一昨日のブログの最後のところで,勢い余って「一億総狂気化社会」ということばが閃きました。が,その瞬間,戦慄が走りました。こんなことばが閃いたのも,なにを隠そう,「一億総活躍社会」などという絵空事を大まじめに政権構想にかかげる総理大臣のうさん臭さが,もはや我慢できなくなってきていたからです。わたしたちの世代であれば,まっさきに思い出すのは第二次世界大戦中のことば「一億火の玉」です。国民全員が「火の玉」となって,鬼畜米英を打ち倒す・・・・これが国是として掲げられたのです。そして,このことばに真っ向から異を唱える人間はだれもいませんでした。もちろん,異を唱えることはだれもできなかった,というのが実情だったのでしょう。
しかし,もう一歩踏み込んでおけば,「一億火の玉」といわれて,どこか変だなぁとおもいつつ「だんまり」を決め込んでいた,というのがより事実に近かったのではないか,とわたしは考えています。だれだって,変なことは変だ,と気づくはずです。しかし,それを口にすることが憚られる,そんな空気の前に,みんな跪いてしまったというのが,より事実に近かったのではないでしょうか。そうこうしているうちに「自発的隷従」に走る人間が登場し,組織化され(「向こう三軒両隣」),もはや動かしがたい力となって人々の言動を拘束することになっていったのでしょう。
ああ,「一億総活躍社会」とは,「一億火の玉」と同根ではないか,そして,これこそがまさに「一億総狂気化社会」と同義ではないか,と閃いたという次第です。
「一億総活躍社会」とは,そのための「助走」にすぎません。すぐに脳裏に浮かぶことは,集団的自衛権を行使して自衛隊員が海外の戦場に派遣されることになれば,当然のことながら自衛隊員が大量に必要とされるようになります。人員をどこから確保するのか。まずは,失業中の若者に動員がかかります。なぜなら,「一億総活躍社会」の一員として,国家の急務に貢献するのは当たり前であって,なにをうろうろと働きもせずに無駄な日を過ごしているのか,それは「国賊」のすることだ,というようなことにいともかんたんになりかねないからです。
そのためのお膳立てが,この「一億総活躍社会」というスローガンには見え隠れしているようにわたしにはみえてしまいます。だから,このスローガンこそ「一億総狂気化社会」へと突入していくための入口ではないか・・・・と。
「一億総狂気化社会」を生みだすきっかけは,きわめて単純なものです。それは「命」の軽視です。いまや,だれもが,口先では「命」が大事といいますが,やっていることは「命」の軽視です。それがもっとも顕著に現れているのが原発の再稼働です。一度,壊れてしまったら多くの人々の命を犠牲にしなくてはならない恐るべき文明の利器であることは,フクシマでしっかりと学んだはずです。にもかかわらず,性懲りもなく原発再稼働に向けて国を挙げて一目散です。
政権にとって重要なのは,命よりも経済(金)なのです。それも目先の経済(金)です。ですから,総理大臣が率先して,原発を外国にも売りに歩いています。事故があったら日本が全責任をもつ,とまで約束して・・・。まさに,日本の総理大臣は「死の商人」と化してしまいました。これを,政府与党の議員のだれも止めようとはしません。
「狂気」と化したのは総理大臣だけではありません。政府与党の議員,全員が「狂気」と化してしまっているのです。そこから繰り出される政治スローガンのひとつが「一億総活躍社会」という発想です。この人たちに共通していることは,「命」の軽視です。だから,自衛隊員が海外の戦闘に巻き込まれて犠牲になることも辞さない。それよりも「集団的自衛権」の行使容認の方が大事なのです。なぜ? 強い日本国を復活させるために。
その強い日本国の復活をめざしている母体こそが「日本会議」という妖怪・化け物です。この組織が徐々にその姿をさらけ出すようになってきました。こうなってきますと,「一億火の玉」はもうすぐそこです。戦争は,一触即発ではじまります。はじまったら,もはや止めようがありません。なぜ?戦争こそ,一瞬にして「一億総狂気化社会」を形成する特効薬なのですから。「一億総活躍社会」の究極の姿が戦時体制そのものなのですから。
「命」の軽視が人を狂気と化すための前提条件であることは,一昨日のブログに書いたドイツの精神科医たちが始めた「T4」作戦という大量殺戮が,なによりの証拠です。狂気に知性はなんの役にも立たないということの証拠でもあります。狂気の歯止めとなる最大の武器は,情緒豊かな感性です。人の「命」をなによりも優先させなくてはならないとする感性です。もっと言ってしまえば,生きものとしての動物的「本能」です。すなわち,「動物性」。
その対極にある「人間性」は,いざとなれば「命」を軽視して平然としていられます。しかし,「動物性」は,どこまでも「生きる」ことが最優先されます。自己の「命」が大切であると同様に他者の「命」もまた大切なものであることを知っています。同種の動物間での死闘は,例外を除いて,滅多にみられないのがそのなによりもの証拠です。
