲警報と艦砲射撃と艦載機の乱射から解放される,という安堵からくるものだったのだろう。

 こころの平安はかろうじて取り戻したものの,予期せぬ敗戦後の苦難が待ち構えていた。この記憶もまた,あまりたどりたくはない,わたしの記憶の中に封印されていることばかりだ。しかし,いつかは語っておかなくてはいけないことなのだろう,とこころのどこかでは考えている。そのときを待つことにしよう。

 ことしもまた,8月15日はやってくる。しかも,「70年目」の節目の年として。

2015年8月13日木曜日

元関脇・旭天鵬,引退。23年半の土俵生活に別れ。モンゴル人力士の草分けの人。

 インタヴューなどで話をするときの笑顔が,なんとも味があって,好きだった。個人的な詳しい情報はほとんどなにも知らないが,ニコニコ笑いながら応答する笑顔に,どこか人間的な優しさを感じたものだ。その旭天鵬(元関脇・40歳)が,23年半の土俵生活に別れを告げた。まわし姿での,あの笑顔がもうみられないかとおもうと,ちょっぴり寂しい。

 モンゴル人力士としては草分けの人。92年春場所,史上最多となる160人の新弟子検査を受けたなかに,この人がいた。将来を嘱望されたが,なかなか出世できず,一度はあきらめてモンゴルに逃げ帰ったこともある。親方がモンゴルまで出向いて,「才能がある,必ず一人前の力士になれる」と説得して連れ戻した,という逸話がある。

 大器晩成型だったのだろう。出世はかならずしも順調とはいえなかったが,着実に力をつけた。本人もそのことに気づいてからは,じっくりと稽古に励んだ。大負けもしなければ,大勝ちもしない,どちらかといえば地味な,安定した力を徐々に伸ばしていった。そして,遅咲きではあったが,平幕優勝まで経験した。

 このとき,横綱・白鵬が優勝パレードの旗手として祝福をした。しかし,日本相撲協会は,部屋も違うのに,なぜ,横綱が旗手をつとめるのか,と不快感を示した。白鵬としては,入門後のなにもわからない相撲界のことを,この先輩力士になにかと教えてもらった。懐が深く,思いやりのある旭天鵬をこころの師と仰いで,稽古に励んだ。その恩返しのつもりだった。

 このあたりから,白鵬と部屋の親方や協会との,ちょっとしたすれ違いが目立つようになっていた。しかし,旭天鵬は,意に介することもなく,温かく白鵬を見守った。

 こんなことの蓄積があってか,旭天鵬はモンゴル出身の力士たちに,頼りになる先輩として慕われた。たぶん,なにがあっても,あのニコニコした笑顔で,後輩たちを励ましつづけたのだろう。モンゴル出身力士のなかで,旭天鵬のことを悪く言う力士はひとりもいないという。

 そういう人柄が,テレビをとおしてみているわたしにも,それとなく伝わってきた。人柄のよさが全身にあふれていた,といっていいだろう。

 手足の長い大きなからだを武器に,がっぷり四つに組むと力を発揮した。ここでも,ふところの深さが生きていた。怪我をしない力士としても印象に残る。それは土俵にも現れていた。危ない,土俵際の攻防はほとんど見られなかった。勝つときは,綺麗に寄り切るか,投げを打って,すんなりと勝負をつけた。負けるときも,土俵際で無理をして抵抗するということはほとんどしなかった。どちらかといえば,あっさりと土俵を割った。

 もの足りないといえばもの足りない相撲だった。しかし,これが旭天鵬の相撲だった。こんなところに旭天鵬の性格がでていたのだろう。わたしは,みていて,もう一踏ん張りしろよ,と何度もおもったが,でも,これがかれの相撲なのだ,と自分に言い聞かせた。たぶん,稽古場でも,闘志を剥き出しにした荒っぽい相撲はとらなかったのだろうとおもう。闘志は胸の奥深くにしまいこんで,きちっと勝負をつける相撲を心がけたのではないかとおもう。

 星勘定のきびしい相撲界にあって,どこか勝敗を達観したような相撲を淡々ととり続ける力士は,そんなに多くはない。そういう希少価値をもった,ゆったりとした力士だった。だから,ここ数年は,あまり無理をするな,ゆったりとしたマイペースでとれ,と応援をしていた。その姿勢は,最後まで貫いたとおもう。負けが込んできて,いよいよ幕内陥落というところに追い込まれても,いつもどおりの旭天鵬の相撲をとりきった。

 これでいいのだ,とわたしは自分に言い聞かせた。

 現役の引き際はむつかしいものだ。しかし,最後まで,自分の姿勢を貫いて,静かに土俵を去っていく,これもまた立派な美学ではないか。

 これからは親方として後輩の指導にあたるという。おそらく,あのこころのふところの深さを生かし,愛情をこめて,若い優秀な力士を育てるに違いない。

 旭天鵬の,第二の相撲人生に期待したい。

 23年半にわたる土俵生活,ご苦労さんでした。こころからエールを送りたい。

2015年8月12日水曜日

とうとう見切り発車。川内原発再稼働。危険がいっぱい。いったいだれのために。

 フクシマの大惨事はいまもつづいている。しかも,情況は悪化の一途をたどっているという。というか,手も足も出せないまま,じっと見つめているだけだ。メルト・ダウンした核燃料の行方は杳としてわからないままだ。一説によれば,すでに,臨界点に達していて,数回にわたって水蒸気爆発が起きている,ともいう。その証拠写真もネット上で流れている。が,いずれにしても,いつ,なにが起きても不思議ではない状態がいまもつづいている。そのエネルギーは,広島原爆の500個分に相当するという。巨大な地震に揺さぶられれば,それらが一気に爆発する可能性はきわめて高いとも。

 そうなったら,すべてはおしまいである。

 こんな危機的な状態にあることには蓋をしたまま,川内原発再稼働に踏み切ったアベ政権。いったい,だれのための再稼働なのか。なにを考えているのか。

 これほどまでに再稼働にこだわるには,それなりの理由があるはずだ。しかし,それは口が裂けても言えない理由だ。つまり,まったく不純な動機にその端を発した理由だ。時代劇でよくあるシーンと同じ理由だ。「越後屋,お主も悪よのう」のあれだ。こんなことをアベ政権は,ひた隠しにしながら,やろうとしているのだ。

 アベ政権は,やはり,退陣願う以外にはない。

 原発再稼働も,安保法案同様,それを「正当化」する論理的根拠はどこにも見当たらない。もし,あるのなら,アベ政権は責任をもって,文書にして提示し,国民的議論を経たのちに,再稼働に踏み切ればいい。当然のことながら,再稼働にともなう利害得失を一覧にして,その収支決算を明確にした上で,再稼働というのが筋である。

 しかし,それはできないのだ。それをやればやるほど,根拠のなさが露呈してしまうからだ。だから,原子力規制委員会に丸投げにして,アベ政権は責任逃れをはかる。それでいて,「世界でもっとも厳しい規制基準」で審査された結果であるから,それを信じて再稼働に踏み切る,と大見得を切る。しかし,その規制基準とて,IAEA(国際原子力機関)の基準に達しているかとうかは疑わしい,という。にもかかわらず,「世界一,厳しい規制基準」だとアベ・ソーリーは嘯く。こういう根拠のない嘘をつくのは,すでに,常習化している。

 これほど,みえみえの嘘が平気でつけるソーリーも珍しい。

 今回もまた,嘘で塗り固められた「原発再稼働」に踏み切った。こんな無茶苦茶な,民意を無視した強引なやり方をすれば,アベ政権支持率はまたまた激減するだろう。なぜなら,国民の「命」がかかっているのだから。この国民の「命」を軽視する発想の杜撰さは安保法案と同じである。けしからん。国民の「命」を,まるで将棋の駒とでも考えているらしい。

 原発再稼働は,なにがなんでも許されない。最低でも,国民的合意がえられるまでは「棚上げ」にしておくべきだ。使用済み核燃料の処分方法もみつからないままの見切り発車は,断じて許されるべきではない。

 こうなったら,安保法案を廃案に追い込み,アベ・ソーリー退陣のための「花道」を用意する以外にはない。そのためには,全国ネットでひろがりつつある抗議行動で,みずからの意思を表明することに全力を傾ける以外にない。そういう,強い決意を,いまこそ。

2015年8月10日月曜日

ヒロシマ,ナガサキの原爆慰霊祭を終えて。アベ・ソーリー,ご退陣を。

 戦後「70年」という節目の年,ことしも例年どおりヒロシマ(8月6日),ナガサキ(8月9日)では厳かにしめやかに原爆慰霊祭が開催されました。にもかかわらず,このニュースを取りあつかう方法は,メディアによってさまざまでした。きわめておざなりなものから,きめ細かに「原爆」を軸に戦争と平和を考えさせる素晴らしい報道まで,ピンキリでした。

 つい,数年まえまでは,こんな扱いではなかったと記憶します。どのメディアも,真っ正面から向き合い,真剣に報道がなされていたようにおもいます。なのに,この数年の間の,この様変わりはどうしたことなのでしょう。

 三重県では,原爆の写真展が「政治的すぎる」という横やりが入って,主催者である地方自治体は中止する,というとんでもないことが起きています。最近では,「政治的」であることがまるで「悪」であるかのごとき勘違いの風潮がひろまっています。とりわけ,秘密保護法が制定されたあとから,この傾向がつよくなっているようにおもわれます。

 「政治的」とはどういうことか。人間は社会の一員として存在するだけで,立派に「政治的」です。政治にかかわることを語り,行動するだけが「政治的」ではありません。「政治的」なことを無視して,だんまりを決め込むのも立派な「政治的」行為です。

 「政治的」な言動は政治家だけに許された特権ではありません。一人の生きる人間に付与された基本的人権です。だからこそ,だれもが「政治的」な発言や行動をする権利をもっています。そうして,お互いに意見交換をしながら,ときには激しい議論や抗議行動までも伴いながら,民意のありどころを探っていくのが民主主義の基本です。

 立憲デモクラシーを否定し,憲法違反の法案を議会に提出し,なんの根拠もないことを「想定」し,ありもしない国民の不安を募り,数の横暴で押し切ろうとする,アベ・ソーリーが登場してから,ますます,国民の「政治的」言動がやり玉に挙げられるようになってきました。強権をもつものが,一方的に弱者に圧力をかけ,自分たちの利権だけを守ろうとする,そういう社会の支配階級と手を結び,ますます強権政治をまっとうしようとしているアベ・ソーリーの手法が,一般の市民社会にも浸透しつつあり,いまや目を覆うばかりです。

 ヒロシマ,ナガサキの各市長のスピーチに対しても,圧力をかけ,あからさまにイチャモンをつけるアベ・ソーリー。その品格のなさ・・・。まるで,ヤクザの親分と同じです。気に入らない奴は消してしまえ,とばかりにありとあらゆる手段を用いて圧力をかけてきます。もはや,独裁政治そのものとなりはててしまっています。

 それを,また,黙って見過ごす多くの大手メディア。このジャーナリズムの「死」ともいうべき「黙認」こそ,「いまやまさに」「政治的」であり,「犯罪的」でもあります。つまり,独裁政治に与する,最悪の「政治的」行為そのものです。

 その反面,インターネットでは,アベ・ソーリーの,とってつけたような虚ろなスピーチをまるごと映像としてみることができます。その一方で,ヒロシマ,ナガサキの各市長の,思いのこもった素晴らしい「平和宣言」をこれまた映像ごとすべてを見聞することができます。被爆者代表による,身を切るような,からだ全体から絞り出されるような「反戦」「平和」への希求のことばも,映像ごと,何回も繰り返し耳を傾けることができます。この被爆者代表のスピーチに対しても,アベ・ソーリーはいちゃもんをつける始末です。

 もはや,人間とはおもえません。血(知)も涙(情緒)もない冷徹な独裁者の顔にしかみえてきません。それでも,どこかに,かすかに良心のかけらは残存しているようです。被爆者や市長のスピーチのクライマックスに達したときの「ことば」,たとえば,「非戦」こそが「平和」実現への道である,と訴え,参列者から大きな拍手が湧いたときには,さすがの冷徹・独裁者の「目が泳いでいる」姿も映像のなかにしっかりと捉えられています。

 民意を把握できなくなった政治のリーダーは,いさぎよくその場から撤退すべきです。民意を無視した政治は,もはや,国のためになりません。国を滅ぼしてしまいます。不特定少数のための利害・打算の政治は不要です。

 この二つの重要な慰霊祭をとおして,アベ・ソーリーの退陣の道筋もまた一段と明確になってきたようにおもいます。最後にだれが,アベ・ソーリーに引導をわたすのか。それは,わたしたち自身です。圧倒的多数の民意を構築して,それを目にみえる形で提示することです。

 いま,SEALDsを名乗る若者たちを中心にした抗議行動が,燎原の火のごとく全国津々浦々にまで広まっています。8月23日(日)には,全国を舞台にして,大々的な抗議行動を展開することが予告されています。わたしも,この日に向けてリハビリにつとめ,なんとしても末端のひとりになりたいと,こころに決めています。

 「本気で倒す」。ただ,その一念で立ち上がること。

 お盆休み明けの,「夏の陣」です。歴史の1ページを飾ることになる大事な正念場です。一人がもう一人の友人を誘えば,デモは倍に膨れ上がります。いまは,行動あるのみです。

 アベ・ソーリー退陣に向けて,最後の一撃をふるうときです。

 ヒロシマ・ナガサキの原爆慰霊祭の映像をみて,その思いがますます募ってきました。

 もはや,これ以上,アベ・ソーリーにこの国の舵取りを任せておくわけにはいきません。いまこそ,声をひとつにして立ち上がろうではありませんか。

2015年8月9日日曜日

雑誌『世界』9月号,特集・安保法案──深まる欺瞞と矛盾,必読。

 月刊雑誌で,定期購読するだけの価値のある雑誌は「いわばまさに」『世界』しかないと思い定めて,もう久しい。「いわばまさに」毎月の楽しみとなっている。

 雑誌がとどくと,真っ先に読み始めるのは「編集後記」。清宮美稚子編集長が,どんな話題をとりあげているか,わたしの羅針盤のような役割をはたしてくれている。今回は,この一カ月の国内で展開された安保法案をめぐる抗議運動をはじめとするさまざまな問題の局面が取り上げられている。国会答弁で繰り返し聞かされる「いわばまさに」という,ほとんど意味をなさないことばを逆用して,清宮編集長は効果的に活用している。

 その調子のよさに,ついつい,わたしまで濫用してしまう。困った宰相の意味不明言語の多用が,「丁寧な説明」だとしたら,「いわばまさに」おしまいである。国会討論のあの,情けないほどの時間の無駄遣い。なにひとつとして議論にはならない。それもそうだろう。憲法違反の法案を正当化する理論的根拠はどこにもないのだから,ありもしない想定をあえてでっちあげ,危機感をあおり,それらしくみせかけて,だから「戦争法案」は必要なのだ,と繰り返す。その虚ろなことばの繰り返しに,中学生ですら「馬鹿みたい」と笑う。

 これが国会の実態である。国会中継は,その意味で,きわめて重要だ。それでいて,80時間も議論をした,あるいは,90時間も議論したのだから,という理由だけで強行採決に持ち込もうとするアベ政権のでたらめさが,さらに剥き出しとなる。この事実を多くの国民が見定めている。

 だからこそ,「ア・ベ・ハ・ヤ・メ・ロ」コールが日ごとに広がっていく。当然のことだ。ついには,高校生までが立ち上がり「T-ns Sowl」を組織し,声を挙げている。選挙権を付与されるのだから,当然の意思表明だ。体調がもどってきたら,まっさきに応援に馳せ参じたい。

 「ほんとうに止める」という連帯の意思は「いわばまさに」燎原の火のごとく拡がっている。

 『世界』9月号の特集は「安保法案──深まる欺瞞と矛盾」と,もう一本「戦後70年──「戦」の「後」でありつづけるために」の2本。いずれを拾い読みしてみても,すぐにその論調のなかに吸い込まれていく。魅力的な内容が軒を並べている。特集の一本目は,「いわばまさに」アベ君の答弁がいかに「欺瞞と矛盾」に満ちているかを浮き彫りにするもの。こちらの論考はいずれもみごとにその根拠を明らかにし,説得力十分。

 特集の2本目の冒頭には,対談・いま「非戦」を掲げる──戦後70年 反転された「平和と安全」,と題した田中優子(法政大学総長)×西谷修(立教大学)が掲載されている。一見したところ,異色の対談のはずが,なんともののみごとに「噛み合って」いて,面白い。「平和」などという実態のないことばではなく,いまこそ「非戦」ということばを掲げるべきだ,と両者の主張はみごとに一致している。

 この他にも,「慰安婦」問題を取りあつかった永井和(京都大学)の,破綻した「日本軍無実論」が読ませる。また,柄谷行人の「反復強迫としての平和」が力作。そして,親しくさせていただいている今福龍太さんの大地の平和,映像の平和──サルガド,ヴェンダース,自然契約,がわたしのような者では思いもよらない,意表をつく視線からの論考が新鮮だ。

 こうして挙げていくと際限がなくなり,全部,とりあげなくてはならないほどの内容の充実ぶりだ。いやはや,雑誌『世界』は安い。おつりがくる。

 最後にひとつ。新連載「刻銘なき犠牲──沖縄にみる軍隊と性暴力・第一回──鳥になって故郷へ帰りなさい,川田文子(ノンフィクション作家)が,わたしにはとても印象に残った。沖縄のことは,ほとんどなにも知らないに等しい情けない本土の人間として,気持を引き締めて,これからの連載も期待したい。

 取り急ぎ,9月号の感想まで。

2015年8月8日土曜日

書物の記憶。『夜の鼓動に触れる』(西谷修著,ちくま学芸文庫,2015年)をいただく。

 20年前の西谷修さんの名著『夜の鼓動に触れる』の復刻版が,ちくま学芸文庫から出版されました。西谷さんから直接,手わたされ感動。奥付をみますと「8月10日発行」となっていますので,書店に並ぶのはまだこれからでしょう。

 『夜の鼓動に触れる』は東京大学出版会から1995年に刊行されました。このときも西谷さんはわたしのような門外漢にも,本をプレゼントしてくださいました。20年前ですから,わたしがちょうど57歳のときです。ということは,西谷さんは45歳。この本には「戦争論講義」というサブタイトルがついていますように,西谷さんが東大教養部で講義をされたときの講義録がもとになっています。

 もう少しだけ付け加えておきますと,東大教養部でカリキュラムのなかに新しく「現代思想」という講義科目が追加されることになり,その講義内容として「戦争論」を語って欲しいとの依頼があって,それを受けての西谷さんのお仕事だった,ということです。詳しくは,本書の「はじめに」のところに述べられていますので,そちらを参照してみてください。

 わたしは西谷さんのジョルジュ・バタイユ研究に早くから惹かれるものがあって,ぼちぼちと「現代思想」への挑戦をしていました。ですから,このテクストがでたときには,ある程度のレディネスができていました。そのせいでしょう。わたしは,このテクストを一気に読むことになりました。そして,とても大きな衝撃を受けることになりました。

 それは,ヘーゲル哲学からハイデガー哲学への転換,そして,そのハイデガー哲学を批判的に継承しつつ超克していこうとしたバタイユ哲学,そのバタイユ哲学にはたしたニーチェの役割など,そういう骨格がこのテクストによって,わたしなりに腑に落ちたからです。言ってみれば,ヘーゲルの形而上学(認識論)からハイデガーの存在論への転換,そして,ヘーゲルとハイデガーの哲学を両睨みしながらニーチェの「生の哲学」を引き受けつつ,さらに「存在論」の奥深くにまで分け入っていったバタイユの思想・哲学的位置づけが,ようやくわたしの視野のなかに入ってきたからです。

