ことしになって,複数の人から「太陽光発電は駄目だ」という,あまり根拠のはっきりしない話を聞かされた。いずれも,わたしが「脱原発」への方途をさぐるために,原発に代わる再生エネルギーへとシフトすべきだという,きわめて個人的な雑談の折のことである。
ひとりめの人から「太陽光発電は駄目だ」と聞いたときには,「へえーっ,そんなものなの?」と受け流したが,ふたりめのときには「おやっ?」と思った。しかし,さんにんめのときには「まてよ?」,これはちょっとおかしな話ではないか,と気がかりになった。よにんめのときには,完全に,なにかの意図がはたらいていると考え,すこしばかり調べてみた。
「太陽光発電は駄目だ」という根拠は,わたしが聞いたかぎりでは,きわめてあいまいだ。「太陽電池はおよそ10年が寿命で駄目になる。その使用済み電池の処理の方法が確立されていない。つまり,捨て場所がない」というのである。
わたしのもっとも苦手な分野なので,早速,むかしの友人(専門家)に聞いてみた。すると,とても親切に教えてくれた。それによると以下のとおりである。
太陽電池には,いろいろのタイプがある。
たとえば,
1.単結晶シリコン型太陽電池
2.多結晶シリコン型太陽電池
3.薄膜シリコン型(アモルファスシリコン型)太陽電池
4.化合物系太陽電池
5.色素増減型太陽電池
6.有機薄膜型太陽電池
7.量子ドット型太陽電池
などがある。
それぞれ一長一短があり,大手メーカーの研究所をはじめ,大学の研究者たちも全力で,より安全で,性能のいい太陽電池の開発に取り組んでいる。将来的な展望が得られない方法(技術)は,おのずから淘汰されていく。すでに,いくつもの方法が駄目だということで脱落している。いま,残っている方法もいずれ淘汰されていくだろう。最後にどの型の太陽電池が残るかは,現段階ではわからない。しかし,どのメーカーも命懸けで,将来的な展望を見据えて,研究に取り組んでいる。さきに,挙げた7つの型の太陽電池は,ほとんどの大手メーカーが開発に手を染めていて,どれが生き残るか,戦々恐々とした状態だ。
たしかに,一部に危ない化学物質が用いられていることもたしかだ。しかし,それを言うなら,いま使われている乾電池も同じだ。可能なかぎり回収して,安全に処理する方法がとられている。少なくとも,原発事故により放出される放射性物質や,使用済み核燃料の最終処理などのことを考えれば,それらは比較の対象にもならない。
したがって,どういう理由・根拠にもとづいて「太陽光発電は駄目だ」というのか,しっかりと確認する必要がある。もし,そのような論文などがみつかったら教える。
とのこと。わたしに「太陽光発電は駄目だ」と言った人間は,いずれもそれぞれの道は違うものの,立派な職業についている人たちである。もう少し調べてから,わたしは,もう一度,それぞれの人に会って話を聞いてみようと思っている。
それにしても,意外なところから,意外な方法で,「太陽光発電は駄目だ」という,わたしとしては意表をつく「風評」が流れはじめているようだ。どう考えてみても偶然ではなさそうだ。このような風評こそ,人びとの無意識に働きかける「悪意」以外のなにものでもない。恐ろしいことだ。
しかし,よくよく考えてみれば,世の中「風評」ばかり。その「風評」を,一人ひとりがよく考え,見きわめながら生きていくしか方法はない。
それにしても悪魔の手が,手を変え品を変えして,伸びてきている。しかも,その手に踊らされてしまっている「ジェントルマン」がいかに多いことか。作家の山田詠美は,学校の先生の中にも,この手の「ジェントルマン」が,品行方正で,信念と情熱をもつ「いい先生」のお手本のようにして棲息しているが,少し感性の豊かな子どもたちには,その本性がみごとに見破られている実態を,同じ名前の作品『ジェントルマン』で描いている。
「原発安全神話」構築のために,その最先端で貢献したのは文部科学省の傘下にある学校の先生たちであったことを忘れてはならない。
原発事故に関する事実関係を秘匿しつづける現政権のもとで,風評もまた悪質化しつつあり,それに乗せられてしまう危険性が,わたしたちの身のまわりにはいっぱいだ。きちんとした根拠を見きわめて,適切に判断していくことが,こんご,ますます重要になってきた。
