さまざまな前提条件はひとまず置くとして,「表現の自由」は守られなくてはならない,と言われたらこれを否定することはできません。つまり,一般論として,あるいは一般原則として,「表現の自由」を擁護することは正しい,ということです。しかし,だからといって「表現の自由」はいかなる情況においても守られなくてはならない絶対的な正義か,と問われたらそれは「否」だ,とわたしは考えています。すなわち,「表現の自由」(「言論の自由」)にはおのずからなる限界がある,ということです。
別の言い方をすれば,「表現の自由」はオールマイティではない,ということです。
フランスの風刺週刊紙シャルリエブドが襲撃され,編集長ほか12名が殺害されたほかにも,スーパーでも警察官1名,ユダヤ系の4人が殺害され,計17名が命を落としました。そして,あらゆるメディアがいっせいにイスラム原理主義系のテロリストのなせる所業だとして,連日,テロリストを弾劾する報道を展開しています。
わたしは「17名」か,と腕組みしながら考えました。たった「17名」で,この騒ぎはなんだろう,と。フランス各地では全部で370万人もの人たちが「反テロリズム」「表現の自由」を掲げてデモの大行進を繰り広げた,という。しかも,戦後,最大のデモ行進だった,という。なにが,フランスの人びとをここまで駆り立てるのか,わたしには理解できません。
大行進はそれだけではありませんでした。その先頭に立ったのは,オランド仏大統領を筆頭に,英国,ドイツ,スペインなどの首脳40名が顔をそろえた,というのです。この写真もテレビ,新聞,FBをとおして,大きく報じられました。この写真を眺めながら,その異様な光景に,これはいったいなんだろう,なにを意味しているのだろうか,と考え込んでしまいました。
なにかに怯えている・・・そうに違いない・・・そうでなければここまで大きな騒ぎにはならない・・・これがわたしの直観でした。「表現の自由」はたんなる隠れ蓑にすぎないのではないのか。これを「正義」の御旗としてかかげ,テロリスト(勝手に名づけただけのこと)を徹底的に排除・弾圧する,その圧倒的な「暴力」にすがるしか手立てが見当たらない,安心立命できない・・・・そんな図柄がわたしの脳裏に浮かんでは消えを繰り返していました。
そして,その反対側には,アメリカを筆頭とする欧米諸国が一致団結して,テロリスト撲滅運動を展開してきたこれまでの経緯が,わたしの脳裏に浮かんでは消えを繰り返しています。つまり,テロリストと名づけてしまえば,いかなる手段を用いてでも「殺害」が正当化されてしまう,その「暴力」です。しかも,その「暴力」はたんなる戦闘集団だけではなく,一般市民をも巻き込む「爆撃」です。この「爆撃」によってどれだけ多くの一般市民が命を落とすことになったことか,と。
その数は「17名」とは比べものになりません。その何十倍,何百倍と推定されています。つまり,無差別殺戮が繰り返されてきました。この無差別殺戮は,いまも,「正義」の名のもとで繰り広げられてけいます。イスラム過激派集団からすれば,欧米の連合軍による無差別殺戮こそが,史上最大の「テロリズム」にほかなりません。
この視点がひた隠しにされています。
もう一点,ついでに述べておけば,イスラム過激派戦闘集団を最初に組織したのはアメリカのCIAだった,ということを忘れてはなりません。みずから播いた種がみごとに育ち,大いに働きもしました。が,その使命をはたしたところで見捨ててしまいました。見捨てられた戦闘集団は,こんどはアメリカに刃を向けることになりました。これが「テロリスト」のはじまりです。そして,テロリスト狩りという名の無差別殺戮という暴力がいまもつづいています。
裏切ったのはだれだ,という問いを忘れてはなりません。
今回のフランス風刺週刊紙襲撃事件は,こうした長年にわたる弾圧・排除・隠蔽に対する怨み,つらみの表出にすぎません。デリダ流にいえば,抑圧・排除・隠蔽された側の怨念は,あるとき,突如として「亡霊」となって表出する,というわけです。
この怨念という名の「亡霊」に怯えている・・・のでは・・・。これがわたしの直観の根拠の一部です(じつは,まだまだ,たくさんあります。たとえば,イスラエル・パレスチナ問題。この話は長くなりますので,また,別の機会に)。それでなければ,たった「17名」の犠牲者に,これほどの病的とも思われる反応を示すことはありえない,と思うからです。
ですから,わたしの眼からすれば,これはどうみても「集団ヒステリー」症候群としかいいようがありません。「正義」の集団がいつのまにか病気に侵されていた,それもおのれの所業に怯えながら,しかも,そのこと自体にもまだ気づいてはいないようです。
その証拠に,風刺週刊紙『シャルリエブド』の14日発売号(特別号)では,再度,預言者ムハンマドを描いた風刺画を表紙にする,とのことです。それが,この下の絵です。
とうとう,アンタッチャブルの領域にあえて踏み込もうというのです。これはもはや「風刺」ではありません。あきらかに「挑発」です。挑発しながら,おのれの顔は引きつっていることでしょう。なぜなら,こんどは,世界中のイスラム教信者を敵にまわす「暴挙」にでたのですから。