 遅れてやってきた青年(大江健三郎)ではありませんが,わたしは57歳にしてようやく思想・哲学の入口に立つことができました。以後,こんにちまでの道は迷いのない一直線でした。そして,バタイユを読めば読むほど,わたしの遺伝子のなかに組み込まれているらしい禅仏教の世界,とりわけ道元の『正法眼蔵』やその解説本でもある『修証義』,そして『般若心経』の世界にものめり込むことになりました。

 そして,その上に立って,長年取り組んできたスポーツ史研究の根源的な見直しやスポーツ文化論の脱構築を試みる,といういまのわたしの思考のスタンスができあがってきました。その大きなターニング・ポイントとなったテクストが,この西谷さんの『夜の鼓動に触れる』でした。

 そして,何度も何度も,「夜の鼓動に触れる」とつぶやきながら,なんと恐るべき深さをもった書名であることか,と感嘆したものでした。つまり,「昼」の近代が否定してきた「夜」を,いま一度,思考の真っ正面にすえて,人間が「存在」することの意味を根底から問い直そうという恐るべき思考実験をそこにみたからです。しかも,そのためのもっとも重要な思考の窓口として「戦争」を設定し,戦争をする人間とはいったいなにか,と問いかけていきます。

 この手法は,これまでの思想や哲学とは次元のことなる,まったく新しいものでした。それを,西谷さんは「現代思想」という講義科目のなかで展開しようと試みたわけです。いま,現在の西谷さんの頭のなかでは,おそらく,これぞ「チョー哲学」のひとつのサンプルなのだ,とにんまりされているのではないかとおもいます。

 思い返せば,このテクストは,『読書人』が毎年暮れに行っている「ことしの3冊」という各界の名士たちを対象にしたアンケートで,多くの人に取り上げられた話題の書物でした。そういう名著が,20年の時を経て,こんどは「ちくま学芸文庫」から復刻されました。

 神戸からの帰りの新幹線のなかで,あちこち拾い読みをしてみました。いつものことですが,西谷さんの本は,何年経っても「古くならない」,素晴らしい鮮度をいまも保っているということにいまさらながら驚かされました。そして,巻末には,「20年目の補講──テロとの戦争について」が書き下ろしで追加されています。そこに書かれていることは,こんどの集中講義でもこってりと語ってくださっていましたので,これまた強烈な印象を残すことになりました。

 やはり,こんどの神戸行きは大正解だった,と家にたどりついてしみじみおもいました。西谷さんの集中講義の醍醐味をたっぷりと味わうことができたことがなによりの滋養となったことはもちろんですが,加えて,心配してくれていた親しい友人たちとも術後,初めてお会いすることができたからです。

 これを糧にして,これからの体調管理に取り組みたいとおもいます。そして,このテクストも,じっくりと味わい直してみたいとおもっています。たぶん,以前とはまた違った強烈な知の地平を切り拓いてくれるに違いありません。それを楽しみに。

 みなさんも,是非,手にとって熟読玩味してみてください。まぎれもない名著です。

2015年8月7日金曜日

術後,初の遠出。神戸市外大で西谷修さんの集中講義を聴講。すっかり元気を取り戻す。

 8月5日の夕刻,エアコンの取り替え工事が終わるまで,猛暑日と熱帯夜に苦しめられ,心身ともに弱り切っていました。しかし,エアコンの力,恐るべし。たった一晩で,水分補給意欲も食欲もすっかり取り戻し,よし,これなら行けると判断し,神戸市外大に向かいました。

 いつものように新横浜駅で,権兵衛のおむすび2個とちらん茶を買って新幹線へ。久しぶりに朝からおいしくいただく。まもなく爆睡。眼が醒めたら名古屋を通りすぎていました。これですっかりからだに力がもどり,むつかしい本を取り出して読む元気もでてきました。

 新神戸駅では,わたしのことを気遣ってくれた竹谷さんが迎えにきてくれていました。想定外でしたので,ちょっとびっくり。あわてて,「どうしてここにいるの?」と尋ねてしまいました。すぐに,わたしの背負っているパソコン入りのザックを取り上げ,「こんな重いものを背負っていてはいけません」とお叱りを受けてしまいました。

 学園都市駅に着いたらちょうど12時。もう,腹が減っていて,すぐにそば屋さんへ。いつも注文する「鴨なんそば」を注文。おいしくペロリと食べて,その足で宿泊施設の支払いと鍵をもらって部屋へ。不要な荷物を置いて,すぐに大学へ。

 西谷さんは,わたしの顔をみるなり,「大丈夫ですか」と気遣ってくださる。今日になって,すっかり元気をとりもどしたことを短く報告。

 午後の3コマ。西谷さんの名講義を聞かせていただいて,さらに奮い立つようにしてこころというか,精神の元気がもどってきました。やはり,思い切ってでかけてきてよかった,とこころの底からおもいました。この授業を聞かせていただいただけで,もう,帰ってもいい,とおもうほどの充実した内容でした。

 話題は別に目新しいものではなく,西谷さん得意の「戦争論」の一端。それも,「テロとの戦争」の意味するところを,深く深く掘り下げて,そこに浮かびあがってくる思想・哲学的な新しい知の地平を,じつにわかりやすく説いてくださいました。西谷さんには『テロとの戦争』という著作もあり,改訂版も出たりして,すでに,何回も読んですっかり承知しているつもりでいました。

 しかし,昨日(6日)の講義はそうではありませんでした。疲労の極に達しているとおもわれるからだに鞭打つようにして,しだいにスイッチが入り,ボルテージも上がって,しかし,静かな小さな声を絞り出すようにして語りかけてくださいます。完全な西谷ワールドの出現です。つぎからつぎへと話の組み立てがおのずから立ち上がってくるような話術にささえられながら,その思想・哲学的な深みへと,耳を傾ける者の思考を誘ってくださいます。

 後半の話は,とくに,陶酔しながら聞かせていただきました。「ああ,やはり神戸まででかけてきてよかった」としみじみおもいました。こういう冴え渡った知の地平に触れることが,いかに,いまのわたしには良薬であることか,としみじみおもいました。内容については,また,機会を改めて紹介させていただくことにして,とりあえず,すっかり元気を取り戻した,というご報告まで。

 〔追記〕この集中講義のあとの,夕食には,「竹谷庵」なるスペシャル・カフェで「ローフード」のフルコースをご馳走になり,この食事もまた,わたしのからだには最高のプレゼントになったことも,今朝の目覚めのよさによって証明されています。これで,今日(7日)も一日,なんとか元気に過ごせそうです。ありがたいことばかりです。神戸はいいところ。

2015年8月6日木曜日

ようやくエアコンが入りました。これでようやくこの猛暑を無事にやりすごすことができそう・・・・。

 昨日(8月4日)で,猛暑日が観測史上最長の5日連続を記録しました。熱帯夜も同じ。なにせ頼みのエアコンが壊れてしまったので,取り替え工事にきてくれるまでの一週間をどうやりすごすか,ありとあらゆる智恵を駆使して,今日(8月5日)を迎えました。

 昨夜は12時すぎたころから,西風が吹くようになり,部屋のなかを涼しい風が通り抜け,久しぶりに熟睡することができました。その西風が今日の午前中も吹いてくれましたので,まずは快適。午後から,この頼みの西風が南に偏るようになり,部屋のなかは無風状態。仕方がないので,とりあえず,安物の扇風機をまわすことにしました。

 猛暑日の5日間の,昨日の夕刻までは,南風が吹いていて,部屋のなかは扇風機をまわしても,ほとんどサウナ状態。熱風がかき回されるだけの話。必死になって水分を補給し,暇さえあれば横になる,という対策をとりました。とうとう,水分補給も胃腸が拒否しはじめ,困ったことになりました。もういらん,というのです。しかし,背中は汗が運動会をやっています。汗がでなくなったらたいへんです。ですから,なんとかして水分を補給しようとするのですが,水もポカリスエットもコーラもサイダーもジュースもいらないとからだが拒否します。困った,と頭をかかえてしまいました。

 しばらくぼんやりと考えていたら,スイカが食べたい,モモがたべたい,ブドウが食べたいと胃腸が言いはじめました。あっ,そうか,果物で水分を補給しようと気づき,すぐに近くのスーパーに走りました。いずれの果物もシーズンを迎えていますので,比較的安く買えることがわかりました。とりあえず,ひととおり購入してきて,冷蔵庫の野菜室に保管。さあ,大丈夫だ,と一安心。

 この作戦は功を奏し,からだが喜んで受け付けてくれました。ありがたい。でも,一度に食べすぎると,弱っている胃腸が騒ぎだします。だから,その直前でやめなくてはなりません。つまり,ちょびちょびと,少しずつ回数を分けて食べることに。これでなんとか生き継ぐことができそうだ,と目処が立ちました。

 昨夜の電話での約束どおり,午後4時に,エアコンの取り替え工事の業者がやってきました。西日の当たる猛暑の真っ盛りでの工事です。業者は汗だくになって一生懸命,やってくれました。なかなかいい人で,気持よく作業が進みました。たった一人でとりかかって約2時間。休む間もなく働いて,ようやく完了。早速,試運転。いろいろなところをチェックしながら,順調に動くことを確認して,業者は帰りました。

 それからずーっとエアコンをつけていますが,汗もかかない快適温度にセットしてありますので,なによりからだが楽をしています。これで夏バテから脱出できそうです。胃腸のはたらきも回復してくることでしょう。

 ということを見届けた上で,明日(6日)から神戸市外大の西谷修さんの集中講義(途中からですが)を聴講しに行ってきます。退院後,初の遠出です。新幹線のなかはゆっくり休むことができますので,大丈夫だろう,とタカをくくっています。

 取り急ぎ,わたくしごとながら,ご報告まで。

2015年8月5日水曜日

辺野古,一カ月の休戦。政府と沖縄県とが話し合い。いったい,なにが起きたのか。

 突然の政府自民党の方針変更である。あれほど,辺野古の工事は日米合意にもとづき粛々と進める,裁判闘争も辞さない,という強行姿勢を貫いていた政府自民党の,突然の妥協策の提案である。いったいその背景にはなにがあったのだろうか。

 翁長沖縄県知事の方は,辺野古工事認可の取り下げ(第三者委員会の結論)をちらつかせ,かつ,8月下旬には国連人権委員会での演説を控えている。辺野古に関しては,「県外移設」をかかげ,一歩も引かない姿勢を貫いている。アメリカにもでかけロビー活動も展開してきた。日本のメディアはほとんど相手にされなかったと報じたが,じつは,アメリカ議会の要人たちのこころを動かした,という報道がアメリカではなされていたという。

 日本政府が日米合意を楯にして,強引に辺野古新基地建設をすすめていけば,日本政府のみならず,アメリカ政府もまた沖縄県民の民意を無視する人権問題に加担することになり,国際的な批判を受けることになりかねない。それほどに,沖縄県が張りめぐらせてきた外交戦略は,ここにきて徐々に功を奏しているようだ。

 しかも,アメリカにとって沖縄の米軍基地はもはやそれほど重要ではなくなってきている,という観測も聞かれるようになってきた。しかも,沖縄に米軍基地を置くことによって,不必要な緊張を生みだすのはアメリカにとっても百害あって益少なし,とも言われている。ましてや,抑止力としての機能はまったくはたしていない,というのがアメリカの軍事専門家たちの意見である。

 これまでにも,米軍基地を沖縄から引き払うという提案はアメリカ側から複数回にわたって提案されてきた経緯もある。しかし,そのつど,日本政府は沖縄に米軍基地を置くことを「懇願」し,こんにちにいたっている。いまでも,海兵隊はグアムに引き上げたい,というのがアメリカの本音だという。それを「阻止」しているのは「アベ政権」だ。

 いまも,「戦争法案」の審議中に,しばしば,南シナ海や尖閣諸島を引き合いに出して,危機意識を煽り,ここに睨みを効かせているのは米軍基地であり,米軍による抑止力なのだ,と繰り返し答弁している。これもまたアベのでっちあげたご都合主義の演出にすぎない。しかし,野党議員たちのシンク・タンクがお粗末なために,このまやかしを論破することができないでいる。情けないかぎりである。

 なにがなんでも「戦争法案」を押し通そうという折も折,突然,辺野古の工事を一カ月中止して,政府と沖縄県との話し合いをしようという。いったい,なにごとがあったというのか。

尋常一様ではない,なにかが起きている,とみるのが自然だろう。アベ政権がもっとも素直に行動を起こすのは,アメリカ政府の意向だ。これまでのアベ政権の実績がそれを証明している。もうすでに一カ月も前から水面下の交渉はつづいていたという。

 もっとも,アベ政権支持率の低下の歯止めがなかなかうまくいかない。新国立競技場の「白紙撤回」も,「当たり前だ」と受け止められ,さして効果はでていない。そこに,辺野古の1カ月休戦だ。もっとも素直に考えてみれば,政府与党の苦肉の策で,やはり支持率回復が念頭にあるのでは・・・・というのが大方の推測だ。しかし,こんな後手,後手の,とってつけたような対策で支持率が回復できるとおもっているとしたら,なんと甘いことか。

 ここはやはり,アメリカからなんらかの指示があって,それを受けてのアベ政権の方針転換(それが一時的なものであれ)ではないか,というのがわたしの見立てである。

 この一カ月,どのような推移をたどるのか,みものではある。そして,メディアがどのように報道するのかも,みものである。とくとお手並み拝見というところ。

 沖縄県民の期待は否が応でも高まること間違いなしなので,アベ政権が打つ手を間違えると,命取りになりかねない。その他にも,ヒロシマ,ナガサキ,敗戦記念日,という重要なイベントがつづき,政局も重大な局面を迎えている。目覚めた国民の意思表明も次第に熱くなってきている。この夏は,日本国の命運をかけた「関が原」の戦いになるだろう。その意味でも,あだやおろそかに無為の日々を送ってはならない,と気が引き締まる。

2015年8月4日火曜日

猛暑日,熱帯夜のつづくこの時期が東京五輪2020の会期。マラソンは大丈夫か。

 わたしが入院した7月4日は,すでに猛暑がはじまっていたと記憶する。そして,入院中も,連日,猛暑が伝えられていた。退院後(7月18日)は,文字どおりの猛暑日と熱帯夜の連続である。まだまだ,当分の間,この猛暑日と熱帯夜はつづくという。かりに,ことしが特例であったとしても,この縮小版は毎年,繰り返されている。そして,7月末から8月上旬にかけては,間違いなく猛暑日と熱帯夜が襲ってくる。

 こんな,日本の気候のなかでももっとも苛酷な猛暑日と熱帯夜がつづく確率の高いこの時期に,東京五輪2020の会期がぴったり重なっている。だれが,どのような理由でこの時期を会期としたのかは知るよしもないが,あまりに思慮のない選択であったことは間違いない。選手にとっても,応援に駆けつける観衆にとっても,苛酷この上ない。おそらくは,外国からの観光客を集めようという,まさに経済原則が優先されたらしい,というのがもっぱらな噂だ。主客転倒である。

 東京五輪1964のときには,日本の気候のなかでもっともいい時期を,意図的・計画的に選んでいる。開会式は晴れの特異日:10月10日にセットした。スポーツの秋の絶好のシーズンを会期に当てはめているのだ。そして,開会式はもののみごとに晴れ渡り,真っ青な空が広がった。あの,ブルー・インパルスが青空に描いた「五輪」のマークが目にも鮮やかに焼きついている。

 さて,東京五輪2020の開会式は7月26日。ここから2週間。猛暑日と熱帯夜はセットでやってくるだろう。しかも,集中豪雨,雷,突風が襲う,天気が安定しない時期。加えて,台風のシーズンでもある。これらが全部一緒にやってこないとはだれも断言できない。言ってみれば,スポーツの祭典を開催するには「最悪」の時期なのだ。こんなことはだれでもわかることなのに,金の亡者になってしまった組織委員会には常識は通用しない。異次元の世界だから。その結果,外国からの観光客を最優先に考えたらしい。

 一事が万事,この調子である。

 主役がだれであるかを忘れている。

 いったい,この猛暑日の最中に,どうやってマラソン競技を行うのだろうか。そして,この猛暑のなか参加する選手はいるのだろうか。少し良識のある選手なら,出場を辞退するだろう。観客も沿道に並んで応援するだろうか。おそらくは,エアコンの効いた室内でテレビ観戦に走るだろう。わたしならそうする。

 他の競技にしたってたいへんである。いちいち例を挙げるまでもないだろう。なにからなにまで,やることなすこと出鱈目である。その一端が,新国立競技場建設問題となって噴出した。まだまだ,これから難題がつぎつぎに明らかになってくるだろう。はたして,東京五輪を開催することは可能なのだろうか,とわたしは真剣に考えている。

 その理由も山ほどあるが,いつか,そのこともこのブログで書いてみたいとおもう。そして,結論をさきに述べておけば,「東京五輪を返上しよう」だ。そのための条件が整っているとはとても考えられないからだ。その最大の難題は,フクシマだ。アベ君は”under controll”と,世界に向けて嘯いたが,事態はますます悪化の一途をたどっている。あと5年後には,もっとひどい現実を目の当たりにすることは間違いないだろう。

 いまもなお,無責任体制のまま,5年後を迎えようとしている。まずは,ここからしてトンチンカンだ。責任をとる現場の最先端に立つリーダーがいない。

 東京五輪2020の会期を決定したときから,すでに,「トチクルッテイル」としかいいようがない。そして,その延長線上にいまもいる。これが,日本の政治情況もふくめて,ありのままの姿なのだ。絶望するしかない。この隘路から脱出するための「未来志向」型の発想は,国民の側から提示する以外にはなさそうである。SEALDsのように。

2015年8月3日月曜日

SEALDsにつづいて若い母親の会やOLDsが,そしてついに「ティーンズ」(高校生)が立ち上がる。この猛暑のなかを。

 連日のようにわたしのFBには,眼からうろこが落ちるような,新しいスタイルのアベ政権に対する抗議行動の情報が流れてくる。わたしも馳せ参じて,その隊列の末端にでも並びたい。あるいは,なにか手伝いたい。

 そんな気持だけはあるのだが,術後のこの猛暑にはいささか参っている。壊れたエアコンの取り替え工事がくる5日まで,なんとか扇風機で耐えようとしているのだが,おのずからなる限界がある。水分と睡眠だけは十分にとるよう心がけているのだが,体重はどんどん落ちていく。脚筋力も衰えていく。

 これではいけない,とあせりつつ鷺沼の事務所往復をノルマと課しているのだが,こちらも途切れがち。どうやら気持の上で負けているようだ。かといって無理をしてもいけないし・・・とこころは揺れ動く。

 それはともかくとして,いま,連日のように行われている抗議行動に参加できない,いまのわたしのからだが気にくわない。病気というものとはまったく無縁のまま,75歳をすぎ,このままずーっと元気でいられるものと信じていた。しかし,神様はそうはさせてはくれなかった。天誅というやつだ。いい加減にせい,とお叱りをうけてしまった。

 でも,幸いなことになんとか一命をとりとめ,徐々に社会復帰に向かって体調もよくなってきている。が,そこにこの猛暑と熱帯夜だ。明らかに夏バテの兆候がでている。だから,いやでも慎重にならざるをえない。少なくとも,この猛暑が納まり,熱帯夜から解放されるころには,デモに向かう気力も体力ももどってくるものと,その日のくることを楽しみにしている。

 そんな忸怩たる気持をかかえながら,FBから流れてくる「アベ政権 NO!」の抗議行動の輪が,日ごとに勢いをましていることを知り,地団駄を踏んでいる。早く,デモに身をおきたい・・・と。

 山口二郎氏は,かれらのスピーチを聞いていると涙が流れて止まらない,という。わたしはFBに流れてくる情報を読むだけで涙があふれ出てしまう。これまでわたしが承知していたデモとはいささか次元が異なるのだ。かれらのスピーチは,ひととおりの理屈は整然と述べたのちに,最後に,わたしたちの胸にぐさっとくる情緒的な,無垢な心情の表明がある。「嫌なものは嫌なのです!」というような・・・・。ここで喉がぐっとつまり,涙がとめどなく流れはじめる。

