2015年1月8日木曜日

『日本の中の朝鮮をゆく』(岩波書店)。いささか気がかりな本。

 雑誌『世界』の2月号がとどきました。いつもの習いで目次に眼をとおしてから,面白そうな論考から拾い読み。まずは,じっくり読むべき内容のものかどうかの当りをつけながら,ざっと最後までページをめくります。そして,楽しみなのは,一番最後のページにある清宮美稚子編集長の「編集後記」です。毎回,いろいろの工夫がしてあって,しっかりと読ませてくれます。今回も案に相違することなく,しっかりと「笑わせて」くれました。

 そのあとのページは,「岩波書店の新刊」紹介の広告です。これからどんな本が出るのか,ワクワクしながら,楽しめるページがつづきます。今月もまた,「エッ?」と思わず声を発してしまう本の広告がありました。

 最初の一冊は,『れるられる』,最相葉月。◎あなた。わたし。する。される。する。

 この本は,シリーズ・ここで生きる,全10冊の第8回。「立ち止まる。考える。生きること。私たちのこと。」とあって,さらに「生きるとはどういうことなのか? 多様な『そこで/ここで生きる』いのちを提示する。人生と社会の転換のための10冊」とあります。

 そして,この本のキャッチ・コピーはつぎのようになっています。
 「人生の受動と能動が転換する,その境目をめぐって六つの動詞で綴る,連作短篇集的エッセイ。どうやって生まれるのか。誰に支えられるのか。いつ狂うのか。なぜ絶つのか。本当に聞いているのか。そして,あなたは誰かを愛していますか?」

 ここまで読んで,なるほど,と納得。書名の『れるられる』の謎が解けました。生ま「れる」,支え「られる」をつないだものだ,と。しかし,それにしても,その書名のあとにつづく「◎」のコピーは強烈です。とはいえ,シリーズ「ここで生きる」の核心に触れる,もっとも重要なポイントをみごとに表現していることに,ふたたび,びっくり。この本は読まなくてはならない・・・・と強く惹きつけられてしまいます。

 二冊目は,いまのわたしにとっては,もっと強烈でした。

 『日本の中の朝鮮をゆく』九州篇──光は朝鮮半島から,ゆほんじゅん/橋本繁訳。◎吉野ヶ里から美山まで。斬新な歴史紀行。

 この本のキャッチ・コピーは以下のようです。
 「古代日本の歴史は朝鮮半島からの渡来人が作ったという見方ではなく,双方向の視角からの歴史紀行。吉野ヶ里,有田,太宰府,南郷村,美山など朝鮮ゆかりの地10か所を訪ね歩き,朝鮮半島と日本の関係を考える。」

 いよいよこういう本がでるようになったか,というのが第一印象。これまでにも『日本の中の朝鮮文化』(金達寿)という大部の本がでてはいましたが,これは在日の人が日本の各地を訪ね歩いた記録でした。が,今回は,朝鮮半島で生まれ育った研究者の眼をとおして,現地を歩くとなにが見えてくるのか,という点でとてもユニークだと思います。

 その意味で,ぜひ,この本は読まなくてはと思っていたら,もっと驚くことがありました。それは,〔2月刊行予定の本〕の一覧の中に,つぎの本を見つけたからです。

 『日本の中の朝鮮をゆく』飛鳥・奈良篇──飛鳥の原に百済の花が咲きました! ゆほんじゅん/橋本繁訳,(26日刊)。

 この広告を見つけたときには飛び上がってしまいました。とりわけ,サブタイトルの「飛鳥の原に百済の花が咲きました!」などという言い方は,やはり,朝鮮半島で生まれ育った研究者でなければ言えません。じつに,単純明快に,そして,みごとに正鵠を射抜いています。

 この本はいますぐにでも読みたい,そんな衝動に駆られます。6世紀の半ば,百済から仏教がもたらされたころ,つまり,聖徳太子の時代から斉明天皇の時代にかけて,まさに「飛鳥の原に百済の花が咲きました!」と言っていいでしょう。しかし,この「百済の花」が,乙巳の乱の引き金にもなり,中大兄(のちの天智天皇)の大化の改新へと連なっていくことになります。

 言ってみれば,古代史のもっとも重要な大転換期の,しかも,謎だらけの時代です。その謎に,朝鮮半島からのまなざしは,どのように反応するのか,そこが知りたいわたしのポイントです。日本の古代史の専門家が,どうしても腰が引けてしまう,微妙な問題がここには秘められている,と思われるからです。

 第三冊目は・・・・。際限がなくなってしまいますので,今回はここまでとします。あとは,直接,『世界』2月号をめくって,確かめてみてください。うまい具合に,2月号には「2014年1月~12月 刊行書一覧」もついています。ですから,存分に楽しめます。乞う,ご期待!

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