「イスラム国」邦人殺害警告をめぐって大騒ぎです。NHKは,昨日(20日)の夕刻,わたしの大好きな大相撲の中継放送を中止して,同じ映像を垂れ流し。しかも,同じ内容を繰り返すのみ。そのうち大相撲の中継に切り替わるだろうと待ち続けましたが,とうとう根負けして諦めました。
イスラム国側は,無差別攻撃により多くの女性や子どもたちが犠牲になり,住む家も破壊されたから1億ドル,イスラム国の拡大を防ぐ勢力に加担したから1億ドル,計2億ドルを二人の身代金として要求。それに対して,アベ君は,非軍事分野への人道支援として2億ドルを拠出するのであって,イスラム国の主張は的外れである,と主張。そして,人質を楯にとって脅迫することは許し難いテロ行為であって,憤りを覚える,と訴えています。
これの繰り返しの映像が,延々と流されました。途中からうんざりしてしまって,もういい加減にしてほしい,と腹が立ってきました。なぜなら,NHKは,ただひたすらテロ行為は卑劣で卑怯だ,ということを日本国民に刷り込むために全力を挙げているだけで,それ以上に踏み込んで問題の所在がどこにあるのかを考える材料を提供しようとはしなかったからです。つまり,一方的にテロ行為は許せない,という単純な理屈を押しつけているだけです。もっと言ってしまえば,国民に余分なことを考えさせない,いわゆる「思考停止」を押しつけることに終始したからです。
大事なことは,どうしてイスラム国が出現することになったのか,だれがイスラム国を生みだしてしまったのか,ということをきちんと考えることです。そして,日本の国際社会への貢献(2億ドルの醵金)もまたイスラム国を生みだす誘因・遠因になっている,という自覚をもつことです。さらには,テロ行為とはどういうことなのか,を考えることです。圧倒的武力をもつ側はテロ行為をする必要はありません。なぜなら,武力の遠隔操作でイスラム国をいくらでも攻撃することができるからです。しかも,無差別攻撃です。そこには大量の死者が出現します。イスラム国側としては耐えられない屈辱でしょう。その仕返しの一つが「テロ行為」です。でも,これはイスラム国からすれば,立派な戦闘行為です。つまり,これは戦争です。ただ,戦う国家の実態が存在しないだけです。
戦争であれば,「人を殺す」ことは正当化されます。イスラム国からすれば戦争なのですから,相手側の無差別攻撃と人質殺害の違いはなにもありません。捕虜を金と交換しようと言っているだけです。考えようによっては,無差別攻撃よりは良心的だとすら言えます。
もともと「人を殺す」権利はだれにもありません。ですから,いかなる裁判手続を経ようとも「死刑」という処罰はあってはならないものです。でも,この処罰を正当化している国はいくらでもあります。日本もそのうちの一つです。死刑を廃止している国からすれば,なんと残酷なことをやっている国なのだ,ということになります。日本は野蛮な国なのです。ついこの間まで,ハラキリをやっていた国ですし,人間魚雷や特攻隊をくりだしていた国です。
また,宗教的な儀礼として人身供犠が行われていたことがあります。いまも,その慣習が残っている地域もあるといいます。この場合も,その地域の人びとにとっては「人を殺す」ということが正当化されています。これは特殊な例ですが,そのむかしは,かなり広い範囲で行われていました。埴輪は人身供犠の代わりに編み出された産物ですし,橋をつくるときには人柱として生きた人間を犠牲にすることもありました。
とまあ,こんなことを考えてみますと,「人を殺す」ということが正当化(あるいは,合理化)される/されたのは,戦争,死刑,供犠,くらいなものでしょうか。だとしたら,戦争という概念のなかにテロ行為が含まれるか否か,が問われることになります。国家間の戦争であれば,ゲリラ戦法は正当化されます。ゲリラ戦法を拡大解釈していけば,そこにテロ行為を含むことも可能ではないかと思います。
それよりも,テロ行為とはなにか,ということの方が問われなくてはなりません。しかし,テロ行為の概念を規定することはほとんど不可能です。ですから,アメリカが「テロとの戦い」と宣言し,テロリスト集団を名指しで特定し,そのテロリスト集団が繰り出す戦法が「テロ行為」だ,としかいいようがありません。だとすれば,これは,国家間戦争とは異なる新たな戦争形態である,と言っていいでしょう。となれば,テロ行為は正当化されることになります。
そんなグレイ・ゾーンともいうべき新たな戦争が,いま,イスラム教スンニ派・過激派組織「イスラム国」との間で,粛々と展開している・・・・。日本もまた,「非軍事分野」への人道支援という名のもとで,「参戦」している,というのがわたしの認識です。