 つまり,理性の枠組みをもうひとつ超えた,人間の魂に訴えかける力を,この若者たちは身につけている。理屈など多少どうでもいいのだ。それよりなにより,「アベ政権の暴走は許せない」「我慢できない」「絶対に止めなくては」という覚悟が,わたしたちの胸を打つ。そうだ,止めなくてはいけない,とだれもがそうおもう。この次元をしっかりと把握している若者たちのハートに,わたしたちは完膚無きまでに打ちのめされてしまう。

 これぞほんものの抗議行動だとおもう。だからこそ,一刻も早く,デモの現場に馳せ参じたい。そして,なんでもいい,できることを手伝いたい。とは言っても,最後尾に並んで声をあげるのが精一杯だと承知してはいるのだが・・・・。それでもいい。でかけたい。

 早く収まってほしい,猛暑と熱帯夜。

2015年8月2日日曜日

とうとう民間による武器製造を認め,海外軍事企業買収を認める,というアベ政権。正気の沙汰か。

 とんでもない男を国のリーダーにしてしまったものだ。こんなはずではなかった。税率を延期することを争点にして選挙したはずの男が,すっかりそんなことは忘れてしまって,戦争法案をとおすための選挙であったかのごとき発言をしている。しかも,閣議決定による憲法解釈を変更し,憲法違反の法案を国会に提出し,むりやり議論させ,数の横暴で押し切ろうとしている。

 野党に力がないので,国会での答弁もでたらめであるにもかかわらず,政権の思いのままに牛耳られてしまっている。しかし,「最後の武器は世論」(山口二郎)である。この世論が黙ってはいない。いまや燎原の火のごとく燃え広がった「アベは辞めろ」の抗議行動はとどまるところをしらない。政権支持率も,ついに,不支持率が支持率を凌駕した。アベ政権としては相当にあせっているはずである。そのあせりの表出とおもわれる「暴言」が多くなってきている。

 そんな折も折,こんどは「民間による武器製造を認め,海外軍事企業の買収を認める」という。これまでの自民党政権は,口を揃えて「厳に抑制」してきた「武器輸出三原則」を「解釈変更」で押し切ろうというのだ。しかも,法律の改正もせず,ただ,解釈を変えるだけだ。これは,憲法の解釈を変えるだけで戦争ができる国家に踏み切っていこうという姿勢とまったく同じだ。

 もはや,正気の沙汰ともおもえない。まぎれもない「狂気の沙汰」そのものだ。

 東京新聞が今日(8月2日)の一面トップで大きく報じている。そのつかみの文章だけでも引いておこう。じつにわかりやすいので・・・・。

 政府は,日本企業に課している海外の武器製造企業の買収規制を見直す方針を決めた。関連法の運用指針を現在の「厳に抑制」から「状況に応じ適切に判断」などと変更。法律改正はせず,解釈を変えることで,現在の原則禁止規制を改める。武器輸出を原則認める防衛装備移転三原則を決定したことに伴うもので,見直しにより日本の防衛関連企業の海外進出が可能となる。

 憲法9条もなんのその,民主主義もなんのその,ときの政権の思惑ひとつで「解釈」を変更し,なんでもできる「独裁体制」を着々と固めつつある。

 しかし,こうした政権の独断専行が,国民の大きな不審を呼び,もはや我慢ならないところまで達していることはだれの目にも明らかだ。にもかかわらず,盲目となってしまった独裁党は,脇目もふらず「わが道」を「暴走」する。そして,いずれ国民は「忘れてしまう」とタカをくくっている。

 冗談もいい加減にせよ。圧倒的多数の国民が腹に据えかねている。

 全国各地で抗議活動を展開しているSEALDsの若者たちは「本気」だ。こんなことが許されてたまるか,とこころの声を挙げている。この「本気」度に触発されるようにして,その輪は一気にひろまっている。党派を超越して,「戦争は嫌だ,自由と民主主義を守る」,このことに賛同する人は参加を,と呼びかける。

 これから,ヒロシマ,ナガサキ,敗戦記念日,といった戦争がらみの大きな行事が目白押しである。すでに,アベ政権退陣への「潮目」は変わった。あとは,実力でその力をみせつけるだけだ。「最後の武器は世論だ」(山口二郎)の短いエッセイも,今日の東京新聞に掲載されている。SEALDsの若者たちのスピーチを聞きながら「涙する」山口さんのハートこそが,多くの人たちと若者たちとが連帯していく源泉なのだろうとおもう。

 変な理屈はいらない。立憲デモクラシーをきちんと守って政治をやってほしい,それだけでいい。どうしてもアベ君がやりたいのなら,「憲法改正」を争点にして選挙をやり,堂々と正面突破していけばいい。その自信がないから,姑息な手を用いる。その姑息さが,もはや鼻について我慢ならない。

 その姑息さの最終仕上げが,こんどの「民間による武器製造」であり,「海外軍事企業買収」を認めるという解釈変更だ。もはや,国民の怒りも臨界点に達している。これがアベ政権の命取りとなり,幕引きに向けて国民の意気はますます軒昂となる。

 公明党はいつまで,戦後最悪の自民党政権と手を結んでいるのか。いまからでも遅くはない。一念発起して,自民党と袂を分かち,党是である「戦争反対」を前面に打ち出して,いまこそ「闘う」ときではないのか。

『水木しげるの古代出雲』(角川文庫)を読みました。出雲幻視の絶好のテクスト。

 この本の帯にもありますように,「いつか必ず描かなければならないと思った」と著者の水木しげるさんの思い入れのこもった一冊になっています。あの妖怪まんがで知られる水木さんが,地元の古代出雲に興味をもつのは当然といえば当然です。ですから,ずいぶん長い時間をかけて『出雲風土記』を筆頭に,『古事記』や『日本書紀』など,多くの基本文献を渉猟し(巻末に挙げてある参考文献だけで65冊),みずからの想像力をふくらませて描かれた,きわめて個性的な「古代出雲」世界の再現です。その意味で,とても面白い「まんが」となっています。

 
古代出雲の真相はいまもって謎だらけです。ですから,仮説の上に仮説を積み重ねながら,より説得力のある仮説を提示する,というのが古代出雲に関する研究の実態です。こうなってきますと,アカデミックな古代史研究者の書くものは,いかにも実証的であるようにみえて,矛盾だらけです。なぜなら,文献資料や考古遺物に縛られていて,そこから一歩も外にでようとはしないからです。つまり,想像力が排除されてしまうからです。

 その点,漫画家の描く古代出雲は,むしろ,その想像力を思いっきりふくらませた上で,ひとつのストーリーを紡ぎ出してみせます。とりわけ,水木しげるさんのような,妖怪の世界がみえてしまう人が,古代出雲を「透視」するとなにがみえてくるのか,ここが他の追随を許さない水木しげるさん独自の古代世界の再構築となるわけです。

 こまかな話はテクストに直接あたっていただくとして,水木さんが提示した古代出雲の全体的なイメージにわたしも同感でした。私見もまじえて,同感した点を述べておけば,それはつぎのような点です。

 たとえば,「国譲り」神話のでっちあげ。いかにも平和な話し合いで「国譲り」がなされたかのように広く受け止められていますが,これはま逆の話を封じこめるための仕掛けだったのではないか,というものです。つまり,出雲だけではなく,中国地方から近畿・東海地方にかけての主だった拠点はすべて出雲族(=オオクニヌシ=複数の人格の総称)によって支配されていた,そこに攻撃を仕掛けたのがタケミカヅチ(あるいは,神武/崇神)で,それはそれはとても激しい戦いが繰り広げられた,というのが実態のようです。その残滓ともおもわれる戦いの話が,トミノナガスネヒコと神武の戦いです。あるいは,タケミカヅチとタケミナカタの戦いです。タケミナカタは諏訪まで逃げ延びていきますが,とうとうこの地でつかまってしまいます。

 大きな戦いは制したものの,出雲族の残党は日本全国に散らばって,その勢力を誇示しています。この残党とどのように折り合いをつけるか,ここが神武/崇神(わたしは同一人物説に立つ)のもっとも苦慮したところだったのではないか,と考えます。その戦略が,オオクニヌシを出雲に隠居させ,その代わりヤマトの大王と同等とみなしうるほどの大きな社殿を建造し,その権威を温存させると同時に,スサノオの末裔に出雲国造職を与え,オオクニヌシの御霊を祀ることにした。そして,全国に散らばっている出雲族の残党(神々)は年に一度,出雲に集結して祭祀を執り行い,その力を鼓舞することで,一応の決着をつけたのではないか。

 したがって,神武/崇神以降の大王は,オオクニヌシやヒミコの拠点であったヤマトのマキムク(宮殿)を乗っ取って,全国を統治するための政治に専念することになる。しかし,もうひとつのまつりごとは出雲族が支配していた。その証が三輪山をご神体とするオオクニヌシを祀った大神神社の存在である。この地だけは,ヤマトのシンボルとしてこんにちにいたるもなお出雲族の拠点として君臨している。のちの大和朝廷(あえて推定しておけば,天智・天武・持統以後)もまた,三輪山信仰を大切に温存しつつ,出雲大社を崇めつつ,伊勢神宮の造営にも力を注いでいく。

 いわゆる日本の天皇制がその姿を明確にしたといわれる天智・天武・持統の時代にいたってもなお,出雲族の勢力は衰えることなく,地方に割拠していた。天皇家としては,つねに,出雲族との折り合いを上手につけていること,出雲族の承認のもとに天皇家を権威づけ,成立・維持していくことが大前提だったのではないか,というのが水木仮説をベースにしたわたしの「幻視」である。もちろん,これはあくまでも一個人の「幻視」にすぎないことを強調しておく。

 このような見地に立ったとき,全国に散在する「一の宮」の8割が,オオクニヌシを祭神としていることの意味が理解できるのである。

 水木しげるさんは,もっと凄い。なぜなら,古代出雲族の若者らしき人物が夜な夜な夢枕に立ち,われらの怨念を晴らすべく,古代出雲の正しい歴史を描いてくれ,と頼まれたのが,このマンガを描いた最大の動機である,という。

 そんなことも念頭におきながら,このマンガをめくってみてほしい。この猛暑を,ほんのいっときとはいえ,忘れさせてくれる妙薬として・・・・。暑気払いの一冊。

アベシンゾウの新国立競技場「白紙撤回」は大嘘だった!?今日も現場では工事が行われている。

 このところ,FBのネットワークから,貴重な情報が入るようになり,とても重宝している。そのひとつが今日のテーマだ。

 新国立競技場の工事現場では今日も粛々と工事が行われているのを不審におもったジャーナリストの田中龍作氏が,工事現場の担当者に取材してみたところ,「上から工事を中止しろ,という指令はきていない。だから,これまでの契約どおり工事を進めている」という応答があった,という。じゃあ,アベシンゾウの大見得を切った「白紙撤回」はなんだったのか,あれは単なる空手形だったのか,という大いなる疑問が持ち上がる。

 やはり,白紙撤回宣言は,戦争法案をむりやり強行採決したことによる支持率低下の歯止め策でしかなかったのか。内容などどうでもよかったのか。つまり,国民の目先を「猫騙し」の手をつかって一瞬だけはぐらかしておいて,あとは,単なる時間稼ぎでしかなかったのか。国民はアホだから,時間が経てばすぐに忘れてしまう。忘れたころに,いろいろ調査をしてみたら,やはり,2520億円の経費はかかることがわかった,といえばそれでいい・・・そんな程度の話らしい。

 つまりは,アベシンゾウの仕掛けた「大嘘」。

 表では,五輪担当大臣を任命し(これとて森喜朗の子分であり,ラグビー仲間),小役人をクビにして,いかにも心機一転させたかのようなポーズをとったものの,あとは手つかずのまま放置。まあ,いまの流れからするとJSCの理事長・河野一郎氏の更迭が行われる程度。つまり,壁紙は張り替えたものの,建物の構造はもとのまま。本質的なところはなにも変わってはいないということだ。

 だから,工事はそのまま続行なのだ。基本的にはなにも変える意思はない,ということだ。おそらく,このまま大成建設と竹中工務店が工事を引き受けていくことになるのだろう。なぜなら,もうすでに,キック・バックという方法で,大金が転がり込む約束もできあがっているはずだから。

 でなかったら,これまで行われてきた工事は,即刻中止になるはずではないか。いまも,毎日,せっせと重機を動かして工事が行われている事実を説明することはできない。

 新国立競技場は,これからどんな展開になっていくのか,まったくそのさきはみえてこない。ザハ・ハディド氏が8月には来日して,政府とじかに交渉に入るという情報も流れている。いまごろになって,屋根はつけないことにした,などというトンチンカンなことを言っていることからして,ああ,やはり船頭多くして船動かずの愚にはまっていることがわかる。

 つまり,白紙撤回をしたものの,いかなるコンセプトをもってゼロからのスタートを切るのか,そこがまったくみえてこない。ただ,みえているのは経費を削減して,できるだけ安く仕上げる,という金銭上の問題だけだ。まさに衆愚政治そのものだ。前回の有識者会議がその最たるものだった。その反省もできてはいないようだ。なにせ,だれも責任をとらない無責任体勢のまま,大工事をやろうとしているのだから,埒があかないのは当然だ。

 このアベシンゾウの放った「白紙撤回」という大嘘を,しばらく注目していきたい。

 なお,この情報は,Shoichiro Ikenaga という人のFBからシェアしたものだ。さらに,その情報源は,〔新国立競技場〕安倍首相「白紙撤回」は大ウソだった(2015年7月31日15:35)という『田中龍作ジャーナル』(http://tanakaryusaku.jp/2015/07/00011668)である。田中龍作氏は,わたしとは違った見解を提示しているので,ぜひ,参照していただきたい。

 アベシンゾウという人間はなにをやらかすか,まったく信用できないことが,これでまたひとつ上積みされることになった。恐ろしい人が国のリーダーになってしまったものだ。一刻もはやく引きずり降ろさなくては,悔いを千歳に残すことになる。これは,もはや,国民の義務だ。

2015年7月31日金曜日

公明党よ,目覚めよ。創価学会の学会員から「三行半」を突きつけられた,いまこそ目覚めよ。

 創価学会の学会員の一部が,とうとう「戦争法案反対」の狼煙をあげ,抗議行動のデモに参加しはじめた,というニュースが流れている。その情報によれば,創価学会の三色旗を掲げ,日比谷公園の野外音楽堂の集会に参加し,その後のデモ行進にも参加したという写真つきである。

 断るまでもなく,創価学会を最大の支持母体とする公明党は,戦争に反対し,平和を希求する政党としてスタートを切った。そして,自民党と連立を組むときの条件もまた,自民党の「暴走」に「歯止め」をかけることが最大の目的である,と宣言している。

 にもかかわらず,このところの公明党の体たらくはいったいどうしたというのだろう。国土交通省の大臣ポストをひとつ確保するための犠牲にしてはあまりに大きすぎる。立党の精神はどこに行ってしまったのか。なぜ,忘れてしまっているのか。いな,忘れたふりをしているのか。それほどまでに,政権党に身を寄せていることのメリットは大きいということなのか。

 でも,それは間違いだろう。

 真面目な創価学会の学会員は,その間違いを許すことができない。がまんにがまんを重ねてきたが,とうとう堪忍袋の緒が切れた,ということだろう。公明党がこのまま自民党にずるずると引きづられて行ってしまうのならば,表立って,戦争法案に反対する抗議行動を立ち上げよう,という正統派学会員の決意表明だ。この運動は間違いなく徐々に全国的な展開になっていくだろう。なぜなら,これぞ立党の精神に則った,本来あるべき姿勢の表明なのだから。

 残る手段は,現職公明党議員の選挙区での学会員の態度表明だ。現職公明党議員がみずからの選挙区での支持がえられなくなると覚ったとき,はじめて現職議員に危機感がはしることになる。ここがポイントだ。

 もうすでに,自民党議員にたいする造反への働きかけははじまっている。つまり,戦争法案に反対の意思表明をし,反対票を投じた自民党議員の再選への支援を約束する,というものだ。逆に,戦争法案に賛成票を投じた議員には票を投じない,つまり「落選」させる戦法をとる,という運動である。そして,造反してくれそうな議員一覧,戦争法案絶対支持の議員一覧,その他の議員一覧,などといった手のこんだ一覧も,ネットをとおして流通している。

 創価学会の学会員が,その組織力にものを言わせて,上記のような行動にでたとき,これが日本の政治を大きく変える転機となる。戦争法案を廃案にもちこむには,こうした力がどうしても必要だ。

 すでに,SEALDs を名乗る若者たちの運動が大きな輪となって全国展開をしている。この人たちの運動によって覚醒した大人たちも,いろいろなかたちで戦争法案廃案に向けた活動をはじめている。8月から9月にかけて,この動きはますます大きくなっていくだろう。

 そこに公明党議員の造反が加わると,文字どおり,国政の大転換が起こる。たぶん,こうした動きはお互いに連動していくものだと考えられるので,まずは,自分の持ち場でできることからはじめること,そこが第一歩だ。

 公明党の議員諸氏も,初心に立ち返って,「平和主義」の立党の精神を復活させてほしい。安倍首相のいう「積極的平和主義」という名の「戦争主義」の虚像を打ち破って,公明党がめざすべき本来の「平和主義」をとりもどしてほしい。いわば,最短距離のキャスティング・ボートをにぎっているのが公明党なのだから。

2015年7月30日木曜日

国会劇場・中継「参議院平和安全法制特別委員会質疑」が面白い。演出なしの生中継だから。

 エアコンが壊れているので,窓を全開にして風を呼ぶ。時折,気まぐれに吹く風がなんとここちよいことか。あとは,ビタッと風が止まってしまって,サウナ状態。仕方がないので,安物の扇風機をつけて,上半身裸で濡れタオルを背中に乗せて,猛暑をしのぐ。体力というよりは精神力が必要。くそおもしろくもない午後のひととき。

 遅い昼飯にそうめんを茹でて,ざるに盛ってすする。そのついでにテレビをつけてみる。ここ数日,午後はNHKテレビのお世話になっている。

 国会中継「参議院平和安全法制特別委員会質疑」。生中継なので,ほとんどこれといったカメラ操作もせず,だらだらと質疑を,そのまま垂れ流す。これがまことに結構。国会劇場をリアル・タイムで見物することができる。他のテレビ番組の追随を許さないほど面白い。

 なぜか。延々と5時間余にわたって,質疑が繰り返される。安倍首相,中谷防衛大臣,岸田外務大臣の3人が主役。あとは,必要に応じて他の大臣もときおり顔を並べる。が,この3人については,不動のメンバー。だから,質疑を重ねているうちに,文句なく丸裸の人間性が剥き出しになってくる。それが面白い。

 質問に立つ与党議員は,まるでちんどん屋。よくも恥ずかしげもなく,お約束どおりの質問を,よいしょも含めて,だらだらとつづける。それを,安倍・中谷・岸田の3人が,予定どおりの原稿を読み上げて終わり。どこに「わかりやすく,丁寧に説明する」姿勢があるというのか。あきれ果ててものも言えないほどだ。この馬鹿馬鹿しさが,テレビをとおして国民の前にストレートに垂れ流されている。ふつうの高校生なら,なんと馬鹿げた紙芝居をやっていることか,とすぐに気がつく。少し,賢い中学生なら,総理大臣ってこんな人なんだ,とびっくり仰天するだろう。

 折しも,夏休み。たぶん,かなりの中学生・高校生が,たとえ短い時間とはいえ,ちらりとこの番組をみているのではないか,とおもう。政治の現場を知る絶好の機会だ。選挙権が18歳に下げられたので,政治に関心をもつ若者たちも増えているはず。ましてや,いま議論されているのは,「平和安全法制」という名の「戦争法案」(福島瑞穂)だ。このままこの法案が通過してしまえば,いつの日にか若者たちは戦場へと駆り立てられることになる。にもかかわらず,これを「平和維持活動」と呼ぶ安倍首相に対して,それこそが「戦争」以外のなにものでもないと断ずる福島瑞穂(これは,今日・30日の質疑)。この安倍流騙しのテクニック満載の「法案」の質疑だけに,しっかり耳を傾けていると,まことに面白い。

