2012年9月22日土曜日

「日中国交回復40年」の年だというのに・・・・・。

 この9月29日は日中国交回復40周年の記念すべき日だというのに,この騒ぎである。いまや,完全なるアメリカの操り人形と化してしまったノダ政権の,まことにみじめな断末魔の姿の露呈である。こんな馬鹿げた騒ぎを引き起こしているのに,なんの反省もない日本の中枢部に居すわっている人びとに対して,なすすべもなく身を委ねなくてはならないわれわれふつうの国民は哀しみに沈んでいる。それどころか,デモをしても政治には反映されない,なにをしても無駄,もうどうでもいいという無力感が広がりつつある。

 思い起こせば40年前,名古屋で開催された世界卓球選手権大会に中国を招聘した,いわゆる「ピンポン外交」が突破口となり,日中国交の窓口が開かれ,つづいて米中国交へとその輪は広がって行った。中国が国際社会とのパイプを開く,きわめて重要なきっかけを「ピンポン」がつくったことを記憶する人は少なくないであろう。

 スポーツ外交は政治を超える,きわめて有効な(友好な)手段として世界の注目を集めたものだ。そして,スポーツをとおして中国は世界の檜舞台で大活躍し,その存在が広く認められるようになっていったことも記憶に新しいところだ。オリンピック北京大会では,スポーツ大国でもあるアメリカを抜いて世界のトップに立つ,恐るべき力をスポーツの場で証明してみせた。中国国民はこの大会を契機にして,大きな自信をもったことは間違いないだろう。

 この「ピンポン外交」で窓が開かれるまでは,長い間,中国は世界(国際社会)からその存在すら無視されつづけてきた。もちろん,その背景には「二つの中国」を認めることはできないという中国共産党中央委員会の定めた大原則があって,台湾問題が大きなネックになっていた。この台湾とも,いまでは友好的な関係が築かれ,一般市民も自由に往来しているという。

 思い返せば昨年のいまごろわたしたちは,中国旅行の真っ最中だった。李老師を先達にして,まことに楽しい中国旅行をぞんぶんに満喫していたことを,昨日のことのように思い出す。ちなみに,昨年の22日にはナシ族民族博物館を見学し,ナシ族民族村を散策し,麗江から北京に移動している。そして,北京の夜を楽しんでいる。みんな,とても友好的で,日本人であることになんの不安を感ずることなく,むしろ心地よくさえ感じたものだ。

 が,それから一年。事態は急転直下。国会議員の中国訪問までお断り。卓球の石川選手も大会出場を見送り。この秋に予定されていたさまざまなイベントがつぎつぎに延期,または,中止。もちろん,中国からの日本への観光客もその大半がキャンセル。

 しかし,中国の観光客にはこれまでどおり,ぜひとも来てもらいたい。そして,自分の眼で,自分の皮膚感覚で,じかに日本人と接してほしい。日本国民はこれまでとなにも変わらずに応対するだろう。あれだけ中国国内で日本バッシングを受けても,いつものとおり,やさしく応対するだろう。国家間の関係とはまったく別の仕方で,民間は民間として,国民は国民として,ごくふつうの人間として対応するだろう。よくも悪くも,この自然体の日本人のありのままの姿を感じ取ってほしい。ひとりひとりの人間としては,中国人も日本人も,基本的にはほとんどなにも変わらない。同じ人間なのだから。

 困るのは,政治が絡んだときだ。しかも,この政治を国民がコントロールできなくなっているところに日本が直面している最大の問題がある。わたしたちは,そんなに情けない国民になってしまった,ということだ。もっと,もっと声を大にして,わたしたち自身の意志表明をしていかなくてはならないところに,いま,立たされている。しかも,待ったなしの瀬戸際に立たされている。

 雑誌『世界』の10月号は,特集・日中国交回復40年──対立を越えるために,を組んでいる。名だたる論者が,わたしなどの知るよしもないさまざまな視点を提示してくれている。この時期にこそ必読の特集である。なかでも,わたしと同じ世代である河野洋平のインタピュー記事「日本外交に理性と誠実さを──歴史を鑑み,大局と原則を見失うな」は,書店の立ち読みでもいい,さーっと眼をとおしてから「日中問題」を考えることをお薦めする。

 つぎからつぎへと押し寄せてくる重層的な,このなんとも重苦しい空気からなんとか早く脱出したいものである。

 その突破口のひとつに,日中の太極拳交流がなりうるのではないか,とほのかな期待を寄せている。詳しくは,李自力著『日中太極拳交流史』(叢文社刊)を参照のこと。

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