折口信夫の名著のひとつに『日本芸能史六講』(講談社学術文庫)がある。この本の第四講に「相撲の起源は芸能である」ことの根拠が,かなり詳しく述べられている。しかも,そこには驚くべき根拠が提示されている。
わたしはかねてから「相撲は芸能である」という立場をとってきた。そのつど,その根拠もいくつか提示してきたつもりである。しかし,世の中には「相撲は神事である」と信じて疑わない人が多い。日本相撲協会がそういう立場に立ち,それを前面に押し出していることもよく知られているとおりである。だから,ジャーナリストの多くも,その立場からの報道をくり返す。単なる垂れ流しである。みずから「相撲とはなにか」と問い,あまたある相撲の研究書を繙こうとはしない。せいぜい評論家の意見を取材する程度だ。そして,この評論家の多くもまた日本相撲協会の片棒を担ぐ。食っていくための箍をはずすことはできない。こうして,相撲神事説が再生産されていく。
たとえば,八百長問題が大きな話題になったときも,相撲神事説とフェアプレイ精神の立場から,ポピュリズムを煽り立てるような報道がつづいた。朝青龍事件のときには,恥ずかしくて顔を覆いたくなるようなゼノフォビアまで登場し,世を挙げてバッシングにこれつとめたことを,よもや忘れてはいまい。
しかし,わたしは相撲は芸能であると考えているので,八百長も大相撲のうち,という立場に立つ。八百長も芸能にとっては大事な「芸」のうちのひとつだから。ただし,バレるような,下手な八百長をやればお客さんが来なくなるだけのこと。だから,絶対にバレないような八百長を仕組まなくてはならない。ときには,見え見えの八百長なのに,それが立派な「芸」になっていて,お客さんから大きな拍手をもらえるようなときもある。かつては,そういう相撲もみられて,じつに楽しかった。力士とお客さんとの呼吸が合うと,その場になんともいえない一体感が生まれ,場所全体が別次元に移行していく。まるで,名優の演ずる素晴らしい歌舞伎芝居をみているような気分になることもあった。もちろん,升席でお酒を飲みながらの見物は,むしろ相撲の方が芸能の伝統を守っているとさえ言えるほどだ。
そういう相撲はいまは望むべくもない。やせこけた,自分だけが正しいという,エゴイスティックで,自己満足的な正義感の強い人が増えたせいだ。そういう人たちの言っていることは間違いではない。しかし,大局的にみると,矛盾だらけの文化のもつ豊穣さをぶち壊してしまうことになり,なんとも寂しいかぎりである。その結果,文化としてはまことに貧相なものに堕してしまうことになる。大相撲も,すでに,そうなって久しい。
興業主が「大相撲は神事だ」というのだから神事でもかまわないが,それをみて楽しむ側は,大相撲のもつもっと深い芸能性を楽しんだって一向にかまわないはずだ。しかも,その精神は立派にいまも生きているのだから。
さて,前置きが長くなってしまったが,本題の折口信夫説をごくかんたんに紹介しておこう。
第四講の小見出しはキー・ワード風に,あそび,田遊び,えぶり,相撲,わざをぎ,こひ,田楽,猿楽,能,座,とならんでいて,この順番に講義が展開している。
これをみただけで,相撲があそびや田楽,猿楽,能,などと同列に取り扱われていることがわかる。そんなバカなという人は,相撲には「しょっきり」と呼ばれる相撲があることを思い出していただきたい。これなどは猿楽そのものだ。みているお客さんが大笑いするように仕組んである。勝負などどこ吹く風とばかりに,現実にはありえないような相撲をとって,お客さんを喜ばせる。これが相撲の原型なのだと折口信夫は力説する。つまり,相撲は「あそび」にその起源を求めることができるのだ,と。
もともと古い和語の「あそび」は,「鎮魂の動作」を意味していた,という。古代の天皇が「野遊び」をするのは,「鎮魂の動作」としての意味がその根底に宿っている。同時に,大自然の「霊力」をわがものとする身振りでもある。これだけではなく,折口信夫は,わたしですら驚くような説を惜しみなく展開している。たとえば,以下のようである。
「楽器を鳴らすこと,舞踊すること,または野獣狩りをすること,鳥・魚を獲ることをもあそびと言ふ語で表していますが,これは鎮魂の目的であるからです。つまり鳥,獣を獲ったり,魚を釣ったりするのは悦ぶためだといふ風に解釈されますが,そういう生き物が人間の霊魂を保存しているから其を迎えて鎮魂するのです。」