 国会審議の第二日目の28日(火)からは,自民の愛知治郎氏以外は,4人とも民主・新緑風会の議員。順に,福山哲郎,小川敏夫,大塚耕平,大野元裕の4氏。この野党4氏からの鋭い質問にしどろもどろとなる安倍・中谷・岸田の3氏。丁寧な説明どころか,とんちんかんな答弁ではぐらかし作戦。「まじめに質問に答えろ」と吼える議員も少なくない。このあたりのやりとりは,下手な芝居をみているよりも,はるかに迫力があって面白い。同時に,野党側議員の力量もまるみえ。

 第三日目の29日(水)は,小池晃(共産),松田公太(元気・無所属会),和田政宗(次世代),水野賢一(無所属クラブ),吉田忠智(社民・護憲連合),山本太郎(生活),荒井広幸(新党改革・無所属の会)の7氏。それぞれの党利党略を反映した質問がつづく。それぞれに面白いが,ここでも政治家としての能力差が歴然としていて,そこがみどころ。その点,山本太郎の問い詰めの姿勢が際立っていた。ただ,かれの持ち時間があまりに短いのが残念。

 第四日目の30日(木)は,前川清成,谷合正明,真山勇一,井上哲士,山田太郎,中山恭子,中西健治,水野賢一,福島みずほ,山本太郎,荒井広幸の11氏。今日は途中で眠くなってしまい(そのくらいレベルの低い質問がつづいたということ),ひと眠り。そして,目が醒めたら,福島みずほ,山本太郎,荒井広幸の3氏の質疑を聞くことができた。福島みずほは「なぜ,この法案を戦争法案と呼ぶか」その根拠を提示しての質問。これには安倍首相もたじたじ。途中で,どもってしまったりして,あわてぶりが露呈。つづいて山本太郎。昨日につづいての質問。自衛隊がすでにアメリカで訓練を受けているが,その内容は,まさにアメリカ軍とともに最前線で戦う訓練になっているが,なぜ,こんな訓練をいまから始めているのか,と迫る。安倍首相も中谷防衛相も,きちんとした説明ができないまま,いつもの「一般論」に逃げ込む。答えを拒否している,としかみえない。

 こんなお粗末な「議論」が,国会という場で,しかも参議院という良識の府で展開されている。しかも,このことがそのままテレビをとおして国民にまるみえ。

 これでは国民の支持率はどんどん落ちていくのは必定。福島県民に限定した支持率調査結果(30日発表)によれば,ついにデッドラインである30%を割って28%に達したという。

 この戦争法案に関しては,議会で徹底して議論してほしい。そして,NHKは,すべて国会中継として放映してほしい。国民が,直接,議論を注視し,考えるための最高の素材なのだから。

 なお,テレビでリアル・タイムでみられなかった人は,YOUTUBEで,必見の質疑はみることができるようになっているので,ぜひ,ご確認ください。いかに,とんちんかんな議論が行われているか,百聞は一見にしかず,でとてもわかりやすい。こんな人が日本の総理大臣なのか,と背筋が寒くなることもしばしばだ。中谷,岸田両大臣にいたっては,もっとお粗末。

この猛暑。ついに壊れたエアコンを買い換えることに。でも,取り付けは一週間後。

 連日の猛暑のなか,とうとう耐えきれずに,長年使わずにきたエアコンにスイッチ・オン。電源は入るもののエアコンとしての作動はせず。暖房にもならず。近くの量販店で相談したら,使用年数から判断して修理はむつかしい,という。仕方がないので,買い換えることに。

 もともとエアコンは嫌い。暑さは平気。汗もほとんどかかない体質。でも,水分だけは補給。もっとも原始的な方法で夏の猛暑もやりすごしてきた。しかし,ことしはそうはいかない。入院生活の後半は快適な環境に守られ,暑さも知らずにすごしていた。二度目の手術ということもあって,体力はさらに低下。ついていた筋肉の大半はそげ落ちてしまい,みじめな姿。

 そこに退院後の連日の猛暑。汗とともに体重がどんどん落ちていく。これはいけない,と反省。太極拳の稽古のあとのランチの折に,それとなく相談。異口同音に「それは駄目ですよ。体力が落ちているのだから,熱中症でやられてしまいますよ。すぐに買い換えて,猛暑に備えるべし」と厳しいおことば。そのとおり,と納得。

 ランチのあと,すぐに近くの量販店に行く。すでに,数日前にそれとなく相談し,ある程度の情報はえていたが,いまひとつ納得できなかったので留保。つまり,応対してくれた店員さんがなんとなく頼りない。が,今回,応対してくれた店員さんは適切に応対してくれ,信頼ができそうだったので,ここで決めようと腹をくくる。

 でも,いまはエアコンの取り付け工事が満杯で,今日(29日)頼んでも工事は一週間後だという。このあとになればなるほど,工事待ちの期間は長くなる,とか。それではなんの役にも立たなくなってしまうので,とりあえず,夕刻に出直して,購入手続をする。

 今朝も朝から高曇。薄日がさしたり隠れたりを繰り返している。風はほとんど無風。気温は鰻登り。朝から汗びっしょり。仕方がないので,扇風機で当座のところをしのぐことに。でも,首も振らない安物のサーテュレーターなので,あまり長いこと風に当たっているわけにもいかず・・・・。随時,つけては切ってを繰り返している。

 外からの風はときおり吹いてくる。マンションの9階なので,とても涼しげな風で気持がいい。が,すぐに止んでしまう。窓は東西にあるので,どちらからでも吹いてくれれば快適。しかし,最近のこの猛暑つづきの風は,ほとんど吹かない。そよそよと吹いていたかとおもうと,パタリと止んでしまう。情け容赦もないとはこのことだ。

 8月5日(水)の朝,工事の電話が入ってきて,時間の確約ができるとのこと。それまではじっと我慢の子。そのうち猛暑も終わるのではないか,と微妙な気分。でも,それまではひたすら耐えるのみ。なんとか体力を温存して,この猛暑を乗り切るしか方法はない。

 早く来い。8月5日。いまはその一念のみ。

2015年7月28日火曜日

此帰依仏法僧の功徳必ず感応道交する時成就するなり・・・・。『修証義』第14節。

此(この)帰依(きえ)仏法僧(ぶっぽうそう)の功徳(くどく)必(かなら)ず感応(かんのう)道交(どうこう)する時(とき)成就(じょうじゅ)するなり,設(たと)い天上(てんじょう)人間(にんげん)地獄(じごく)鬼畜(きちく)なりと雖(いえど)も感応(かんのう)道交(どうこう)すれば必(かなら)ず帰依(きえ)し奉(たてまつ)るなり,已(すで)に帰依(きえ)し奉(たてまつ)るが如(ごと)きは,生生(しょうじょう)世世(せせ)在在(ざいざい)処々(しょしょ)に増長(ぞうちょう)し必(かなら)ず積功(しゃくく)累徳(るいとく)し阿〇多羅三〇三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成就するなり,知(し)るべし三帰(さんき)の功徳(くどく)其(そ)れ最尊(さいそん)最上(さいじょう)甚深(じんじん)不可思議(ふかしぎ)なりということ世尊(せそん)已(すで)に証明(しょうみょう)しまします,衆生(しゅじょう)当(まさ)に信受(しんじゅ)すべし


 ここでは「感応道交」という,ふだん眼にしない仏教用語が登場しています。しかし,この文字をじっと眺めていますと,なんとなくこんな意味ではないかなというイメージが湧いてきます。このイメージ・トレーニングはとても大事だとおもいます。とくに,道元さんは,漢語をそのまま日本語に導入しているばかりでなく,その漢語をひとひねりもふたひねりもして,独自の意味を付与させたりしています。しかも,それについてとくに説明をしたりもしません。ですので,まずは,そのまま道元さんの用語を受け止めておいて,あれこれ想像してみることが大事だとおもいます。また,道元さんはそのように読むことを,むしろ,強要しているようにおもいます。言ってみれば,道元さん特有のことば遊びが随所に登場しますし,その「遊び」のなかに,じつは深い真理が隠されているといっても過言ではないからです。

 こんな文章を書いてしまいますと,お前はいったいなにを考えているのか,道元さんのことがわかっていないのではないか,とお叱りを受けるかもしれません。しかし,その叱咤をしっかりと受け止めた上で,さらに,つぎのように言っておきたいとおもいます。

 道元さんは,漢語と日本語との区別をほとんど無視して,自由自在にこの二つの言語の間を往来させています。しかも,漢語にしろ,日本語にしろ,そのことばの持っている固定化した概念をつぎつぎに壊していきます。そして,それらのことばに新しい生命を吹き込もうと必死に創意・工夫を加えていきます。しかも,みずから概念崩しをし,新しい生命を吹き込んだ,そのことばすら,さらにその概念を崩し,もっと深い概念をそこから読み取ろうと,絶えることのない努力を積み重ねていきます。それが,道元さんのいう「修行」であり,「悟り」であるということです。

 このことを一語で現したことばが「修証一等」ということばです。そして,このことばこそが道元さんの主著である『正法眼蔵』を貫くきわめて重要な柱となっていることを,ここではあえて指摘しておきたいとおもいます。

 なぜ,こんなことを書くのかといえば,ここに登場する「感応道交」ということばもまた,道元さんの思考を受け止める上できわめて重要な概念のひとつであるからです。つまり,「修証一等」と同じように「感応道交」もまた,それが成就する時節はつぎつぎに進化していくからです。このことがわかっていれば,この第14節は,問題なく理解できるとおもいます。

 感応道交とは,「感」はわたしたち衆生が仏の威力,慈悲力などを感じとること,「応」は,衆生の願いや祈りに対して仏が応答すること,「道交」とは,この二つが互いに交信・共鳴すること。したがって,感応道交とは,仏と衆生とがひとつになって共振・共鳴することを意味します。

 ですから,冒頭の「此帰依仏法僧の功徳必ず感応道交する時成就するなり」は,文字どおり読んだとおりの意味を示しています。すなわち,仏法僧に帰依し祈りつづける功徳は,かならず仏と一体化して感応道交するときに成就されますよ,というわけです。

 たとえそれが,天上界であろうとも,あるいは人間界であろうとも,地獄界,鬼畜界であろうとも,仏と感応道交すればかならず仏法僧の三宝に帰依することができるのですよ,と説いています。

 ですから,すでに三宝に帰依している人たちは,生まれ変わり死に変わりして未来永劫の時間が経ても,そして,その場所が変化しようとも,その功徳は積み重ねられていき,アノクタラサンミャクサンボダイの最高の正しい悟りに到達することができるのです。わたしたちがわきまえ,知らねばならないことは,仏法僧の三宝に帰依する功徳こそがもっとも尊く,もっとも上等なものであるということ,しかも,それははなはだ不思議なものであり,人間的思惟の範疇を超え出たところのものであるということです。このことをお釈迦様がすでに証明されているのですから,わたしたち衆生はそれを確信して,「信受」する以外にはないのです。

 というのが,第14節での,わたしの読解です。

2015年7月27日月曜日

退院後,初の診察。どこも問題ありません。アルコールもいいですよ。「エッ?」。一安心。

 今日(27日),退院後,初の診察を受けてきました。まずは,採血して血液検査。それと,胸部と腹部のレントゲン撮影。待つこと約1時間半。

 呼び出しがあって診察室へ。執刀医のN先生がにこやかに迎えてくださる。
 そして,第一声「どうですか,その後の調子は?」
 「順調にきているとおもいます」
 「そうでしょうね。今日の検査結果をみても,どこも問題はありません。肝機能もほとんどもとにもどっています。心配していた体内に体液が貯まったり,水が貯まったりすることもなく,とてもきれいに回復していることが確認できました。術後の経過としてはもはやなんの問題もありません。」
 「なにを食べてもいいですか」
 「もちろん,食事制限すべき理由はなにもありません。」
 「アルコールはしばらく辞めておこうかと考えていますが・・・・」
 「いや,飲んでも大丈夫ですよ。量さえ度がすぎなければ・・・」
 「エッ,ほんとうですか」
 「まだ,術後,日が浅いですから,飲み過ぎないようにさえ気をつけていれば・・・・」
 「まあ,加齢とともに量は減ってきていましたから,飲み過ぎはないとおもいますが・・・」
 「それなら安心です」
 「そろそろ遠出をしようかと考えていますが・・・・」
 「疲れを溜め込まないように気をつけていれば,多少の遠出は問題ありません」
 「ありがとうございました。それでは社会復帰を兼ねて,少しずつ行動半径を広げていこうかとおもいます。」
 「楽しい経験が待っているのであれば,遠出は大いに結構」
 「ありがとうございます。それでは,自分の体調と相談しながら,ペース配分を考えてみたいとおもいます」
 「それがいいとおもいます」

 というようなわけで,アルコールまで解禁。ちょっと信じられない話ですが,ほんとうの話です。でもまあ,アルコールは,もう少しさきまでお預けにしておこうとおもっています。

 いずれにしましても,わたしにとっては朗報。ここで躓いたらどうしよう・・・・という一抹の不安がないわけではなかったからです。こればっかりは運を天に委ねるしかない,と自分に言い聞かせての,初診察でした。

 ですから帰りの足の軽いこと。こんなに快調に歩けるのかとおもうほどのステップにわれながらびっくり。気持の問題は大事です。

 となれば,これから少しずつペースを上げていってもいいな,と皮算用。でも,疲れを残さないように,とN医師からの注意もありますので,それを念頭におきながら・・・・。

 以上,今日の診察の結果のご報告まで。

『なぜ,地形と地理がわかると古代史がこんなに面白くなるのか』(監修・千田稔,洋泉社刊)を読む。

 連日の猛暑。にもかかわらず,連日,戦争法案に対する抗議デモが繰り広げられています。頭が下がります。本来ならば,毎日でも,でかけていって一声挙げて・・・というところなのですが,やはり,いまのからだでは無理と考え,臍を噛んでいます。その代わりに,社会復帰の第一歩のつもりで,鷺沼への事務所通いをはじめました。

 できるだけ涼しいうちに家をでて・・・とおもうのですが,朝食後,ほんの少しだけとおもってパソコンをいじっていると,すぐに11時,12時になってしまいます。それでも思い切って家をでます。ちょうど,鰻登りに気温があがっていく真っ最中。電車で冷やされたからだに,熱風が容赦なく襲いかかってきます。それをじっと我慢して事務所に向かいます。

 事務所のすぐ近くにできたコンビニで,ポカリスエットとヨーグルトとバナナを買って事務所に駆け込みます。すぐに,空気を入れ換えて,エアコンをつけて,シャワーをひと浴び。でてくるころには,部屋は28度ちょうどになっていて,気持よく汗が引いていきます。しばらく,はだかのまま,ぼんやりと過ごしてから,いま,読めそうな本を読み始めます。

 
今日は,千田稔さん監修の『なぜ,地形と地理がわかると古代史がこんなに面白くなるのか』(洋泉社,2015年7月刊)を読みました。購入した動機は,千田稔さんの古代史に対する見方に,以前から興味をもっていたからです。そして,第二章 地形と地理から探る古代日本──飛鳥・奈良時代,というのが目次をみて目に飛び込んできたからです。これはきっと,これまでとは違う新たな解釈・見解が披瀝されているに違いない,と勝手におもいこんだからです。

 しかし,その期待はみごとにはずれてしまいました。
 たとえば,つぎのような魅力的な小見出しの節が並んでいます。
 Q18 なぜ,飛鳥に古代都市が建設されたのか
 Q19 なぜ,蘇我氏は仏教を受け入れ飛鳥寺を建てたのか
 Q20 なぜ,聖徳太子は飛鳥から離れた「斑鳩」に宮殿を建てたのか

 こんな問いが17項目も並んでいます。みたところ,いずれも魅力的なテーマばかりです。しかし,読んでみたら,いずれも気の抜けたサイダー同然でした。いわゆる初心者向けの概説で,教科書に少しだけ付け足した補足説明をしているにすぎません。とりわけ,「飛鳥」に関しては,もはや解釈が古くて,読むに耐えません。なぜ,最新の学説も取り入れて,読者をピリリッとさせる内容があってもいいのに・・・・と。

 つまり,そこには千田説もほとんど反映されてはいませんでした。あわてて執筆担当者を確認してみましたら,納得でした。第2章の執筆担当者は,上永哲矢(歴史文筆家),黒田香澄(山口市歴史民俗資料館文化財専門職員)のお二人。購入するときに,ここまで確認すべきでした。そうしたら,買わなかったでしょう。監修本には,これから気をつけたいとおもいます。わたしは,千田稔説が,新しいヴァージョンで書き直されているものと勘違いをしてしまいました。

 でもまあ,これから日本古代史の謎解きをはじめてみようという初心者には,絶好の入門書であることは間違いありません。しかも,もっとも温厚な古代史解釈の姿勢が貫かれています。ですから,とても手堅く,諸説を取り上げながら,現段階での論点を浮き彫りにさせてくれています。その意味ではとてもいい勉強になるとおもいます。

 しかし,いまや,古代史論争は,もっともっと,ずっとはるか先へ進んでいます。そして,ぎょっとするような仮説がつぎからつぎへと提起されています。それらについては,ほとんど触れられてはいません。編集方針がそういうものではないのですから,当然といえば当然です。それにしても,各項目に,たった一行でもいい,こんな新説も提起されている,くらいの指摘があってもいいとおもいました。そうすれば,古代史の謎解きの面白さがもっと浮き彫りになったろうに・・・・。と,いささか悔やまれます。

 でも,千田さんの名誉にかけても触れて置かなくてはならないことは,いくつかの項目のなかには秀逸な解説をしているものもある,ということです。かく申すわたしも,なるほど,なるほど,とおもった項目も少なくありません。

 まあ,リハビリを兼ねて,さっと読むにはとてもいいテクストでした。こういうものを読みますと,もうずいぶん前に購入して,途中まで読んでストップしてしまっている『日本古代史と朝鮮』(金達寿著,講談社学術文庫,2011年刊)を読もうという意欲が湧いてきます。こちらは,徹底して「飛鳥」の謎解きに迫っています。つまり,天智・天武・持統の時代になにが起きていたのか,そして,藤原不比等とは何者なのか,を同時代の朝鮮からの視線で解きほぐそうとする,意欲作です。

 日本の研究者の虚をつくような仮説がつぎつぎに飛び出してきて,きわめて刺激的です。しかも,その根拠をマニアックに追求していきます。古代史の謎解きのひとつの典型的なサンプルとして,わたしには魅力的です。

 いずれ,このテクストについてもこのブログで取り上げてみたいとおもいます。
 以上,本日のブックレヴューまで。

2015年7月26日日曜日

『103歳になってわかったこと』──人生は一人でも面白い(篠田桃紅著,幻冬舎刊)を読む。

 近所の大型書店に久しぶりにでかけてみてびっくり。売り場の配置換えがなされていて,すっかり様変わりをしていたからです。わたしの目的は,エアコンが壊れているので,猛暑を避けて涼をとるためです。その意味では,売り場を点検しながら,たっぷりと時間を過ごすことができましたので,大満足。

 意外な発見のひとつは,いま話題の又吉直樹の芥川賞作品『火花』(文藝春秋刊)が売り切れで
,かなり広いスペースの棚ががらんどうになっていたことです。へーえ,そんなに売れてるんだ,といささか驚きでした。わたしは,雑誌『文学界』に掲載されて話題になったとき,雑誌を購入して読んでいました。が,その後,単行本となって刊行されたときにも購入。やはり,雑誌で読むのとはちがった印象がありました。二回目ということもあってか,落ち着いて読むことができました。が,どういうわけか,家には2冊あります。どこかで買っていたのに,そのことをすっかり忘れてしまって,購入してしまったようです。こういうことは,最近,よくあることです。困ったことではありますが・・・。