ということで,とりあえず,ここまで。
イスラム国側は,無差別攻撃により多くの女性や子どもたちが犠牲になり,住む家も破壊されたから1億ドル,イスラム国の拡大を防ぐ勢力に加担したから1億ドル,計2億ドルを二人の身代金として要求。それに対して,アベ君は,非軍事分野への人道支援として2億ドルを拠出するのであって,イスラム国の主張は的外れである,と主張。そして,人質を楯にとって脅迫することは許し難いテロ行為であって,憤りを覚える,と訴えています。
これの繰り返しの映像が,延々と流されました。途中からうんざりしてしまって,もういい加減にしてほしい,と腹が立ってきました。なぜなら,NHKは,ただひたすらテロ行為は卑劣で卑怯だ,ということを日本国民に刷り込むために全力を挙げているだけで,それ以上に踏み込んで問題の所在がどこにあるのかを考える材料を提供しようとはしなかったからです。つまり,一方的にテロ行為は許せない,という単純な理屈を押しつけているだけです。もっと言ってしまえば,国民に余分なことを考えさせない,いわゆる「思考停止」を押しつけることに終始したからです。
大事なことは,どうしてイスラム国が出現することになったのか,だれがイスラム国を生みだしてしまったのか,ということをきちんと考えることです。そして,日本の国際社会への貢献(2億ドルの醵金)もまたイスラム国を生みだす誘因・遠因になっている,という自覚をもつことです。さらには,テロ行為とはどういうことなのか,を考えることです。圧倒的武力をもつ側はテロ行為をする必要はありません。なぜなら,武力の遠隔操作でイスラム国をいくらでも攻撃することができるからです。しかも,無差別攻撃です。そこには大量の死者が出現します。イスラム国側としては耐えられない屈辱でしょう。その仕返しの一つが「テロ行為」です。でも,これはイスラム国からすれば,立派な戦闘行為です。つまり,これは戦争です。ただ,戦う国家の実態が存在しないだけです。
戦争であれば,「人を殺す」ことは正当化されます。イスラム国からすれば戦争なのですから,相手側の無差別攻撃と人質殺害の違いはなにもありません。捕虜を金と交換しようと言っているだけです。考えようによっては,無差別攻撃よりは良心的だとすら言えます。
もともと「人を殺す」権利はだれにもありません。ですから,いかなる裁判手続を経ようとも「死刑」という処罰はあってはならないものです。でも,この処罰を正当化している国はいくらでもあります。日本もそのうちの一つです。死刑を廃止している国からすれば,なんと残酷なことをやっている国なのだ,ということになります。日本は野蛮な国なのです。ついこの間まで,ハラキリをやっていた国ですし,人間魚雷や特攻隊をくりだしていた国です。
また,宗教的な儀礼として人身供犠が行われていたことがあります。いまも,その慣習が残っている地域もあるといいます。この場合も,その地域の人びとにとっては「人を殺す」ということが正当化されています。これは特殊な例ですが,そのむかしは,かなり広い範囲で行われていました。埴輪は人身供犠の代わりに編み出された産物ですし,橋をつくるときには人柱として生きた人間を犠牲にすることもありました。
とまあ,こんなことを考えてみますと,「人を殺す」ということが正当化(あるいは,合理化)される/されたのは,戦争,死刑,供犠,くらいなものでしょうか。だとしたら,戦争という概念のなかにテロ行為が含まれるか否か,が問われることになります。国家間の戦争であれば,ゲリラ戦法は正当化されます。ゲリラ戦法を拡大解釈していけば,そこにテロ行為を含むことも可能ではないかと思います。
それよりも,テロ行為とはなにか,ということの方が問われなくてはなりません。しかし,テロ行為の概念を規定することはほとんど不可能です。ですから,アメリカが「テロとの戦い」と宣言し,テロリスト集団を名指しで特定し,そのテロリスト集団が繰り出す戦法が「テロ行為」だ,としかいいようがありません。だとすれば,これは,国家間戦争とは異なる新たな戦争形態である,と言っていいでしょう。となれば,テロ行為は正当化されることになります。
そんなグレイ・ゾーンともいうべき新たな戦争が,いま,イスラム教スンニ派・過激派組織「イスラム国」との間で,粛々と展開している・・・・。日本もまた,「非軍事分野」への人道支援という名のもとで,「参戦」している,というのがわたしの認識です。
ということで,とりあえず,ここまで。
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