「太陽光発電は駄目だ」という風評についても,もう少し,追跡していきたいと思う。恐ろしい世の中になったものだ。
ひとりめの人から「太陽光発電は駄目だ」と聞いたときには,「へえーっ,そんなものなの?」と受け流したが,ふたりめのときには「おやっ?」と思った。しかし,さんにんめのときには「まてよ?」,これはちょっとおかしな話ではないか,と気がかりになった。よにんめのときには,完全に,なにかの意図がはたらいていると考え,すこしばかり調べてみた。
「太陽光発電は駄目だ」という根拠は,わたしが聞いたかぎりでは,きわめてあいまいだ。「太陽電池はおよそ10年が寿命で駄目になる。その使用済み電池の処理の方法が確立されていない。つまり,捨て場所がない」というのである。
わたしのもっとも苦手な分野なので,早速,むかしの友人(専門家)に聞いてみた。すると,とても親切に教えてくれた。それによると以下のとおりである。
太陽電池には,いろいろのタイプがある。
たとえば,
1.単結晶シリコン型太陽電池
2.多結晶シリコン型太陽電池
3.薄膜シリコン型(アモルファスシリコン型)太陽電池
4.化合物系太陽電池
5.色素増減型太陽電池
6.有機薄膜型太陽電池
7.量子ドット型太陽電池
などがある。
それぞれ一長一短があり,大手メーカーの研究所をはじめ,大学の研究者たちも全力で,より安全で,性能のいい太陽電池の開発に取り組んでいる。将来的な展望が得られない方法(技術)は,おのずから淘汰されていく。すでに,いくつもの方法が駄目だということで脱落している。いま,残っている方法もいずれ淘汰されていくだろう。最後にどの型の太陽電池が残るかは,現段階ではわからない。しかし,どのメーカーも命懸けで,将来的な展望を見据えて,研究に取り組んでいる。さきに,挙げた7つの型の太陽電池は,ほとんどの大手メーカーが開発に手を染めていて,どれが生き残るか,戦々恐々とした状態だ。
たしかに,一部に危ない化学物質が用いられていることもたしかだ。しかし,それを言うなら,いま使われている乾電池も同じだ。可能なかぎり回収して,安全に処理する方法がとられている。少なくとも,原発事故により放出される放射性物質や,使用済み核燃料の最終処理などのことを考えれば,それらは比較の対象にもならない。
したがって,どういう理由・根拠にもとづいて「太陽光発電は駄目だ」というのか,しっかりと確認する必要がある。もし,そのような論文などがみつかったら教える。
とのこと。わたしに「太陽光発電は駄目だ」と言った人間は,いずれもそれぞれの道は違うものの,立派な職業についている人たちである。もう少し調べてから,わたしは,もう一度,それぞれの人に会って話を聞いてみようと思っている。
それにしても,意外なところから,意外な方法で,「太陽光発電は駄目だ」という,わたしとしては意表をつく「風評」が流れはじめているようだ。どう考えてみても偶然ではなさそうだ。このような風評こそ,人びとの無意識に働きかける「悪意」以外のなにものでもない。恐ろしいことだ。
しかし,よくよく考えてみれば,世の中「風評」ばかり。その「風評」を,一人ひとりがよく考え,見きわめながら生きていくしか方法はない。
それにしても悪魔の手が,手を変え品を変えして,伸びてきている。しかも,その手に踊らされてしまっている「ジェントルマン」がいかに多いことか。作家の山田詠美は,学校の先生の中にも,この手の「ジェントルマン」が,品行方正で,信念と情熱をもつ「いい先生」のお手本のようにして棲息しているが,少し感性の豊かな子どもたちには,その本性がみごとに見破られている実態を,同じ名前の作品『ジェントルマン』で描いている。
「原発安全神話」構築のために,その最先端で貢献したのは文部科学省の傘下にある学校の先生たちであったことを忘れてはならない。
原発事故に関する事実関係を秘匿しつづける現政権のもとで,風評もまた悪質化しつつあり,それに乗せられてしまう危険性が,わたしたちの身のまわりにはいっぱいだ。きちんとした根拠を見きわめて,適切に判断していくことが,こんご,ますます重要になってきた。
「太陽光発電は駄目だ」という風評についても,もう少し,追跡していきたいと思う。恐ろしい世の中になったものだ。
1 件のコメント:
今朝の産経新聞、石原都知事の記事、読まれましたか?
(@_@)(@_@)
コメントを投稿