不勉強をさらけ出すようでいささか恥ずかしいかぎりですが,いまのいままでこの本の存在を知りませんでした。正月の七草がゆも終わったころ,ぶらりと散歩にでたついでに,なんのあてもなく近くの書店に立ち寄りました。よくあるいつもの慣習です。場所もきまっていて,文庫本のコーナー。岩波文庫をながめているうちに,そういえば買っておかなくてはいけない本があったはず・・・・。でも,書名が思い出せない。仕方がないので,その隣にある講談社学術文庫の棚をぼんやりとながめてみる。すると,突然,『<出雲>という思想』──近代日本の抹殺された神々,という書名が眼に飛び込んできました。えっ? 思想だって? しかも,<出雲>の?
面白い本との出会いは,いつもこんな具合にはじまります。ある日,突然,向こうからやってくるのです。すぐに手にとってみる。まっさきに,表紙カバーのキャッチ・コピーが眼に飛び込んできました。そこには,以下のようにありました。
明治国家における「国体」「近代天皇制」の確立は,<伊勢>=国家神道の勝利であった。
その陰で闇に葬られたもう一つの神道・<出雲>。
スサノヲやオホクニヌシを主宰神とするこの神学は,復古神道の流れに属しながら,なぜ抹殺されたのか。
気鋭の学者が<出雲>という場所(トポス)をとおし,
近代日本のもう一つの思想史を大胆に描く意欲作。
これは面白そうだ,と直観。おもむろに目次を確認し,気になる見出しの章,節を拾い読み。それから,「まえがき」を読み,ぐいと惹きつけられ,「はじめに──<伊勢>と<出雲>」を一気に読んで,これは間違いなくいまのわたしの関心事にみごとに応えてくれる本だと確信。買いと決定。大急ぎで家にもどって,すぐに読み始めました。面白くて止められません。
目次をあげておきますと,以下のとおりです。
第一部 復古神道における<出雲>
一 「顕」と「幽」
二 本居宣長と<出雲>
三 平田篤胤と<出雲>
四 篤胤神学の分裂と「幽冥」の継承
五 明治初期の神学論争
おわりに──<出雲>を継ぐもの
という具合です。
これまで,本居宣長にはじまる「国学」なるものに,どことなくうさん臭さを感じていましたので,それとなく敬して避けるという姿勢を貫いてきました。それでも,本居宣長がどうして『日本書紀』よりも『古事記』を重視したのか,その理由は確認しておかなくてはなぁ,くらいの意識はありました。それに対して平田篤胤は,なぜ,『日本書紀』を重視したのか,という疑問はもっていました。
しかし,今回,このテクストを読んで,その疑問はみごとに氷解しました。しかも,両者ともに<伊勢>よりも<出雲>を重視していることに,ある種の驚きを覚えました。つまり,アマテラスよりはオホクニヌシの存在を重視している,ということです。それも,『古事記』や『日本書紀』を読めば読むほど,オホクニヌシの存在が古代史にあっては中心であったことがはっきりしてくる,と両者ともにいうのです。それにくらべるとアマテラスの存在は希薄である,と。
ここからはじまって,国学論争,あるいは神学論争は,さまざまな説が飛び交うようになります。ひとくちに言ってしまえば,その論争は<伊勢>派と<出雲>派との対立抗争でした。それでも,論理としては<出雲>派が圧倒していた,といいます。
この論争に決着がつくのが明治初期です。しかも,政治の力で決着がつきます。明治20年代に,大日本帝国憲法と教育勅語が発布され,これが決め手となります。よく知られていますように,大日本帝国憲法の第一条は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之レヲ統治ス」と書かれています。むしろ,驚いたのは「万世一系ノ天皇」という考え方は,この憲法によって定着したものだ,ということです。わたしは,ずっとむかしから「万世一系」ということが言われてきたのだ,と思っていましたが,そうではありませんでした。
かくして,<伊勢>=国家神道がその根拠をもつことになり,もう一つの神道=<出雲>は闇に葬られることになる,というわけです。
このプロセスが<思想史>というスタイルをとりながら,詳細に語られています。もっと早く,このような思考の洗礼を受けておくべきだった,といまごろになって臍を噛んでいます。ぼんやりと霞がかかっていた世界がすっきりしてきましたので,これから<出雲>を考える上でとても助かるテクストでした。
