今日は一日かけて夏物の衣類を片づけて,秋冬物に入れ換えました。こんなことはこれまでやったことはありません。が,諸般の事情で,自分でやらなくてはならなくなりました。そういう年代に入ってきたということでしょうか。まあ,こんなものかなぁ,と人生を達観した境地です。
気がつけば,もう11月です。あれもこれも,全部,積み残したまま秋真っ盛りです。なかでも,いただいた本と衝動買いした本が山のようになっています。さて,これらをどのようにして裁くか,思案のしどころです。その一部を紹介しておきますと,以下のとおりです。
『スポーツ学の射程』「身体」のリアリティへ,井上邦子,松浪稔,竹村匡弥,瀧元誠樹編著,黎明書房,2015年9月刊・・・・・・この本は,すでにこのブログでも紹介済みですが,わたしの喜寿のお祝いに刊行し,プレゼントしてくれたものです。ありがたい限りです。嬉しさのあまり,一気に読みました。こんどの11月・びわ湖成蹊スポーツ大学での例会で合評会が予定されていますので,いまから楽しみ。
『カタストロフからの哲学』ジャン=ピエール・デュピュイをめぐって,渡名喜庸哲,森元庸介編著,以文社,2015年10月刊・・・・・・冒頭に,序<破局>に向き合う──J=P.デュピュイ『聖なるものの刻印』から,と題した西谷修さんの論考がありましたので,真っ先に,そこだけは読みました。昨年のわたしたちの東京例会でお話いただいた内容を『スポートロジイ』第3号に投じてくださり,その原稿をさらにブラッシュ・アップし,新たな書き下ろしを加えた素晴らしい内容になっていました。なお,西谷さんのお話にコメンテーターをつとめてくださったのが,森元庸介さんと渡名喜庸哲さんでした。そんなわけで,ご縁というものはありがたいものだと感謝している次第。森元さんと渡名喜さんの論考をこれから楽しみにしているところ。
『なにわのスポーツ物語』──廃藩置県から140年,なにわのスポーツ研究会〔編〕,丸善プラネット,2015年6月刊・・・・・・この本の企画段階に少しだけ接点がありましたので,ずいぶん長い年月をかけてここまでたどりついたものだと感心しています。こういう息の長い,地道な努力が,最近ではすっかり影をひそめてしまいました。その意味で,この本の刊行はきわめて意味のあるものとなりました。内容は多岐にわたりますが,丹念に資料を収集し,読み込んで,まとめた貴重な本と言っていいでしょう。わたしの研究仲間の玉置通夫さん,中房敏朗さんの論考も収められています。大いに楽しみ。
『わたしたちは砂粒に還る』今福龍太著,河出書房新社,2015年10月30日発行・・・・・・もう,10日ほど前に到着していますので,印刷・製本がでてすぐに出版社から直送だったようです。この本の巻頭を飾る論考に「ふたりのジャック」海の臨界へ,と題する文章が置かれています。これは,もう遠いむかしになりますが,スポーツ史学会のシンポジウム(竹谷和之さんがセッティング)で,ジャック・マイヨールを招きました。その折に,ジャック・マイヨールと今福さんとわたしの3人がシンポジストを勤めました。それがご縁で,ジャック・マイヨールが自死したとの訃報が今福さんから飛び込んできました。そのときの衝撃を,この論考はみごとに伝えています。言ってみれば,この本全体が,ひとつのレクイエムになっています。じっくりと熟読する楽しみが待っています。
『こんなことを書いてきた』──スポーツメディアの現場から,落合博著,創文企画,2015年10月10日刊・・・・・・・毎日新聞の論説委員の落合博さんの,これまでに書きつないできた新聞の連載コラムを整理して,まとめた本。単発的には,いくつかのコラムを読んできているのですが,こうしてまとまると,やはり,インパクトはまるで違ってきます。達意の文章が光ってきます。短いコラムの枠組みのなかで,テンポよく話題を展開し,ポイントをはずさないたしかな眼力。そして,最後の一行が切れ味鋭く決まっています。全体の編集もみごと。「未来」へのメッセージ,とまえがきの最後の一行,これも著者の思い入れのこもったひとこと。いい味を出していますねぇ,と感心。このコラムのなかには,わたしたちにもお馴染みというか,深くかかわってきた先輩・後輩の名前が登場します。おやおや,とこれまた楽しみ。