「・・・・楽はあそびなのですから,田楽も田遊びも同じことになるわけですが,田遊びは田に於て鎮魂を行ったといふことではっきりしています。つまり田を出来るだけ踏みつけ,その田を掻きならして田に適当な魂をおちつけ,ぢっとさせておき,立派な稲を作るといふことなのであります。」
「・・・ところが田遊び以前の田に関係した行事が考えられます。─中略─。演劇の昔の伝統を尋ねて行くと妙なことに他には行かないで相撲に行ってしまふことです。これは日本の演劇の正当なものなのです。宮廷では七月に相撲(すまひ)の節会(せちえ)といふものを行ひ,其時期が相撲の季節となりました。そしてこれはどうしても演劇にならなければならなかったのですが,途中から演劇の芽ばえが起こって来て,相撲はその方面に伸びなかったのです。」
「・・・蹴速(けはや)のふみ殺された所は「腰折田」と称して残ったといふことですが,これはその通りの動作が行はれておったところなのでせう。地方に行きますと,囃田(はやしだ)とか鼓田(つづみだ)とか舞田(まいた)といふ名称の田がありますが,それは其処(そこ)に行って田植の時に芸能の行はれる事の意味なのです。」
とまあ,こんな具合に眼からうろこが落ちるような話がつぎからつぎへと登場する。たとえば,野見宿禰と当麻蹴速の相撲の真意について(まれびとの来臨),大国主命(おおくにぬしのみこと)の国譲りの相撲について(手を取る・・・相手の魂を招きこふ動作,この「こふ」が「こひ」(恋)となる,など),米の豊作を予祝する儀礼としての相撲について,などなど。これらはすべて年占いであり,演劇として演じられたものだと折口信夫は,じつに軽妙にその裏側の複雑な仕組みにいたるまでをわかりやすく説いている。
この他にも,たくさんの相撲=芸能を裏づける話がでてくる。あとは,テクストに直接あたって確認してみていただきたい。その方が面白いこと請け合い。
最後にひとこと触れておきたいことは以下のとおり。
意外なことに,相撲と能とは,同じルーツから枝分かれした芸能であった,ということ。すなわち,田遊びという鎮魂のための芸能が,ひとつは相撲となり,もうひとつは田楽,猿楽,能楽となっていく,というわけである。このあたりのことは,調べていけば無尽蔵に面白い話がでてくるはずである。こんごの課題としておく。
わたしはかねてから「相撲は芸能である」という立場をとってきた。そのつど,その根拠もいくつか提示してきたつもりである。しかし,世の中には「相撲は神事である」と信じて疑わない人が多い。日本相撲協会がそういう立場に立ち,それを前面に押し出していることもよく知られているとおりである。だから,ジャーナリストの多くも,その立場からの報道をくり返す。単なる垂れ流しである。みずから「相撲とはなにか」と問い,あまたある相撲の研究書を繙こうとはしない。せいぜい評論家の意見を取材する程度だ。そして,この評論家の多くもまた日本相撲協会の片棒を担ぐ。食っていくための箍をはずすことはできない。こうして,相撲神事説が再生産されていく。
たとえば,八百長問題が大きな話題になったときも,相撲神事説とフェアプレイ精神の立場から,ポピュリズムを煽り立てるような報道がつづいた。朝青龍事件のときには,恥ずかしくて顔を覆いたくなるようなゼノフォビアまで登場し,世を挙げてバッシングにこれつとめたことを,よもや忘れてはいまい。
しかし,わたしは相撲は芸能であると考えているので,八百長も大相撲のうち,という立場に立つ。八百長も芸能にとっては大事な「芸」のうちのひとつだから。ただし,バレるような,下手な八百長をやればお客さんが来なくなるだけのこと。だから,絶対にバレないような八百長を仕組まなくてはならない。ときには,見え見えの八百長なのに,それが立派な「芸」になっていて,お客さんから大きな拍手をもらえるようなときもある。かつては,そういう相撲もみられて,じつに楽しかった。力士とお客さんとの呼吸が合うと,その場になんともいえない一体感が生まれ,場所全体が別次元に移行していく。まるで,名優の演ずる素晴らしい歌舞伎芝居をみているような気分になることもあった。もちろん,升席でお酒を飲みながらの見物は,むしろ相撲の方が芸能の伝統を守っているとさえ言えるほどだ。
そういう相撲はいまは望むべくもない。やせこけた,自分だけが正しいという,エゴイスティックで,自己満足的な正義感の強い人が増えたせいだ。そういう人たちの言っていることは間違いではない。しかし,大局的にみると,矛盾だらけの文化のもつ豊穣さをぶち壊してしまうことになり,なんとも寂しいかぎりである。その結果,文化としてはまことに貧相なものに堕してしまうことになる。大相撲も,すでに,そうなって久しい。