結論。「一億総狂気化社会」に歯止めをかけるのは「動物性」(動物的感性)。「一億総活躍社会」の行き着くゴールは「戦争」。以上。
※文章,いささか乱調。お許しのほどを。
しかし,もう一歩踏み込んでおけば,「一億火の玉」といわれて,どこか変だなぁとおもいつつ「だんまり」を決め込んでいた,というのがより事実に近かったのではないか,とわたしは考えています。だれだって,変なことは変だ,と気づくはずです。しかし,それを口にすることが憚られる,そんな空気の前に,みんな跪いてしまったというのが,より事実に近かったのではないでしょうか。そうこうしているうちに「自発的隷従」に走る人間が登場し,組織化され(「向こう三軒両隣」),もはや動かしがたい力となって人々の言動を拘束することになっていったのでしょう。
ああ,「一億総活躍社会」とは,「一億火の玉」と同根ではないか,そして,これこそがまさに「一億総狂気化社会」と同義ではないか,と閃いたという次第です。
「一億総活躍社会」とは,そのための「助走」にすぎません。すぐに脳裏に浮かぶことは,集団的自衛権を行使して自衛隊員が海外の戦場に派遣されることになれば,当然のことながら自衛隊員が大量に必要とされるようになります。人員をどこから確保するのか。まずは,失業中の若者に動員がかかります。なぜなら,「一億総活躍社会」の一員として,国家の急務に貢献するのは当たり前であって,なにをうろうろと働きもせずに無駄な日を過ごしているのか,それは「国賊」のすることだ,というようなことにいともかんたんになりかねないからです。
そのためのお膳立てが,この「一億総活躍社会」というスローガンには見え隠れしているようにわたしにはみえてしまいます。だから,このスローガンこそ「一億総狂気化社会」へと突入していくための入口ではないか・・・・と。
「一億総狂気化社会」を生みだすきっかけは,きわめて単純なものです。それは「命」の軽視です。いまや,だれもが,口先では「命」が大事といいますが,やっていることは「命」の軽視です。それがもっとも顕著に現れているのが原発の再稼働です。一度,壊れてしまったら多くの人々の命を犠牲にしなくてはならない恐るべき文明の利器であることは,フクシマでしっかりと学んだはずです。にもかかわらず,性懲りもなく原発再稼働に向けて国を挙げて一目散です。
政権にとって重要なのは,命よりも経済(金)なのです。それも目先の経済(金)です。ですから,総理大臣が率先して,原発を外国にも売りに歩いています。事故があったら日本が全責任をもつ,とまで約束して・・・。まさに,日本の総理大臣は「死の商人」と化してしまいました。これを,政府与党の議員のだれも止めようとはしません。
「狂気」と化したのは総理大臣だけではありません。政府与党の議員,全員が「狂気」と化してしまっているのです。そこから繰り出される政治スローガンのひとつが「一億総活躍社会」という発想です。この人たちに共通していることは,「命」の軽視です。だから,自衛隊員が海外の戦闘に巻き込まれて犠牲になることも辞さない。それよりも「集団的自衛権」の行使容認の方が大事なのです。なぜ? 強い日本国を復活させるために。
その強い日本国の復活をめざしている母体こそが「日本会議」という妖怪・化け物です。この組織が徐々にその姿をさらけ出すようになってきました。こうなってきますと,「一億火の玉」はもうすぐそこです。戦争は,一触即発ではじまります。はじまったら,もはや止めようがありません。なぜ?戦争こそ,一瞬にして「一億総狂気化社会」を形成する特効薬なのですから。「一億総活躍社会」の究極の姿が戦時体制そのものなのですから。
「命」の軽視が人を狂気と化すための前提条件であることは,一昨日のブログに書いたドイツの精神科医たちが始めた「T4」作戦という大量殺戮が,なによりの証拠です。狂気に知性はなんの役にも立たないということの証拠でもあります。狂気の歯止めとなる最大の武器は,情緒豊かな感性です。人の「命」をなによりも優先させなくてはならないとする感性です。もっと言ってしまえば,生きものとしての動物的「本能」です。すなわち,「動物性」。
その対極にある「人間性」は,いざとなれば「命」を軽視して平然としていられます。しかし,「動物性」は,どこまでも「生きる」ことが最優先されます。自己の「命」が大切であると同様に他者の「命」もまた大切なものであることを知っています。同種の動物間での死闘は,例外を除いて,滅多にみられないのがそのなによりもの証拠です。
結論。「一億総狂気化社会」に歯止めをかけるのは「動物性」(動物的感性)。「一億総活躍社会」の行き着くゴールは「戦争」。以上。
※文章,いささか乱調。お許しのほどを。
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