李老師の準備運動の最初の運動は,ほとんど例外なく,手の運動からはじまります。両手の指を交互に絡めたまま手首の力を抜いて柔らかく回したり,腕・肘を大きく動かしてくるくる巴(太極拳のマーク)を描くように動かしたり,指先をしっかり反らせたりする運動です。なんのことはない,最初からだれにでもできるかんたんな運動です。
しかし,李老師のこの運動をよくよく観察してみると,どこかふつうの人とは違います。簡単に言ってしまえば,なぜか,とても美しいのです。その理由のひとつは,手首と指の関節が微妙に柔らかいのです。このことに気づいたのは,つい最近のことです。
そういえば,いつだったか,子どものころに徹底的に関節を柔らかくする運動をやらされたことがある,と李老師からお聞きしていました。そのお話が,ふと脳裏に浮かんできました。とくに,足首を柔らかくするためには相当の痛みに耐えなくてはならなかったそうです。泣きながら,その痛みと闘っていた,と。ときには逃げ出したくなったこともある,と。
股関節を中心とした柔軟運動も同じで,子どものころに相当に厳しい指導を受けたことがある,とも。大勢の大人たちに囲まれて,身動きできないよう抑え込まれての柔軟運動は,思い出すだけでも恐ろしいほどの経験だったそうです。しかし,そういう厳しい鍛練を経ることによって,太極拳をするからだが,少しずつ,成長とともにできあがっていくというわけです。人知れず,子どものころから,柔軟性を養うことを継続して,はじめてあの李老師のからだができあがっている,という次第です。一朝一夕にできあがったものとはわけが違います。
その訓練はいまも継続してやっている,こんどは自分の意志でやっているとのことです。少なくとも,毎晩,寝るまえには,必ず柔軟運動をやることにしている,と。できれば,お風呂に入って,からだを温めておいてから柔軟運動をやると,とても効果的です,と。
手の指の関節,足首や膝の関節,そして股関節,などは努力すれば必ず柔らかくなります,と。それぞれの運動の強度は,一人ひとりのからだの状態によって上手に調節する必要がありますが,まずは継続すること,これが第一です,と。
李老師の仰ることはいちいちもっともな話ばかりです。あとは,実践あるのみです。が,問題はここです。理解していることと,実践することとは,別の話です。言うはやすし,行うはかたし。思いついたときに柔軟運動をやればいい,というようなことはだれでもわかっています。しかし,それを実践するのはまた別の話になります。実践は強い意志の力が必要です。よほどの動機がないとなかなかできません。
わたしも若いころ,体操競技をやっていましたから,どのように柔軟運動をやればいいかは,ひととおりのことは知っていますし,実践もしていました。当時は,いまから考えても,とても柔らかなからだを維持していました。もちろん,そうでなくては競技はつづけられませんから,当然といえば当然のことです。それでも,自分の意志で柔軟運動を毎日,継続することは容易ではありませんでした。ですから,競技をやめたとたんに,もう,柔軟運動はほとんどしなくなってしまいました。それからこんにちまで,もう,何十年もの間,なにもしてないのですから,からだが固くなるのは当たり前です。そこに長年の加齢があります。
でも,ときおり,思い立ったかのように,熱心に柔軟運動をはじめることがあります。そうすると,不思議や不思議,どんどん柔らかくなってくるのです。それで味をしめて,喜び勇んで柔軟運動に取り組みます。が,三日坊主ではないにしても,あまり長くはつづきません。すると,こんどはあっという間にからだが固くなってしまいます。からだを柔らかくするには相当の時間が必要ですが,からだが固くなるのは三日もあれば十分です。すぐに,もとの固いからだにもどってしまいます。ですから,ほんとうは毎日,少しずつ継続すればいいのです。それがなかなか・・・・・。
でも,柔軟運動はこの年齢でもやれば必ず柔らかくなるというのは事実ですので,できるだけ努力したいと思います。そのためには,定期的に,表演を見せる/観てもらう,ということがいいようです。李老師もよくよく観察していますと,太ったり,細く絞りこんだりを繰り返していらっしゃいます。で,聞いてみますと,こんどどこどこで表演を頼まれているので,少し絞り込まないと・・・・というようなことを仰います。なるほど,と納得。ならば,それを見習うべし。上手/下手はともかくとして,だれかに定期的に観てもらうことが大事なようです。
まあ,それはともかくとして,これから少しずつ柔軟運動を行う習慣をつけていきたいと思っています。そして,李老師を驚かすくらいの動機は許容範囲でしょう。密かに,始めて,李老師を驚かすことにしよう。もっとも,ここに書いてしまった以上は,バレバレですが・・・・。
