2012年2月7日火曜日

4月から中学校の柔道必修化。問題あり,とNHK「クローズアップ現代」がとりあげる。

昨夜(6日),午後7時30分から,NHK「クローズアップ現代」が,この4月からはじまる中学校の柔道必修化問題をとりあげていた。ちょうど,食事どきだったので,しっかりと視聴した上で,問題の所在を少しだけ考えてみた。

結論から述べておこう。
中学校の柔道必修化も,原発推進に踏み切った(東海村に1966年に設置)ときと,まったく同じ思考パターンである,ということ。すなわち,アフター・ケアがまったくなされないままの「見切り発車」である,ということ。

原発が使用済み核燃料を処理する方法(技術,施設,など)を整備する前に,原発建造,稼働へと見切り発車したことは,もはや繰り返すまでもないだろう。詳しくは,今日(7日)の『東京新聞』の「こちら特報部」を参照のこと(青森県の六ヶ所村の処理施設が,稼働停止のまま,再開の目処も立っていないことを詳細に報道)。にも,かかわらず,いまなお,原発推進派は着々とつぎなる手を打ち,原発稼働に向けて突進しようとしている。わたしたちの「命」を犠牲にしてでも,原発による「利権」を守りとおしたい輩が日本の中枢に巣くっている。この理性の「狂気化」現象が,平然と見過ごされてしまう,日本の現状に唖然としてしまう。

しかし,この理性の「狂気化」現象は,いまにはじまったことではない。
その一端が,4月からの中学校の柔道必修化問題だ。

断っておくが,柔道を中学生に教えることには賛成である。しかし,そのためには,しっかりとした指導者を養成しておかなければならない。それが先決だ。

問題は,きちんと柔道を教えることのできる教師が,きわめて少ないというところにある。そんなことは柔道必修化の議論をする段階でわかっていたはずだ。そして,そのような議論も行われたようだが,医科学委員の中にも脳外科のお医者さんが入っておらず,さっさと多数決で決められてしまった,というのが実情のようだ。

つまり,はじめに柔道の必修化ありきの議論なのだ。そのために,審議会がある。つまり,このメンバーは,厳密な思想チェックがなされた上で選考される。わたしも経験したことがあるが,会議の進行はすべてお役人さんが作成したシナリオ(議長が話すセリフまで書いてある)どおり。最後に多数決で決定。わたしのような少数意見は「貴重なご意見ありがとうございました」のひとことで片づけられてしまう。なんとも歯痒いかぎりだった。もちろん,以後,声もかからなくなったが・・・・。

中学校の体育の教員免許をもつ教師には,2種類がある。ひとつは,教員養成系の大学で教員免許を取得した人,もうひとつは,体育大学もしくは体育学部で教員免許を取得した人である。いずれも,体育を得意とする人たちではあるが,こと柔道に関しては,その経験に大きな個人差がある。その多くは,大学に入って,授業ではじめて柔道を経験した人たちである。いかに運動神経抜群とはいえ,柔道を教えるということになると話は別だ。

ボールゲームなどでは,よほどのアクシデントでないかぎり「死亡」事故は,まずは起こらない。しかし,柔道は,ひとつ手順を間違えたり,情況判断をミスしたりすれば,事故は大なり小なり起こる。つまり,怪我と背中合わせの格闘技なのだ。だから,よほどの経験豊かな指導者でないかぎり,中学校での必修の柔道はまかせられない。つまり,必修だから,からだのひ弱な子どもたちも,そして,極端に運動神経の未発達な子どもたちも,なかには柔道が嫌いな子どもたちも混じっている。しかも,多人数だ。

部活の柔道であれば,まずは,希望者であり,しかも少人数なので,生徒の習熟度に合わせて稽古をすることもできる。しかし,必修となれば,そうはいかない。

柔道を必修化しようという志は反対ではない。が,そのためのお膳立てをきちんとすることが先決だ。いまからでも遅くはない。きちんとした指導のできる先生を確保できた学校から始めればいい。それまでは,指導者養成のために万全をつくすことだ。

「クローズアップ現代」では,フランスの授業が紹介されていた。それによれば,柔道の指導者になるためには特別の「国家試験」を課しているという。しかも,きわめて難関な資格試験だという。そうして,じっくりと基本を教える。投げ技などは,体力も技量も整ったところで教える。ましてや,「乱取り」などは,柔道する身体ができあがってからだという。

いまの子どもたちは「ひ弱」だから柔道でもやらせて鍛えなくてはいけないという発想は,クリーンなエネルギーは原発しかない,だから原発推進だ,という発想と瓜ふたつだ。どちらも,一番大事な「手順」を飛ばしてしまっている。

柔道は「乱取り」が最終ゴールではない。「自他共栄」「精力善用」と嘉納治五郎が主張したように,人間としての「道」を教えることにある。柔道の精神を表す「道」は,その淵源を尋ねると道教(タオイズム)にいたる。そのことを熟知していた嘉納治五郎は「柔よく剛を制す」とも言っている。これはまさに「タオ」(=「道」)の精神そのものだ。「無為自然」の「タオ」と「無常」の仏教が混淆して「禅」の思想が生まれる。嘉納治五郎の求めた柔道のゴールは「禅」の精神を体得すること,そして,その実践にあった。

こうした柔道の深い理念を体得した人こそ,中学校の柔道を教える資格所有者であり,親や子どもたちも安心して「必修化」のもとでの授業を受けることができる。そのための,特別の国家試験を課しているフランスは立派だ。いいことは,すぐにも取り入れるべきだ。逆輸入だと笑われても仕方がない。それほどまでに,わたしたちの理性は狂気と化してしまっているのだから。

もう一度,初心に帰ろう。狂ってしまった理性を捨てて,生きる命にとって理性とはなにかを問い直すこと。とりわけ,「3・11」を通過したいま,わたしたちは,もう一度,スタート地点に立って,そこからやり直すしか方法はないのだから。

そういう議論がこれからでもいい,起こってくることを,こころから祈っている。

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