久しぶりに劉志さんがわたしたちの稽古にきてくださいました。劉志さんは,李自力老師に子どものころから指導を受けた愛弟子のひとり。ずーっとこんにちまで李老師の背中を追って日本にまでやってきて,李老師と同じように博士論文を書きました。まあ,一心同体のような人。
今日は一緒にやってくださるかな,と期待しましたが,じっと黙って座ったままでした。ので,こちらから,いろいろ問いかけることになりました。すると,いくつもの,いい応答をしてくださいました。そのうちの一部を以下に紹介しておきたいとおもいます。
一つは,わたしの目の使い方について。全体的に「睨みすぎ」だ,と注意を受けました。気持ちが入っていることは悪いことではないけれども,あまりに「睨み」が強すぎるのはよくない,と。理由はふたつ。ひとつには,睨みが強すぎると,からだ全体にも力みがでてきてしまうこと。からだの力みを抜くためにも,睨まないようにこころがけた方がいい,とのことでした。ふたつには,太極拳は陰と陽のふたつの相反するものの和合が理想である,ということ。つまり,陰が強すぎてもいけない,逆に陽が目立ってもいけない,どちらの要素もほどほどに表出するように表演するのが理想である,と。
別の言い方をすれば,睨んでいるようでいて睨んではいない,睨んでいないようでいて睨んでいるいる,ということです。つまり,中庸ということ。
わたし自身は,目を剥いて睨んでいるという自覚はまったくありませんでしたので,いささか驚きました。そういえば,稽古をはじめたばかりのころに李老師から,目線は自然体で,と注意を受けた記憶があります。しかし,そのころは,まだ,その注意がなにを意味しているのか理解できませんでした。ですから,自然体,自然体,と自分に言い聞かせてきたつもりです。しかし,いつのまにか,かなりしっかりと睨んでいるようです。
言われてみれば,なるほど,技が決まるときの姿勢になると,ぐっと目に気持ちが入っていくのが自覚できました。ああ,これか,とわかりました。でも,自分としては,そんなに睨んでいるとは夢にもおもっていませんでした。が,瞬間,瞬間には相当に睨んでいるなぁ,ということもわかってきました。でも,すでに習慣化していますので,これを修正するのはかなりむつかしいことだなぁ,とあらためて考えてしまいます。少しずつ,こころがけて直すようにしたいとおもいます。
劉志さんの仰るには,目線は大事です,しかし,睨む必要はありません,と。むしろ,不要です,と。なぜなら,太極拳は武術ですから,それとなく自分の身のまわりに満遍なく注意を払うことが重要です。一点に注意が集中することは,かえって,それ以外のところに注意がまわらなくなってしまいます。つまり,相手に隙を与えることになってしまいます。
ですから,睨むのではなくて,それとなく意識をそこに向けるだけでいい,というのです。意識をそこに向けつつ,同時に,ほかのところにも意識を向けていくことが肝要だ,というわけです。
そして,陰陽の教えは,このことをも意味しているのだ,というわけです。太極拳の技が決まるときのポーズは明らかに相手を意識しています。が,同時に,その決まりのポーズに入るときにも,それ以外のまわりの状態に意識をめぐらすことが大事です。言ってしまえば,一点と全体,この両者を同時に満たすこと,意識をそのように向けていくこと,これが「集中」ということの内実なのだ,ということになりそうです。
この点については,もう少し稽古を重ねて,自分でもある程度わかってきてから,李老師に問い糺してみたいとおもいます。
劉志さんは,準備運動についてもいくつか重要な指摘をしてくださいました。それは,たとえば,わたしの足首の固さを補正しつつ,股関節を柔らかくするための運動です。わたしは,両足を揃えたまま膝を曲げ,お尻を下ろしていくと,うしろに倒れてしまいます。ですから,両足を肩幅ほど開いて膝を曲げ,お尻を下ろしていけば,かなり下まで下ろすことができます。が,そのことを劉志さんに聞いてみました。
すると,劉志さんは,肩幅よりも少しだけ広めに両足を開いて立ち,しゃがみ込みながら,両手でなにかにつかまっていると,楽に,力が抜けた状態で,しかも,深く股関節を緩めることができる,と言って示範してくださいました。早速,やってみますと,なるほど,股関節の力みが抜けた状態で,さらに深く股関節の限界まで動かすことができる,とわかりました。これは,とても重要なひとつの収穫でした。
この他にも,ちょっとした工夫で,肩関節の固さを補正する運動もいろいろあることを教えてくださいました。なるほど,いつもの決まった運動だけを繰り返すのではなくて,もっと自分に合った運動を,創意工夫すべきだ,ということを教えていただきました。
こんなことは初歩の初歩なのに,準備運動も整理運動もいつのまにかマンネリ化してしまい,いつもの運動を繰り返しているだけになっていました。もっと,その日,その時のからだの状態を考えながら,自分に合った方法を工夫することが大事だと,いまさらながら,知りました。
今回は,劉志さんに感謝です。
