2012年11月22日木曜日

ボクシング小説・角田光代著『空の拳』(日本経済新聞出版社)を読む。

 スポーツ小説が花盛りです。これまでマンガ・動画の領域では大活躍していたスポーツですが,いつのころからか気がつけば小説の世界で大活躍です。取り上げられる題材も,野球,サッカー,陸上競技,相撲,などのメジャーなものから,マリン・スポーツやトレッキングなどの最近の人気スポーツにまで多岐にわたっています。以前は,もっぱら山岳小説が中心でしたが(こちらはむかしからずいぶん読んできました),最近は身近なスポーツが人気のようです。作家もまた,男性中心から女性へとひろがり,スポーツ小説の取り上げられ方も大きく変化しているように思います。詳しいことは,いずれ,とりあげてみたいと思いますが,今日は,いま話題の一冊の本をとりあげてみたいと思います。

 角田光代著『空の拳』(日本経済新聞出版社)です。しばらく前の『週間読書人』が角田光代さんのインタヴュー記事を大きくとりあげて(全面2ページ)いましたので,これは読んでおかなくてはいけない,と思っていました。で,すぐに本屋で手に入れてはあったのですが,なかなか読むところにいきませんでした。なぜなら,500ページにも及ぶ大作でしたので,おいそれと読みはじめるわけにはいきません。で,そのチャンスを狙っていました。

 狙ってはいましたが,いつまで経ってもその機会は巡ってきません。そこで,とうとうしびれを切らして,エイヤッ,と読みはじめることにしました。案の定,徹夜で読むはめになってしまいました。困った本の一冊になりました。

 この本の主題はボクシングです。しかも,作家は女性です。わたしのイメージでは,角田光代さんがボクシング小説を書くとは夢にも思っていませんでした。が,その角田さんがボクシング小説,いな,スポーツ小説に初めて挑んだというところが,わたしにはとても新鮮に映りました。なぜ,女性作家がボクシングを描こうとしたのか,ボクシングをとおしてなにを描こうとしたのか,ボクシングの神髄にどこまで迫ることができるのか,そして,現代社会を生きている若者たち(われわれ大人も含めて)にとってボクシングとはなにか,というのがわたしの興味・関心でした。

 それには,いささか理由がありました。ちょうど一年前,わたしの監訳で『ボクシングの文化史』(カシア・ボディ著,松浪稔+月嶋紘之訳,東洋書林)という翻訳本を世に問うということがありました。じつは,この『ボクシングの文化史』を書いたのも女性でした。しかも,著者のカシア・ボディはロンドン大学やその他の大学で現代英米文学やメディア論,文化論の教鞭をとる学者・研究者です。もちろん,評論やエッセイもたくさん書いている人ですが,なぜか,ボクシングにも興味をいだいて,とうとう『ボクシングの文化史』という大著(本文だけで570ページ)をものした人です。この本の巻末にわたしが「監訳者あとがき」を書いていますので,こちらも参照してみてください。

 そこでも述べておきましたが,ボクシングは,さまざまなスポーツのなかで,もっとも人間の野生を剥き出しにさせる文化装置ではないか,というのがわたしの仮説です。つまり,人間の野生回帰願望をもっとも多く叶えてくれる文化装置,それがボクシングではないか,と。そして,その野生性に対する反応の仕方は,男性と女性では,根本的なところで異なるのではないか,と考えています。あえて言ってしまえば,男性はどちらかといえば理性で野生性と向き合い,女性はそのままからだ全体でボクシングの野生性を受け止める傾向が強いのではないか,ということです。

 こんな問題意識をもっていたものですから,さて,角田光代さんは,女性として,どんな風に「ボクシング」を受け止め,ボクシングのどこに着目し,この小説をとおしてなにをメッセージとして伝えようとしたのか,といったようなことがらがなにがなんでも知りたいと思いました。案の定,いくつもの発見がありました。なるほどなぁ,女性作家がボクシングを小説として描くとこういうことになるのか,と納得するものがたくさんありました。それらについては,これから読もうという人のために,ここでは書かないでおきます。

 もちろん,バタイユ的な世界観からボクシングをとらえようとしているわたしからすれば,物足りないところもたくさんありました。それは,それで,無い物ねだりというものなのでしょう。そのことによって,逆に,わたし自身のボクシング観が浮き彫りにされてきて,ある種の快感も味わうことができました。描かれないことによって,そのことを,さらに強く意識させられるという反面教師的な役割も果たしてくれている,という次第です。

 たくさんの文学賞(海燕新人文学賞,野間文芸新人賞,坪田譲治文学賞,婦人公論文芸賞,直木賞,川端康成文学賞,中央公論文芸賞,伊藤整文学賞)を受賞してきた角田光代さんが,この作品によって,また,新たな境地を開いたことは明らかです。さて,この作品によって,こんどはどんな賞を受賞することになるのか,いまから楽しみです。

 わたしからのお薦めの一冊です。ただし,読みはじめたら徹夜をする覚悟をしておいてください。とくに,週末に読む小説としてお薦めします。

 以上。

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