しかし,李老師のこの運動をよくよく観察してみると,どこかふつうの人とは違います。簡単に言ってしまえば,なぜか,とても美しいのです。その理由のひとつは,手首と指の関節が微妙に柔らかいのです。このことに気づいたのは,つい最近のことです。
そういえば,いつだったか,子どものころに徹底的に関節を柔らかくする運動をやらされたことがある,と李老師からお聞きしていました。そのお話が,ふと脳裏に浮かんできました。とくに,足首を柔らかくするためには相当の痛みに耐えなくてはならなかったそうです。泣きながら,その痛みと闘っていた,と。ときには逃げ出したくなったこともある,と。
股関節を中心とした柔軟運動も同じで,子どものころに相当に厳しい指導を受けたことがある,とも。大勢の大人たちに囲まれて,身動きできないよう抑え込まれての柔軟運動は,思い出すだけでも恐ろしいほどの経験だったそうです。しかし,そういう厳しい鍛練を経ることによって,太極拳をするからだが,少しずつ,成長とともにできあがっていくというわけです。人知れず,子どものころから,柔軟性を養うことを継続して,はじめてあの李老師のからだができあがっている,という次第です。一朝一夕にできあがったものとはわけが違います。
その訓練はいまも継続してやっている,こんどは自分の意志でやっているとのことです。少なくとも,毎晩,寝るまえには,必ず柔軟運動をやることにしている,と。できれば,お風呂に入って,からだを温めておいてから柔軟運動をやると,とても効果的です,と。
手の指の関節,足首や膝の関節,そして股関節,などは努力すれば必ず柔らかくなります,と。それぞれの運動の強度は,一人ひとりのからだの状態によって上手に調節する必要がありますが,まずは継続すること,これが第一です,と。
李老師の仰ることはいちいちもっともな話ばかりです。あとは,実践あるのみです。が,問題はここです。理解していることと,実践することとは,別の話です。言うはやすし,行うはかたし。思いついたときに柔軟運動をやればいい,というようなことはだれでもわかっています。しかし,それを実践するのはまた別の話になります。実践は強い意志の力が必要です。よほどの動機がないとなかなかできません。
わたしも若いころ,体操競技をやっていましたから,どのように柔軟運動をやればいいかは,ひととおりのことは知っていますし,実践もしていました。当時は,いまから考えても,とても柔らかなからだを維持していました。もちろん,そうでなくては競技はつづけられませんから,当然といえば当然のことです。それでも,自分の意志で柔軟運動を毎日,継続することは容易ではありませんでした。ですから,競技をやめたとたんに,もう,柔軟運動はほとんどしなくなってしまいました。それからこんにちまで,もう,何十年もの間,なにもしてないのですから,からだが固くなるのは当たり前です。そこに長年の加齢があります。
でも,ときおり,思い立ったかのように,熱心に柔軟運動をはじめることがあります。そうすると,不思議や不思議,どんどん柔らかくなってくるのです。それで味をしめて,喜び勇んで柔軟運動に取り組みます。が,三日坊主ではないにしても,あまり長くはつづきません。すると,こんどはあっという間にからだが固くなってしまいます。からだを柔らかくするには相当の時間が必要ですが,からだが固くなるのは三日もあれば十分です。すぐに,もとの固いからだにもどってしまいます。ですから,ほんとうは毎日,少しずつ継続すればいいのです。それがなかなか・・・・・。
でも,柔軟運動はこの年齢でもやれば必ず柔らかくなるというのは事実ですので,できるだけ努力したいと思います。そのためには,定期的に,表演を見せる/観てもらう,ということがいいようです。李老師もよくよく観察していますと,太ったり,細く絞りこんだりを繰り返していらっしゃいます。で,聞いてみますと,こんどどこどこで表演を頼まれているので,少し絞り込まないと・・・・というようなことを仰います。なるほど,と納得。ならば,それを見習うべし。上手/下手はともかくとして,だれかに定期的に観てもらうことが大事なようです。
まあ,それはともかくとして,これから少しずつ柔軟運動を行う習慣をつけていきたいと思っています。そして,李老師を驚かすくらいの動機は許容範囲でしょう。密かに,始めて,李老師を驚かすことにしよう。もっとも,ここに書いてしまった以上は,バレバレですが・・・・。
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