 この本の感想については,もう一度,読み直してから書いてみたいとおもいます。なぜなら,一回目と二回目では,かなり違った印象が残ったからです。ですから,もう一度,先入観をかなぐり棄てて,無垢の状態で読み直してみたいとおもいます。

 まあ,書店の中を隈なく歩きまわり,全体像がかなりはっきりしてきましたので,そろそろ帰宅しようと思い立ったとき,ふと気になった本があったことを思い出し,それらを買って帰ることにしました。
 それは,つぎの3冊。

 『水木しげるの古代出雲』(水木しげる著,角川文庫,平成27年6月刊)
 『103歳になってわかったこと』──人生は一人でも面白い(篠田桃紅著,幻冬舎,2015年5月刊)
 『なぜ,地形と地理がわかると古代史がこんなに面白くなるのか』(千田稔監修,歴史新書,洋泉社,2015年7月刊)

 まだ,固い本を集中して読むだけの体力も気力ももどってはいませんので,まずは,こんなところから読書を楽しむことにしようかとおもった次第です。いずれも,ぺらぺらとめくりながら,気楽に読める本ばかりです。

 
そのうちの,篠田桃紅さんのものをまっさきに読みました。「103歳」になった篠田桃紅さんがみている世界とはどんなものなのか,そこに興味がありました。篠田桃紅さんの書は,一度みたらわすれない,独特のスタイルがあって,わたしの好きな書家のひとりです。ですから,わたしの頭のなかでは書家の篠田桃紅というイメージで固定されていましたが,この本の奥付をみますと「墨を用いた抽象表現主義者」となっていて,いささか驚きました。

 いずれにしましても,「103歳」の篠田桃紅さんが,いまみえている世界がどんなものなのか,この本のなかにみごとに映し出されています。あの書芸の鋭さとはまったく違って,なんともはや力の抜けた,悠々自適の世界を生きていらっしゃることがよく伝わってきました。まさに,生きているというよりは,ご本人もいうとおり「生かされている」という世界にどっぷりと身を沈めている,平安そのものの心境が語られています。

 わたしが敬愛してやまなかった大伯父の晩年の語り口が,いくどとなく思い出され,やはり篠田さんも同じ心境に達しているんだなぁ,と親近感を覚えました。それに引き換え,我が身のなんと生身の欲望の多いことかとあきれ果ててしまうほどです。もっともっと枯れていっていいんだ,そして,「生かされてある」というところに身を委ねていいんだ,と自分に言い聞かせている次第です。

 それにしても,「103歳」にして,いまなお現役のアーティストとして第一線の活動をつづけていらっしゃる,その飄々とした姿には,おもわず頭がさがります。「自らに由る生き方」をわがものとされた篠田さん,文字どおりの「自由な生き方」を,なにものにも束縛されない「自由」を大切にして生きてきた結果が,いまのわたしの生き方そのものです,と言い切ることのできる人・・・。

 わたし自身のこれからを,本気で考えさせられる本でした。

2015年7月25日土曜日

悔しい。デモに行く気力・体力がもどらない。明日は事務所往復にチャレンジを。

 今夜の「7・24」国会前集会には,日比谷公園と合わせて7万人が集まったという。今日はなんとしてもデモに参加しようとこころに決めていましたが,最後まで迷ったあげく,ついに諦めてしまいました。気力も体力もまだもどってはいない,と判断したからです。

 仮に,電車に乗って国会議事堂前駅に降り立ち,その場にほんの少しの間だけでも立って,一声,二声,叫んですぐに引き返してもいい・・・・とそこまで考えました。が,やはり駄目でした。どうしても,その気にならないのです。やはり,まだまだ,病の途中にあって,どうしても防衛反応の方が強いということがよくわかりました。

 そこで,まずは,明日(25日),鷺沼の事務所往復を試みてみようとおもっています。しばらく,事務所には行ってませんので,郵便物やらなにやらいっぱいたまっているはずです。その処理だけでもしておかないと,ひょっとしたら,重要な郵便物が届いているかもしれません。冷蔵庫の中のものも,処分しなくてはならないものがたくさんあるはず・・・・。

 第一,部屋の空気を入れ換えてやらないと,妙な匂いが定着してしまいます。

 もちろん,以前のように,パソコンをリュックに入れて担いで往復するのは無理だとおもいますので,一番小さなリュックを背負って,まずは「往復」することをめざして・・・・。それもできないようでしたら,これは重症ということになります。

 最大のネックは,筋力の低下です。からだに力が入らない。二回の手術の前までは,有り余るほどの筋肉が残っていたのに,二度の手術で,すっかり底をついてしまいました。こういうからだの状態というものは,初めての体験で,なにからなにまで試行錯誤しながらの模索状態です。

 とりわけ,背筋力の低下が激しい。それとなく手を背中にまわして探ってみますと,いままであったはずの筋肉がそっくりそげ落ちてしまっていて,直に,あばら骨が指先に当ります。もう一点は,腰のまわりの筋力の低下です。椅子に座っていても,長い時間は駄目です。すぐに,ベッドに行ってからだを伸ばしてやらないと,腰のまわりの筋肉が文句をいいます。少しだけでもいい,休ませてくれ・・・と。

 ですから,暇さえあればベッドで横になっています。毎食後,からだを横たえて休み,パソコンを少しいじっては横になり,散歩に行ってきてはベッドに横たわる,そんなぐーたらな生活を送っています。やはり,病人なんだなぁ,と自覚せざるをえません。

 このあたりのところは前回の術後とは大いに違う点です。前回は,まだ,体幹を支える筋力が,かなり残っていました。ですから,退院したその日の夕刻には夕食用の食材を買いにいそいそとでかけました。そして,どっさりと買った食材を,それほど重いともおもわずに持ち帰ることができました。今回はそうはいきません。小分けにして,何回も,スーパーを往復しています。

 とはいえ,鎮痛剤を飲まなくても痛みをやり過ごすことができるようになってきましたので,からだは大分楽になってきました。あと一週間もすれば,パソコンを背負って事務所に通うこともできるようになるでしょう。そこが,一つの目安です。

 そうなったら,金曜日の夜のデモにも参加できるようになるだろう,と希望をもっています。これから正念場を迎える参議院での審議に向けて,微力ながら,わたしも「7万分の1」(今夜の場合であれば)に加わりたいと切望しているところです。

 まずは,焦らず,じっくりと腰を据えて,社会復帰をめざしたいとおもっています。そして,その第一歩は,鷺沼の事務所往復から・・・・と。

2015年7月24日金曜日

新国立競技場建造をめぐる「無責任ドミノ」の構造。東京新聞が一面トップで。

 
新国立競技場の第一の使用目的は陸上競技場としてである。こんなことは自明のことであったはずである。しかし,このきわめて当たり前の自明なことが関係者の頭から消えたまま,ことはとんでもない方向に向かって走り出してまい,それにブレーキをかける人はひとりもいなかったらしい。それが,128項目にものぼる要望を盛り込んだ「多目的競技場」への暴走である。これらのすべてを満たすための施設をつくる・・・・こうして,経費はいくらあっても足りない情況がつくられていく。いわゆる「無責任」体質を剥き出しにしたまま・・・・。

 この問題は,ひとり新国立競技場建造に限られたことではない。いま,大問題となっている「戦争法案」もまた,同質・同根の問題である。なぜなら,もっとも肝腎なことを誤魔化し(違憲を封印)た上で,法案の正当性を,なにがなんでもこじつけ,辻褄合わせをしようと必死にもがいているのと,まったく同じ発想をそこにみてとることができる。あとは,数の力で押し切ればいい,という楽観主義も同じである。

 ただ唯一,違ったのは新国立競技場建造のための経費がかかりすぎる,というだれの目にもわかりやすい理由がターゲットになってしまったことだ。ロンドン大会のときのメイン・スタジアムであれば,5個もつくることができる,というこの法外な金のかかり方は尋常ではない。だから,一斉に,これは奇怪しい,と多くの国民が気づいた。

 それでもなお,五輪推進本部の本部長であるアベ君は,2520億円の経費を必要なものとし,規定方針どおり,この工事を推進する,と見栄を切った。しかし,それからわずか2週間後には,一転して「白紙撤回」に踏み切った。なにを隠そう,この問題が火達磨となって燃え上がってしまったら,肝心要の「戦争法案」まで炎上しかねないと危惧したからだ。つまり,猫騙しの手を打っただけの話である。

 しかし,ことはそれほど単純ではなかった。ほじればほじるほどに,そこには「無責任ドミノ」の構造が浮き彫りになってきたからである。しかも,この曖昧模糊とした組織を隠れ蓑にして,だれひとりとして責任をとるものがいない。アベ本部長を筆頭に,下村博文文部科学相,河野一郎日本スポーツ振興センター理事長,森喜朗五輪組織委員会会長,安藤忠雄デザイン・コンペ審査委員会委員長,のだれもが「わたしの責任ではない」と逃げ回っている。ついには,内輪もめの材料にまでなってしまい,責任のなすり合いまではじまっている。

 さあ,どうするアベ君。秋口までの時間稼ぎで誤魔化すか,それとも剥き出しの丸裸にされて炎上するか,ことは急を告げている。早晩,参議院での議論になろう。すでに,下村文部科学相の辞任要求の声が野党からはあがっている。政局はいよいよ,「戦争法案」とからめてたいへんな局面を迎えようとしている。

 アベ内閣の支持率もすでに風前の灯火である。国民の批判の声は燎原の火のごとく,どんどん燃え広がっている。もはや,消し止めようがない勢いだ。国民にとっても,これからが正念場だ。一国の命運がかかっている。

2015年7月23日木曜日

SEALDsは本気です。その本気度にほだされて・・・・。西谷修さん談。

 術後,はじめての太極拳の稽古に参加しました。かなり手抜きをして,適当にやったつもりでしたが,はやり相当に疲れました。

 その昼食のときの話が,とても印象的でした。たまたま,会食者が少なかったということもあってか,ずいぶんとくつろいだ様子で,本音に近い話題がたくさん飛び出しました。これを全部,書くわけにはいきませんが,いまの日本の情況とからむ部分については,とても大事な内容でもありましたので,その一部は書き留めておきたいとおもいます。

 第一声。「森元,眠ってる?」「はい,睡眠時間だけは確保しています」「そう,それはよかった。とにかく眠りだけはとっておかないと」という短い会話のあと,「昨夜も遅かったのに,今朝早く目が醒めてしまったので,とりあえず,短い原稿をひとつ仕上げて,ちょっと眠ってからとおもって横になったら,つい寝過ごしてしまい,太極拳,遅刻してしまった」とのこと。

 今日はこのあと一風呂浴びて,4時からの勉強会に備えるつもり。そこには,以前から集まっている西谷さんのお弟子さんたちに加えて,SEALDsの若者たちも参加しているとのこと。つぎの若い世代が育ってくれているので,とても楽しみだ。この連中がどんどん育って行ってくれれば,もう,いつ死んでもいいとおもっている,とも。

 いい種まきをしていますね,とわたし。すると,かれらは本気です。その本気度にほだされて,いつのまにか抜き差しならなくなってしまって,いまでは完全に入れ込んでいます。ですから,SEALDs企画の集会にはすべて参加しています。その他の大人の会の世話人もやっているので,記者会見なども含めて,休む暇がないとも。なおかつ,小森陽一さんとの対談,雑誌『世界』用の対談,『夜の鼓動に触れる』の文庫本化のための追加原稿,などとつづく。これらは,たまたま,わたしが耳にした範囲の,つい最近の話。これ以外にも多くの仕事を抱え込みながら,FBでも旺盛な発信をつづけています。それはそれは信じられないほどの仕事量といっていいでしょう。

 それにしても,SEALDsの,このところのめざましい活躍ぶりと,その波及効果もものすごいものを感じます,とわたし。そして,その波及効果は,全国区に広がり,各地の学生さんたちが立ち上がっています。それに刺激されて大人たちも,ようやく重い腰を持ち上げて行動を起こすようになってきました。その結果の現れの一つが,支持率。7月上旬には拮抗していた支持率が,わずか2週間の間に,逆転し,ついには40%を切って35%(毎日調査)になりました。いよいよ政権デッド・ラインに接近してきました。とわたし。

 すると,SEALDsの連中は,そんなに甘くみていませんよ。支持率が下がって20%を割っても,いまのアベ政権は安保法案成立にすべてを賭けるでしょう。そうなることを見越して,そのさきの選挙で,徹底的に自民党・公明党をつぶす戦略まで視野に入れています。その気魄たるや見上げたものです。こういう若者たちが存在するかぎり,日本の未来は明るい,といまは確信に変わりつつあります。ほんとうに,この連中の考えていることは凄いですよ,と西谷さん。

 このSEALDsの活動に,多くの高校生も反応を示しているようですので,選挙権を18歳まで下げた政府・自民党の思惑は大いなる誤算となりつつあります。こうなりますと,学校の先生の役割もむつかしいところに立たされることになりますね。とわたし。

 いやいや,学校の先生は,なにかあったら,「それは<政治的>なことなので学校では教えません」「ああ,それも<政治的>なことなので・・・」と言って,はっきりと政府・自民党の意図するところをすべて指摘してやることはできますよ。かえってやりやすいのでは・・・・?感度のいい高校生はすぐに気がつきますよ。それに,SEALDsの情報発信がもっともっとみごとな力を発揮することになるでしょうね。もはや,若者たちにとっては,新聞もテレビも不要な時代に入っていきますよ。と西谷さん。

 ということは,いまの若者たちは,ものすごいことを学んでいることになりますね。文部科学省も政権与党も手も足も出せない「聖域」をフィールドにして,若者たちはとてつもなく大きな「力」をわがものとしつつあるのですから。とわたし。

 そういうことです。ですから,わたしも手抜きはできません。SEALDsの若者たちのあとを必死で追いながら,いま,自分にできることを全力で出し切る以外にないのです。と西谷さん。

 なんと謙虚な西谷さんだろう,とおもわず顔をじっとみつめてしまいました。

 このところ超過密なスケジュールをこなしていらっしゃることは,それとなく察してはいましたが,今日,たまたま,ちらりと耳にしたかぎりでも,わたしの想像をはるかに超えるとてつもなく多忙の日々を送っていらっしゃることが,よくわかりました。

 その発露が「森元,眠ってる?」という問いでした。このことばにすべてが物語られている,とわたしは直観しました。そして,凄い人と昼飯を食べているんだぁ,と。

 わたしの人生の終盤に,こんなさん然と輝く素晴らしい時間が待っていたとは・・・・。わたしは幸せ者です。わたしを取り巻くすべてに感謝したい,そん気持でいっぱいです。今回の術後の回復も,そんな流れのなかのひとつだったようです。ありがたいことです。まずは,西谷さんに感謝。そして,同席していた森元さんにも。

2015年7月22日水曜日

太極拳の稽古に復帰しました。その喜び。そして,貴重な経験,至福のとき。

 7月22日(水)午前。2週間のお休みをしてしまいましたが,3週間ぶりに太極拳の稽古に復帰することができました。もちろん,体調はまだ十分ではありませんので,ほんの少しだけからだを動かしただけのことではありますが・・・・。でも,復帰は復帰です。あの「場」に立てたことがなによりの喜びです。

 太極拳の稽古は楽しい。なにより,そこに集まってくる友人たちの顔ぶれがいい。みなさん自律した大人ばかりですので,しかも,厳しいお仕事と対決していらっしゃる方たちばかりですので,他者を思いやる気配りも尋常ではありません。それが,そこはかとなく伝わってきます。こういう人たちに囲まれて,そこに空気のように存在するだけで,わたしは幸せです。

 のみならず,大発見がありました。

 前回の術後に,李老師から「高い姿勢で,からだもこころも力を抜いて,のらりくらり」と適当にやりなさい,と繰り返し言われていました。しかし,それがどうしてもできませんでした。からだに力がもどっていて,そんなに力まなくてもふつうにできてしまうからです。ですが,今回は,そうではありませんでした。

 腹部の切開した傷跡の周囲の皮膚が,まだ,ピリピリと痛みます。のみならず,切除した肝臓の傷口も,周期的に痛くなってきます。周期的というのは,鎮痛剤を飲んでいますので,その薬効が切れてくると,ズキズキと痛みます。ですから,つねにからだの声に耳を傾けながら,恐るおそるからだを動かすことになります。その結果が,今日の太極拳の稽古でした。とにかく,痛みのないところで,それんとなく流していくことになりました。

 やっている途中で,「ああ,李老師が仰っていたことはこれだな」と感じとることができる部分がありました。と同時に,なんだか嬉しくなってきて,こころもからだも喜びでいっぱいになってきます。あふれるほどの喜びであり,快感でもありました。これなんだ,これこそが李老師が「めざせ!」と仰ってくださっていたことだったのだ・・・・と。

 こと運動に関しては,近代合理主義者であり,体操競技出身のわたしとしては,そんな「でれでれした」太極拳などはあってはならない,ありえない,と固く信じていました。しかし,そうではありませんでした。これこそ怪我の功名というやつでしょうか。動かすことのできないからだで,いま,できることをやるとしたら,これしかない・・・・この「これしかない」がじつは太極拳の奥義のひとつだったのです。

 「からだの力を抜く」ことの,ようやく,その入口に立ったようにおもいました。なにごとによらず,ある境地が開かれてくる,その現場に立ち合うことのできる喜びは筆舌につくしがたいものがあります。ことばで表現のしようがないことを,禅仏教では「不立文字」といいます。だからこそ,もっともっと言語化すべきだ,と道元さんは説きました。そして,既製の概念をつぎつぎに打ち壊していく,その作業の連続が修行であり悟りなのだ,と力説しています。すなわち,道元のいう「修証一等」というわけです。

 かつて,森本和夫さんが『デリダから道元へ』という著作のなかで,説いていらっしゃったツボがここです。

 たぶん,「からだの力を抜く」の極意も,まだまだ奥が深いようで,これからさき何回も,到達した境地を「脱構築」しながら,より深いところに根を下ろしていくことになるのだろう,といまから楽しみで仕方がありません。

 術後復帰の初日に,こんな貴重な経験をさせていただきました。ありがたいことです。この気持ちよさ,快感を追っていってみたいとおもいます。まさに怪我の功名そのもの。病徳。

2015年7月21日火曜日

自分の「からだ」を取り戻すということについて。

 点滴によって守られ,医科学的に管理された「からだ」から,経口食物によって栄養を補給し,自立(自律)する「からだ」への移行過程の考察。

 あるいは,歩行運動と胃腸の機能回復についての考察。

 歩くことが人間の基本運動であることを再認識するための考察。

 人間の脳はあとから取って付けた程度のものでしかなく,生命維持ということに関しては,ほとんど無能である,このことを実証するための考察。

 あるいはまた,本来の自己を取り戻す(道元禅師)ということの意味内容を明らかにするための考察。

 以上,本論考を完成させるためのサブタイトルをつけてみたら,全部で5本の論文が必要であることがわかった(笑い)。と同時に,これらのサブタイトルをつけてみたら,もう,この論考は完了したも同然であることも明らかとなった(笑い)。

 したがって,本論考は以上で終わり。

 以下は,後産的異物の排泄作用にすぎない。がしかし,この中にこそ本質的なことがらが含まれているのではないかと本気で考えているので,ぜひともご笑覧のほどを。

 医科学,恐るべし。患者本人の意思も意欲もなんのその,患者本人の肉体を完全に自家薬籠中のものとして,自由自在に操作し,ひたすら患部を除去したあとの肉体の機能回復をめざす。それはそれはそれはおみごととしか言いようのないものである。

 患者本人は,ただひたすら「激痛」との闘いだけで,あとはすべて医科学にみずからの肉体を委ねているだけ。その肉体は,ほぼ完璧にコントロールされ,栄養も満点なのであろう。「激痛」さえなければ快適ですらある。顔色はいいし,顔の皮膚もしっとりとしている。不思議なことに術後4日目には性欲すら湧いてくる。なんなんだ,これは?と考えてしまう。ひょっとしたら,生命体の最後の「悪あがき」?だとしたら,やばいぞ,と。でも,そうでもないらしい。翌日も,そのまた翌日も,同じように性欲が頭をもたげてくる。

 ところがである。おかゆからはじまる経口食物をとりはじめ,点滴が一つずつはずれていくにしたがって,この性欲は収まってしまった。完全に点滴が終わり,全粥からご飯になるころには,性欲は陰もなく消え去り,あれこれ想像力をたくましくしてみたところで「ピクリ」とも反応しない。あれれっ?

