2012年2月5日日曜日

「百会を高くして立つ」(李自力老師語録)その4。

太極拳の稽古の最初の姿勢。両足を合わせて立つ。いわゆる直立姿勢。ただし,両足先は開かないで閉じたまま立つ。やや骨盤が締めつけられる感じがある。膝を伸ばし,ほんの気持だけ「出っ尻」「鳩胸」。顎をやや引いて,頭のてっぺんを高くして立つ。この直立姿勢が太極拳をはじめるときの基本姿勢。

李自力老師のこの立ち姿がまことに美しい。さりげなく大胸筋が盛り上がっていて,腕,肩の力も抜けていて,しかも,一寸の隙もない。この姿勢をとると,顔の表情まで,一瞬にして変わる。日常の李老師とは別人になる。太極拳をする身体になりきる。

頭のてっぺん,頭頂の一番高いところにあるツボを「百会」(ひゃくえ)という。もう少し精確にいうと,左右の耳介(耳たぶ),または,左右の耳孔を垂直に結ぶ線と顔の真ん中を走る正中線とが交叉するところ。解剖学的にいうと,頭蓋骨の縫合結合が最後に完成するところ。生まれたばかりの赤ん坊の頭蓋骨の縫合は完成していないので,ペコペコと動いているのがわかる。その部分が「百会」。

指先の感覚の鋭い人であれば,正中線をたどって頭頂にいたると,ほんのわずかに窪んで柔らかいところを見つけることができる。ここが「百会」というツボ。もちろん,赤ん坊の百会に触れてはならない。からだの中の気がとおる道。

この百会に対応しているツボが「湧泉」(ゆうせん)。足の裏にある土踏まずの部分にある。この湧泉から大地の気を吸い上げ,からだを通過させて百会から,外に放出する。気がとおる,という。熟達してくると,涼しげな風を感ずる。とても気持よく,快感そのもの,と李老師はいう。

「百会を高くして立つ」と,李老師はいともかんたんに仰る。ところが,これがまた,とても難しい。ただ,立つだけのこと。太極拳は,この立つ姿勢にはじまって,最後もまたふたたび,ここに帰ってくる。礼にはじまって礼に終る,と武術の世界ではいう。太極拳ではこの立ち姿にすべてが集約されている。この立ち姿をみれば,どれだけの熟達者であるかは,即座にわかるという。気の流れるからだをわがものとすること・・・・これが太極拳の究極のゴールでもある。

百会が開くと,大地の気と天の気が自由自在にからだを流れるようになる。すなわち,自然界とからだとの一体化。このときが至福のときだ,と李老師はいう。「気持ちがいい」「快感」「恍惚」と表現はさまざまに変化する。しかし,そこは明らかに自己の身体の<外>と交信する場でもある。「わたしの身体がわたしの身体であって,わたしの身体ではなくなる」<場>。

1 件のコメント:

内藤基宏 さんのコメント...

太極拳における「百会と湧泉」の相互作用というのでしょうか、李老師のご説明についてもっともっと知りたいのですが、何か良い資料、参考書があれば教えてください。
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