10月2日(火)の午後,講演を依頼されていたことは念頭にあったのですが,もっとさきのことだと思いこんでいました。そうしたら,事務局担当者から,レジュメを送ってくれることになっていたが・・・,と遠慮がちのメールの督促がありました。そうか,いつしかもう9月の月末になっていると気づいて大慌てでこれからレジュメの準備にとりかからなくてはなりません。
このところ,日馬富士の横綱昇進やら,領土問題やら,オスプレイ問題やらで,わたしの思考は完全にこちらの方向に向っていました。おまけに締め切りの切れた原稿を昨夜,ようやく書き上げたばかりです。ですから,そうそう簡単にオリンピック問題に頭をシフトすることはできません。そこで窮余の策を立てることにしました。つまり,講演に向けてのウォーミング・アップを兼ねて,講演に関するブログを書いてみようと思い立ちました。講演のタイトルは「オリンピックの未来について考える」です。
このタイトルはロンドン・オリンピックの少し前に決めたものでした。最初は「オリンピックについて,なにかお話を・・・」という依頼でした。しかし,オリンピックが終わってみないことには,なにを,どのように絞り込んだらいいかはわかりません。そこで,どんなことがあっても話の展開はできるのではないかと考え,こんな間口の広いタイトルにしておきました。
ところが,さて,いよいよレジュメを作成するとなると,まあ,なんと大きなテーマを設定してしまったものかと腕組みをして考え込んでしまいます。どんな話をしてもよさそうなテーマというものは,どんな話をしても的に当たらないことをも意味しています。そんなことが,いまのいまになってわかるというのも情けない次第です。
こうなったらもはや居直るしか方法はありません。
でも,折角与えられたチャンスですので,これまで言いたくてもなかなか言うことができなかった大胆な仮設について,この際,思い切って言ってみようか,とたったいま考えているところです。
たとえば,「オリンピックに未来はあるか?」「No!」というような・・・・。
では,なぜ,「No!」なのか?
その理由,根拠はなにかを,一つひとつ取り上げて説明していくという方法はどうだろう。
これなら,いくらか興味をもって聴いてもらえるのではなかろうか。
わたしの話もそれほど脱線することなく進みそうだし・・・・。
かりに脱線したとしても,すぐに,もとの本題にもどることができるだろうし・・・・。
では,「オリンピックに未来はない」と断定する理由,根拠はなにか。これをこれから考えればいい,というわけです。いま,これを書きながら,たったいま頭に浮かんできていることを書いておけは以下のようになります。
再度の「東京オリンピック招致運動」がいまひとつ盛り上がりを欠いています。都民のみなさんも,あまり強い関心を示そうとはしていません。むしろ,無関心の人の方が多い,と聞いてきます(アンケート調査など)。ここに「オリンピックに未来はない」と断定する理由・根拠のひとつがある,とわたしは考えています。それは,「いま」を生きているわたしたちにとって,オリンピックよりももっと大事なこと,重大なことがある,ということです。それはなにか?
「3・11」以後は,とくに,それが顕著になってきているように,わたしは思います。
もう一度,大きな地震が襲ってきて,ふたたび大津波が押し寄せてきたらどうなるのか,という潜在的な不安があります。しかも,都心直下型の大きな地震もかなりの確率で予想されています。そうしたときに,いまだに収束をみないフクシマ原発はどうなるのか。その他の活断層の上にある原発はどうなるのか。第二のフクシマが起きたら,もう,なにもかもおしまいになる。おまけに,富士山の火山活動がはじまるという予想も現実味を帯びてきています。
こういう根源的な「存在不安」に,無意識のうちにわたしたちは苛まれています。
もう少しだけ踏み込んでおけば,地震・津波・火山といった地球の自然の活動による不安と,原発というコントロール不能な人為的な文明の利器による不安の,二つの不安の間に挟まれて,どうにもならない「宙づり」状態にわたしたちはいま置かれているということです。
では,なぜ,原発というようなコントロール不能な科学技術に,わたしたちは夢を託すことにしたのでしょうか。それは「科学神話」によるものでした。科学は人類が不可能だと思ってきたことをつぎつぎに可能とさせるマジックとして,とりわけ,近代に入って機能してきました。この「科学神話」を構築していく上で,じつは,オリンピックは大きな貢献をしてきました・・・・(以下,省略),というのがわたしの大胆な仮設というわけです。
結論としては,オリンピック・ムーブメントをこれからも支えていくということは,同時に,原発もまた推進していくことになる,つまり,オリンピックと原発は同根異花である,と。
ここでは,スペースの関係できわめて短絡的な論理の展開しかできませんが,これを講演ではできるだけ丁寧に説明してみてはどうだろうか,とたったいま考えている次第です。
さて,これで方針は決まりましたので,その骨子をレジュメに整理してみようと思います。
最後に,当日の講演の時間・場所などの情報を書いておきましょう。
日時/平成24年10月2日(火)13時30分~15時30分
会場/世田谷区立老人会館 体育室
参加費/無料 先着100名
〔お問い合わせ〕
世田谷区生涯大学事務局(老人会館内)