 ところがである。いよいよ本格的に歩行運動をはじめたころから,徐々に,食欲が湧いてきて,同時に,わたしのからだに「軸」のようなものが蘇ってくる。これはいいぞ,とばかりに距離をのばしていく。一日に2000mを超えたころから,なんと,ふたたび,性欲が立ち現れたではないか。「ナヌッ?」

 執刀医が回診にこられたときに,この話をむけてみる。大笑いして「そんな話は聞いたことがない」と執刀医。そうなんだ。患者には「とくに変わったことはありませんか」と問うだけで,あとは,パソコンのなかにデータ化された血液成分の状態や,レントゲン撮影の画像や,CTスキャンの画像とにらめっこなのだ。患者の病状は,データ化されたものだけで把握され,処方がされていく。

 しかし,生命体にとって性欲は重要である,とわたしは考えている。とりわけ,オスにとっては。健康状態がすこぶる良好なときには,毎朝のようにその「きざし」が立ち現れる。たとえ,一瞬のこととはいえ,これは健康のバロメーターのひとつとして,わたしにとっては重要であると長年,信じてきた。しかも,その性欲が朝だけではなく,読書中にも突然,立ち現れるようになれば,もう完璧である,といまでも信じている。

 だから,いまも,その日がくることをひたすら待ち望んでいる。もはや,ありえないことかもしれない。しかし,不可能ではないはずだ。しかも,ほんとうの意味で,自分の「からだ」を取り戻す,ということはこういうことなのではないか,と密かに期している。

 そんな日が,早やかれ遅かれ,かならずやってくるに違いないと信じて。
 これは,儚い夢,まぼろしなのだろうか・・・と半信半疑ながら・・・・。

2015年7月20日月曜日

やっぱり「戦争法案」は駄目なだげなぞん。47%あった支持率がいっぺんに37%に減っちゃっただげなぁ。

 まあ,駄目だぁのん。こんなにいっぺんに支持率が下がっちゃうなんてことたぁ,滅多にあることじゃあなんぞん。ほいッ。みんな,よっぽど腹が立っとるらしいぞん。

 あんた,どうおもうかのん。わしゃぁ,やっぱり,この「戦争法案」だけは駄目だとおもうがのん。こいつだけは「廃案」にしないことにゃぁ,このさき夢も希望もなくなっちゃうでのん。

 アメリカじゃぁ,はえ,この「戦争法案」がとおることを当てにしとるということだにぃ。これがとおりゃぁ,日本の自衛隊を戦争に駆りだすことができるっちゅうので,アメリカの軍隊4万人を削減する予算を組んで議会に提出しとるだげなぞん。というこたぁ,アメリカの軍隊4万人分の肩代わりを日本の自衛隊がになうっちゅうこったのん。

 こりゃあ,えらいこったぞん。

 日本の自衛隊は,他国にまででかけて行って,鉄砲を撃つ訓練はしとらんでのん。もっぱら,専守防衛のための訓練だけだでのん。自衛隊員自身も,そんな覚悟はできとらんだげなぞん。ほいだもんだえ,訓練が最近になって厳しくなってきたら,ノイローゼになる隊員が続出したり,自衛隊を去る人も続出だげなぞん。

 これじゃあ,自衛隊員が足りなくなるというので,こんだぁ学生さんに眼をつけとるだげなぞん。奨学金をもらっとる学生さんに,卒業後,自衛隊に入りゃあ,奨学金を返さなくていいっちゅう法律をつくるらしいって,聞いたことがあるでのん。それが駄目なら「徴兵制」も視野に入れて検討をはじめとるっちゅう話も聞いたことがあるでのん。

 こんなこともあってずら,きっと。SEALDs (Students Emergency Action for Liberal Democracy-s=自由と民主主義のための学生緊急行動)を名乗る学生さんたちの集団が雪だるま式にふくらんで,いまや国会前に10万人の人を集める力をもつようになっただげなぞん。それも,全国ネットで活動を展開しとってのん。どえらいことになっとるらしいぞん。

 ほんだもんだえ,みんな大人衆も,やっぱり「戦争法案」は駄目だ,と考えるようになったらしいだのん。それが,47%の支持率が一気に37%に減ってしまった大きな原因じゃあないか,という人がいっぱいでてきたでのん。

 このままいきゃあ,あっという間に,37%が27%に,そして,17%に支持率が落ちていくこたあ,間違いないらしいでのん。ほいだで,戦争だきゃあ,どんなことがあっても避けていきたい,「憲法9条」を守っていきたい,という人たちゃあみんなアベ政治に「反対」と言い出しただげなぞん。

 あんた,まだ,決めとらんのなら,よくよく考えて,わしゃんとうと一緒に「反対」と書いたプラカード(「安倍政治を許さない」)をもって近くのデモに行かまいかのん。プラカードはコンビニで印刷してくれるげなでのん。それを,まずは,家のどこかに張り付けておいてのん。

 「戦争法案」が廃案になるまで,大事に飾っておいてのん,デモのたんびに持ってでかけまいかのん。そうすりゃあ,なんとか廃案に追い込むことができるだげなぞん。いまのところは,それしか方法がないだげな。

 わしもガンバるでのん。あんたも頑張っとくれん。

 若い衆を戦争に送り出すなんてこたぁ,絶対に許しちゃあ駄目だでのん。
 70年も戦争をしないできた日本だでのん。

 ここを頑張って,戦争法案を廃案にしたら,日本国民に「ノーベル平和賞」が与えられる可能性が大いに開けてくるっちゅう話もあるでのん。

 頑張らまいかのん。本気で。

2015年7月19日日曜日

娑婆にでてみたら,世の中,とんでもないことになっていた。浦島太郎症候群。

 15日ぶりで娑婆にでてきたら,世の中,騒然。とんでもないことになっていました。まるで浦島太郎症候群です。

 今日(19日)は朝からたまっていた新聞を大急ぎでめくってみました。この短期間のうちに,世の中,こんなことになっていたのかと驚くことばかり。

 しかし,なによりの「朗報」は,アベ内閣支持率が37%(毎日新聞)に急激に下がったこと。しかも,大手新聞社の調査結果も軒並み「30%台」だという。まずは,このことをなにより言祝ぎたいとおもいます。おそらくは、SEALDs の若者たちの大活躍が大きく影響しているものとおもわれます。そして,ようやく国民の多くが「目覚め」,これではいけない,と気づいたということなのでしょう。

 これほど政府・自民党が徹底してメディアに対する言論統制を強いてきたにもかかわらず,やはり,「真実の女神」は立ち現れるものです。今回は,「安保法制」=「戦争法案」というイメージがじわじわとひろがり,とりわけ,若者たちと幼い子どもをもつ母親たちが声を挙げ始めたことが大きな分水嶺となったようにおもいます。

 にもかかわらずコウムラ氏(高村)は,「支持率が下がっても安保法案は必要」と豪語しています。つまりは,民意など聞く耳はもたぬ,と声高らかに宣言しているのです。

 その一方で,新国立競技場問題については,朝令暮改(舛添)にも等しいやり方で,白紙撤回してしまいました。どうだ,やるべきときには「素早い決断」をして,民意に答えるのがアベ政権なのだと言わぬばかりのみごとなまでのスタンド・プレイでした。しかし,その「計算づくの演出」はまるみえで,裏の事情をある程度理解している人間からすると,まるで「猿芝居」そのものです。

 いちはやく『東京新聞』の朝刊は,スポーツ基金を取り崩して建設費にまわし,そのツケを五輪後も毎年,国費で5億円を補填する,という合意が財務省と文科省の間で取り交わされた,とすっぱ抜いています。しかも,エンドレスだという。なんというお粗末。スポーツ基金は選手育成のための助成金を出すための基金。これを建設費に使ってしまってどうするというのでしょう。もう,わけのわからないことを平気でやるのが,いまのアベ内閣です。

 さあ,アベ君は「白紙撤回」などと大見得を切ってみせたものの,その化けの皮ははやくもはがれはじめています。これも,どうやらアベ君独特の計算の上に立つ得意の「大嘘」のようだ。となると,その落としどころをどこに求めて行くことになるのか。みものだ。官邸主導とはいえ,事務局は五輪担当大臣のところに置かれた。水面下では,森喜朗組織委員会委員長を筆頭に,これから,さまざまな裏取引がなされることになるだろう。責任問題と抱き合わせにして・・・・。

 せっかく「白紙撤回」したのだから,これからの会議は国民も参加した公開のガラス張りで行われるのが理想だ。そうすれば,あらゆる疑惑から解放され,みんなが納得のいく結論にいたるはず。それができなかったら,元の木阿弥。またまた,とんでもない「伏魔殿」での「密室会議」のはじまりです。そして,総経費は国民の顔色をうかがいながら,いつしかとんでもない額に達するのではないか,とわたしは推測しています。最後は,「時間がない」で逃げ切る。常套手段。「60日ルール」の応用編。

 建築エコノミストの森山高志さんは,旧国立競技場は使い勝手がよく,建築的にも傑作だったのだから,これを若干の手直しをして復元することを提案している。そうすれば,図面も全部あるし,工期も短くて済むし,経費もかからない,という。しかも,このことは官邸の勉強会でも説明済みだという。

 これを承知の上で,官邸はどの手を打ってくるのか。なにせ,沖縄の辺野古問題では徹底して民意を無視しているし,安保法制でも民意を完全に無視して,平気な官邸である。新国立競技場問題も,最後は,官邸の独断先行で押し切ってしまうでしょう。そういう「体質」なのだから。人の話に耳を傾けることなど,とうてい想定できない。それがアベ政権だ。

 だから「安倍政治をゆるさない」というカードを掲げる女性デモが,静かなブームを呼んでいる。このカードをかかげて静かに行進する。いかにも,女性らしい,がしかし,力強い意思表明ではある。

 どうやら,新国立競技場問題と安保法制とは「セット」で国会論議を呼ぶことになりそうだ。新国立競技場問題は,わたしが承知しているだけでも,もっともっと深いところに根があるのだから,つまり,政権の意思決定の方法は同根という意味で,ワン・セットにしてとことん問題を掘り下げてほしい。野党にそれだけの力があるかどうか,そこが問題だが・・・・。

 いやはや,これから会期末まで,国会から眼が離せない。また,国会前でのデモも眼が離せない。なんとか早く体力を回復して,でかけることができるようになりたいものだ。

 退院早々,大問題に直面。えらいこっちゃ,です。

2015年7月18日土曜日

退院。やっぱり家(うち)はいいのん。まずはベッドの上で大の字になってのん。最高だにぃ。

 病院のベッドじゃあのん,幅が狭(せば)いもんだいのん。両腕を広げて寝るわけにゃあいかんだぁのん。ああ,やっぱり家(うち)の幅の広いベッドはいいのん。大の字になれるで。これで,やっとかめで家(うち)に帰ってきたなぁ,としみじみおもうだぁのん。からど(体)がどえらいよろこんどるだにぃ。

 考えてみりゃぁ,こんどで2回目。前は去年の2月。胃ガンがみつかってのん。ほいでぇ,3分の2を切り取っただぁのん。そんときも,どえらい治りがよくて,手術後11日で退院しただあのん。こんだは肝臓に転移がみつかっちゃってのん。3分の1を切り取っただぁのん。こんだも治りが早くてお医者さんにのん,ほめられただにぃ。こんだは手術後12日で退院。ありがたいことだぁのん。

 2回もこんなことを経験してのん。あれやこれや考えることはどだくさんあるだぁのん。ほいでも,最初に思い浮かぶのはのん。どんだけ多くの人たちに支えられてわし(私)という人間が生きとるか,ちゅうことだのん。直にゃぁ,ほりゃあ,病院の先生や看護師の衆たちのお蔭だあのん。ほりゃあまあ,当たり前のこととしてもだのん。家族や友人たちの温かい励まし・・・・,ここからさきを思い浮かべていったらきりがないでのん。

 なんでわかったかちゅうとのん。スペインでダンス公演をやって帰ってきた人から話を聞いて,びっくりだぁのん。あの衆はのん,成田空港からまっすぐ病院に駆けつけてくれて,いきなり「ハグ」されてのん。日本から指令があって,稲垣先生のために「気」を送れって言われたので,必死になってスペインから送ってくれただげなあ。まっと話を聞いてみりゃあのん。稲垣先生に「気」を送るネットワークがあって,みんなが連絡し合って「気」を繰り返し,繰り返し送ってくれただげなぁ。ありがたいことだあのん。

 そのせいずらのん。一日,一日,わしのからどがぐんぐんよくなるのがわかったでのん。不思議なくらいに。なんでだろなあ,とぼんやり考えとっただあのん。ひょっとしたら,なにか想像もつかない大きな力が味方になってくれとるのかなぁ,とのん。たいていのん。よくなる人たちっちゅうのはのん。こういう力に導かれているのじゃないか,とわしゃあおもうだのん。

 ほいだで,みんなが送ってくれた「気」も,この大きな「力」と一緒になって,わしのからどに届けてくれたのかなぁ,とそうおもうだあのん。そうおもうとありがたくて,ありがたくて,泣けてきちゃうだにぃ。宇宙・天地・自然であるマクロ・コスモスと,わしゃんとう一人ひとりのからどやこころであるミクロ・コスモスとは一直線につながっておってのん。それがお互いに共振・共鳴したとき,なにかが起きる,そういうとんでもないパワーが生まれるっちゅうでのん。

 田舎の小さな禅寺で育ったわしゃあのん。すぐに,道元さんの『正法眼蔵』を思い出すだあのん。そんなかに,そういうことがいっぱい書いてあるでのん。まあ,この話はまたやるとしてだのん。どえらいありがたい「力」に支えられてるっちゅうことを,こんだほど実感したこたあないだあのん。 

 ほいでも3度目はまあいいのん。こりごりだぁのん。
 なんとか救ってもらえるようにお釈迦さまに,まっとまじめにお祈りすることにするだあのん。
 まずは,『般若心経』を朝夕に唱えることから・・・・。
 天地・宇宙と我との一体化を念じて・・・・。

 まずは,家(うち)に帰って,ほッ。

2015年7月17日金曜日

明日(18日)の午後,退院決定。バンザイ!

 今朝からなんだか忙しい。朝,目覚めと同時に「採血」。朝食が終わったら「レントゲン」。そのあと「シャワーを浴びますか」という。もちろん,「喜んで」とわたし。このとき,??とおもう。なぜなら,前回の退院前の流れとよく似ているからだ。そうか,採血もレントゲンも最終チェックなのだ,とピンとくる。この結果さえよければ,ゴー・サインがでるな?と。

 それとなく期待して,担当医の訪れを待つ。すると,予測どおりに,昼食後,まもなく現れ,今日の午前中の検査結果についてお話がありました。血液検査の結果はきわめて良好。肝機能も回復のきざしがあり,心配ありません。レントゲンの結果は,肝臓と肺の間に水がたまっていたが(これは必然的にそうなる),その水もきれいに消えていました。今回の医療計画としてはこれで一区切りです。ここからさきは「経過観察」に入ります。したがって,体力に自信があれば,いつ,退院してもいいですよ。早い方がいいですか。

 もちろん,そのつもりで体力回復のための歩行運動はきちんとこなしてきました。昨日は,10往復(2000m)を歩きました。かなり,脚力ももどってきています。あとは,体幹の筋力ですが,これはおいおいとりもどすことができるでしょう。退院したら,週1回の太極拳の稽古もありますので,そこに少しずつ復帰したいとおもっています。あとは,8月に入ると,神戸,岐阜,沖縄と移動する予定がありますが,そのつど,そのときの体調と相談しながら判断したいとおもいます。

 よくわかりました。では,明日の昼食後,退院ということにしましょう。あとは,わたしのところの外来として通院してもらいます。しっかりと経過を追いながら,もっとも適切な事後の対応の仕方を考えたいとおもいます。

 ありがとうございました。よろしくお願いいたします。

 ということで,ついに今回の入院治療の一応のゴールに到達することができました。
 「ヨシッ!」と気合が入ります。

見ろ,SEALDs の底力を。国会前に10万人。全国各都市でも大挙して集結する若者たち。

 見たか。SEALDs の底力を! 国会前に堂々の10万人を集結させたではないか。このまったく新しいスタイルの若者たちのネットワークの構築の仕方には眼を見張るものがある。そうか,この手があったか。でも,よく考えてみれば,だれにもわかっていたことだ。しかも,だれでもできることだ。しかし,実際にやった者はいなかった。コロンブスの卵。

 そうだ。SEALDs は不可能を可能としたのだ。そして,だれでもできる,まったく新しい政治参加の方法をみごとに実現させてみせたのだ。そこが偉大なるところだ。素晴らしい快挙というべし。

 アベが憲法を無視して「クーデター」を企てたのなら,それならまったく別の方法で対抗してやろうという若者たちのアイディア満載の運動の展開。アベが,国民の総意を踏みにじってまでして議会の議席の数を頼りに,あらゆる手段を用いて,強引に「悪法」を押し通そうとする。そんな無謀なことが許されてたまるか,われわれ若者たちの「怒り」の声を聞け,とばかりに現代文明の生みだした利器を最大限に駆使して,巨大ネットワークを構築した。そこには名簿もなにもない。友だちから友だちへ,そして,その友だちからつぎの友だちへ,とその輪はあっという間に広がっていった。

 はじめ,数百人の若者集団からはじまって,あっという間に,国会前だけで「10万人」を集めた。しかも,この輪は全国ネットだ。テレビも新聞もほとんど報道しないが,全国の大都市で,同じ若者集団の結束による抗議活動が展開している。それこそ,ネットの世界をたどっていくと,いくらでもその情報は集まってくる。

 若者たちは,とうのむかしにテレビも新聞も信用してはいない。得意のスマートフォンを駆使して,自分にとって必要な情報を手当り次第に蒐集し,取捨選択をしている。そして,自分の生きる糧となる情報を精選している。そして,大人たちが想像もつかないネット世界のなかに無限の可能性を予知している。

 このSEALDs  の若者たちの運動は,これから燎原の火のごとく燃え広がっていくだろう。この火はもはや政府・自民党をしても消し止める手立てがない。そして,ほんとうに「安保法制」成立にストップをかけるだろう。わたしはいつのまにか,そう確信するにいたっている。

 なぜなら,この「安保法制」を前にして,これを食い止めるだけの力は,いまの政党政治では限界があるということを,だれよりもよく知っているのが,この若者たちだ。もっと言ってしまえば,姑息なイデオロギー論争や政党利害にこだわっていて,その上での政治的駆け引きには限界があるということだ。その体質は弾劾すべき自民党となにも変わらないからだ。政党政治そのものが堕落してしまったということだ。

 このことに,いちはやくSEALDs の若者たちは気づいている。だから,イデオロギーもいらない,利害得失もいらない,ただ,この憲法を無視した逸脱行為でしかない政府・自民党の「暴挙」=「安保法制」だけは,「なにがなんでもとおすわけにはいかない」と腹をくくった。ただ,この一点のみにおいて,賛同者に声をかけた。それ以上でもそれ以下でもない。ただ,純粋に,憲法を無視して「戦争」に向かうのだけは嫌だ。「戦争のことを考えるとからだがふるえる」。この感性を共有する若者たちが集まった。

