今日(25日)の『東京新聞』「こちら特報部」に仰天するような記事が載っていたので紹介しておきます。安冨歩さん(東大教授)が先月出版した「原発危機と『東大話法』」(明石書房)を取り上げ,紹介する記事です。ほんとうはわたしもこの本を読んでから紹介すべきところですが,あまりの酷さに,とりあえず中間報告をしておきたいと思います。
いつものように2面にわたって,安富教授の顔写真と大きな見出しが躍っています。大きな活字の順番に列挙しておきましょう。まず,右側の紙面から。
思考奪う偽りの言葉
原子力ムラでまん延「東大話法」
「安全神話支え,事故招く」
危険なものを危険といわず
つぎに,左側の紙面から。
高慢 無責任な傍観者
「見つけたら笑ってやって」
周囲もあぜん「記憶飛んだ」
プルトニウム拡散の”遠因”
おまけに「東大話法規則一覧(抜粋)」なるものが,「規則20」まで紹介されています。たとえば,
規則1 自分の信念ではなく,自分の立場に合わせた思考を採用する。
規則2 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
規則3 都合の悪いことは無視し,都合のよいことだけ返事する。
規則5 どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。
規則9 「誤解を恐れずに言えば」と言って嘘(うそ)をつく。
規則20 「もし〇〇〇であるとしたらお詫びします」と言って,謝罪したフリで切り抜ける。
という調子です。
この記事は,中山洋子記者による記名記事で,冒頭の書き出しは以下のようです。
原子炉の老朽化ではなく「高経年化」と言い換える。原発を監視する役所を「原子力安全庁」と呼びたがった──。とかく高飛車で欺瞞的な”原子力ムラ”の言葉や言い回しを,東京大東洋文化研究所の安冨歩教授は「東大話法」と名付けて警戒する。東大OBの官僚や御用学者に多い空疎な言葉こそが,一人一人からまともな思考を奪う元凶だという。同教授に「東大話法」の見破り方を聞いた。
これだけ書いておけば,あとは,記事の内容を事細かに解説する必要はないでしょう。あとは,安冨さんの書かれた『原発危機と「東大話法」』(明石書房)で,とくとご鑑賞のほどを。
この記事について,すぐにもブログで書いておこうと思いたったのは,理由があります。今朝のテレビ(NHK)で,電力問題を取り上げていて,そこに専門家と称する二人の人物が登場。一人は,元経済産業省の役人で,いまは,〇〇〇研究所所長,もう一人は,富士通の〇〇〇研究所の研究員。で,前者が,みごとにこの「東大話法」の使い手であったこと,そして,後者は,その正反対で,きちんと自分の言葉で語っていたこと,があったからです。後者の人のお話は,なぜか,小出裕章さん(京大原子炉実験所助教)の物言いのあの確かさを連想していました。にもかかわらず,前者の元役人さんは,後者の人の発言を混ぜっ返す内容ばかりでした。
ですから,ああ,これぞ「東大話法」ともののみごとに納得してしまいました。
このときもそうでしたが,最近のわたしは,テレビに出演される「専門家」と称する人たちの発言に向かって「ごまかすなっ!」「すり替えるなっ!」「ほんとうのことを言えっ!」と大声を発することが多くなりました。ときには,バカバカしくて見てはいられない,とばかりにテレビを切ってしまいます。そして,NHKはカネを返せ,と怒鳴ってしまいます。
「3・11」以後,いわゆる専門家と呼ばれる人びとの言説が,一種の「踏み絵」のようにして,読者にきびしく選別される時代に突入しました。しかし,そのことに鈍感というか,保身に走るというか,「東大話法」に逃げ込む人,つまり,原子力ムラの一員になる人が圧倒的に多くなったことも,一方の現実です。とくに,学者・研究者の言説の多くがまことにお粗末。その一方で,圧倒的少数ながら,ピカリと光る言説,つまり,知への愛(フィロ・ソフィア)に満ちた言説も厳然と存在しています。わたしは,こういう人たちの言説に「信」を置きたい。
ソクラテスが毒杯をあおることになっても,みずからの「知への愛」に殉じたように。
0 件のコメント:
コメントを投稿