2015年9月17日木曜日

押し寄せる波のよう・・・・。雨の中,来る人,帰る人ひっきりなし。16日の国会周辺抗議行動。

 9月16日。国会周辺抗議行動。雨の降るなか,どれだけの人が集まったことだろうか。カウントできないほどの人,人,人。早めに帰るお年寄り。それよりも多く遅れてやってくる人びと。一昨日と同じ永田町駅から憲政記念館に向かう歩道に立って(何度も往復しながら),スピーチを聞き,コールしてきました。

 まずは,午後6時からはじまる立憲デモクラシーの会のリレー・トークを目指す。参議院議員会館前と聞いていたので,永田町駅をでて,そちらに向かおうとしたら,すぐ目の前に山口二郎さんが立っていて集会の場所が変更したことなどをマイクを片手に話している。そのすぐうしろで幟旗をもっている西谷さん。わたしは気づかずに山口さんの写真を撮ろうとおもってカメラをリュックから出していたら,西谷さんがみつけてくれて,手を振ってくれる。

 
ああ,元気で,ここに来られたんだ,よかった,と安堵。というのも,滅多なことでは休まない太極拳の稽古(16日の午前)を「一昨日から体調がよくないので休みます」という連絡があり,お休みだったからです。じつは,このところの西谷さんの過密かつ過重なスケジュール(の一部)を知っていただけに心配していました。このあとの連休にかけても,びっしりスケジュールが詰まっていることも。ですから,ゆっくり栄養をとって休養してください,とメールを送りました。

 
立ち止まって写真を撮っていたら,すぐに,警官に「立ち止まるな」と注意されてしまいました。大変な混雑で身動きできない人でいっぱい。仕方がないので,歩道に並んでいる立憲デモクラシーの会の人たちの行列のうしろに立つことにしました。ところが,ハンドマイクひとつだけの装備でしたので,リレー・トークのほとんどは聞き取れませんでした。

 小一時間ほど耳を傾けていましたが,わたしの耳では聞き取れません。それよりも,すぐ近くの参議院議員会館の前で,どこかの団体が性能のいいラウド・スピーカーを使ってコールしている声の方が圧倒的に大きかったということも原因でした。と同時に,今夜は国会周辺のあちこちで,いろいろの団体が分散して集会をもち,それぞれに抗議行動を展開していることを知り,そこはかとない迫力のようなものを感じました。この怒りの結集はただごとではない,これまでとは異なるすさまじいものがある・・・・と。

 立憲デモクラシーの会の集会はまだつづいていましたが,少し前にこの場を離れ,一昨日,立った憲政記念館に渡る横断歩道の手前をめざしました。ところが,今日はこの横断歩道は警察官によって「封鎖」されていて,向こう側に渡ることができません。そのため,あふれんばかりに人が溜まっていて横断歩道のはるか手前から身動きできません。仕方がないので,はるか手前の銀杏の木の下に立つことにしました。

 しばらく前から降りはじめた小雨がだんだん激しくなってきて,傘をさすのも困難なほどの人でごった返していましたので,雨避けにもなって好都合だったからです。しかも,すぐ近くにラウド・スピーカーもあって,国会前で行われているスピーチやコールも聞き取りやすかったからです。

 時折,報告される国会内の動向も知ることができ,ここはいいポジションでした。委員長室で行われている理事会が膠着状態で,何回も中断していて,一向に結論がでる気配はない,委員長室の出入り口を野党議員で封鎖している,特別委員会室にはまだ総理は顔を見せていない,などの情報が断片的に流れました。そのたびに,大きな歓声と拍手が起こりました。

 今夜の集会にきている人たちは,これまでの人たちよりも熱いなぁ,と感じ入りながら立っていました。その間も,ひっきりなしに来る人,帰る人が交叉しています。どれほどの人がくるのだろうかとおもうほど,来る人の波は衰えません。が,その人たちのほとんどは封鎖されている横断歩道からもどってはきません。ということは,そのまま歩道に沿ってこの場所から流れているとしか考えられません。

 午後7時30分を過ぎても続々とやってくる人の波を観察していると,今夜は高校生が多いことに気づきました。なかには,大きなスポーツ・バックを担いでいる高校生の集団がありました。よくみると,その大きなスポーツ・バッグには「日比谷」と書いてありました。ああ,そうか,かれらはクラブの練習が終わって,そのままここに流れてきたんだ,とわかりました。日比谷高校なら,ここから歩いても,さして遠くはありません。こういう若い高校生が関心をもって抗議集会にやってくる光景をみると,未来は明るい,と嬉しくなります。

 さらに,よくよく観察していますと,中学生や小学生を連れた母親も少なくありません。なかには,父親も一緒で,明らかに子連れの家族とおもわれる人たちも見受けられました。また,勤め帰りにやってきたサラリーマン風の人もみかけ,今夜,集まってくる人たちは,これまでと少し違ってきている,ということも実感しました。

 今夜は,立っている足はまだ大丈夫だと言っていましたが,午後8時を過ぎたあたりで,からだが冷えてきてしまいました。これ以上,からだを冷やしてはまずいと判断し,引き揚げることにしました。気持ちは,もっとここにいてコールをつづけたかったのですが・・・・。おそらく,SEALDsの若者たちは,このあとも頑張ってコールをつづけるだろうに・・・・と後ろ髪を引かれるおもいで。病み上がりの,末期癌レベル4を生きる人間の限界でした。


 

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