『大いなる体育・スポーツを求めて』体育学・スポーツ学再生の第一歩,山本徳郎編著,2015年5月刊・・・・・・・大学の直系の大先輩からの献本。体操部・体育史研究室,そして,その後の研究活動もずっと同じ道を追ってきたわたしにとっては大いなる恩人のひとり。なのに,このところ疎遠になっていて,失礼のしっぱなし。でも,主義主張はかなり異なり,お互いに独立独歩できていますので,それもまた宣なるかな,ともおもってきました。が,わたしの病気のことをブログで知ったという手紙とともに,激励のことばが添えられていました。ありがたいかぎりです。わたしも返礼といってはなんですが,『スポートロジイ』を献本しなくては・・・・と考えているところです。それより前に,まずは,礼状を書かなくては・・・・。
というようなところでしょうか。まだ,だれかから本が送られてきているような気がするのですが,どこかで,なにかの下積みになっているかもしれません。もう,整理学がほとんどできなくなってきていますので,お許しのほどを。
この他に,散歩ついでに書店に立ち寄り(これはもう習慣のようなもの),せっせと立ち読みをするのですが,ついつい我慢ができなくなって,衝動買いしてしまいます。そういう類の本もいつしか山のようになっています。すぐに拾い読みして当りはつけてあるのですが,なかなか本気で読むところまではいけません。その前にしなければならない雑用が多すぎます。そろそろ身辺整理をして,のんびりと読書の秋を楽しめるようにしなければ・・・・,と本気で考えるようになりました。
でも駄目なんだろうなぁ,なんせ意思が弱いものですから・・・・。
気がつけば,もう11月です。あれもこれも,全部,積み残したまま秋真っ盛りです。なかでも,いただいた本と衝動買いした本が山のようになっています。さて,これらをどのようにして裁くか,思案のしどころです。その一部を紹介しておきますと,以下のとおりです。
『スポーツ学の射程』「身体」のリアリティへ,井上邦子,松浪稔,竹村匡弥,瀧元誠樹編著,黎明書房,2015年9月刊・・・・・・この本は,すでにこのブログでも紹介済みですが,わたしの喜寿のお祝いに刊行し,プレゼントしてくれたものです。ありがたい限りです。嬉しさのあまり,一気に読みました。こんどの11月・びわ湖成蹊スポーツ大学での例会で合評会が予定されていますので,いまから楽しみ。
『カタストロフからの哲学』ジャン=ピエール・デュピュイをめぐって,渡名喜庸哲,森元庸介編著,以文社,2015年10月刊・・・・・・冒頭に,序<破局>に向き合う──J=P.デュピュイ『聖なるものの刻印』から,と題した西谷修さんの論考がありましたので,真っ先に,そこだけは読みました。昨年のわたしたちの東京例会でお話いただいた内容を『スポートロジイ』第3号に投じてくださり,その原稿をさらにブラッシュ・アップし,新たな書き下ろしを加えた素晴らしい内容になっていました。なお,西谷さんのお話にコメンテーターをつとめてくださったのが,森元庸介さんと渡名喜庸哲さんでした。そんなわけで,ご縁というものはありがたいものだと感謝している次第。森元さんと渡名喜さんの論考をこれから楽しみにしているところ。