 だから,この燎原の火はもはや止めようがない。これから,「安保法制」が廃案になるまで,この運動はやむことなくつづくことだろう。しかも,全国区で。

 もう一点だけ。この運動は,若者たちの力で,政治の流れを変えることができる,ということを学ぶ最大の場になっているということだ。この運動が成功したら(成功するとわたしは確信しているが),日本の政治情況は一変するのではないか,とおもう。あまり大風呂敷を広げない方がいいとおもうので,ここでも一点だけ。選挙行動に新たな流れが生まれるだろうということだ。選挙権が18歳まで引き下げられた。この若者たちの情報は,そのほとんどがスマートフォンからえられる。この世界を自家薬籠中のものとしているのが,このSEALDs の若者たちだ。この若者たちが,つぎの選挙の折にどのように運動を展開するか,みものだ。18歳,19歳の若者たちの票の多くは,ここで動きそうだから。

 かれらは,言ってしまえば無党派層。どこでもいいのだ。ただ一点。「憲法9条」を守る。その上で政治を行ってほしい。つまり,若者たちに夢と希望を与えてくれる政治を。

 さあ,こうなったら,「安保法制」廃案まで,とことん反対運動を展開して,政府・自民党にゆさぶりをかけることだ。そして,もし,このまま押し切ったら,つぎの選挙では,自民・公明の候補者を軒並み「落選」させることだ。それだけの力を,この若者たちは手にするだろう。

 そして,政治の流れを変えることができる,ということをこの若者たちが学んだとき,日本の政治情況は大きく変化するだろう。また,そうなることを願っている。だから,ほんとうの闘いはこれからだ。

 さあ,わたしの退院の日も近い。すぐには無理でも,体調が回復ししだい,この結集の最後尾にぶらさがりたい。老骨に笞打って。

2015年7月16日木曜日

さあ,今日からリハビリ開始。社会復帰をめざして。

 今朝(16日)から,ふつう食になりました。ふつうのご飯にふつうのおかず。お味噌汁。昼には,エビフライが二つ,白身のフライが一つ。あとは野菜炒め。もう,完璧にふつう食です。不思議なもので,これをみた瞬間から食欲が湧いてきて,完食しそうな勢いでした。が,そこは腹と相談しながら,やや抑えめにしておきました。

 便通も快調。朝目覚めて,すぐに一往復(廊下,片道100m)。のどが乾いていたので水をコップに少々。それからすばらくしたら,急に便意をもよおし,みごとに排便。昼食後にも,排便。これまでたまっていた便が順調に排泄されるようになってきました。そのせいか,気分もとてもよく,そのあと廊下を二往復。

 残る課題は傷口の痛みのみ。こちらも薬剤師さんと相談して,つぎの痛みがくるまでは飲まなくていいことを確認していましたので,今日は,昨日の夕食後に飲んでからずっと様子をみていましたら,夕刻になって痛みがでてきましたので,飲みました。約20時間,飲まずにいました。廊下で出会った薬剤師さんにその報告をしたら,そんなに我慢しなくていい,ある程度は痛みを抑えておいて,活発に動いた方がいまのからだにはいい,とのこと。このご意見にはすぐに従うことに。

 ということは,わたしの仕事は,この痛みを上手にコントロールしながら,からだを動かしてリハビリに努めること。となれば,方針がはっきりしましたので,あとは得意のからだほぐしから,マッサージ,脚筋力,歩行運動,など,かんたんにできることからはじめよう,と今日からはじめました。

 夕刻には,院長先生が病室を尋ねてくれました。なんだか,いつもよりも長い時間,わたしの体調のことについてあれこれチェックしてくださいました。その結果は,とてもいい経過をたどっているので,安心してください,とのこと。

 後半は例によって余談。珍しくわたしの方に話を振ってくれましたので,今日の午前中にあった安藤忠雄会見の話と,それをめぐる新国立競技場問題についてを話しました。結構,興味をもって聞いてくださったので,わたしもつい長話をしてしまいました。ちょっと驚いたような顔つきで聞いてくださいました。が,どうやら,このわたしの話しっぷりも病気の回復の度合いを見計らっているようにも見受けました。ありがたいことです。

 さあ,これで退院後の社会復帰をめざして,さらなるリハビリにつとめることにしたいとおもいます。退院まで,あと少し。元気が湧いてきます。

2015年7月15日水曜日

シャワーを浴びました。気分爽快。

 今朝(15日),早朝に院長先生が顔をみせてくれました。いつもに比べて鋭い目つきをしていましたので,一瞬,身構えてしまいしまた。「その後,どうですか」と院長。この問いにどう答えようかと迷いましたが「からだ全体に力がもどってきたようにおもいます」とわたし。「それはよかった」「ありがとうございます。先生方のお蔭です」。

 このあとの院長先生のお話の要点は以下のとおりです。
 とてもいい経過をたどっています。一応,当初に予定していた医療計画の主だったところは昨日の夕刻までで完了しました。あとは,稲垣さんの体力の回復を待つのみにです。そのための支援をします。なにか,ありますか。

 ⇨このあとの肝臓の回復はどのような経過をたどるのでしょうか。
 肝臓という臓器は意外に野性に富んでいて,再生能力がとても高いので,かなりの部分までもとにもどります。だから,安心してください。ただし,アルコールは以前ほどは飲まない方がいいでしょう。ほどほどに楽しむ程度にしてください。

 ⇨もう,しばらく前から量は圧倒的に減りました。いまや,飲もうとおもってもそれほどは飲めません。年齢相応にとおもっていますが・・・(笑い)。
 それがいい,それがいい。

 このあたりから,いつもの会話に入り,楽しいひとときを送りました。

 その後の回診のお医者さんに,昨夜遅くに便通があったことを報告。それはよかった。座薬をしなくて済みましたね。それから,ドレーンの跡を確認し,もう大丈夫ですね。今日はシャワーを浴びていいですよ。と待望のことば。これを待っていました。

 午後のシャワーの予約をいれておいたら,午後3時15分からに決定。このシャワーを浴びていたら,スペイン帰りのダンサーが立ち寄ってくれました。乗り継ぎ時間の合間を縫って駆けつけてくれました。あわただしい時間でしたが,とても重要な話(舞踊論に関する)とこんごの予定などの約束などもできて,とても有意義でした。

 友あり。遠方より来たりぬ。スペイン帰りの舞姫よろしく「ひまわり」の花,一輪をもって。これでまた元気百倍。

さあ,明日からリハビリに専念。わたしの得意とするところ。ここで以前の経験が生きてきます。さて,あと何日で退院ができるか。自分への挑戦です。

2015年7月14日火曜日

ようやく最後のドレーンが抜けました。からだ本来の姿にもどりました。ここからは自力回生が中心です。

 「体液の状態もとても落ち着いてきたので,もう,いいでしょう」という執刀医の判断で,今日(14日)の夕刻,残っていた1本の最後のドレーンが抜けました。これで晴れて,もともとの自分のからだにもどりました。さあ,これで医療器具に身を固められていた他者の身体から解放され,いよいよ自立して,みずからの自力回生をめざすことになります。

 これで大きなハードルを一つクリアしたといっていいのでしょう。これからの課題は,歩行訓練をしっかりやってふつうに歩けるようになること(こちらは自信あり),傷が完全に癒えること(まだ,ひりひりと周期的に痛む),そのために用いている鎮痛剤から解放されること,血圧を下げること(途中で血圧が急激に下がったことがあって,それを上げるためにした点滴が効きすぎたのか,いまや高めの血圧が推移),排便がしっかりできるようになること(ガスはいくらでもでてくるのに,そのガス元がでてこない,なので,このままの状態がつづくようだったら座薬を考えるとのこと),以上,いま,わたしが認識できていることはこんなところでしょうか。

 まずは,どん底から這い上がってきて,ようやく「ふつう」に向かって一歩一歩階段を登っていくことになりました。まだまだ,医療の手助けが必要ですので,もう,しばらくは入院生活がつづきそうです。が,これまでの入院生活にくらべたら,天と地ほどの差があります。これで,ようやく希望をもって,「ふつう」の生活にもどれるよう努力していけばいい,という目処が立ちました。

 さあ,明日から頑張るぞ,と腹を決めたら,なんと明日(15日)には安保法制の委員会採決を強行するという。じつは,今夜も大きな抗議集会があちこちで開かれていたのに,NHKが流したニュースは,日比谷野外公会堂に1万人余が集まった,というたったこれだけのニュース。まるで,なにごともなかったかのようなニュースの流し方でした。その一方では,いまもなお,ネットの上は,各地で展開された抗議行動がつぎつぎに流れています。

 こういうほぼ完璧ともいえる「報道規制」を政府与党が構築した上での,委員会強行採決です。しかも,その非を激しく攻撃する大手報道機関はほとんどなし。完全なるアベ恐怖政治の実態が露骨にその姿を現しつつあります。

 こんな国家の存亡にかかわる大事なときに,情けないことに,わたくしめは,入院生活をつづけなくてはならない,そして,自分の養生につとめなくてはならない,という体たらくです。役立たず,とはこのことを言うのでしょう。

 でも,ここはじっと我慢の子を決め込んで,養生に励みます。そして,一刻も早く退院して,社会復帰をはたしたいとこころより願っています。以上。

2015年7月13日月曜日

新大関・照の富士が順調な滑り出し。大きな世代交代が起きようとしている。

 連日の猛暑のなか,いよいよ,これまた猛暑で名高い名古屋場所がはじまった。さて,今場所の行方やいかに。その焦点の人,新大関・照の富士。この人の今場所の乗り切り方によっては,大相撲に新時代が登場する,と楽しみにしている。

 この二日間をみるかぎり,まったく問題なし。堂々たる大関相撲である。不安な材料がひとつもない。立派なものだ。心身ともに充実したものを感ずる。

 初日の立ち合いで足を滑らせたとき,あっ,とおもったがすぐに体勢を整え直し,あとは余裕すら感ずるほどの大関相撲である。碧山に押されても,余裕をもって押させている。そして,俵に足がかかった瞬間に右からの上手投げ。まるで,稽古場でのぶつかり稽古をみているようだった。絵に描いたようにみごとにごろり。相当に自信がないと,そして,相当に力の差がないと。あんな相撲はとれないだろう。

 二日目の今日の相撲。過去2回対戦して2回とも勢が勝っている。だから,照の富士には多少なりとも苦手意識があるのではないかとおもっていたが,まったく,そんなものは無関係。それどころか勢がとりたい得意の相撲を,自分がとって見せた。昨日の立ち合いは,やや腰高だったその反省に立ってか,勢よりも低い立ち合いをしてみせた。しかも,その瞬間に浅い下手が引けた。これでもはや勢の動きは封じられてしまった。あとは,一直線に寄ってでた。勢が土俵際で必死にこらえたが,新大関はなりふり構わずがぶり寄りをみせた。

 この新大関・照の富士の相撲にくらべて横綱・白鵬の相撲は対照的だった。初日・宝富士,二日目・高安。いずれも手こずって,長い相撲となった。よくいえば白鵬が土俵上で相撲を楽しんだ。わるくいえば力が衰えてきて大苦戦となったということだろう。もっとも,宝富士も高安もここにきて急速に力をつけてきた力士だ。こういう力士たちが白鵬の立ち合いから一気の攻撃に耐えられるようになってきた,というところがポイントだ。つまり,これまで圧倒的だった横綱との力の差がつまってきたということだ。

 つまり,上位と下位との差がなくなってきたということ。その好例が,琴奨菊と豪栄道のふたりの大関。残念ながら,ふたりとも連敗スタートとなった。重症だ。それに付き合うかのように稀勢の里が,二日目にして早くもこけた。こんなところをみていると,何だか大きな世代交代が起きようとしているかにみえる。つまりは,若手の伸びが著しいということだ。

 その筆頭に立つのが照の富士。その面構えがまずはいい。相手をのんでかかっている。負けることなど考えてもいない。おれが勝つと信じている。しかも,勝って当たり前という顔をしている。だから先場所までは,勝って引き上げる花道の奥に入ると,付け人の方をふりかえりながら子どものような無邪気な笑顔をみせていたのに,今場所はにこりともせずきびしい表情のまま歩いていく。そうとうに強くこころに期するものがあるな,と感ずる。

 こんなところをみていると,どうやら,白鵬にとって代わって照の富士時代の到来を予感させるものがある。こんなに堂々と相撲をとられてしまったら,もはや奇襲戦法でもしかけるしかないだろう。ひょっとしたら,それすら通じないかもしれない。とくに,今日の立ち合いの姿勢の低さ,踏み込みのよさ,左上手をとる位置,などをみるかぎりスキなしだ。

 こうなってくると三日目の相撲が待ち遠しい。

2015年7月12日日曜日

歩行開始。食事をはじめました。点滴が減り,管も減りました。

 昨日(11日)の夕刻,執刀医の回診があり,夕食から重湯を出します,と言われる。まずは,食べる練習のつもりで,食べられる範囲で食べてみましょう,と。食べすぎないように上手にコントロールしましょう,とも。

 出てきた夕食は,重湯200g,吸い物130g,豆乳1箱,番茶(湯飲み1杯)でした。7月4日(土)に入院する前日の夕食が最後でしたので,7日ぶりの食事でした。食欲はまったくなし。食べたいとおもわない。それでもとおもって,じっと重湯を眺めてみた。米粒一つない完璧な重湯でした。小さな塩の袋がありましたので,その塩を少し振りかけてみる。

 吸い物の蓋をとって中を覗いてみる。透明な吸い物だけ。具はひとつもなし。こちらにスプーンを入れてひとくち呑んでみる。からい。久しぶりの口にはからいのだろう。そのままじっと眺めている。あとは,豆乳か,と。重湯と吸い物と豆乳を順に眺めまわしていたら,胃袋の底の底の方でちらりと食欲らしきものが動いた。「あれッ,いまのはなんだ」とひとりごと。

 人間のからだとは不思議なものだ。たとえ食欲がなくても,食べ物をじっと眺めているうちに,そこはかとなく食欲らしきものが立ち上がってくる。「よしッ」と気合をいれてスプーンを重湯に突っ込む。そして,ひとくち。まったく味がしないが,重湯というものはこんなものだろう,と二口目に進む。そこで,しばらく外の景色を眺めたりして,いいぞ,いいぞ,ちゃんと食べているではないか,と自分をほめてやる。

 ほめられたせいか食欲がいくらか増大する。吸い物も重湯と合わせてみたら,そこそこにいい味がしている。それでも,ほんの数口食べたら,もう胃が張ってくる。そこで,また,一休み。こんなことを繰り返しながら,たっぷりと時間をかけて,重湯を半分(約100g),吸い物は3分の1ほどを呑んだところで,胃が「もういい」という。よしッ,ここだ,と判断。

 この判断は正解だった。食後の過食感はまったくなく,快適だったからだ。夜も快適。

 つぎに歩行訓練。朝になって,夜勤のナースさんと交代した日勤のナースさんが挨拶がてらやってきて,「今日から歩きましょう」という。「えッ?」とわたし。どうやらわたしのカルテを読んで勉強してきたらしい。「でも,気が向かなかったらいいですよ」ともいう。この手があったか,とわたしはまんまとはまってしまった。

 ああまで言われたら,わたしのやる気が疼きだす。午前中の病室での恒例の行事(部屋の掃除,ホット・タオルのサービス,いつもの回診,体温,血圧の測定,薬剤師さんの問診:昨夜から鎮痛剤の種類を変えた結果の確認,など)が終わったところで,「思い立ったらすぐやる」と気合を入れて立ち上がる。点滴台を押しながら,廊下を行く。ナース・センターの前まできたら,くだんのナースさんが驚いて飛び出してきて後ろに立ってケアしてくれる。できるだけ自分ひとりでやってみます,とわたし。でも,ずっと付き添ってくれた。長い廊下を一往復。つまり,200mを歩く。

 午後にも,一番,隙な時間をつかって歩行訓練。こんどはわたしひとりで200m。午後の方が楽に歩けた。

 2本の針がささっていた点滴の針が1本に減りました。尿管もはずれました。その代わり自分でトイレに行かなくてはなりません。これが頻尿のわたしにとってはかなりの運動。

 残るは,点滴がいつ終わるか。これはわたしの食欲と関係しているらしい。そして,ドレーンが2本。横隔膜の上と下(下腹部)にそれぞれ1本ずつ。これらが取れれは,シャワーも浴びられますよ,とナースさん。あと幾日でこれらのハードルをクリアすることができるか。少しだけ,先がみえてきた。

 午後から『正法眼蔵入門』(頼住光子著,角川ソフィア文庫)を読み始める。

現実と非現実,意識と無意識の境界領域で起きた幻覚症状か?病室のなかに巨大なパソコンのディスプレイが登場。

 重篤な病気にかかり,死線をさまようような状態に入ったことのある人たちの何人かにひとりは,死んだおじいさんやおばあさんが「おいで,おいで」とにっこり笑って手招きしてくれる,という話をこどものころに聞いた覚えがある。へぇ,そんなもんかなぁ,と不思議におもっている。そして,「絶対に向こう側に行っては駄目だよ」と強く大人たちにたしなめられた。「こっちにもどってこれなくなるから」と。

 これと同じ話がきちんとした仏教書の中にも書かれていて読んだ記憶がある。たしか,インドの話だったようにおもう。ということは,これと同じような話があちこちに伝承されているらしい。手招きされたさきの方をみるときれいなお花畑が広がっている。ああ,なんてきれいなお花畑なんだろうとおもってついていってしまった。しばらく遊んだあとで,どうしても戻らなくてはならない用事を思い出したので,もどってきてしまった。戻ってから偉いお坊さんにその話をしたら,お前は黄泉の国につれていかれて,そのままあちらに居ついてしまえば,もう二度とこちらには戻れなかったんだよ。

 そういえば,あの世から生還した,つまり,九死に一生をえた人のお話を集めた本にもそんなことがたくさん書いてあった。長いトンネルのようなところをくぐりぬけると,そこは綺麗なお花畑だった,と。科学的合理性の権化のような宇宙飛行士のひとりもそんな経験をしたことがある,と書いていたようにおもう。のみならず,宇宙飛行士をやめたあと,宗教者に転じて布教に励んでいるとか。

 別に「あの世」があるとも信じてはいないし,来世願望が強いわけでもない。こんなことを思い出したにはわけがある。5時間半におよぶ手術を受けたのち,集中治療室で2日間をすごした。この間に不思議な体験をした。うつらうつらとまどろんでいたら,突然,パソコンの画面が目の前に現れだ。それも,桁外れに大きなディスプレイである。そこには,さまざまな記事がつぎつぎに現れては消えていく。大急ぎで読めばなんとか読める。すると,また,づきの画面が現れては消えていく。これは幻覚に違いないとおもいながらも,結構,楽しんでいる。

 たとえば,まことにもっともらしい国会中継が流れてきた。みると,アベ君に野党議員のだれかに食いつかれている。いつものように意味不明の丁寧な説明を繰り返すアベ君。それでは説明になってはいない,と野党のだれかが食い下がる。じゃあ,もう一度,繰り返します,とアベ君。議場からは時間の無駄だ,と野次が飛ぶ。まるで,デジャヴュー。わが眼を疑う。

 あるいは,この巨大画面でだれかのFBを夢中になって読んでいたときなどは,あまりに面白かったものだから,途中で消えてしまったときに,慌ててその画面を復元させようとして手を前に伸ばしたほどであった。するとわたしの手は空を切っているではないか。ここで,初めて,ああ,これは非現実のできことだと再確認。しかし,記事の内容はいずれも立派なもので,文章もしっかりてしいる。新聞の記事とはいえ,こんな文章が書ける記者がいるんだ,と感心までしていた。

 それからあとは,いまみているパソコンの画面は非現実のものだということをはっきり意識しながらみている。それでも何回も手が空を切る。そのたびにはっと吾に帰り,ああそうだった,と気づく。こんなことが二晩つづいた。内容は,さもありそうなデモの話であったり,だれかのFBだったり,ブログであったりと,さまざまだ。