興業主が「大相撲は神事だ」というのだから神事でもかまわないが,それをみて楽しむ側は,大相撲のもつもっと深い芸能性を楽しんだって一向にかまわないはずだ。しかも,その精神は立派にいまも生きているのだから。
さて,前置きが長くなってしまったが,本題の折口信夫説をごくかんたんに紹介しておこう。
第四講の小見出しはキー・ワード風に,あそび,田遊び,えぶり,相撲,わざをぎ,こひ,田楽,猿楽,能,座,とならんでいて,この順番に講義が展開している。
これをみただけで,相撲があそびや田楽,猿楽,能,などと同列に取り扱われていることがわかる。そんなバカなという人は,相撲には「しょっきり」と呼ばれる相撲があることを思い出していただきたい。これなどは猿楽そのものだ。みているお客さんが大笑いするように仕組んである。勝負などどこ吹く風とばかりに,現実にはありえないような相撲をとって,お客さんを喜ばせる。これが相撲の原型なのだと折口信夫は力説する。つまり,相撲は「あそび」にその起源を求めることができるのだ,と。
もともと古い和語の「あそび」は,「鎮魂の動作」を意味していた,という。古代の天皇が「野遊び」をするのは,「鎮魂の動作」としての意味がその根底に宿っている。同時に,大自然の「霊力」をわがものとする身振りでもある。これだけではなく,折口信夫は,わたしですら驚くような説を惜しみなく展開している。たとえば,以下のようである。
「楽器を鳴らすこと,舞踊すること,または野獣狩りをすること,鳥・魚を獲ることをもあそびと言ふ語で表していますが,これは鎮魂の目的であるからです。つまり鳥,獣を獲ったり,魚を釣ったりするのは悦ぶためだといふ風に解釈されますが,そういう生き物が人間の霊魂を保存しているから其を迎えて鎮魂するのです。」
「・・・・楽はあそびなのですから,田楽も田遊びも同じことになるわけですが,田遊びは田に於て鎮魂を行ったといふことではっきりしています。つまり田を出来るだけ踏みつけ,その田を掻きならして田に適当な魂をおちつけ,ぢっとさせておき,立派な稲を作るといふことなのであります。」
「・・・ところが田遊び以前の田に関係した行事が考えられます。─中略─。演劇の昔の伝統を尋ねて行くと妙なことに他には行かないで相撲に行ってしまふことです。これは日本の演劇の正当なものなのです。宮廷では七月に相撲(すまひ)の節会(せちえ)といふものを行ひ,其時期が相撲の季節となりました。そしてこれはどうしても演劇にならなければならなかったのですが,途中から演劇の芽ばえが起こって来て,相撲はその方面に伸びなかったのです。」
「・・・蹴速(けはや)のふみ殺された所は「腰折田」と称して残ったといふことですが,これはその通りの動作が行はれておったところなのでせう。地方に行きますと,囃田(はやしだ)とか鼓田(つづみだ)とか舞田(まいた)といふ名称の田がありますが,それは其処(そこ)に行って田植の時に芸能の行はれる事の意味なのです。」
とまあ,こんな具合に眼からうろこが落ちるような話がつぎからつぎへと登場する。たとえば,野見宿禰と当麻蹴速の相撲の真意について(まれびとの来臨),大国主命(おおくにぬしのみこと)の国譲りの相撲について(手を取る・・・相手の魂を招きこふ動作,この「こふ」が「こひ」(恋)となる,など),米の豊作を予祝する儀礼としての相撲について,などなど。これらはすべて年占いであり,演劇として演じられたものだと折口信夫は,じつに軽妙にその裏側の複雑な仕組みにいたるまでをわかりやすく説いている。
この他にも,たくさんの相撲=芸能を裏づける話がでてくる。あとは,テクストに直接あたって確認してみていただきたい。その方が面白いこと請け合い。
最後にひとこと触れておきたいことは以下のとおり。
意外なことに,相撲と能とは,同じルーツから枝分かれした芸能であった,ということ。すなわち,田遊びという鎮魂のための芸能が,ひとつは相撲となり,もうひとつは田楽,猿楽,能楽となっていく,というわけである。このあたりのことは,調べていけば無尽蔵に面白い話がでてくるはずである。こんごの課題としておく。
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