いやはや,参りました。
民主主義を甘く考えていました。
民主主義は,制度としてそこにあるものではなくて,自分たちで一つひとつ構築していくものだ,と叱咤されてしまいました。
「民主主義ってなんだ!」から「民主主義ってこれだ!」に到達するまでの経緯が手にとるようにわかりました。そして,凄い,とおもいました。ここまで考えているのだ・・・と。
この本は,「民主主義とはなにか」を学ぶためのバイブルにも等しい。
SEALDs の若者たちは,ほんとうに,素朴な疑問からスタートし,一つひとつ壁にぶち当たりながら,勉強をし,みんなで議論し,納得のできたところから実践していく,その並々ならぬ「不断の努力」を知り,感動しました。
そして,なによりも,純粋で,しなやかなこころの持ち主たちに心の底から敬意を表します。
同時に,これ以上,黙っていてはならないと決断したその「勇気」にも,こころからのエールを送りたいとおもいます。
それにしても,一人ひとりが,いかにみごとに自立・自律していることか。
自分の頭で考え,自分の足で歩き,自分のことばで語り,自分のからだ全体で表現をし,反省し,また,スタートから考える。
そして,それをみんなが尊重し合い,認め合っている。お互いにだれからも束縛されない,だれをも束縛しない,この精神が貫かれている。こういう集合体であるということが,ほんとうに素晴らしい,とおもいます。
そして,なにより,奥田愛基君,牛田悦正君をはじめ,みんながなんとよく勉強していることか。
その読書量と読解力にびっくり仰天しました。
そして,しっかりと自分のことばで語れる,その力量に驚きました。(※牛田君とは短い時間でしたが,直接,お話をすることがありました。)
とりわけ,実践の一つひとつがたしかな思想・哲学に支えられていることに驚きました。
たとえば,SEALDs という組織体は,あくまでも個人の集合体であって,そこには党派的な拘束力はいっさいありません。そのヒントは,モーリス・ブランショの『明かしえぬ共同体』(西谷修訳)にあるといいます(牛田君)。これはほんの一例にすぎません。思想・哲学の勉強だけではなく,憲法をはじめとする各種の法令の勉強から,過去の抗議行動の歴史を国内だけではなく外国の事例にまで触手をのばして研究しています。
そして,実践をとおして鍛えられる思考力こそたしかなものはない,と知りました。机上の空論(あるいは,観念論)とは天と地ほどの差があります。かれらは,つねに「エッジ」に立たされています。つまり,個人をまるごと公衆の前にさらけ出してスピーチをし,コールの指揮をとり,デモという抗議行動をするということは,ありとあらゆる誹謗中傷から批判・批評をもすべて引き受けることを意味します。言ってみれば,退路がないということです。ですから,必死になって智恵をしぼり,勉強をし,議論をし,理論武装して,みずからの立ち位置をたしかなものにしなければなりません。その作業が不可欠です。こうして,若者たちは短時日のうちに,鍛えに鍛えられ,みごとに飛躍的に成長していきます。
そうした足どりが,生々しく,痛いほど伝わってくるのです。この本を精読していると・・・・。
わたしの長い生涯のなかでも,これほどの衝撃を与えた本はそんなにはありません。それほどにインパクトの強い本です。これからも,思い出しては,あちこち拾い読みしたいとおもっています。
騙されたとおもって,ぜひ,ご一読を。
民主主義を甘く考えていました。
民主主義は,制度としてそこにあるものではなくて,自分たちで一つひとつ構築していくものだ,と叱咤されてしまいました。
「民主主義ってなんだ!」から「民主主義ってこれだ!」に到達するまでの経緯が手にとるようにわかりました。そして,凄い,とおもいました。ここまで考えているのだ・・・と。
この本は,「民主主義とはなにか」を学ぶためのバイブルにも等しい。
そして,なによりも,純粋で,しなやかなこころの持ち主たちに心の底から敬意を表します。
同時に,これ以上,黙っていてはならないと決断したその「勇気」にも,こころからのエールを送りたいとおもいます。
それにしても,一人ひとりが,いかにみごとに自立・自律していることか。
自分の頭で考え,自分の足で歩き,自分のことばで語り,自分のからだ全体で表現をし,反省し,また,スタートから考える。
そして,それをみんなが尊重し合い,認め合っている。お互いにだれからも束縛されない,だれをも束縛しない,この精神が貫かれている。こういう集合体であるということが,ほんとうに素晴らしい,とおもいます。
そして,なにより,奥田愛基君,牛田悦正君をはじめ,みんながなんとよく勉強していることか。
その読書量と読解力にびっくり仰天しました。
そして,しっかりと自分のことばで語れる,その力量に驚きました。(※牛田君とは短い時間でしたが,直接,お話をすることがありました。)
とりわけ,実践の一つひとつがたしかな思想・哲学に支えられていることに驚きました。
たとえば,SEALDs という組織体は,あくまでも個人の集合体であって,そこには党派的な拘束力はいっさいありません。そのヒントは,モーリス・ブランショの『明かしえぬ共同体』(西谷修訳)にあるといいます(牛田君)。これはほんの一例にすぎません。思想・哲学の勉強だけではなく,憲法をはじめとする各種の法令の勉強から,過去の抗議行動の歴史を国内だけではなく外国の事例にまで触手をのばして研究しています。
そして,実践をとおして鍛えられる思考力こそたしかなものはない,と知りました。机上の空論(あるいは,観念論)とは天と地ほどの差があります。かれらは,つねに「エッジ」に立たされています。つまり,個人をまるごと公衆の前にさらけ出してスピーチをし,コールの指揮をとり,デモという抗議行動をするということは,ありとあらゆる誹謗中傷から批判・批評をもすべて引き受けることを意味します。言ってみれば,退路がないということです。ですから,必死になって智恵をしぼり,勉強をし,議論をし,理論武装して,みずからの立ち位置をたしかなものにしなければなりません。その作業が不可欠です。こうして,若者たちは短時日のうちに,鍛えに鍛えられ,みごとに飛躍的に成長していきます。
そうした足どりが,生々しく,痛いほど伝わってくるのです。この本を精読していると・・・・。
わたしの長い生涯のなかでも,これほどの衝撃を与えた本はそんなにはありません。それほどにインパクトの強い本です。これからも,思い出しては,あちこち拾い読みしたいとおもっています。
騙されたとおもって,ぜひ,ご一読を。
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