2012年9月27日木曜日

『辺野古浜通信』を読んで,オスプレイ問題の「核心」を知る。

  親しくさせていただいている岩波の編集者Nさんから『辺野古浜通信』(Webマガジン)が転送されてきた。開いてみると,驚愕すべき情報がそこに盛り込まれていて,わたしは驚いた。これまでヤマトの人間として,オスプレイの問題にどう取り組めばいいのか,ということについてはわたしなりに考えてきたつもりだ。しかし,ウチナンチューの立場に立つ見方は,残念ながらあまり考えたことがなかった。わずかに,新聞などで報じられた「沖縄県民総決起集会」(約10万人が参加)に関するもの(声明文,など)のレベルでしかなかった。だから,きわめておざなりな情報に甘んじていた,というわけだ。

 だから,この『辺野古浜通信』を読んで,あっと驚いた。9月26日現在の時点で,迫りくるオスプレイ移送に対して,からだを張って全基地の機能をマヒさせようと呼びかけているのだ。題して「覚悟を固めるとき・・・普天間飛行場および全基地の閉鎖に向けて」。

 その書き出しから圧倒されてしまう。
 その部分をそのまま引用しておこう。

 「配備強行なら全基地閉鎖」と2012年7月1日,沖縄県知事は語った。

 強行配備されてしまえば,沖縄から「自治」がなくなる。
 40年間,沖縄県下の自治体は,憲法,地方自治法に則り,基地を縮小するよう,被害をなくすよう議決を繰り返してきた。
 いまや沖縄県下全自治体がオスプレイ配備反対を決議している。

 著作家で元名護市議の宮城康博氏はこう語る。
 「それでもなお日本国がオスプレイ配備を強行するのであれば,もはや沖縄の自治はない」「主権者一人一人の一票で選ばれた議会議員は,その存在をかけ,最前線に立ち,逮捕されなければならない」と。(沖縄オルタナティブ・メディアより)

 県知事,那覇市長をはじめとした首長たちも同様だろう。
 日本国がオスプレイを強行配備するということは,沖縄の自治と歴史と人間を否定し,沖縄を,今以上に植民地化するということだから。

 以上が引用文。
 じつは,わたしはここまでは考えていなかった。「日本国」というこの突き放された,完全に他者化されたもの言いに,わたしは圧倒されてしまう。そして,その日本国が,アメリカと結託して,オスプレイを沖縄に強行配備するということは,沖縄の自治を完全に無視するのみならず,暴力的に否定する行為である,と論じている。だから,それはとどのつまり沖縄の歴史と人間を全面否定することだ,と。すなわち,完全なる植民地化することだ,と。

 恥ずかしながら,わたしはそこまでは考えていなかった。日本国のなかでただ一県だけ,沖縄県(沖縄県民)だけが民主主義を否定され,自治権まで奪われてしまうという,とてつもないことを意味しているとは・・・・。ということは,お前らは黙って日本国の言うことに従えばいいのだ,とまるで奴隷扱いをすることと同じではないか。植民地化するということの実態はそういうことなのだ。

 ここまで理解できたとき,わたしは慄然としてしまう。
 では,お前はどうするのだ,と天の声が聞こえる。

 この『辺野古浜通信』はさらに,「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の高里鈴代さんの覚悟を伝えている。それによると,「逮捕されても生活に影響の少ない65歳から75歳」を中心に,抗議行動に打ってでる準備をしている,と。これは,どう考えても「逮捕覚悟の行動」に打ってでるという強い決意が伝わってくる。裏を返せば,「65歳から75歳の女性」が抗議行動の先頭に立つということだ。

 こうなると県知事も那覇市長も,すべての首長たちや,すべての議会議員たちも,総動員で抗議行動に打ってでるしかないだろう。そうしてみんな逮捕されてしまえばいい,と『辺野古浜通信』は檄をとばす。なぜなら,どうせ「自治」がなくなってしまうのだから。つまり,知事も市長も議会議員も不要の存在になるのだから,と。そうして,沖縄の刑務所にすべての首長・議員が収容されればいい,と。そうすれば,「日本国」は世界中の恥さらしになるのだから,と。

 こんな「覚悟」をもって29日を迎えようとしている沖縄県民の人びとの心中を考えると,いてもたってもいられない気持になってくる。わたしはまだ「75歳」の手前だから,男性ながら抗議行動の先頭に立つ資格がある・・・・とも考える。

 そして,『辺野古浜通信』は最後に述べている。こんどの運動はこれまでの運動とはまったく異なるものになる。これまでは自治権の範囲内での運動であったが,こんどは自治権の<外>にでることを「覚悟」しての運動である,と。これは恐ろしい事態の出現を予告しているようなものだ。つまり,植民地の奴隷となって生き恥をかくくらいなら,わが名誉(良心)を守るためにわが身を捨てて,求めて刑務所の収容者になろう,という「覚悟」が透けてみえてくる。こうなると,運動がどれほど過激になろうとも,もはや,とどめようがない。

 その先頭に「おばあ」が立つ。
 前代未聞の抗議行動がこれから展開されようとしている。これを黙って見過ごしていていいのか,とわたしのなかの「良心」がうずきはじめている。眠れぬ夜がはじまる。



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