ありがとうございました。そして,また,遊びにいらしてください。
両手を広げて熱烈歓迎です。
今日は一緒にやってくださるかな,と期待しましたが,じっと黙って座ったままでした。ので,こちらから,いろいろ問いかけることになりました。すると,いくつもの,いい応答をしてくださいました。そのうちの一部を以下に紹介しておきたいとおもいます。
一つは,わたしの目の使い方について。全体的に「睨みすぎ」だ,と注意を受けました。気持ちが入っていることは悪いことではないけれども,あまりに「睨み」が強すぎるのはよくない,と。理由はふたつ。ひとつには,睨みが強すぎると,からだ全体にも力みがでてきてしまうこと。からだの力みを抜くためにも,睨まないようにこころがけた方がいい,とのことでした。ふたつには,太極拳は陰と陽のふたつの相反するものの和合が理想である,ということ。つまり,陰が強すぎてもいけない,逆に陽が目立ってもいけない,どちらの要素もほどほどに表出するように表演するのが理想である,と。
別の言い方をすれば,睨んでいるようでいて睨んではいない,睨んでいないようでいて睨んでいるいる,ということです。つまり,中庸ということ。
わたし自身は,目を剥いて睨んでいるという自覚はまったくありませんでしたので,いささか驚きました。そういえば,稽古をはじめたばかりのころに李老師から,目線は自然体で,と注意を受けた記憶があります。しかし,そのころは,まだ,その注意がなにを意味しているのか理解できませんでした。ですから,自然体,自然体,と自分に言い聞かせてきたつもりです。しかし,いつのまにか,かなりしっかりと睨んでいるようです。
言われてみれば,なるほど,技が決まるときの姿勢になると,ぐっと目に気持ちが入っていくのが自覚できました。ああ,これか,とわかりました。でも,自分としては,そんなに睨んでいるとは夢にもおもっていませんでした。が,瞬間,瞬間には相当に睨んでいるなぁ,ということもわかってきました。でも,すでに習慣化していますので,これを修正するのはかなりむつかしいことだなぁ,とあらためて考えてしまいます。少しずつ,こころがけて直すようにしたいとおもいます。
劉志さんの仰るには,目線は大事です,しかし,睨む必要はありません,と。むしろ,不要です,と。なぜなら,太極拳は武術ですから,それとなく自分の身のまわりに満遍なく注意を払うことが重要です。一点に注意が集中することは,かえって,それ以外のところに注意がまわらなくなってしまいます。つまり,相手に隙を与えることになってしまいます。
ですから,睨むのではなくて,それとなく意識をそこに向けるだけでいい,というのです。意識をそこに向けつつ,同時に,ほかのところにも意識を向けていくことが肝要だ,というわけです。
そして,陰陽の教えは,このことをも意味しているのだ,というわけです。太極拳の技が決まるときのポーズは明らかに相手を意識しています。が,同時に,その決まりのポーズに入るときにも,それ以外のまわりの状態に意識をめぐらすことが大事です。言ってしまえば,一点と全体,この両者を同時に満たすこと,意識をそのように向けていくこと,これが「集中」ということの内実なのだ,ということになりそうです。
この点については,もう少し稽古を重ねて,自分でもある程度わかってきてから,李老師に問い糺してみたいとおもいます。
劉志さんは,準備運動についてもいくつか重要な指摘をしてくださいました。それは,たとえば,わたしの足首の固さを補正しつつ,股関節を柔らかくするための運動です。わたしは,両足を揃えたまま膝を曲げ,お尻を下ろしていくと,うしろに倒れてしまいます。ですから,両足を肩幅ほど開いて膝を曲げ,お尻を下ろしていけば,かなり下まで下ろすことができます。が,そのことを劉志さんに聞いてみました。
すると,劉志さんは,肩幅よりも少しだけ広めに両足を開いて立ち,しゃがみ込みながら,両手でなにかにつかまっていると,楽に,力が抜けた状態で,しかも,深く股関節を緩めることができる,と言って示範してくださいました。早速,やってみますと,なるほど,股関節の力みが抜けた状態で,さらに深く股関節の限界まで動かすことができる,とわかりました。これは,とても重要なひとつの収穫でした。
この他にも,ちょっとした工夫で,肩関節の固さを補正する運動もいろいろあることを教えてくださいました。なるほど,いつもの決まった運動だけを繰り返すのではなくて,もっと自分に合った運動を,創意工夫すべきだ,ということを教えていただきました。
こんなことは初歩の初歩なのに,準備運動も整理運動もいつのまにかマンネリ化してしまい,いつもの運動を繰り返しているだけになっていました。もっと,その日,その時のからだの状態を考えながら,自分に合った方法を工夫することが大事だと,いまさらながら,知りました。
今回は,劉志さんに感謝です。
ありがとうございました。そして,また,遊びにいらしてください。
両手を広げて熱烈歓迎です。
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