2012年11月14日水曜日

国民栄誉賞受賞対談・吉田沙保里vs高橋尚子。「からだの中で一番弱いのは頭」

 新聞休刊日明けのせいか,今日(13日)の朝刊は読みでがありました。気がつくと隅からすみまで読んでいました。それほどに面白い記事が多かったということ。しかも,記名入りの記事が多かったので,いずれも記事に気合が入っていました。やはり,記事は記者が一歩も引かない立場で書いたものには力があり,それが読者に伝わってきます。

 そんな中の一つ。「国民栄誉賞 受賞対談」が見開き2ページにわたって掲載されていました。とても贅沢なスペースを使っての記事でした。でも,わたしの好きなマラソンの高橋尚子さんとレスリングの吉田沙保里さんだったので,大満足。

 国民栄誉賞を受賞したから偉いとかそういうことではなくて,長い年月をかけて自分の信じた道を邁進し,ふつうではできないことをやり遂げた,その強い信念と実行力にわたしは大きな共感をいだき,共振・共鳴します。大きな目標を達成した人の顔は,じつに生き生きとしています。そして,じつに美しい。それは生命力にあふれた美しさです。トップ・アスリートに特有の,身もこころも充実している人の美しさです。そして,なによりも眼に力を感じます。いわゆる「眼力」(「がんりき」ではなくて「めぢから」)があります。ことばの正しい意味で「生きている」人の眼です。

 そんなお二人の対談のなかに,とても感動したことばがありました。
 司会者(この記事をまとめた運動部記者の高橋知子さん)が,つぎのように切り出したあとに発したお二人のことばです。

 ──アスリートにはメンタルが大切?
 吉田 そりゃ大切ですよ。こころが折れたら負けですから。
 高橋 私も走っていて思うのは,体の中で頭が一番弱い場所だということ。「あっ,駄目かもしれない」「きついな」「もうやめたいな」とか思うと,動いているはずの体もそこについていっちゃう。

 このあとに,それぞれの体験にもとづく興味深いお話がつづくのですが,ポイントはここにある,とわたしは受け止めました。とりわけ,高橋さんの発言,「体の中で頭が一番弱い場所だということ」は,けだし名言だと思いました。からだはまだ頑張れるのに,頭(こころ)が負けてしまうと,からだも動かなくなってしまう,というこの否定しがたい真実。

 「こころが折れたら負けですから」「駄目かもしれないと思うと体も動かなくなる」・・・・レスリングとマラソンとでは表現の仕方が違うだけで,じつは同じことを言っています。おそらく,このお二人は,読者のわたしが理解するよりもはるかに深いところで共振・共鳴し合っているに違いありません。一瞬にしてすべてを理解し合えるような,凡人には近寄れないような深い絆で結ばれているのでしょう。羨ましいような世界を,このお二人は切り開き,とても見晴らしのいい岡の上に立って,それぞれのスポーツの頂点からしか見ることのできない素晴らしい景色を堪能しているに違いありません。しかも,それをことばではなくて,もっともっと深い,ことばでは表現できない「からだ」のレベルで,分かり合っているのでしょう。

 スポーツの世界は,たんなる勝ち負けの世界ではなくて,からだをとおして分かり合える不思議な世界の広がりをもっています。それは,いかなることばをもってしても表現できない世界です。しかし,一度でも経験したことのある人同士には,黙っていても分かり合える世界です。

 『オリンポスの果実』を書いた田中英光は,主人公のボート選手(オリンピック代表選手・著者の田中英光もそうだった)につぎのように語らせています。恋人である陸上競技の女子選手(こちらもオリンピック選手)から「ボートを漕ぐ苦しさはたいへんなんでしょうね」と聞かれ,「ボートを漕いだことのない人にいくら説明してもわかりません。ボートを漕いだことのある人には,なにも説明しなくてもわかることです」と。

 この小説を最初に読んだときには,この部分で大いに感動したものです。ですが,必要があって,何回も読み返していくたびに,この部分が気になってきました。これは作家の田中英光のエゴではないか,と。ボートのオリンピック代表選手から太宰治に師事して小説家となった希有なる経歴の持ち主ですが,この部分の描写の仕方は,どこか違うのではないかと感じはじめていました。

 その疑問が,このお二人の対談をとおして,わたしの中ですっきりと氷解していくものがありました。それは,世界のトップに躍り出た経験をもつアスリート同士と,オリンピック代表選手どまりのアスリート同士の違いです。つまり,自分より上がない世界を経験した人間にしか見えない世界があるということ。そして,そうではないアスリートには,それなりの世界があるということ。つまり,それぞれが次元の違う世界をもっているということです。

 もうひとことだけ。高橋尚子さんが「からだの中で一番弱い場所は頭だ」とさらりと言ってのけるところが凄いと思います。これまでのアスリートでこんなことを言った人を寡聞にして知りません。なにが「凄い」かといえば,手短に言ってしまえば,理性中心主義的な考え方(近代合理主義)に対する根底的な否定を提示しているからです。つまり,現代社会を動かしている「頭でっかち」の人たちよりも,トップアスリートたちの方が,「人が生きるということはどういうことなのか」ということを,はるかに深ところで,つまり,からだをとおして理解しているということです。のみならず,この考え方は,心身論(西洋の哲学)ではなくて,身心論(禅仏教)の立場に近いということでもあります。この話はとても面白いテーマなのですが,とりあえず,ここでは頭出しだけにしておきたいと思います。



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