『なにわのスポーツ物語』──廃藩置県から140年,なにわのスポーツ研究会〔編〕,丸善プラネット,2015年6月刊・・・・・・この本の企画段階に少しだけ接点がありましたので,ずいぶん長い年月をかけてここまでたどりついたものだと感心しています。こういう息の長い,地道な努力が,最近ではすっかり影をひそめてしまいました。その意味で,この本の刊行はきわめて意味のあるものとなりました。内容は多岐にわたりますが,丹念に資料を収集し,読み込んで,まとめた貴重な本と言っていいでしょう。わたしの研究仲間の玉置通夫さん,中房敏朗さんの論考も収められています。大いに楽しみ。
『わたしたちは砂粒に還る』今福龍太著,河出書房新社,2015年10月30日発行・・・・・・もう,10日ほど前に到着していますので,印刷・製本がでてすぐに出版社から直送だったようです。この本の巻頭を飾る論考に「ふたりのジャック」海の臨界へ,と題する文章が置かれています。これは,もう遠いむかしになりますが,スポーツ史学会のシンポジウム(竹谷和之さんがセッティング)で,ジャック・マイヨールを招きました。その折に,ジャック・マイヨールと今福さんとわたしの3人がシンポジストを勤めました。それがご縁で,ジャック・マイヨールが自死したとの訃報が今福さんから飛び込んできました。そのときの衝撃を,この論考はみごとに伝えています。言ってみれば,この本全体が,ひとつのレクイエムになっています。じっくりと熟読する楽しみが待っています。
『こんなことを書いてきた』──スポーツメディアの現場から,落合博著,創文企画,2015年10月10日刊・・・・・・・毎日新聞の論説委員の落合博さんの,これまでに書きつないできた新聞の連載コラムを整理して,まとめた本。単発的には,いくつかのコラムを読んできているのですが,こうしてまとまると,やはり,インパクトはまるで違ってきます。達意の文章が光ってきます。短いコラムの枠組みのなかで,テンポよく話題を展開し,ポイントをはずさないたしかな眼力。そして,最後の一行が切れ味鋭く決まっています。全体の編集もみごと。「未来」へのメッセージ,とまえがきの最後の一行,これも著者の思い入れのこもったひとこと。いい味を出していますねぇ,と感心。このコラムのなかには,わたしたちにもお馴染みというか,深くかかわってきた先輩・後輩の名前が登場します。おやおや,とこれまた楽しみ。
『大いなる体育・スポーツを求めて』体育学・スポーツ学再生の第一歩,山本徳郎編著,2015年5月刊・・・・・・・大学の直系の大先輩からの献本。体操部・体育史研究室,そして,その後の研究活動もずっと同じ道を追ってきたわたしにとっては大いなる恩人のひとり。なのに,このところ疎遠になっていて,失礼のしっぱなし。でも,主義主張はかなり異なり,お互いに独立独歩できていますので,それもまた宣なるかな,ともおもってきました。が,わたしの病気のことをブログで知ったという手紙とともに,激励のことばが添えられていました。ありがたいかぎりです。わたしも返礼といってはなんですが,『スポートロジイ』を献本しなくては・・・・と考えているところです。それより前に,まずは,礼状を書かなくては・・・・。
というようなところでしょうか。まだ,だれかから本が送られてきているような気がするのですが,どこかで,なにかの下積みになっているかもしれません。もう,整理学がほとんどできなくなってきていますので,お許しのほどを。
この他に,散歩ついでに書店に立ち寄り(これはもう習慣のようなもの),せっせと立ち読みをするのですが,ついつい我慢ができなくなって,衝動買いしてしまいます。そういう類の本もいつしか山のようになっています。すぐに拾い読みして当りはつけてあるのですが,なかなか本気で読むところまではいけません。その前にしなければならない雑用が多すぎます。そろそろ身辺整理をして,のんびりと読書の秋を楽しめるようにしなければ・・・・,と本気で考えるようになりました。
でも駄目なんだろうなぁ,なんせ意思が弱いものですから・・・・。
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