2012年2月29日水曜日

「超哲学」ではなくて,「チョー哲学」でした。いよいよもって不可解。されど魅力的。

今日の太極拳のあとの「カキフライ・オムライス」の時間は,急遽,「やきそば・ミミンガ」の時間に変更になりました。こんなことがあっていいのだろうか,というようなまことに贅沢な話ですが,でも,それがほんとうにあったことですので正直に書いておきます。

いつもはなかなかきていただけない李老師から,昨夜,遅くに「明日,時間に余裕ができましたので,稽古に参加します。稽古が終ったあと,家に寄っていきませんか。簡単な<やきそば>をつくります」というメールが入りました。欣喜雀躍,さっそく,NさんとKさんにメールで連絡。

朝になってみれば,なんと雪が降っているではありませんか。久しぶりの銀世界。電車が動いていてくれればいいが,と心配しながら稽古場に出かけました。ひとりで着替えをして,準備運動をしていましたら,三々五々,多少の遅れがあったようですが,みなさんが集まりました。が,Kさんからはメールが入り,体調が思わしくないので休みます,とのこと。残念。

いつものとおりに稽古をはじめていたところに,李老師がふらりと現れ,わたしのからだの緊張度が一気に高まりました。こころの方は李老師がきてくださって嬉しくて仕方がないのに,からだの方は緊張してしまうのです。不思議なものです。久しぶりに,わたしのからだはフル回転。いつもはかかない汗が背中を流れていきます。Nさんから,顔まで赤くして,どうしたんですか,と冷やかされてしまいました。そうか,顔まで赤くなっているのか,それは気がつきませんでした。

李老師に見られている,というただそれだけでわたしのからだに緊張が走ります。これはとてもいいことなのですが,あまりに緊張してしまうと,いつもできていることができなくなってしまうこともあって,これは困ったものだ,とも思っています。そんな緊張の中で,今日も,李老師語録が一つ増えました。「猫の足のように」です。このことについては,別のブログで書くことにします。

いささか前置きが長くなってしまいましたが,こんな稽古のあと,李老師のお招きでご自宅に伺いました。早速,ご自慢の雲南省産のお茶をいただきながら,雑談に入ります。李老師は,その間,せっせと「やきそば」の準備に入ります。そのわずかな時間を見つけて,Nさんが忘れないうちに,と言ってわたしが昨日書いたブログの話を切り出してくれました。

あれは,稲垣さんが書いたような「超哲学」ではなくて,「チョー哲学」です。「超」はカタカナ表記の,そのまま「チョー」です。意味は,若い女の子たちが多用している例の「チョー」です。「チョーかわいい」「チョーおいしい」「チョーおもしろい」というときの「チョー」です。これを,たとえば,「チョー音楽」とか,「チョー数学」というように置き換えてみればいいわけです。ですから,そのまま「チョー哲学」ということです。

この授業は学部の演習ですので,どんなテクストでもとりあげて一緒に読もう,というそういう授業です。くわしくは,シラバスをご覧ください。たとえば,イグナチオ・ロヨラの『霊操』(門脇佳吉訳,岩波文庫)なども取り上げましたし,プラトンなども読みました。ときには,デカルトを読んだり,スピノザを読んだり,もしました。テクストもまったく限定はありません。ですから,ことしの4月からはなにを読もうかと考えているところです。

じゃあ,わたしがブログで書いたことは,そんなには外れてはいないですね。むしろ,それをも軽々と超えでていく,そういう「哲学」ですね。言ってしまえば,これまでの「哲学」の概念という枠組みなど無視して,いかなるテクストも「哲学」になりうる,そういう実験的な意味も籠められている,と受け止めていいですね。

まあ,そんなもんです。

というような次第でした。じつは,このあとも,とても刺激的なお話があったのですが,わたしの提起した「超哲学」とは直接の関係がない話ですので,割愛します。

このお話を受けて,わたしはわたしで「超哲学」という概念を明確にして,自分の研究に役立てていけばいいのだ,と得心がいきました。少なくとも,Nさんの掲げていらっしゃる「チョー哲学」とバッティングすることはない,と。

ならば,「スポーツ学」(Sportology)構築のための「超哲学」的アプローチ,という研究ノートの表題は大丈夫だ,と。よし,これで行こう,と腹をくくることにしました。

その間に,李老師は,じつに手際よく5人分の特製の「やきそば」を調理してくださいました。なんという贅沢。にもかかわらず,Nさんはなんと言ったと思いますか。「ぼくは気が弱くて言いづらいんですが,稲垣さんの眼が,これにミミンガがあるといいなぁ,と言ってるんですよね」。一瞬,唖然としてしまいましたが,ここは外してはならずとばかりに「えっ,いつからぼくのこころの内まで透視することができるようになったんですか」と応答。みんな爆笑。

李老師も心得たもので,「ミミンガ? ああ,すぐできますよ」と言って,あっという間に仕上げてくれました。しかも,ネギを長く細切りにしてミミンガの上に乗せてあり,これがまた絶妙の味なのです。じつは,李老師は四川省出身のお母さんゆずりの四川料理の名手なのです。詳しいことは,いつか,あらためてご紹介することにしましょう。

というわけで,今日の太極拳の稽古のあとは,「カキフライ・オムライス」ではなくて「焼きそば・ミミンガ」でした。

いやいや,このブログとしては,「超哲学」ではなくて「チョー哲学」でした,というのが本来の「落ち」でした。そして,わたしは,しばらくの間は,近代を超克するための後近代の新しい論理を「超哲学」という方法で探索してみたいと,それもジョルジュ・バタイユを手がかりにしてと,本日,ただいま,決断しました。

李老師に二重,三重の感謝です。ありがとうございました。

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