2012年2月14日火曜日

福島第一原発2号機の温度計が上限の400度を超えて振り切れたという。大丈夫なのか。

なにかとてつもないことが起きているのではないか,と不安が広がる。その不安を打ち消すだけの説得力のある説明がどこからも聞かれない。東電はもとより,原子力安全保安院からも,そして政府からも,なにもない。そして,ひたすら「冷温状態に変わりはない」というわけのわからない説明だけだ。おまけに,聴こえてくるのは「温度計が故障しているらしい」という頓珍漢な情報だけだ。ならば,というので,政府は法律にもとづき「代替の計器を補充しろ」と東電に対して指令した,という。

なんともはや頼りない話である。もっと迅速に対応できないのか,といらいらしてくる。どこかの火力発電所の温度計が故障したとかのレベルとはまるで別次元の話であることくらいは,子どもでもわかる。原発の,しかも,福島第一の2号機なのだ。すでに,壊れてしまっている原発だ。そこの原発をなんとか力づく(物理的にも,政治的にも)で「冷温状態」に持ち込んだばかりのところだ。もし,この温度計が故障ではなかったとしたら・・・・。

昨夜のニュースに登場した政府の関係閣僚の答弁は,すべて,抽象的な表現からでるものはひとつもなかった。すなわち,「あらゆる可能性を探りつつ,最大限の努力をしているところです」,と。そんなことは当たり前のことだ。そうではなくて,いま,現在の時点で明らかになっていることはどういうことなのかをわたしたちは知りたいのだ。闇から闇へ。重大な情報ほど秘匿されてきた。国民を混乱状態に陥らせないために・・・とのちに弁明するだけ。

不安が募ると,インターネットを流れている情報を探索することになる。
そんな中で,J-CASTニュースが,つぎのように報じている。

原子炉内の温度が上昇していた福島第一原発2号機について,東京電力は2012年2月13日,原子炉圧力容器の底にある温度計が記録上限の400度を超えて振り切れたことを明らかにした。
ネット上では,これまでの経緯から不安視する声が相次いでいる。これに対し,東電では,温度計の電気回路の電気抵抗が通常より大きく,温度が高く出やすくなっているなどとして,温度計が故障していると説明している。

故障しているなら,なぜ,修理するなり,取り替えるなりしないのか。答えは簡単,できないからだ。できないからという理由で放置されているのだ。この無責任さ加減。そこで業を煮やした政府は法律で計器の補充指令を出した。それで,どうなったのか。その後の情報はいまの段階ではない。できないことを指令してもやはりできない,ということで済まされてしまうのか。残された方法は,決死の覚悟で突入する以外にはないのだ。からだを張る人間はでてこないのか。

かつて,よど号乗っ取り事件のときには「からだを張った」代議士がいた。「男でござる」と名乗りを挙げて。相手が原発ではからだも張れないのだ。手を拱いて,ただ,見守るだけだ。いざ,壊れたとなると,手も足も出せなくなる,そういう制御不可能に陥る原発を,承知の上でつくってしまったのだ。いまは一刻もはやく原因を究明して,安全策を講ずるしか方法はないのだ。なのに,だれも手出しができない。情けないかぎりだ。

そう思いつつ,さきほどのJ-CASTニュースの東電の説明を読み返してみると,ここにも大きな誤魔化しがあることがわかる。
「東電では,温度計の電気回路の電気抵抗が通常より大きく,温度が高く出やすくなっているなどとして,温度計が故障していると説明している」という,この文章が奇怪しい。いかにも温度計が悪いかのように責任のすり替えがなされている。温度計は正常に機能したがゆえに,記録上限の400度まで測定し,ついに振り切れてしまったのだ。温度計を壊してしまうほどの「電気回路の電気抵抗を大きく」している原因についてはなにも触れていない。問題の核心は,温度計にあるのではなくて,温度計を壊してしまうほどの電気抵抗がなぜ「大きく」なってしまったのか,ここがポイントだ。

こんな子ども騙しのような説明で逃げ切ろうとするところに,なにか,重大な事態を隠蔽しているのではないかと勘繰りたくなってくる。なんの理由もなく「電気抵抗」が大きくなるわけがない。その電気回路はどこにつながっているのか。「原子炉圧力容器の底」につながっているのだ。そのための温度計ではないか。ということは「原子炉圧力容器の底」になんらかの「異変」が起きているとしか考えようがない。しかし,わたしのような素人にはここまでしか考えは及ばない。

温度計が記録上限を振り切れてしまったいまとなっては,もはや,それこそ手も足も出せません。原子炉圧力容器の底の温度すら不明になったのだ。いつ,いかなる理由で,大事故に進展していくかもわからない闇の世界への突入なのだ。400度という記録上限を超えていくことは「ありえない」と想定したからこそ,いまの温度計が設置されたはずだ。しかし,その想定をいとも簡単に超えてしまったのだ。またしても「想定外」というのだろうか。こんどの場合は,そんな説明では済まされまい。何カ月ものちになって「じつは,あのときの温度計の故障は・・・」という話になるのだろう。いや,そういう話になれば,御の字だ。このあと,なにごともなく推移するということが前提になるのだから。

わたしたちは理由がわからないと不安になる。それでも,じっと耐えて,なにごとも起きませんようにと祈るしかないのだ。このあと,なにかが起こったら大変なことになってしまうから,できるだけそうは思いたくない。しかし,原発はすでに「万が一」のことが起きてしまったのだ。だから,つぎなる「万が一」が起きないとはだれも断定はできない。

「3・11」以後を生きるとは,そういうことなのだ。昨日のブログのくり返しなるが,西谷修は『世界』(2011年5月)の中で「近代産業文明の最前線に立つ」という論文を書き,日本の社会は「3・11」を境にして,それ以前とはまったく異なる社会に突入したのだ,と喝破している。さらに,2011年7月の「核と未来」という講演会では,「未来の可能性が放射能汚染によって制約されているという点で,3・11後の日本はそれ以前とは全く異なる社会である」と追い打ちをかけている。

原子炉圧力容器の底にとりつけてあった温度計が記録上限を超えて振り切れてしまったことに,わたしたちはこれほどまでに怯えなくてはならないのだ。これからさきも,原発の,どんな些細な「異変」にも,敏感に反応し,怯えつづけなくてはならないのだ。それが「3・11」以後を生きるということなのだ。

まことに哀しいことではあるが,これが,わたしたちのありのままの「生きる」ということの現実なのだ。

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