住所/世田谷区若林4-37-8
Tel/3419-2341
Fax/3413-9444
興味をお持ちの方は,ぜひ,お出かけください。
このところ,日馬富士の横綱昇進やら,領土問題やら,オスプレイ問題やらで,わたしの思考は完全にこちらの方向に向っていました。おまけに締め切りの切れた原稿を昨夜,ようやく書き上げたばかりです。ですから,そうそう簡単にオリンピック問題に頭をシフトすることはできません。そこで窮余の策を立てることにしました。つまり,講演に向けてのウォーミング・アップを兼ねて,講演に関するブログを書いてみようと思い立ちました。講演のタイトルは「オリンピックの未来について考える」です。
このタイトルはロンドン・オリンピックの少し前に決めたものでした。最初は「オリンピックについて,なにかお話を・・・」という依頼でした。しかし,オリンピックが終わってみないことには,なにを,どのように絞り込んだらいいかはわかりません。そこで,どんなことがあっても話の展開はできるのではないかと考え,こんな間口の広いタイトルにしておきました。
ところが,さて,いよいよレジュメを作成するとなると,まあ,なんと大きなテーマを設定してしまったものかと腕組みをして考え込んでしまいます。どんな話をしてもよさそうなテーマというものは,どんな話をしても的に当たらないことをも意味しています。そんなことが,いまのいまになってわかるというのも情けない次第です。
こうなったらもはや居直るしか方法はありません。
でも,折角与えられたチャンスですので,これまで言いたくてもなかなか言うことができなかった大胆な仮設について,この際,思い切って言ってみようか,とたったいま考えているところです。
たとえば,「オリンピックに未来はあるか?」「No!」というような・・・・。
では,なぜ,「No!」なのか?
その理由,根拠はなにかを,一つひとつ取り上げて説明していくという方法はどうだろう。
これなら,いくらか興味をもって聴いてもらえるのではなかろうか。
わたしの話もそれほど脱線することなく進みそうだし・・・・。
かりに脱線したとしても,すぐに,もとの本題にもどることができるだろうし・・・・。
では,「オリンピックに未来はない」と断定する理由,根拠はなにか。これをこれから考えればいい,というわけです。いま,これを書きながら,たったいま頭に浮かんできていることを書いておけは以下のようになります。
再度の「東京オリンピック招致運動」がいまひとつ盛り上がりを欠いています。都民のみなさんも,あまり強い関心を示そうとはしていません。むしろ,無関心の人の方が多い,と聞いてきます(アンケート調査など)。ここに「オリンピックに未来はない」と断定する理由・根拠のひとつがある,とわたしは考えています。それは,「いま」を生きているわたしたちにとって,オリンピックよりももっと大事なこと,重大なことがある,ということです。それはなにか?
「3・11」以後は,とくに,それが顕著になってきているように,わたしは思います。
もう一度,大きな地震が襲ってきて,ふたたび大津波が押し寄せてきたらどうなるのか,という潜在的な不安があります。しかも,都心直下型の大きな地震もかなりの確率で予想されています。そうしたときに,いまだに収束をみないフクシマ原発はどうなるのか。その他の活断層の上にある原発はどうなるのか。第二のフクシマが起きたら,もう,なにもかもおしまいになる。おまけに,富士山の火山活動がはじまるという予想も現実味を帯びてきています。
こういう根源的な「存在不安」に,無意識のうちにわたしたちは苛まれています。
もう少しだけ踏み込んでおけば,地震・津波・火山といった地球の自然の活動による不安と,原発というコントロール不能な人為的な文明の利器による不安の,二つの不安の間に挟まれて,どうにもならない「宙づり」状態にわたしたちはいま置かれているということです。
では,なぜ,原発というようなコントロール不能な科学技術に,わたしたちは夢を託すことにしたのでしょうか。それは「科学神話」によるものでした。科学は人類が不可能だと思ってきたことをつぎつぎに可能とさせるマジックとして,とりわけ,近代に入って機能してきました。この「科学神話」を構築していく上で,じつは,オリンピックは大きな貢献をしてきました・・・・(以下,省略),というのがわたしの大胆な仮設というわけです。
結論としては,オリンピック・ムーブメントをこれからも支えていくということは,同時に,原発もまた推進していくことになる,つまり,オリンピックと原発は同根異花である,と。
ここでは,スペースの関係できわめて短絡的な論理の展開しかできませんが,これを講演ではできるだけ丁寧に説明してみてはどうだろうか,とたったいま考えている次第です。
さて,これで方針は決まりましたので,その骨子をレジュメに整理してみようと思います。
最後に,当日の講演の時間・場所などの情報を書いておきましょう。
日時/平成24年10月2日(火)13時30分~15時30分
会場/世田谷区立老人会館 体育室
参加費/無料 先着100名
〔お問い合わせ〕
世田谷区生涯大学事務局(老人会館内)
住所/世田谷区若林4-37-8
Tel/3419-2341
Fax/3413-9444
興味をお持ちの方は,ぜひ,お出かけください。
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