ちなみに,世界でもっとも信者の多い宗教はイスラム教なのですから,これは「暴挙」としかいいようがありません。
なにか,とてつもない新時代の幕が,突然,切って落とされた,そんな印象をわたしはつよくもっています。予想もつかない,まったく新しい展開が,これから世界を席巻するのではないか,と。これがわたしの杞憂に終わることを祈るのみです。
別の言い方をすれば,「表現の自由」はオールマイティではない,ということです。
フランスの風刺週刊紙シャルリエブドが襲撃され,編集長ほか12名が殺害されたほかにも,スーパーでも警察官1名,ユダヤ系の4人が殺害され,計17名が命を落としました。そして,あらゆるメディアがいっせいにイスラム原理主義系のテロリストのなせる所業だとして,連日,テロリストを弾劾する報道を展開しています。
わたしは「17名」か,と腕組みしながら考えました。たった「17名」で,この騒ぎはなんだろう,と。フランス各地では全部で370万人もの人たちが「反テロリズム」「表現の自由」を掲げてデモの大行進を繰り広げた,という。しかも,戦後,最大のデモ行進だった,という。なにが,フランスの人びとをここまで駆り立てるのか,わたしには理解できません。
大行進はそれだけではありませんでした。その先頭に立ったのは,オランド仏大統領を筆頭に,英国,ドイツ,スペインなどの首脳40名が顔をそろえた,というのです。この写真もテレビ,新聞,FBをとおして,大きく報じられました。この写真を眺めながら,その異様な光景に,これはいったいなんだろう,なにを意味しているのだろうか,と考え込んでしまいました。
なにかに怯えている・・・そうに違いない・・・そうでなければここまで大きな騒ぎにはならない・・・これがわたしの直観でした。「表現の自由」はたんなる隠れ蓑にすぎないのではないのか。これを「正義」の御旗としてかかげ,テロリスト(勝手に名づけただけのこと)を徹底的に排除・弾圧する,その圧倒的な「暴力」にすがるしか手立てが見当たらない,安心立命できない・・・・そんな図柄がわたしの脳裏に浮かんでは消えを繰り返していました。
そして,その反対側には,アメリカを筆頭とする欧米諸国が一致団結して,テロリスト撲滅運動を展開してきたこれまでの経緯が,わたしの脳裏に浮かんでは消えを繰り返しています。つまり,テロリストと名づけてしまえば,いかなる手段を用いてでも「殺害」が正当化されてしまう,その「暴力」です。しかも,その「暴力」はたんなる戦闘集団だけではなく,一般市民をも巻き込む「爆撃」です。この「爆撃」によってどれだけ多くの一般市民が命を落とすことになったことか,と。
その数は「17名」とは比べものになりません。その何十倍,何百倍と推定されています。つまり,無差別殺戮が繰り返されてきました。この無差別殺戮は,いまも,「正義」の名のもとで繰り広げられてけいます。イスラム過激派集団からすれば,欧米の連合軍による無差別殺戮こそが,史上最大の「テロリズム」にほかなりません。
この視点がひた隠しにされています。
もう一点,ついでに述べておけば,イスラム過激派戦闘集団を最初に組織したのはアメリカのCIAだった,ということを忘れてはなりません。みずから播いた種がみごとに育ち,大いに働きもしました。が,その使命をはたしたところで見捨ててしまいました。見捨てられた戦闘集団は,こんどはアメリカに刃を向けることになりました。これが「テロリスト」のはじまりです。そして,テロリスト狩りという名の無差別殺戮という暴力がいまもつづいています。
裏切ったのはだれだ,という問いを忘れてはなりません。
今回のフランス風刺週刊紙襲撃事件は,こうした長年にわたる弾圧・排除・隠蔽に対する怨み,つらみの表出にすぎません。デリダ流にいえば,抑圧・排除・隠蔽された側の怨念は,あるとき,突如として「亡霊」となって表出する,というわけです。
この怨念という名の「亡霊」に怯えている・・・のでは・・・。これがわたしの直観の根拠の一部です(じつは,まだまだ,たくさんあります。たとえば,イスラエル・パレスチナ問題。この話は長くなりますので,また,別の機会に)。それでなければ,たった「17名」の犠牲者に,これほどの病的とも思われる反応を示すことはありえない,と思うからです。
ですから,わたしの眼からすれば,これはどうみても「集団ヒステリー」症候群としかいいようがありません。「正義」の集団がいつのまにか病気に侵されていた,それもおのれの所業に怯えながら,しかも,そのこと自体にもまだ気づいてはいないようです。
その証拠に,風刺週刊紙『シャルリエブド』の14日発売号(特別号)では,再度,預言者ムハンマドを描いた風刺画を表紙にする,とのことです。それが,この下の絵です。
ちなみに,世界でもっとも信者の多い宗教はイスラム教なのですから,これは「暴挙」としかいいようがありません。
なにか,とてつもない新時代の幕が,突然,切って落とされた,そんな印象をわたしはつよくもっています。予想もつかない,まったく新しい展開が,これから世界を席巻するのではないか,と。これがわたしの杞憂に終わることを祈るのみです。
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