と同時に,これまで考えつづけてきた出雲族の存在こそが,日本史を理解する上では不可欠であるとするわたしの仮説が,間違ってはいなかったとわかり,安心しました。これからも,ますます出雲族の実態を追ってみたいと思うようになりました。
明治国家における「国体」「近代天皇制」の確立は,<伊勢>=国家神道の勝利であった。
その陰で闇に葬られたもう一つの神道・<出雲>。
スサノヲやオホクニヌシを主宰神とするこの神学は,復古神道の流れに属しながら,なぜ抹殺されたのか。
気鋭の学者が<出雲>という場所(トポス)をとおし,
近代日本のもう一つの思想史を大胆に描く意欲作。
これは面白そうだ,と直観。おもむろに目次を確認し,気になる見出しの章,節を拾い読み。それから,「まえがき」を読み,ぐいと惹きつけられ,「はじめに──<伊勢>と<出雲>」を一気に読んで,これは間違いなくいまのわたしの関心事にみごとに応えてくれる本だと確信。買いと決定。大急ぎで家にもどって,すぐに読み始めました。面白くて止められません。
目次をあげておきますと,以下のとおりです。
第一部 復古神道における<出雲>
一 「顕」と「幽」
二 本居宣長と<出雲>
三 平田篤胤と<出雲>
四 篤胤神学の分裂と「幽冥」の継承
五 明治初期の神学論争
おわりに──<出雲>を継ぐもの
という具合です。
これまで,本居宣長にはじまる「国学」なるものに,どことなくうさん臭さを感じていましたので,それとなく敬して避けるという姿勢を貫いてきました。それでも,本居宣長がどうして『日本書紀』よりも『古事記』を重視したのか,その理由は確認しておかなくてはなぁ,くらいの意識はありました。それに対して平田篤胤は,なぜ,『日本書紀』を重視したのか,という疑問はもっていました。
しかし,今回,このテクストを読んで,その疑問はみごとに氷解しました。しかも,両者ともに<伊勢>よりも<出雲>を重視していることに,ある種の驚きを覚えました。つまり,アマテラスよりはオホクニヌシの存在を重視している,ということです。それも,『古事記』や『日本書紀』を読めば読むほど,オホクニヌシの存在が古代史にあっては中心であったことがはっきりしてくる,と両者ともにいうのです。それにくらべるとアマテラスの存在は希薄である,と。
ここからはじまって,国学論争,あるいは神学論争は,さまざまな説が飛び交うようになります。ひとくちに言ってしまえば,その論争は<伊勢>派と<出雲>派との対立抗争でした。それでも,論理としては<出雲>派が圧倒していた,といいます。
この論争に決着がつくのが明治初期です。しかも,政治の力で決着がつきます。明治20年代に,大日本帝国憲法と教育勅語が発布され,これが決め手となります。よく知られていますように,大日本帝国憲法の第一条は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之レヲ統治ス」と書かれています。むしろ,驚いたのは「万世一系ノ天皇」という考え方は,この憲法によって定着したものだ,ということです。わたしは,ずっとむかしから「万世一系」ということが言われてきたのだ,と思っていましたが,そうではありませんでした。
かくして,<伊勢>=国家神道がその根拠をもつことになり,もう一つの神道=<出雲>は闇に葬られることになる,というわけです。
このプロセスが<思想史>というスタイルをとりながら,詳細に語られています。もっと早く,このような思考の洗礼を受けておくべきだった,といまごろになって臍を噛んでいます。ぼんやりと霞がかかっていた世界がすっきりしてきましたので,これから<出雲>を考える上でとても助かるテクストでした。
と同時に,これまで考えつづけてきた出雲族の存在こそが,日本史を理解する上では不可欠であるとするわたしの仮説が,間違ってはいなかったとわかり,安心しました。これからも,ますます出雲族の実態を追ってみたいと思うようになりました。
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