2012年2月4日土曜日

神戸市外国語大学の講演,無事に終了。

昨日(2月3日),神戸市外国語大学の講演にでかけ,夜の部の懇親会も堪能し,今日(4日)の午前中に竹谷さんとことし夏に予定されている国際セミナーの打ち合わせなどをして,さきほど帰宅しました。密度の濃い時間を過ごすことができました。

でも,昨日の行きの新幹線はたいへんでした。関が原のあたりの積雪が多く,徐行運転。そのため,新神戸到着が45分遅れ。すでに午後2時。迎えにでてくれていた月嶋君に頼んで,竹谷さんに連絡。少し遅れてしまうので,つなぎの話をしていてください,と。

昼食を食べ損なっていましたので,新神戸駅のコンビニでドーナッツやマフィンなど買いこみ,地下鉄の中で食べて,講演会場に飛び込み。しかし,講演開始時間の午後2時30分を15分ほどまわっていました。竹谷さんが,バスクの伝統スポーツのスライドなどをパワーポイントを使って説明していてくださったので,そのあとを引き継ぐかたちとなりました。

講演のテーマは「『3・11』以後のスポーツ文化を考える」。これまでも,何回も同じようなテーマで話をしてきていましたので,それとはちがうヴァージョンを組み立てながらお話をしました。が,気持ばかりが焦ってしまい,話の流れがつかめないまま,時間切れという,とても悪いパターンになってしまいました。集まってくださった方たちには申し訳ないかぎり。でも,終ったあとの感想などを聞いてみましたら,いくつか印象に残る話があって,楽しかったとのこと。わたしを傷つけまいとする心遣いを感じながらも,すこしだけ,安心しました。

メインの話題は,1964年の東京オリンピックを機会に,日本の社会は激変していったことをとりあげてみました。とりわけ,家電製品が一般家庭のなかに浸透していき,大量の「電気」を消費するようになったことと,原発建設へと政府(当時の中曽根内閣)が舵を切ったのは同時だったことに焦点をあててみました。

1964年以前の日本の一般家庭には,テレビも冷蔵庫も洗濯機もありませんでした。しかし,東京オリンピックを契機にして,テレビが一気に普及していきました。それ以後,あれよあれよという間に,家電製品が家庭のなかに入り込むようになりました。それとともに,電気の消費量が飛躍的に多くなっていきました。水力発電や火力発電だけでは足りなくなると判断した当時の政府は,原発の建造に踏み切りました。しかも,原発はクリーンで安全であるというキャンペーンに多くの国民は踊らされてしまいました。その結果が,こんにちの悲劇です。

東京オリンピックを契機にして,新幹線が走り,首都高速道路が開通し,電化製品が普及し,日本人の欲望が一気に拡大し,充足される時代に突入していきました。この欲望の増大が,わたしたちの理性を狂わせていく大きな誘因になったことは間違いありません。「欲望という名の電車」(映画のタイトル)が,現実の日本社会のなかで暴走をはじめます。それに歯止めをかけることなく,ますます加速していった・・・・というのが,現時点での大きな反省点でもあります。

加えて,体力づくり運動も東京オリンピックを契機にしてはじまりました。道楽の遊びでしかなかったスポーツが,健全な青少年育成のための重要な教育の一環として,立派な正義の味方として厚遇されるようになっていきます。以後,勝利至上主義や優勝劣敗主義が大手を振って歩くようになりました。これは,資本の論理とまったく同じからくりでした。そして,ついには,巨大なスポーツ・イベントと資本が結びつき,スポーツの「金融化」があっという間に進みました。いまでは,トップ・アスリートは立派な「商品」として「売買」されるのは,当たり前となってしまいました。しかも,巨額な商取引の対象として。

こうしたスポーツの商品化の流れと原発推進の流れは,偶然の一致ではなく,まさに,車の両輪として相互に影響し合ってきたという事実に注目して,可能なかぎりの説明を試みてみました。が,まだ,わたしの頭のなかでの練り込みが足らず,苦戦することになりました。このあたりのロジックについては,もう少し,磨きをかけていきたいと思っています。そして,だれが聞いても「なるほど」と思ってもらえるようにブラッシュ・アップしていきたいと思います。

不思議なもので,一度,講演をするたびに,いつも,新たな課題がみつかります。それがあるからこそ,あまり得意ではない講演を引き受けたりするわけです。今回もまた,反省点の多い講演となりましたが,それなりに収穫もあった,と冷静に受け止めています。

このあたりのことは,また,ブログをとおして新しい見解を公表していきたいと考えています。
取り急ぎ,神戸市外国語大学での講演のご報告まで。


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