 パソコンの画像は想像を絶するほどでかい。ベッドの向こう側の壁全体がディスプレイとなっている。これは非現実だと自分に言い聞かせながら,みて,楽しんでいる。意識も非現実と現実の境界領域を自在に出入りてしいるし,いつのまにか無意識そのものに埋没したりしている。慣れてくると面白い遊びだ。この技を身につけようとおもっているうちに,元気がでてきて,三日目の夜を最後に,この遊びは終わった。

 しかし,この話にはつづきがある。

 いったい,これはなんだったのだろうか,と考えている。

2015年7月11日土曜日

鎮痛剤の相性がいいのか痛みがだいぶ収まってくる。ありがたいことだ。

 今日(10日)の午前中に胃と肝臓と肺のレントゲン撮影がありました。歩いて行くかと聞かれましたが,なんとなく後ろに倒れそうな感覚がありましたので,車椅子で運んでもらいました。でも,レントゲン室の中での撮影はできるだけ自分の足で歩きました。こんなにゆっくりにしか歩けないことを知り,いささか愕然とてしまいました。脳梗塞や脳卒中を起こして倒れた老人たちのリハビリをやっているようなものです。足の長さ(フィート)の半分くらいしか一歩で前に運ぶことはできません。この先の道は長いぞ,と覚悟しました。

 からだを動かしたのがよかったのか,個室にもどってからは,ガスの連発でした。このガスが,なんと自分の意思で出すことはできないのです。いろいろの条件が整うと,自然にポコポゴと音を立ててでてきます。ちょうど,看護師さんが来室して体温と血圧を計っている最中に,意に反して「ポコッ」とでてまいしました。看護師さんが喜んで,今日はいいことがありそうだ,とジョークをとばしてくれました。出そうとおもっても出ないし,出てはいけないとおもっていてもでるときは出る,そういうものです,とあえて説明してくれました。

 一日に何回も廻ってきてくれる回診の先生に夕べは背中と手術の傷跡が痛くてよく眠れなかった,と報告。この先生のおっしゃるには,いまの背中からいれでいる鎮痛剤は質がよく成っているので,いたいときはどんどん使いなさいとのこと。自分の感じでも相性がいいとおもっていたところなので,安心しました。早速,今夜はこれでいこうと考え,先ほど「ワンプッシュ」入れてもらいました。すぐに眠くなりましたので,一休みして,先ほど目覚めたところです。よし,これで今夜は安眠ができる。この調子でいくと,明日は歩けるかも・・・。

 今日のレントゲンの結果がよければ,食事もそんなに遠くはないと聞いています。点滴も日ごとに減ってきて,いまは1本をのこすのみとなりました。これは抗生剤だと聞いています。このあとは,栄養補給の点滴が待っています。少なくとも,右手が自由に使えるのがなによりありがたいことです。

 こうして,毎日,一つずつなにかがはずれて,回復にもどっていくときというのは,そこはかとなく希望がもてるものです。こんどで二度目ですが・・・・。

 明日は橋本一径さんのトークショウに申し込みがしてありましたが,残念ながら欠席です。いま,絶好調の橋本さんのお話が早く聞けるようになりたい・・・・・・。これを希望に代えて頑張ります。

まずは順調ということで。

2015年7月10日金曜日

ガスか抜けました。ホッ。

下腹がはってきて,もうすぐガスが抜けますよ,と言われていてなかなか抜けなくて困っていました。下腹がパンパンに張ってきたのになかなか抜けません。おしまいには座っているのも耐えられないほどになってきました。腹をさすったり、深呼吸をしたり,あ、い、う、え、おと声に出して言ってみたり,ありとあらゆる手を使ってみましたが,どうにもなりません。

そのうちにガスが暴れ出してきました。あっちへ動いたりこっちへ動いたりしはじめたのです。そのたびに痛い。これは駄目だと観念して,ベッドの中に入り,からだ全体を温めてやり,全身の力を抜いてリラックスにつとめました。するとガスが軽快に動きはじめ,ほどなく「ポコッ」と卵でも生んだように大きなのが一つ。そのあとは断続的にちいさなのが連発。それがまたクサイので驚いてしまいました。

ああ,これですっきりしたとおもっていたら,そのあとも何回もでます。それはそれは不思議なほどの数でした。

これで気分がすっきりしましたので,7,8,9日の三日間に「100通」をこえるフェイス・ブックをよみはじめました。これはさすがに多くて手に負えません。仕方がないので,途中であきらめてしまいました。こんなことをはじめたら,なんきためにここにきているのかわかりません。それこそわたしのことを気遣ってくれていく人たちに申し訳ない,とおもって断念しました。

あとは,ひたすら眠ることに専念。そうして少しでもはやく元気をとりもどすこと。
奏して,神戸市外大でおこなわれる西谷さんの集中講義を受講したいのだが,無理かなぁ・・・・・・。  

というところで,今日のところはここまで。                       

2015年7月9日木曜日

集中治療室に2日,今日,一般病室(個室)にうつりました。順調です。

担当医は1日でいいと言う判断でしたが,院長先生は大事をとろうという判断でした。血圧の上下動を気にして慎重論を優先させました。お蔭で昨日一日ですっかり安定しました。今日は,自分で起き上がって病室まであるきました。偉いえらいとおだてられて。ほめられるといつもより元気がでます。いくつになっても同じ。

その代わり,病室に入ったら,もうひとりで寝起きができますね,と放り出されてしまいました。しまった,とおもったのは後の祭り。さあ,これからがたいへんてす。

食事は当分の間は点滴。胃には関係ないからこんどは早いとおもっていたら,そうは問屋が卸しませんでした。でも,おもったより顔色がよく,気をよくしています。

とりあえず,第一報まで。

2015年7月6日月曜日

残念!デモに行かれない。最悪のタイミングの入院生活。

 いよいよアベは7月15日を軸に強行採決を断行するようだ。タカムラまでも公言した。これまでも学者の意見も世論も無視してやってきたことがある,とまでタカムラは公言して憚らない。なんというこっちゃ。ふざけるのもいい加減にしろ。そんなことはなんの根拠にもなりはしない。なぜなら,「憲法」を無視して法案をつくろう,というとんでもない「愚行」に突っ走る・・・・こんなことは過去の自民党は一度だってやってはいない。少なくとも「憲法」だけは守るという姿勢を貫いてきたではないか。アベのじいちゃんだって,この一線を超えてはならない,と言ったではないか。

 70年間もかけて「不戦」を貫き,国際社会から高く評価されてきた,日本国の唯一の誇るべき遺産を一夜にして放棄してしまおうというのか。このことの重大さをアベはなにもわかってはいない。情けない。もはや,国家の行く末を見極め行動する政治家ではなく,私利私欲の欲望の固まりそのものの政治屋に堕してしまっている。

 国民は馬鹿ではないので,少しずつアベの正体を見破りつつある。その結果は支持率の低下に現れている。毎日新聞のアンケート調査によれば,ついに,支持率を不支持率が上回ったという。しかも,戦争法案を認めないという人が7割を超えたという。なのに,そんな民意を無視して,15日前後には強行採決に踏み切ると公言している。

 そんなことを許すわけにはいかないとばかりにデモに集まる人びとの人数が増え続けている。しかも,全国各地に広がっている。その数たるや相当なものになるはずだ。こういう情報をNHKを筆頭にテレビはほとんど流さない。新聞の全国紙も同様だ。だから,多くの国民はなにごともないかのように,知らないままでいる。

 しかし,インターネット上では,じつに多くの情報が流れている。わたしのFBにもリンクした友人たちから,続々と上質の情報が流れてくる。その他にも検索すれば,いくらでもその種の情報は流れている。出何処が怪しいものは要注意だが,実名で,著名な人からも情報が発信されているので,そういう人たちの情報をサーフすることになる。すると,その人たちも,徐々に,発言の口調が過激になっているのが手にとるようにわかる。

 もはや,ネットで情報を探っているだけでは済まされない事態が目の前に控えている。書を棄て,パソコンを棄てて,町に出よう!ではないが,まずは,外に飛び出そう。そして,周囲の人に呼びかけて国会前に行こう。それが無理なら,住んでいる近くで開かれている抗議集会やデモに参加しよう。そうして,とにかく,声を大にして意思表明をしよう。

 真宗大谷派の坊さんたちも,全国の坊さんに呼びかけ,僧職を表明する衣を身にまとって集結するという。全国に動員をかける僧衣のデモも壮観だろうなぁ,と感心している。これはたまたまネットをとおしてわたしが知り得た情報にすぎない。たぶん,キリスト教関係の団体もいくつか行動を起こしているに違いない。

 フレッシュな学生有志の会・SEALDsのみなさんの活動も盛り上がってきている。渋谷を拠点にして,何回も街宣活動を展開し,多くの支持を得ているようだ。

 その他,ネットで確認するかぎりでも,じつに多くの団体が抗議行動を組織し,デモを展開している。しかも,全国的な展開である。

 いよいよ天王山の闘いが控えているというのに,このわたくしめは,情けないことに入院生活だ。本来ならば,毎日がサンデーなので,いつ,どこのデモにも参加できるのに残念でならない。こういうのを役立たずというのだろう。ほんとうに困った奴だ。

 でも,委員会の強行採決が行われたとしても,闘いはまだまだつづく。これからの長い闘いに思いを馳せながら万全の体調を整え,退院後の抗議活動に備えることにしよう。

 そのためには,まずは,手術の成功が大前提だ。そこが,このわたくしめのスタート。首尾よく手術が終わることを祈ることにしよう。

スポーツの歴史を叙述するということについて。東ドイツを事例として(船井廣則)。

 1990年,東西ドイツが統合(Reichsgruendung )されたのち,東ドイツのスポーツの歴史をどのように叙述すべきか,という論争がつづいている。断るまでもなく,第二次大戦後,ドイツは東西の二つの国家として分断された。西ドイツは西側の資本主義や自由主義を標榜する国家と足並みを揃えて,戦後の再建に立ち上がる。一方,東ドイツはソ連を宗主国とする国家としてスタートを切る。つまり,マルキシズム(あるいは,史的唯物論)を旗印にした国家づくりである。言ってしまえば,イデオロギーを最優先する考え方が,あらゆる分野にわたって浸透していった。

 当然のことながら,東ドイツのスポーツは,ソ連を手本にした振興策が展開する。そして,スポーツ史を叙述する場合にもマルキシズムのもとでの理想的な共産主義社会建設をめざすことが大前提となった。だから,いかに厳密に史的唯物論の指標に立つ叙述がなされているかどうかが,評価の対象となった。他方,西ドイツはこれまでどおりの資本主義社会を前提とする自由競争の原理を是とするスポーツ史の叙述が展開された。そして,それぞれの国家がお互いに切磋琢磨して,スポーツ競技の世界でも,スポーツ史叙述の分野でも,激しい議論が展開されてきた。

 この両国が統合されて一つの国家となった(1990年)。当然のことながら,さまざまな分野で軋轢が生ずることになった。その一つが,スポーツ史の分野での「叙述」をめぐる論争である。つまり,史的唯物論をいかに超克して,ドイツ・スポーツ史を叙述するか,という問題である。

 この重い問題をテーマにして,船井廣則さんが定年退職を機に,長年の研究成果のエキスを注ぎ込む気合の入った研究発表をした。(日時:6月27日(土)午後2時より。場所:神戸市外国語大学。主催:「ISC・21」6月神戸例会)。補足をしておけば,2年前のスポーツ史学会大会シンポジウム(東洋大学)のシンポジストとしても登壇し,同じ問題を取りあつかった詳細な問題提起をしている。さらに,それをもとにした論考を『スポートロジイ』第3号にも寄稿している。今回は,この論考についての合評会という形式をとったものである。

 詳しいことは,当日の船井さんの発表抄録にゆずることにして,ここでは,その核心部分と,そこから派生してくる重大な諸問題について触れておきたいとおもう。それはわたしたちスポーツ史研究に携わっている者全員が背負わされた十字架のようなものでもある。

 核心部分とは,史的唯物論というイデオロギーはもとより,政治性や社会性にいたるまで,すべて排除して,スポーツを純粋なる「文化」として叙述すべきだ,という主張に対して,それはあまりにもやりすぎだろうという立場の論争である。旧東西ドイツの当事者にとっては大問題であることは間違いないのだが,遠く日本という立場から考えてみると,不思議な議論をいまも大まじめにやっているんだなぁ,と感心してしまう。しかも,「文化」という概念をそんな風に用いてしまっていいものかどうかももあやしいのに・・・。

 とはいえ,この問題は他山の火事ではすまされない。つまり,東西ドイツ統合という「大事件」が引き起こした必然の結果でもあるということを重視すれば,これと同様の,あるいは,もっと大きな問題が,わたしたちにも迫ってきているからである。しかも,それがたいした論争にもならないことの方が大問題かもしれない。

 たとえば,「9・11」という大事件が起きた。これはそれまでの世界秩序を根底からひっくり返すほどの,世界史のターニング・ポイントともなるべき大事件であった。つまり,それ以前と以後とでは,世界というものを考える認識の大前提を大きく揺るがすことになった。歴史家はいちはやくこの問題に対応すべきなのに,黙して語ろうとはしなかった。管見ながら,西谷修さんがいちはやく『世界史の臨界』(岩波書店)を投じて,歴史家たちの反論を待ったが,やはり沈黙のままだった。

 この西谷さんの問題提起を受けて,わたしたちの「ISC・21」月例研究会では,しばしば議論を積み重ね,それぞれの研究テーマに則して,再度,スポーツ史とどのように取組み,いかに叙述すべきかを模索してきている。たとえば,「グローバリゼーション」という世界的趨勢がスポーツ(文化)にいかなる変容を余儀なくしつつあるのか,については何年にもわたって,いまもなお継続して取り組んでいる。

 もう一つの問題は,「3・11」という未曾有の事態に対して,わたしたちのスポーツ史叙述はこれまでどおりでいいのか,という議論である。すでに,わたしたちは遠い未来にあるべきはずであった「破局」を迎えてしまった,という認識に立つJ.P.デュピュイの警告の書『ツナミの小形而上学』(嶋崎正樹訳,岩波書店,2011)を手にしている。その他にも,『経済の未来──世界をその幻惑から解くために』(森元庸介訳,以文社,2013年),『聖なるものの刻印──科学的合理性はなぜ盲目なのか』(西谷修,森元庸介,渡名喜庸哲訳,2014年)がある。そして,それらの訳者のひとりである西谷修さんもJ.P. デュピュイに鋭く反応して,この「破局」をいかにして「先送り」するか,その手立てについて多くの論考を明らかにしている。

 東西ドイツ統合によるイデオロギー論争とは違って,「9・11」も「3・11」もそのよってきたる原因を考えると,気の遠くなるような深刻な問題を内包している。それというのも,ざっくり言ってしまえば,資本主義経済やそれを支える自由競争の原理そのものがすでに「破綻」をきたしているにもかかわらず,それを隠蔽し,現体制を維持しようとする,いわば,国際社会を支配する主要国(G7,など)が居座っているからである。その結果,貧富の格差はますます拡大し,「3・11」のようなどうにもならない「破局」を迎えているにもかかわらず,旧態依然たる秩序体制を維持しようとやっきになっている。

 この問題は,あえて指摘しておけば,近代スポーツ競技の論理とまったく同根であり,その事象そのものが二重写しになっている。スポーツは善なるものだという神話を信じて疑わない人が圧倒的多数であって,このことに気づいて警鐘を鳴らす人はまだ希少である。しかし,近代スポーツ競技がすでに「臨界点」に達していることはだれの眼にも明らがだ。にもかかわらず,その発想から離脱し,移動し,新たな地平に立ち向かおうとする主張もまだまだ希少である。

 当然のことながら,スポーツ史研究の分野でも,真っ正面からこの問題を論ずる者は現れていない。わたしたちの「ISC・21」の研究会は,その希少な事例の一つなのだ。

 このような連関のなかに位置づくものとして,わたしは船井廣則さんのこの間のプレゼンテーションを受け止めている。だから,その意味できわめてセンセーショナルな問題提起だったのだ。そして,わたし自身に突きつけられた宿題も大きくて重い。が,それを避けてとおるわけにはいかないのだ。これを契機にして,これからも折あるごとに,この問題は議論していきたいとおもう。

 本来ならば,東京五輪2020を目前に控えて,こうした議論が熱く語られるべきだと考えているが,そうはならない。そこに,日本国の大きな病根が宿っている,とわたしは考えている。が,この問題はまた別のテーマを立てて論ずることにしよう。

 ということで,今日のところはここまで。

2015年7月5日日曜日

J=P.ルジャンドルの「舞踊論」をテーマに。「ISC21」10月東京例会の予定が決まる。

 かねてから,J=P.ルジャンドルの古典的名著の一つと言われている「舞踊論」(『他者たらんとする情熱』,1978年)が,日本ではまだ紹介されていません。ルジャンドルが研究者としての道を歩みはじめた初期のころの論文で,念入りにこってりと多岐にわたる内容を詰め込んだ力作だと聞いています。しかも,難解きわまりないとも。

 この手ごわいテクストを,ふつうの読者ではとても読みきれない難物を,日本におけるルジャンドル読解の第一人者といわれる森元庸介さんに,わかりやすく紹介していただけることになりました。お願いをするときは,胸が高鳴りましたが,エイヤッ!と気合を入れました。西谷修さんからも,森元さんがいい,と推薦をいただいていましたので,背中を押されました。

 いまのところの予定としては,以下のとおりです。
 主催:「ISC・21」10月東京例会
 日時:2015年10月17日(土)午後3時~6時。
 場所:青山学院大学
 テーマ:J=P.ルジャンドルの「舞踊論」(=『他者たらんとする情熱』1978年)について。
 プレゼンテーター:森元庸介(東京大学准教授)
 コメンテーター:交渉中

 ルジャンドルの「舞踊論」は,おそらく本邦初公開になるとおもいます。ので,この情報を聞いたわたしの友人たちから,どのような準備をすればいいのかという問い合わせが殺到しています。そのように問われても困るのですが,なにせ,ルジャンドルのことですので,ありきたりの「舞踊論」ではないことは容易に想像できます。

 そのことは論文のタイトル『他者たらんとする情熱』からもある程度の推測ができます。きわめて哲学的であると同時に,精神分析学的でもあるのでは・・・というのがわたしの見立てです。ですから,いま,日本語で読める「舞踊論」のテクストはあまり参考にはならないのではないか,とわたしは想像しています。

 ですので,手っとり早いのはルジャンドルの著作を手当たり次第に読むこと。そして,ルジャンドル的思考の特徴・傾向を理解しておくこと。その「舞踊論」的ヴァージョンが展開されているのだ,と考えるしかないのでは・・・と現段階ではおもっています。まだ,さきが長いですので,どのような準備をすればいいか,森元さんはもとより,西谷さんにもうかがってみようとおもいます。

 ルジャンドルの著作のうち,日本語で読める文献は以下のとおりです。
 1.『第Ⅷ講 ロルティ伍長の犯罪 <父>を論じる』,西谷修訳,人文書院,1998.
 2.『ドグマ人類学総論 西洋のドグマ的諸問題』,西谷,嘉戸,橋本,佐々木訳,平凡社,2003.
 3.『西洋が西洋について見ないでいること』,森元庸介訳,以文社,2004.
 4.『第Ⅲ講 真理の帝国 産業的ドグマ空間入門』,西谷修訳,人文書院,2006.
 5.『ルジャンドルとの対話』,森元庸介訳,みすず書房,2010.
 6.『西洋をエンジン・テストする キリスト教的制度空間とその分裂』,森元庸介訳,以文社,2012.
 7.『同一性の謎 知ることと主体の闇』,橋本一径訳,以文社,2012.

 いずれも深い洞察にもとづいたテクストばかりですが,比較的読みやすいのは3,5,6,7,でしょうか。とはいえ,重要なのは1,2,4,です。思考力と忍耐力を鍛えるにはとてもいいテクストです。ぜひ,挑戦してみてください。